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#116死にながら生きる
2026-04-01 07:42

#116死にながら生きる

私たちは今、

確かに生きている。
けれど同時に、

少しずつ「死」に向かいながら

生きている存在でもあります。
一秒ごとに、

過去の自分は消えていく。
その繰り返しの中で、

生と死は切り離されたものではなく、

ひとつの流れとして

静かに続いているのかもしれません。
終わりに向かいながら、

それでも続いていく命。
だからこそ大切なのは、

その「間」にある一瞬を、

どれだけ感じて生きられるか。
身体に、心に、魂に、

何を刻んでいるのか。
喜びも、痛みも、

すべてが“生きた証”として

自分の中に残っていく。
それは、

ただの出来事ではなく、

経験や思い出として、

深く根を張っていくもの。
そしてその積み重ねこそが、

自分という存在を形づくり、

どこかその先へと

つながっていくのかもしれません。
生と死のあいだで揺れながら、

「今」をどう生きるかを

やさしく問いかけるお話です。

BGM拝借元
ベルガマスク組曲 第3曲 「月の光」
BGM:Kamatamago (https://kamatamago.com)
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00:06
今日のテーマは、「死にながら生きる」ということについてお話ししていきます。
僕らは生きていると思うんですけど、ただそれはただ生きているのではなくて、その死にながら生きているということだと僕は思うんですよね。
その生きているだけで成立してはいないというか、死という側面が常にはびこっているからこそ、僕たちは
生きているということを感じることができるんじゃないかなっていうのを僕は思ったんですよ。
死を伴わない生というのは僕はないと思いますし、
誰かが言ってた、今この瞬間が一番若いっていうのはもちろんそのことで、
例えば今僕が話している1秒後には1秒死んでいくっていう僕もいますし、私たちっていうのもいると思うんですよ。
でもその中で例えば死にたくないっていう人もいると思うんですよね。
みんなが言うたぶん死にたくないっていうのは肉体的な死っていう意味合いだと思うんですけど、
僕が言ってるたぶん死っていうのは精神的な意味でもあると思うし、内的な自分としての死っていうのももちろんあると思うんですけど、
なんか細胞的に見てもやっぱ死んでいくっていう僕もいるわけであって、
時間が過ぎていって自分の命がなくなっている。命を自分と見るんだったら僕の命は1秒ごとにどんどん死んでいっている。
だけども僕たちは生きているとも言えるわけなんですよね。
なんか、これってでもスマホも全部同じっていうか全てのものに関して言えることなんですよね。
生だけがそこにあるのではないというか、死がそこにあるからこそ僕たちは生きていられることができるというか、
死を死にながらも生きているっていうのが僕たちは正しいのかなというか、
だからなんかもうスマホも充電するごとに時が経つにつれて死にながら生きているとも言えるし、
僕たちは終わりつつ続いていると言った方が正しいのじゃないかなっていう気もしてくるんですよね。
今は僕たちは死んでないですっていうのと、僕たちは生きてるんですっていうのはもちろんあると思うんですけど、
でもこれって僕たちは生と死の間を生きていると思うんですよね。
綺麗さっぱり分けられないっていうか、その間を僕たちは生きている。
どうしても死んでしまう死っていうものを僕たちはあまりにも感じずに生きすぎてしまっているような気がするというか、
めめんともりとか死を忘れるなっていうか、意味合いがあると思うんですけど、
03:02
どうしても死っていう側面が今僕たちはちょっと薄くなってしまっているような気がしたんですよね。
生きるってどういうことかなっていうのも考えるにあたっては死ぬことというか死っていう面についても僕たちは考えなきゃいけないというか、
多分薄々感じている部分だと思うんですよね。
たぶん気づかないふりをしてしまっているだけというか、見ないようにしているだけなんですよね。
今僕たちいつ死んでもおかしくないよねっていうのは肉体的な意味合いであって、
精神的なとか、例えば誰かの心で生き続けているっていうのもあるわけなんですよね。
それっていうのは存在としてそこにあるかどうかちょっとわからないですけど、
確かにそこにいるっていうことは言えるわけであって、
僕たちは生きているっていうのをどういうふうに捉えていかないといけないのかというか、
その死っていうものを僕たちはどういうふうに感じるというか、そっちに引っ張られちゃいけないというか、
僕たちは生きているっていうものに支配されてしまっているような気がするというか、
本当は死っていう面もあるはずなのに、
その生と死っていうのが僕たちは繰り返し繰り返し、肉体ももちろん死っていうのもあるけど、
常に精神的な自分っていうのも例えば死んでしまったり、新たに生まれてくる部分っていうのもあるわけで、
そういう生と死の間を生きている僕たちはその一歩の間で歩く、
その生と死の間を歩いていく僕たちがいる中でどれだけ生きているっていうのを感じられるかっていうのもすごい大切になってくるというか、
例えば体とか魂とか心っていうのに僕たちは何を刻んで生きているんだろうかっていうか、
その刻んできた傷っていうのが僕たちが言っている生きた証だったり、経験とか思い出、
こういったものは身体が死んでしまった後、肉体がない死後の世界っていうものがもし仮にあるんだとしたら、
その死後の世界っていうものに唯一持って生きるものっていうのなのかもしれないなっていうか、
だからいかに物質的に豊かであったとしても、やっぱり最後結局残るのはそういう精神的な目っていうか、
自分に何を刻んできたか、自分に何をしてきたかっていうか、他者に対してもそうですけど、
なんかそういう思いとか、そういうなんていうのかね、やっぱり目に見えないものなんですよね。
最後に残る、最後に持っていけるものという、持っていけるも変ですけど、
06:00
何も持たずに僕たちは生まれて死んでいくわけなんですけども、
改めて僕たちは生きるってなんだろうか、死ぬってどういうことなんだろうかっていう、
自分の中でそういう死っていうのをどういうふうに向き合っていくというか、
どういうふうに立ち上がらせていくのかというか、
その中で自分はどういうふうに生きていくのかっていうのを考えるというか、
感じながら生きるっていうことをするのかなっていうか、難しいですけど、
僕これ言ってる時点で僕もそれができてるかといったら多分できてないわけで、
死を意識した生き方ってどういうことなんだろうかっていうのはもちろん難しいと思うんですよ。
じゃあ自分のお墓を用意しながら生きるのかっていう話なのかっていうわけでもないんですよね。
だからこの時間っていうのをいかに大切に生きられるかどうかっていうか、
自分のその生きるってどういうことなんだろうっていうのを、
やっぱ問いを立てつつ生きるっていうこと?その答えを出さないじゃなくてっていうか、
丸をもらう罰をもらうとかじゃなくてっていうか、
いかにその問いを立てつつ生きられるかどうかっていうことが、
この生と死っていう間を生きる僕たちができることなのかなっていうのを感じたっていう。
今日この頃でした。ここまで聞いてください。ありがとうございます。
それじゃあまたね。
07:42

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