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はい、今日のテーマは、綺麗な自分、汚い自分、っていうことについてお話ししていきます。
そもそも、その…なんですけど、この題名を考えた時、まず綺麗な自分っていうのを最初に出していると思うんですけど、
なんか、もうこの綺麗な自分から始めた題名をつけてしまった時点で、
あ、そっか、僕はというか、人はっていうか、その汚い部分をできるだけ出したくないんだなっていうのを痛感したんですよね。
なんか、だからこそ、その、まぁ見せたくないけど、そういうどうしても心の奥にしまってしまったそういう汚い自分っていうのを、
掃除というか心の換気っていうのを行っていくことっていうのが大切なのかなと思って、あの、はい、話していこうかなっていうふうに思うんですけど、
皆さんは、自分の部屋というか、自分のクローゼットを持っていますか?
なかなかね、自分だけのクローゼットっていうとなかなか難しいと思うんですけど、自分のゾーンっていうか、自分がここにしまっていいよっていうゾーンがあると思うんですけど、
僕は散らかってるんですよ。ミニマリストさんとかの動画よく見るんですけど、あんなに綺麗には片付いてなくて、ちょっとごちゃついてるんですよね。
そういうクローゼットの中っていうのが、汚い自分っていうのはちょっと大げさかもしれないですけど、人に対して自分が見せたくないものが詰まっているような気がしたんですよね。
綺麗じゃない、外に着飾って店に行く自分っていうのが、綺麗な自分っていう定義をするのであればお家の中に何でも放り込めるというか、
他者の目を気にせずに入れられる部分、少し暗くなってしまう部分っていうのが、見せたくない汚い自分っていう部分でもあるのかなと思って。
今ちょっと話してて思うんですけど、他者の目を気にしないんですよね、その暗い汚い自分っていうのは。
比較として見たときに、これって汚いなって思う部分もあるかもしれないんですけど、
純粋な思いっていう部分が、そういう汚い部分には含まれてたりするのかなっていうのをちょっと今思って、
気にせずに入れておけるんですよね、気持ちとかものとかっていうものを、その暗い汚い部分っていうのは。
だから本当は、本当というか、もしかしたら、そういう汚いとか暗い部分っていうのに僕たちは、
純粋さっていうのがそういう汚いとか黒い部分には含まれているような気がするというか、
いやなんか汚いとか黒いのに、そんな純粋な部分があるわけないやろうみたいな、色のイメージっていうんですかね、
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そう思うかもしれないんですけど、何色とも混じり合わない黒っていうような、混じり合うんですけど、
黒は黒で存在しているがゆえに、より純粋さというか、
なんていうのかな、清廉潔白じゃないけど、ただそこにあるような黒さというか、
純粋な黒っていうような、自分の思いっていうのがそこにはあるのかなっていうのをちょっと感じたというか、
はい、ちょっと話し取れちゃったんですけど、なんかそういう部分ってやっぱり人には見せたくないですよね。
というか、僕も人に自分家のクローゼット見せられますかって言ったら、
どれくらいの人が見せられるって言うんだろうっていうのはちょっとわかんないですけど、
なんか、そういう黒い部分、自分が人に見せたくないっていうのをしまった部分っていうのは、
何とも思ってないことだったり、隠れてたりするのかなって思うんですよ。
そういうさっき言った純粋な思いとか、普段こうは言ってるけど本当はどう思ってるんだろうっていう、
自分の本音っていう部分がそこには隠れてたりするのかなっていうのをちょっと思ったんですよ。
僕の黒い部分ってどういうことなんだろうっていうのを話したら、
それもなんか、僕は人が楽しそうにしてるのは普段好きなんですけど、
YouTuberさんとかYouTubeとかで人が楽しそうにしてる時にたまにモヤっとすることがあって、
それっていうのも仲間に入れてほしいとかっていうことではないんですよね。
楽しい輪に入って楽しみたいっていうわけではなく、めんどくさいんですけど、
僕は僕で楽しくなりたいなっていうのが多分あるんだと思うんですよね。
自分自身のことに集中してる時とか、自分のことやるべきこととかいうか、やりたいことがある時とか、
ゲームに夢中になっている時、読みたい本に夢中になっている時って他者のことなんて気にしないんですよね。
だからなんか、自分に集中できてないとか、自分が何かやってることにあまり集中できてないとか、
取り組みてない時にやっぱそういう人が青く見える時があるっていうか、
そういうのもなんか黒い部分には含まれているというか、
なんか黒い部分にこそ自分の本音とか、そういう本当に自分がしたいことっていうのが隠れているような気がするのかなっていうのを思ったんですよね。
だから普段綺麗な自分っていうふうに装っているというか、その手入れしているというか、
整えているっていう面はその装い受けな部分が結構あるなっていうのもあるんですよね。
でもなんかそうせざるを得ない部分もあると思うんですよ。
社会的なというか、誰かと共有するとかっていう時はどうしても、
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その綺麗な自分でいなきゃいけない部分もあると思うんですよ。
譲ったりとか言葉かけだったり、本当はこう思ってないけどこう言った方がいいんだろうなみたいな、
っていう部分が多くあると思うんですよね。
でも、でもっていうか、本当はこう思ってるけどというか、
その黒い部分にどんどんしまってしまっている部分というか、
じゃあその黒い部分にしまわずに、例えば表に出せた時というか、
換気をして綺麗にできる、綺麗にするというよりか流すという部分が大きいのかなと思うんですけど、
なんかそういう流せるようになった、その黒い汚い部分と綺麗な自分っていうのを
その分けない部分っていうのが、
あのーなんていうのかな、
あるとよりなんていうか、気が楽というか苦しくなくなるのかなっていう部分ではあると思うんですよね。
だから綺麗に、もちろん分ける方が楽なんですよ、黒い部分と綺麗な部分と汚い部分という風に、
そのよそよきと、まあ分ける部分があってもいいと思うんですけど、
なんか僕この前その美しいっていう言葉が使えないっていう話をしたと思うんですけど、
なんかこれっていうのも、その綺麗な自分と汚い自分っていうのが僕の中では、
そのある程度一緒になるというか、その分けて考えずにそこに一緒に存在していないと、
多分僕は美しいっていう言葉が使えないというか、多分美しいってそういうことなのかなって思ったんですよ。
その綺麗だけで美しいとは言えないっていうか、
なんかその綺麗な中にこそどこかそういう汚い感情とか汚い部分、
汚いその部分っていうか、そうなんていうのかな、未完成な部分と言えばいいんですかね。
なんかそういうのがないと多分本当の美というか美しさっていうのはないような気がするんですよね。
なんかまあここで言ってるのも見た目だけの話じゃなくてその精神性っていうことだとも思うんですけど、
そのなんていうのかな、なんかコーヒー牛乳、コーヒー牛乳とかカフェラテとかそういうのあるじゃないですか、
なんか牛乳とコーヒーが完全にきっぱり分かれているのが美しいって思う人ももちろんいると思うんですけど、
なんか僕は別に、うーんって感じなんですよ。
なんていうか、うーんなんていうのかな、やっぱ混ざり合ってるというか、
その溶け合ってるっていう方の方が僕は美しいなって思うんですよね。
なんかさっき言った汚い自分と綺麗な自分っていうのが混ざり合うっていうか、
そういう僕自身っていうのが溶け合ってるっていうことなのかなと思って、
そういう黒は黒、白は白っていう風に完全に分けて物事を考えるっていうことが僕はもう飽きてしまったというか、
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なんかそれだと、そのなんていうのかな、なんかもう先がないような気がしちゃったんですよね。
もうなんかゴールがない、ゴールがないっていうよりかはなんかもうゴールがあるけど先がないみたいな。
もうそういう黒とか白っていうのを混ざり合ってコーヒー牛乳のように白黒つけない、もちろんつけなきゃいけない場面もありますけど、
なんかもうそういうのじゃない部分にあるのかなっていうか、そういう汚くないというか、汚くなれないというか、
もちろん汚いんですけど、汚くもありつつ綺麗であるっていうような、
なんかもう分けずにそのままいるっていうような、っていうことなのかなと思って、
ただなんかそういう、分けなくてもなんかもうその白黒白黒っていうなんか並走しながら一緒に歩いていくっていうことができると、
なんか違う見え方もできるのかなっていうのは思うんですよね。
綺麗とか汚いってもちろんありますけど、ただなんかそこだけじゃちょっと見えないものもあるのかなっていうような気がするというか、
っていうのを感じたんですよね。だから僕はコーヒー牛乳でいたいし、その混ざり合って生きていきたいっていうようなことを感じたっていう、はい。
今日このゴールでした。ここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあまたね。