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#117人生を笑い話にできるかどうか『葬送のフリーレン』
2026-04-02 07:01

#117人生を笑い話にできるかどうか『葬送のフリーレン』

葬送のフリーレン第33話では、「人生の意味とは何か」という静かな問いが描かれます。 長い時間をかけて追い求めてきたものが、もし価値のないものだったとしたら――その虚しさと向き合う姿が印象的です。 しかし物語は、意味の有無そのものよりも、そこにどう向き合うかを優しく示します。 たとえ意味がなくても、その出来事を誰かと笑い合い、思い出として語れるなら、それだけで人生に温もりが生まれる。 意味を求め続けるのではなく、意味がないことさえも受け入れ、楽しめるかどうか。 そんなささやかで深い気づきを、静かに投げかけてくれる回となっています。 画像拝借元 Image by cierzobrewing from Pixabay https://pixabay.com/photos/beer-toast-party-tasting-7593794/ BGM拝借元 ベルガマスク組曲 第3曲 「月の光」 BGM:Kamatamago (https://kamatamago.com) --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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00:05
はい、今日のテーマは、人生を笑い話にできるかどうか、 葬送のフリーレンを見て、ということについてお話ししていきます。
先日、葬送のフリーレンを見終わったんですけど、 僕が一番印象に残ってる回っていうのが、
人生を懸けて探求したものが、もしただのゴミだったら? っていう問いを投げかけられる回があるんですけど、
それっていうのも、まあそうですよねっていうか、人間例えば100年仮に生きたとして、
その100年何をするんだってなったら、きっと何かしら探求するものがあると思うんですよね。
何でもいいんですけど、筋肉だったり、お勉強だったり、あとはどう生きていくかだったり、
いろんなその生きがいとか、人生を懸けて探求していきたいものっていうのが、きっと誰しもあると思うんですよ。
でもない場合はただ、生きるって何だろうっていうことになってくると思うのに、
きっといろいろな問いというのが自分の中に湧き上がってくるというか、考えるというよりか、
その問いを持ち続けるというのが多分あるのかなと思ったんですけど、
なんかその、人生を賭ける。
で、もしその人生を賭けることに意味なんて何もないんだっていう、ただ意味はないんだっていうこと、
でも、ただその意味のないことっていうのを、
なんていうか、ただ人生なんて意味がない、だけどその人生っていうのを笑い合えるかどうかっていう部分、
その誰かに話す笑い話にできるのかっていうのが、
フリーレンが言うには、どうだろうかという、一つの回ではあるっていうふうには思ったんですよね。
その一つの提示してくれてるというか、
人生、仮に人生に意味なんてないっていうふうに言ったとして、
でも、その人生意味はないけど、その家庭で起きたことだったり、
たわいもない日常の中でどういったことが起きてきたかっていう、
その家庭をじゃあ笑い合えるかどうか。
例えば結果が出たとしても、探求をした先にゴールが例えば仮にあったとしても、
じゃあその家庭だったりそのゴールっていうのを、
笑い話にしなくてもいいですけど、なんか自分の中でこんなことがあったんだよねっていう、
なんか思い出話というか、
語る一つのネタとして、
モテるかどうかっていうのが、人生に意味があるかっていうことになってくるのかなって思うんですね。
03:05
なんかその、例えば笑い話にできるかどうかっていうのが、
その意味が出てくることだと思うし、むしろその意味なんていらないっていうか、
っていうことの答えを出してくれてるような気がするんですよね。
その意味よりもまず、
その何か他に立ち上がってくるものがあるだろうっていうか、
多分ここで言ってるその人生に意味をつけるっていうのは、いつつけてもいいんですよね。
ああこういう人生だったのかなとか、
ああこういう意味があるのかなっていうのは、結局のところ僕たちが勝手につけてるだけなんですよね。
ガイアも含めて。
なんていうか、まあ自分もそうですけど、
なんか早急に意味を見つけなくても、
見つけるというよりか勝手につけてしまうものなのかなとも思うんですよね、意味って。
だから僕たちはどうしても人生っていうものに意味を見つけたいというか、
意味をつけたいとは思うんだけど、
でも人生って長いし、どこに意味をつけるかによって、
その人の人生っていうものの解釈が変わってしまうような気がするんですよね。
もっとグラデーションがあるし、もっと多様的だし、
その違う面から見たら全然違う顔が出てくるような気がするというか、
まさに物語なんてそうだよなと思うんですよね。
人生を例えば物語として捉えるのであれば、
じゃあこの物語の意味はどんな意味だったんだろうって、
たぶん100人が100人違うことを言ったとしても、
たとえば同じことを言ったとしても、たぶん違う見方もできるし、
その違う意味をつけることもできちゃうんですよね。
だからこそ、その人生、その物語がどう楽しかったかどうかというか、
楽しくなくてもいいんですけど、こういう人生だったのかなっていうような話の一つとして、
立ち上がってくるかどうかっていうことなのかなって思うんですよね。
意味を求めてしまうもちろん気持ちもわかります。
僕もたぶん意味を求めてしまっているのかなとも思うんですけど、
でもそういう言葉とかにする以前に、
もっといろいろな部分があると思うんですよね。
その笑い話っていう点ももちろんそうですけど、
なんかみんなで何かをする時だったり、
その何かを感じる部分とかあったり、
なんかその人生に意味を求めるにはあまりにもスパンが、
僕たち人間としてのスパンが長すぎるというか、
じゃあ早く死んでしまったり何もできなかった人、
まあここで言うっていうのは社会的な意味で何もできなかったっていうことにしたいと思うんですけど、
じゃあそういった人たちに人生に意味なんてなかったのかっていうのは、
僕もそれはちょっとさっき言ってた部分にも繋がってきてしまうんですけど、
結局どこに意味をつけるかによって、
その意味があるかないかなんてわかんないし、
ていうか勝手に俺たちがというか、
意味をつけるのはどうなんだろうっていうか、
まあ勝手につけたい人はつけないよみたいな話だと思うんですよね。
06:02
例えばそれを笑い話にする人もいるかもしれないし、
例えば教訓にする人もいるかもしれない。
だからそれっていうのも結局受け手側の問題になってしまうような気がするというか、
その解釈する側の問題になってしまう。
その分いろいろな世界があるし、いろいろな人生があるから、
だから意味をつけるのは結局は別に、
つけたいようにつけないよっていうような感じなのかなっていう。
だったらみんなで笑い合った方がいいのかなっていうのを多分フリーレンは、
僕たちに教えてくれたというか、
たとえその、生涯をかけたものが美味しくなかったとしても、
なんかそれは美味しくなかったわっていうような、
笑い話になるかどうかっていうことなのかなっていうのを、
はい、今回は思ったという、今日この頃でした。
今日はここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。
07:01

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