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今日のテーマは、もう一人のぼくとの統合。 他者に出会うことは、もしかしたら自分と出会い直すことなのかもしれない。そんなお話です。
最初に少しだけぶっ飛んだ話をするかもしれません。 でも、そう感じたということだけは先に謝っておきますね。
今回考えていたのは、もう一人のぼくは心の中に存在しているんじゃなくて、この現実世界にもいるんじゃないかということでした。
僕が見ている他者、関わっている人たち、もしかしたらその一人一人がもう一人のぼくなのではないかって。
もし、僕以外の他者を僕の一部だと考えたら、人と繋がることって自分と繋がることなのかもしれない。そんなふうに思ったんです。
恋をして、惹かれ合って、一緒に過ごすこと。それは僕の中にある僕と、この体を生きている僕が重なろうとすることなのかもしれない。
逆に、別れることも誰かを手放すというより、自分の一部と距離を取ることなのかもしれない。
人間関係がうまくいかないとき、それはもしかしたら自分との関係が少しジグハグになっているサインなのかもしれません。
他者を探すこと、誰かと結ばれたいと思うこと、自分を探している感覚、
それらは全部どこかで、自分とちゃんと出会いたいという気持ちに繋がっているのかもしれません。
少し補足していければと思うんですけど、もちろん他者は自分と同一ではないっていうことを、
ここに、同一じゃないって言い切れはしないですけど、
っていう部分もあるよっていうことなんですけど、
同じ存在じゃないし、同じように扱えばいいっていう話でもなくて、
だからこそその前に話した余白っていうものがとても大切になってくるのかなって思ったんですよね。
自分と自分の間にも、自分と他者の間にも、完全に溶け合わない距離っていうのが必要だったり、
もちろん溶け合いたいと思うのが悪いとかではなく、
むしろ溶け合う瞬間っていうものもあると思うので、
よしよしではないんですけど、その距離があるからこそ触れられたり、感じられたり、
関係が続いていくっていうことがあるのかなと思って、
他者を通して自分の違う側面に出会うというか、
鏡になっているというか、そういった自分を確認するためのものだったり、
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もちろん外に自分を広げていくためのものでもあるのかなって思うんですよね。
統合っていうのは一つに溶け合ってパチって消えちゃうことじゃなくて、
違うよね、そうだよねっていうのを保ったまま同じ場所に存在できるというか、
だからこそ自分と自分との関係性もそうですし、
自分と他者との関係性ももちろんそういうことなのかなと思うんですよね。
自分が思っていることと違う自分がいたりとか、
自分と違う立場の人とか考えの人とかがいるっていうのを、
何というか、そうだよねっていうので、
溶け合って消えすんじゃなくてそのままあるというような。
他者はもちろん鏡だったり窓でもあると思うんですよね。
もう一人いる僕に対するというか、
肉体的には違うんですけど、
でもそれもただ違う自分というか、
少し離れた場所にいるもう一人の僕なのかなって思ったんですよね。
だから本当に全く同じ自分として扱うことはできないんですよ。
もう一人の僕かもしれないけど、
同じじゃないけど僕なんだなっていうか、
その中に僕を見出すことができるというか、
だからこそ同じ行為というか、
ただ言葉を分けているだけなのかなっていうふうに感じたっていう。
今日この頃でした。
最後に一言言って終わろうと思います。
人と繋がりたいと思う気持ちは、
自分と繋がりたいという願いでもあります。
同じにならなくていい。離れていてもいい。
その余白ごと、今日の自分を抱えていきましょう。
今日の放送はここまでにしたいと思います。
それじゃあ、またね。