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はい、今日のテーマは、「普通を壊す。そこから自分がわきでてくる。」ということについてお話ししていきます。
最近考えてたことが一個あって、自分を生きられている人というか、自分らしく生きられているとか、自分を生きている感じがしている人たちっていうのは、
僕の中でですけど勝手に、何かこう1回精神疾患だったり、何かこう身体的な苦痛だったりっていうものを、
その1回通って、1回その自分の死というものを経験して、なんというか、そこからその玉ねぎのようにその皮を剥いていって、
その自分が出てくるじゃないですけど、なんかそこの出てきた自分っていうのを生きているんじゃないのかなっていう感じがしてたんですよ。
その1回その幼少期とか、その学生時代に培ってきたものっていうのを、培ってきたというか、まあその植え付けられてしまっていた自分に合わないものを呪いのように抱えていったものを、何かそういう病気という、ちょっとあれですけど、そういう精神疾患だったり、何かこう
身体的な苦痛を伴うものとして、何かこう外に出すような、あのことを一度経験されている方が多いんじゃないかなっていうのを思ったんですよ。
で、これっていうのが僕の中でいまいち言葉にできていなかったんですけど、ようやくちょっとわかった気がしたのがあって、
その僕、異国日記っていうアニメすごい大好きで、その原作も読みたいなって思ってるんですけど、その異国日記の考察を上げている方がいらっしゃったんですね。
で、それを見てちょっと引用させていただこうと思うんですけど、その普通を生きるとどうなるのかっていうことで、
普通というのは外的な価値観であって、その価値観だけに沿って生きてしまうと、その人が持っている興味、関心を虚勢されてしまう可能性が高い。
これが繰り返されることで主体性が喪失し、やりたいこともわからなくなっていく。
すると自分が何者かもわからなくなってしまいます。生きる意味も見失って虚無に陥る羽目になる。
普通の価値観だけに沿って生きると主体性を失われるということなんですね。
この動画はそのURLを貼っておこうと思うんですけど、その僕これ聞いた時に思ったのが、その僕も一応適応障害になった身なんですけど、
確かにあの時その普通を壊したなっていう感覚があったんですよ。
今まで生きてきた価値観とか今までの自分には苦しいってなって、多分もう適応できないってなったんですよ。
もちろんこの適応障害っていうのはその場所とかその社会的な場所に対してというか、そういう場所に対して適応できないっていう意味合いだと思うんですけど、
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僕これ多分自分の生き方にも適応できないっていう意味だったのかなっていうのをちょっと感じていて、
なんかもう普通、自分の中でその当たり前に生きてきた当たり前っていう普通を壊して、今度はじゃあちゃんと自分が納得できる、
自分の価値観で生きようって思ったのかもしれないなって思ったんですね。なんかその今まで生きてきて、
その親だったり先生だったり社会だったり友達だったり周りの人たち、自分の環境が作り上げてきた言葉っていうのを僕たちはすごい浴びてきたと思うんですね。
その中で自分の中で納得できないというか、それってなんか自分の地肉というかお守りにできなかった言葉とか価値観とか行動っていうのって、
そうしなきゃいけないになってしまうものがあると、それってすごい苦しい普通になってしまうと思ったんですよ。
なんかそういう諸々自分の普通になっていた価値観、僕で言うと例えばちゃんとしなきゃいけないとか、人に対して優しくないといけない、
ちゃんと筋を通ってないといけないとか、迷惑をかけちゃダメだとか、そういうものが僕はあったんですよ。
でも、なんか本当にそうなのかなっていうふうに疑えるようになったなっていうのを持ってて、
なんかそういう、僕は適応障害っていう精神疾患ではあったんですけど、その適応障害が徐々に徐々に回復していく過程っていうものの中には、
僕がそういった、その普通だよねって思ってきたものを、そのボロボロボロボロ落としていったっていうのがすごいあるのかなって思ったんですよね。
なんか、回復するって多分そういうことなのかなっていうか、むしろこれは回復というよりかは、削っていったんじゃないかというか、生まれ変わっていったんじゃないかというか、
今までその普通でもう耐えきれない生き方っていうものを僕はそこで脱ぎ捨てたというか、その皮を剥いでっていう、
その一回今までの自分を、まあ殺すと言っちゃあれですけど、何かこう壊したというか、もうちょっとそのままでは生きられないからっていうことで、
その、なんていうのかな、今までその積み上げてきた自分っていうものを、その普通の自分、そのなんていうか、この普通の自分っていうのはその自分は納得してないけど、
なんかさっきも言ったその自分の人生の指針にしてしまっていることだったり、行動指針というか、なんか自分のブレーキになってしまっている部分、そういったものをまた作り直していくっていうことなのかもしれないなと思って、
なんかそういったものをまた改めて選んでいくっていうことが大切だと思うし、そこからやっぱ主体性が出てきたりするのかなっていうのを感じたんですよね。
だからこそ、なんかその、自分らしく生きられている人っていうのは、その普通を壊していっているんじゃないかなって思ったんですよね。
その植えられてきたというか、もちろんその普通を壊さなくても、うまくその、みんなが持っている普通とうまく折り合いをつけながら自分を、
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その確立していくというか、そこから自分らしさというか、自分を生きてもいいっていう、そのうまい具合に両立できる人だったら、多分そういうことにはならないと思うんですけど、
でも多分うまい具合にそこに適応してしまうというか、その普通を、そのどうしても自分の血肉にしてしまうっていうのはすごい苦しい部分があるのというか、
なんかそこがやっぱり生きにくさにもつながってしまっているのかなっていうのを感じて、だからこそなんかその、
自信満々とか実行、自分を生きられている人っていうのはそういうなんか、
なんか自分に合わない普通っていうのをどんどん抜いていった結果現れてきているんじゃないかなっていうのを、
感じたという。はい、今日この頃でした。ここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあ、またね。