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はい、今日のテーマは、人間性、弱い部分を認め、余白を楽しめるか、ということについてお話ししていこうかなと思います。
僕が感じたことなんですけど、今後この世界を生きていくというか、昔もそうだったかもしれないんですけど、
この人間性っていうのが鍵になってくるのかなっていうのを僕は思ったんですよ。
今、モブサイコ100っていうアニメを見てるからっていうのはあるかもしれないんですけど、
もちろんそのAIが台頭してきたからっていうのももちろんあると思うんですよね。
だけどそういうわけじゃなくて、なんとなくこの人間性っていうことを僕たちは問い直すというか、
この人間性っていうことを僕たちは改めて、どこか築き上げていかないといけないような必要があるのかなっていうのを感じたんですよね。
そもそも人間性ってなんだろうっていうのを僕は考えたときに、
相手も自分も傷つけずに笑えるかどうかっていうことと、
自尊心を置いて間っていうもの、間っていうものを生きられるかどうかっていうことなのかなっていうのを思ったんですよ。
なんかこういう、ちょっと善っぽい善っていうか、いいよねって言われてるようなことのように感じるかもしれないんですけど、
でも、相手も自分も傷つけずに笑えるかどうかっていうことが、
今、SNSとか見てても、世界情勢を見てても、そういったことがやっぱり大切になってくるよねっていうか、
そういう和というか調和っていうものをどれだけ僕たちが築き上げられるかどうかっていうのも大切なのかなとも思ったりして、
じゃあそのもう一個の、自尊心を置いて間を生きられるかどうかっていうことなんですけど、
やっぱりプライドっていうのが邪魔をしてしまうというか、
そこがどうしても僕たちがさっき言ってた、相手も傷つけずに自分も傷つけずにお互いに笑えるかどうかっていうのは、
自分自身っていうものを一回間として置けるかどうかっていうのはすごい大切になってくるのかなっていうのを感じたんですよね。
ここまでちょっと僕の意見を出してきたんですけど、
じゃあそもそも人間性でどういうことなんだろうっていうのをAIに聞いてみたんですよ。
そしたら、人間性とは未完成であるという自覚を持ちつつ、他者や世界と関わりながら自分なりの意味を積み出していく力っていうふうに言ってたんですよね。
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まさにそうだなって思ったんですよ。
僕たち、やっぱ完成って言われることにならないじゃないですか。
人間が完成するときってどういうことなんだろうって思うと、
絶対っていうか、完成するっていう人とか人生っていうのはないんじゃないかなって思うんですよね。
もちろん悟りっていう言葉もあると思うんですけど、
その悟りこそ完成系じゃないような気もするんですよね。
悟ったから終わりとかじゃなくて、
それこそ悟ったことをまた悟らなきゃいけないようなことというか、
ちょっと言葉遊びになってしまうような気もするんですけど、
やっぱりどこか僕は未完成であるというか弱い部分があるっていうのを認めて、
まず認めて、それでもやっぱり他者とか世界とかそういったものに対して僕は笑えるかどうか、
お互いに傷つけずにというか、
お互いを尊重しながら愛を持ってどこまで一緒に生きていけるかっていうのが、
この人間性っていうところに関わってくるのかなっていうのを僕は思ったんですよ。
だからこそ自分の弱さとか自分の認めたくない部分っていうのも含めて、
やっぱり自分も理解していかないといけないし、
他者っていうのも自分を通してでしか見れないけど、
自分と相手も傷つかない、傷つかないというかなんていうのかな、
気持ちがいいかどうかっていうお互いに関して、
得とか損得じゃなくてっていうか、
お互いにとって気持ちがいい部分に落ち着けられるかどうかっていうのはもちろん難しい部分もあるんですけど、
そういうのを考えたり自分にとっても考えたり磨いていくっていうのを自分の中に巻いていく、
種を巻いていくってそれで大きくなっていって、
磨いていく人間性をっていうか、
でもそこにもまた感性っていうことはないんですよね。
人間性を感性させるっていうことって多分なくて、
なんかもうそれこそ、
感性というよりはやっぱり循環していく生き物だと思うんですよ。
人間も、自然もそうですけど、
自然のもの、体がそのやっぱり自然のものなんでそうだと思うんですけど、
そのやっぱり循環して循環して、
その感性じゃなくて循環する僕たちは生き物だよねっていうのをやっぱり自覚して、
やっぱり弱い部分もある。
でもその強さ弱い部分っていうのもなんか幻想な部分なんですよね。
超極端に言っちゃうとというか。
なんかそこを認めつつというか、
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そうだよねっていう、
ある種、
そのある種ある種ある種ある種。
そのある種、
もう明らかにするっていう意味での諦めるっていう部分も大切なのかなと思うんですよね。
でもなんかここまで話してきて、
じゃあお前が言う人間性ってなんやねっていうことになると思うんですけど、
僕がここまでAIとさっき話して、
僕の思う人間性っていうのも話した中で、
じゃあ極論なんなのっていう話だと思うので、
それっていうのはやっぱりその弱い自分っていうか弱い部分、
その相手も自分も含めて弱い部分を認めて、
絶対そういう余白を楽しめるかどうかっていうことなのかなって思うんですよね。
その間というか、
他者と自分とかっていうのはもちろんそうですけど、
世界とかもそうだし、
自分自身との間っていうのもあると思うんですよね。
だからその、
なんていうのかな、
その部分、弱い部分とか強い部分とかもちろんあるけど、
なんか自分っていうのを一回置いといて、
そういう余白っていうのをお互い、
世界もそうですけど楽しめるかどうかっていうことなのかなっていうか。
そこが人間性という部分に深く関わってくるのかなっていうのを、
僕は思えたっていうんですよね。
だからさっき言ってた、
僕が言う人間性っていうのも、
相手も自分も傷つけずに笑えるかどうかっていうのは、
お互いウィンウィンというか、
ワオというかお互い大切にしようよみたいな感じですよね。
だから自分だけ愛するわけじゃなくて、
相手も自分も愛して、
お互い尊敬しようよっていう。
その中で自尊心とか自分っていうものが強く出ちゃう場面ってあると思うんですよ、
どうしても生きてると。
ただその中で、
間っていう間を生きられるかどうかっていうか、
どうしても自分の声とかこうなればいいなとか、
どうしてもこうしたいなっていうふうに僕たちは生きてると思うんですけど、
でもそこまで言っても、
どうしてもやっぱり間を生きてしまうような気がするんですよね。
その間というか、
絶対避けられないじゃないですか。
僕自身も体と魂とか精神とか心とか、
いろいろな間を生きてるわけですよね、間に。
例えばその体と心とか精神とかっていう、
ここ絶対間があるんですよ。
僕たちと今話しておりますけど、
カメラとの間っていうのはもちろんこうあるわけで、
絶対その間っていうのがあるし、
人が生きている上で僕たちは間というか、
待っているのを感じながら、
というかその間で揺らいだり、
たまには溶け合ったりっていう中で、
孤立していくんじゃなくてというか、
僕たちはその中で、
その間に生きているからこそ、
僕たちは間を大切にしないといけないというか、
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その間を僕たちはお互いに、
どう詰め寄るというか、
溶け合わせていくかというか、
っていう部分になるのかなと思うんですよね。
だから自分が自分がっていう自尊心よりかは、
最終的にはその間、
その自分と心の間とか、
そういった部分で自分たちはどう生きていくか、
どういうふうに考えていくかっていうのが、
今起きている、例えば争いとか、
人間関係がうまくいってないとかもそうですけど、
そういったものにつながってくるのかなって思うんですよ。
だからみんなが言う、
例えば幸せとか愛とか、
心の奥底でみんなが欲しいなっていう、
お金じゃない部分でどうしても望んでいるものっていうのは、
こういった人間性とかそういった間、
待っているものにあったりするのかなって思うんですよね。
だからやっぱり僕たちは、
この人間性っていうものを考えたり感じたり、
自分の中に持って、
それが執着にならないようにっていうのはもちろんあるんですけど、
っていうことが生きていく上で、
これから大切なんじゃないかなっていうのを思ったっていう。
今日この頃でした。
それじゃあ、またね。