## とりあげた本
Jean Lave, Etienne Wenger『状況に埋め込まれた学習: 正統的周辺参加』1993 産業図書
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感想
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サマリー
ジャン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーの『状況に埋め込まれた学習』を読み終え、後書きの整理を手がかりに正統的周辺参加の要点を振り返る。学習は教育者から非教育者への一方向の伝達ではなく、コミュニティ全体の参加として生じ、教師やメンターも実践を通じて学ぶと語る。職場のワンオンワンを例に、質問に答える側が自分の無知や考えを発見する構図や、学習とアイデンティティ形成の関係を議論する。後半では本の心理学・社会学的な位置づけ、熟練研究とAIをめぐる記述、読書会としての手応えと読書の難しさを振り返る。
正統的周辺参加と教育から独立した学習
役所はと書き185ページから結構ですね。
この本で主張してたことをちょっと整理してくれてて。
たぶんここが一番わかりやすかった気がするんですけど。
そうですね。
ここら辺をさらさらっとページめくりながら、
なんか感想とか思ったこととかあればって感じですかね。
ここでも付箋つけてるのあれあんだよな。
6番目のアクセスの話を付箋つけてるから。
ああ。
僕1番と2番の中間あたりに付箋をつけてて、
どっちを貼ったんだろうな、これは。
役者と書きでは考える糸口を提供しましょうっていうので、
6個糸口を提供してくれているって感じですね。
ああそうか。これあれですね。
かっこ1呼び返してて、なるほどなと思ったのが、
正当的周辺参加の立場が従来の多くの教育論とかなりはっきり異なる点の一つは、
学習を教育とは独立の営みと見なしたことであろうっていうのが書いてあって、
要するに教える人がいてそこから教わることによって、
学習という行為が生じるっていう見方ではないよね。
別の切り口でやるぜって提唱しているのがおもろいよねって話をしていて、
例えば生徒と先生、教師と学生の話で言うと、
実際の教師が子供にとっての学びのし、親方、熟練者となるのか、
それとも知的単純の先輩、古山者、あるいは実践を共にする同輩となるか、
みたいな捉え方できるよねって言っていて、
ライセンスをもらって就職して先生、教師にはなるけど、
担任を持つとか授業をやることによってだんだん先生になっていくみたいな話はあるよねってことを、
メンターも学ぶワンオンワン
この一話目で言っていて、
ここらへんが教育という名のもとに行われる実践も、
今度は教師が教師になっていく学びの実践の文明学の中で意味付けられるものであり、
っていうふうに書かれてて、
これはわかりやすいですね、学びっていうのはコミュニティとかそこの参加者、
全員において起こるものなんだ、
教育者と非教育者っていう、
非教育者の中で起こることを指して学びと呼んでるのではないよっていうのは、
これはすごい具体的でわかりやすい話だなってちょっと思ったから、
ここに付箋を張ってるのかなぁ、
でも確かにね、そうねそうね、みんな学習してんだよな、
必ずしも教えられる側だけの話じゃないんだよねっていうのは、
そうだからマネージャーに優しくした方がいいっていう話です。
うちの会社だと新卒が入ってくると、
その新卒のワンオワンだったりメンターみたいなのを、
3年目とか、何年か前に入った新卒が最初のワンオワンやるみたいなのがあって、
ワンオワンやっててどう?とかって聞くと、
結構新しく入ってきた人の質問に対して、
パッと答えられないから自分が何を知らないのかっていうことを、
すごい痛感しますみたいなことがあったりするんですよね。
それってワンオワンで、
ある種メンターとメンティーの関係性みたいな、
メンティーっていうのは学習をするためにそういうふうにあるんやと思ったら、
意外とメンターの方がいっぱい学習してたみたいな構図もあったりとかして、
それとかはこういう正当的周辺参加みたいなフレームで、
それも一回捉え直すと、そういうふうにも見えてくるなっていうふうに、
今のこの教師になっていくみたいな、いうようなものとして見えそうだなってちょっと思ったりしましたね。
たしかに。
一方的に、一方通行の影響だけ与えてるってあんまりないですしね。
やっぱり作用反作用とか、オートクラインとかリフレクションみたいな話があって、
自分で口に出して自分で気づくとかも、やっぱり他人がいると、
また他人がね、ゴムのアヒルの人形とかでもいいかもしれないですけど、やっぱりあるし。
最近だとなんかこうすごい長文でいっぱい文章を出してくれるロボットみたいなのがいるので。
そうっすね。そういうやつもね、課金できればやつも便利なんで。
そうそうそうそう。今日は終わりですとか言ってくるんですよ。お金払わないと。
そうなんですよね。だから結構ワンワンの中で質問されたりとか、
じゃあゲインさんだったらこの時どうしますかみたいなこと聞かれて、ペラペラペラペラこう、
その時は考えてこうするねって言って、言った後に、そうか俺こんなこと考えてたのかとか、
俺こんな風に考えてたのかみたいなことって結構あるので、実際そういう場だったりするんですよね。
ワンワンになるってなるとマネージャーがやっこしてほしいやっこしてほしいとか、
一方的に伝達するだけとかいう風に何か考えちゃうんですけどね。
学習は参加とアイデンティティ形成
そうだよな。関連する話というか、今の役者あとがきのまとめというかポイントの3番目を見ると、
LPPでは学習とは参加であるとする。学習によって人は何かに貢献する行為するというする側に立ち、
される側、見る側ではないということであるっていう風に書かれてて、
これもね、また今の話にゲイさんの話にちょっとすごい関連が強そうだなという気がしますよね。
そうっすねそうっすね。やっぱこういう風にリフレイムしたっていうのはこの本のすごい大きい、
なんていうかパラダイムチェンジというか感じはありますね。
4つ目見るとね、LPPでは学習はアイデンティティの形成過程であるとするっていう風に言ってるし、
これまさにさっきの投資になっていくっていう話とかはそうだろうし。
そうですね、内発的動機づけっていうものによって今まで結構説明をしていたけど、
そこをもうちょい掘り下げができるんじゃないかみたいな感じもあるな。
何でもかんでも内発的に動機づくということはありえないわけで、
そこには追求していくべき世界の広がりの実感とそれへの参加意識が芽生えているはずだって、
なんかあれですね、自己実現の段階にシフトするみたいな感じがするな。
役者と書き分かりやすいな。分かりやすいけどこれを最初に読んで、
ここだけ読めば十分ですとはなりづらい気はするんですけど、
少なくとも一通り頑張って読んだ後にここを見るとめちゃくちゃ、
そうだよね、そういう話だったよねっていう気持ちになるな。
なんか本の難しいところで結論だけちょうだいって言って結論だけ読むと、
なんか分かったよな分からないよなってなって、一通り読んでから結論見に行くと、
いやそういうことだよねってなるっていう。
言ってることは一緒なんですけどね。
本の位置づけとAIをめぐる議論
読み終わった後にもう一回こう読むと、全然なるほどそうだよねってなっちゃうな。
これで一通りさらったのかな。
そうですね。この後書き読んでるとあれだな、
これまでの心理学でいうとみたいな話がいっぱいあるから、
なんかやっぱりこの本が出てどういうふうに変わったかとか、
その後どうなってったの?みたいな話っていうのはちょっと気になるなって気持ちが出てきましたね。
僕これこの本の解説って心理学的な系譜としてどこに位置づけられるかとか、
社会学的な見地から見るとどうだみたいなことが書いてあって、
ちょっと心を折られたので。
あんまりその気持ちに慣れてないかもしれない。
でもじゃあ読むかって言われたら相当な労力が必要だなって気持ちになるから、
ちょっと気になるけどできねえなとか、
とりあえずチャットCPTにこの本の後どういう研究がこんなとされてるって聞くだけは聞いてみようかなってちょっと思ってますね。
確かに。
楽してその結果だけちょうだいって一番良くないやつかもしれないけど、
きっかけとしてまずそれが欲しいなっていう気持ちになりますね。
そこでね、やっぱり調備部改造ってなったら自分で折ればいいわけで。
そうそうそう。
解説の話にそんなに深掘る足つっこ向きはないんですけど絶対嫌けどするので。
これ153ページにそれに対してドレイファスのような反AI主義者はこうした認知研究が本当の熟練の特知のレベルまでは分析するに至らずって書いてあって、
このAIって人工知能のAIですか?
だと思いますよ。ただエキスパートシステムみたいな話の時代じゃないですかね、時代的には。
だから認知研究って話になっていくのか。どういうふうに解釈してアウトプットにつなげていくかみたいなモデリングというか。
そう。なんで今のあそこのAIっていうところまでではないだろうし、なんかまだ全然素朴にフレーム問題どうすんだっけとか、チューリングテストにパスしたら人工知能って言っていいんだっけとか、
なんなら冬の時代がこの辺りでやってくるんじゃないかみたいなそれぐらいの時代感なんじゃないかなって。
隣の方に1981年とかの話が載ってるからその辺なのかなーって思ってますね。
でもチェスの話があるけどディープブルーって、これが90、この本が91年とかぐらいだった気がするからディープブルーってまだない?
これチェスの話をしてるんですけど、人工知能的なチェスプレイヤーの話をしてるのかどうかちょっと怪しくないですか。
ほんとだ。
たまたま紛らわしい例え話をしてる気がするしないでもないわ、わかんないですけどね。
チェス、人工知能、ディープブルー、IBMみたいな連想ゲームするぐらい繋がってるからな。
社会学、自転車、マクルーファンみたいな感じがしてしまう。
パブロの犬みたいな感じになってますからね。
読書会としての感想と読書の難しさ
まあでもそんなところか、本当に本の流れっていうよりかは紹介されている言葉を一生懸命おしゃべりする回でしたけど、なんかすごい読書会っぽかったのに。
そうですね、本当なんか緊急者がやってそうな読書会みたいな感じに、もっと多分研究者はもっとね、歴史的文脈とかいろいろあると思うんですけど、用語を一個一個ちゃんと確認しながらちゃんとやっていきましょうみたいな感じに近いなって思いましたね。
どうでした感想はって振ろうと思ったの先に言われちゃったから今。
あともう一個感想としては、読書筋力が足りないなと思ってもっと鍛えないとダメだなって気持ちになりましたね。
それで言うと100ページだったから良かったんじゃないですか。
まだなんか挫折しないなっていう感じもあったし、2週間後にちゃんとこの本読んで喋らないとなっていうタイムリミットがあったんで、本当にこのポッドキャストの収録はありがたかったなって思いました。
これでも読めて良かったですね、面白かったな。
なんで反省するような今、本当かみんな間が。
そうですか、楽しめたんですか、ではちょっと議論させていいですかみたいなこと言われると泣いちゃうよなと思って。
本当に趣味で表面的にパラパラ読んでるだけなんで。
この分野では素人なんですがみたいな、スッてこう来ると危ないみたいな。
面白いなって感じる程度には読めたんですけど、理解できたかって言われるとまだまだ本当はもっと深いんだろうなっていう気はやっぱりするのでっていう感じだったのが今の間でしたね。
自分も自信持ってこの本わかったぜって全然言えないなって思ってるんで、いつも以上に不安だなって思ってる。
ただウィキペディアに書いてあることは解釈違いだなっていう気はしてるんだよな。
それぐらいには読めたなっていうのはありますね。
じゃあ後で編集する必要があるってかもしれないですね。
って思ってるんですけどね、あかんとないんだよな別にな。
そんなところですかね。
ウィキペディアの話を厳重しておくと、間違ってないのかな。
まあいいか、変に火種を撒き散らしていく必要もないか。
よしじゃあ、終わりにしますか。
はい。
じゃあ今週も放送をお聞きいただきありがとうございます。ではまた次回。さよならー。
さよならー。
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