最近の内省
なんか昔は、いろんなことにキレて、いろんなことを主張していた気がするんですけど、最近どうもそういう元気がなくなってきて、
やっぱり、物事はいろんな考え方があるよねっていう。
とってもつまらない考え方に落ち着いてしまうっていうことが、自分の内省の中でよくあって、それがなんというか、非常に悔しい。
けど、すんごい気楽っていう、そういうちょっとアンバランスな感情に侵されている、最近の三月裕蘭です。
おはようございます、Studio Kitschの三月裕蘭です。本日は2026年の1月18日、22時56分です。
ということで、こんばんは、Studio Kitschの三月裕蘭です。今日も前回に続いて、朝とかには聞かないで欲しいエピソードです。
朝に聞くとあなたの今日は終わります。やめた方がいいです。お勧めしません。
なんか、Studio Kitsch、それこそ最初の方とか、ノートジェンダー編かな、の時に、僕はいろんなことを主張していた気がするんですね。
君たちが思っている男性の女性の存在しないからとか、なんだっけ、モザイクの話とか、いろんな話をしていたんですけど、あれ結局何が言いたかったかっていうと、
君たちはバカだからっていうことを僕が言いたかったのかもしれない過言ですね。いろいろ言いたいことがあったんですけど、最近そういうふうなことを主張したい気もなくなってきてですね。
だから、Studio Kitschの本編がなかなか撮れていないんですね。撮れていないというよりかは、撮る気力が全くないです。
理由は二つあって、その一つは冒頭から言ってる、元気がなくなってきたっていうことと、社会に対する提言みたいなものをする気もないし、社会って複雑だから、
僕が何か言ったとて、それがまかり通るような主張になるかと言われたら、そうでもないなというふうに、悲しい現実というか、自分で作った現実ですよね。
その自己生成した現実に潰されてしまっているというのが一つ。で、あともう一つは、僕、一応大学生なんですけど、結構、いわゆる怠惰な大学生。
レポートなんかチャットGPTで書いて出しますし、まともに授業に行かないですし、嫌いな先生の授業のところは単位をちゃんと落として、好きな先生の授業でも単位を落としてという感じなんで、
そんなアカデミアに疎い僕がアカデミアのことを喋っていいのかっていう、その自重に耐えれなくなっているっていうのがありますね。
だからラジオキッチが目指してたことって、最初のスタジオキッチのビジョンとミッションのところに書いてた話でもあるんですけど、最初スタジオキッチがラジオキッチを通して目指していたことっていうのは、
アカデミック領域に蓄積されたジェンダー論の知見を社会に開放する、これをミッションにしていたんですね。文言だけ言えばものすごくかっこいいんですけど、無理ですね、こんなのね。
いや、なかなか厳しいものがありますね。もちろん僕はやりたいんですよ。それすごくやりたくて、特にジェンダー論っていうものがアカデミズムの中で非常に発達しているにも関わらず、社会からあまり帰り見られていないというところでは、
アウトリーチの領域の中では非常にやりがいのあるエリアだなというふうに感じるんですけど、いかんせん僕がアカデミアの中にいないので、そういう僕が適当にしゃべって、
制作物への不満
基本的には8割ぐらい間違えてると思うんですけど、そういうのを人に話してしまって大丈夫なのかという、こういう葛藤が出てきてしまっているというのが2つ目ですね。
なので、この2つによってラジオキッズの本編を撮る気力が全くないという話ですね。撮れたとして、正直今やっているルネサンス女性美編のクオリティに関しては、僕はあまり満足していないんですね。
というのも、内容としてはすごくキャッチにできる内容だとは思うんですよ。ルネサンスであったり、女性美というもの、女性の体というものをどのように美学の中で捉えていったのかということ。
これを考えるには、この分野に関心がない人でも、美術の分野に関心がない人でも楽しめるような領域ではあると思うんですけど、そこを上手い具合にキャッチできていないなというのが感覚としてあって。
前回がこれか。2-10、諸女と母を両立なさい。女性は何を求められたのか。聖母マリアで読み解く女性感。
これもっとできたはず。もっと上手いようにできたはずなんですよね。上手いようにっていうのは、そのキャッチーなように自分で工夫できたはずだと思っていて。その前もそうですね。2-9、なぜルネサンスは金翼の時代にラタ絵を描き始めたのか。銘が真室に隠された。
これもそうなんですね。もう少しいい切り口を見つけられたのかなっていうふうに思っていて。なので、実際に撮れたとしても、正直それに自分が満足いくかっていうのはまた別の話かなと感じますね。
あと最近自分の話し方にも文句があって。僕最近文句が多くて、主張とかじゃなくて、毒最近吐きたくて。毒吐くラジオをもう一個別で作ったんですけど、僕の喋りってプレゼン喋りなんですよ。
だから何かを説明するということに対しては非常にうまく口が回ると思うんですけど、それが面白いかと言われたら結構つまんない。
なんというか、綺麗に綺麗に綺麗に喋ろうとするから、文末とか頭とか、あと接続語句とかが非常に美しい形で配置されてるんですけど、それがコンテンツを面白くするように工夫されて配置されているかと言われたら、
別にそうでもないんですよね。僕、面白さ基準で多分喋ってるんじゃないと思うんですよ。言葉の美しさ基準で喋ってると思うんですね。こういうのは僕が喋ってるだけの単体のソロラジオですから、このままだとあまり面白いポッドキャストにはならないなと感じてます。
もし僕の他にちょっとボケるやつが隣で愛の手を入れてくれるんだったら、これはいいラジオになるのかなと思うんですけど、そんな友達いませんので、だからこういう悲しい現状になってしまっているのかなと。
思いますね。僕そういう癖があって、アルバイトが雑貨屋の店員なんですけど、そこでちょっとしたデザインの業務をやらせてもらってて、ポスターとかパンフレットとか、そういうのを作ったりしてるんですけど、そこでも似たような現象が僕に起こってて、
僕の作るパンフレットとかポスターとか、結構綺麗なものが多いんですよ。ただ、綺麗さ重視になってて、じゃあ実際そのパンフレットが反則目的として意味があるかと言われたら、そういう面ではちょっと貧しいポスターになってたりするんですよね。
それは自分でも自覚しているし、他のバイトのデザインやる子の話を聞いたり、他の子の作品を見たりとかしてもよくわかるんですけど、僕は効果のあるものを作る。
要は、デザインで言えば売れるデザインを作る。ポッドキャストで言えば面白いラジオを撮る。ということよりかは、綺麗なものを作るという点で全て動いてしまっているのかなっていう気はします。というかそういう確信があります。
悔しいんですよね、これが。僕が作りたいのは面白いポッドキャストなんですよ。面白いラジオを僕は撮りたいんだけど、僕の特性がそれを邪魔をしてなかなかうまくいかないっていうのはありますね。
なんか昔もこういう話をした気がするんですけど、ラジオキッチュー、そういう最近あげてなかったなと思って、何あげようかなと思って、自分のネガキャンでもしておくかと思ったので、今日はこういうエピソードを撮りました。
あの、あまり宣伝してなかったですけど、ラジオキッチューのお便りフォームを概要欄に置いておくので、皆さんが今日の話を聞いて思ったこととか、あとはラジオキッチューの話のネタになることがあったら送ってください。ネタください。ネタください。
今日はこんぐらいで終わろうかなと思います。スタジオキッチューの三木裕蘭でした。