聖母マリアについて皆さん知っていると思うでしょうから、人物に対する説明とかは省いていきます。
今回のエピソードなんですけど、前回じゃないな、ちょっと前までにやってた歴史の解説の部分、あそこの部分を聞いているとよくわかりやすくなるところかなと思うので、もし歴史の部分を聞いてない方はそちらを聞いてから今回を聞くとより理解度が上がるかなと思います。
もしくは今回を聞いてよくわからなかったなっていう人は歴史の回を聞いていただけるといいかなと思います。
歴史の回はいつだったかな、ユネサンス女性美編の第2回、3回、4回ぐらい前半の方でヨーロッパ市の話をしたので、そこら辺が歴史の回になると思うんですけど、
そこら辺を聞いておいた方が今回の話は理解がしやすいかなと思います。
ということで冒頭にも言ったんですけど、聖母マリア出没しすぎ問題というのがあまりに描かれすぎなんじゃないかという話題がルネサンスの絵画の中ではありまして、
ルネサンス絵画におけるテーマの割合というのが数字で出ています。
まずですね、ルネサンス絵画全体の87%は宗教画です。キリスト教会画ということですね。
そしてその宗教画のうちの50%は聖母マリアです。
その宗教画の25%はキリスト、残りの13%に関しては聖人をテーマに描いた絵画になっています。
つまりですよ、キリスト聖人が多いのはまだわかるんですけど、キリストが宗教画全体のうち25%に対して聖母マリアというのはその宗教画全体の50%なんです。
つまりルネサンス期に描かれた宗教画、キリスト教会画のうち半分は聖母マリアなんですよ。
とんでもなく多いでしょ。そしてこれはキリストの倍ですからね。キリストより聖母マリア描かれているわけです。
ということでこれぐらい聖母マリアを扱った絵画が多かったということですね。
その聖母マリアに対する崇拝信仰というのはですね、以前から盛んだったものでした。
およそ12世紀から13世紀頃からはヨーロッパでこのマリア信仰マリア崇拝というのが盛んになってきていました。
それがですねちょうどルネサンス期に芸術という形でイタリアで爆発した。前回の言い方をすれば氾濫したわけですね。
ルネサンス期のマリア崇拝ですね。まずですね聖母指導が大流行します。
聖母指導というのはですね冒頭でもちょっと言ったんですけど聖母マリアとキリストが写ってるやつですね。
だいたいはですねその2人が椅子に座っていて聖母マリアの膝の上にキリストがいるような形あるいは抱っこしているような形というような形ですね。
この親子を描くという聖母紙というものが主題としてキリスト教会の中にはあるんですけどこの聖母紙像が流行したんですね。
このルネサンス期において聖母紙像を描いた聖母紙画というものがあるんですけどいわゆる聖母紙像を描いた絵画のことですね。
この聖母紙画が礼拝画として流行してですね上層市民上流会計の人たちの家にはほとんど飾ってあったというふうに言われています。
つまりですねこの上層市民の人たちっていうのは日常的に跪いてこの聖母紙像の絵画を礼拝画として祈りを捧げていたわけですね。
この聖母紙の絵画に対して祈るわけです。
こういうような行為が行われていたというふうに言われています。
この絵画には聖母マリアのことを何て呼んでいたか、マドンナって言っていたんですよ。
マドンナっていうのは英語で言うとOur Ladyですよね。
日本語にすると我が貴婦人ってことですよ。
私たちの女性という意味でマドンナというふうな名前を聖母マリアに対して使っていたんです。
このことについてですねちょっと本家の抜粋になるんですけど近づきがたい存在としてのキリストつまり父親的存在としてのキリストですね。
これに対し神への祈りを仲介してくれる慈愛にあふれた母親的母親的存在のマリアが熱烈に崇拝されたとこういうふうに言われています。
つまりキリスト教において神は一人です。
この場合はイエスキリストですね。
神としてのキリストではあるんだけれどもその神キリストはあまりにも近づきがたい。
どちらかというと権威がすごくでかいんですね。
に対してキリストの母であるマリアというのはそれよりかはちょっと親しみやすいかな。
そういうような感覚が当時はありました。
なので神に対して祈りを捧げたいんだけれどもその仲介になってくれるようなちょうどいい塩梅の位置にいたマリア様。
この聖母マリアに対するちょっとした親近感が増加してくる増大してくるのがちょうどこの時期ルネサンス期なんですね。
ではこの聖母マリアに対する親近感がなぜ湧いていったのか。
これはこの時代の宗教生活の一般化に起因していると言われています。
つまり宗教が世俗化したんですね。
要は普通の一般人平民に対してもキリスト教が広まったということです。
完全に定着したという方が正確な言い方かもしれませんね。
キリスト教時代は一般市民に定着していったのがおよそ中世中期頃というふうに言われています。
意外と遅いですよね。
結構新しいんですよキリスト教って。
キリスト教の出現自体は古代にもちゃんと古代ローマ時代にもいろいろな差別や迫害みたいなものはありましたけど古代にもキリスト教は存在していた。
ただ一般市民にまで定着するし始めるのは中世中期頃だったんですね。
それ以前のキリスト教は何だったのかというとそれは支配者層の宗教に過ぎなかったんです。
つまり権力を持っている人たちだけが信仰している宗教こんなふうに捉えられていたんですね。
実際そうだったんです。
ただこれが一般人の方にもどんどん定着していって完全に定着していくのがルネサンス期だったという話ですね。
こうしてですね一般市民の家庭的アイコンとしての聖母マリアこの聖母マリアの図像表現が広がっていったというのがルネサンス期の絵画芸術そのエリアでの流行というか潮流というふうに言うことができるんじゃないかなと思います。
ではこれからはですねそんな聖母マリアに対する解像度をもうちょっと上げていくためにまた別の側面からお話をしていきたいと思います。
古代中世においてなんですけどキリスト教が広まった社会において一般的な男性のモデルとされるもの一般的な女性のモデルとされるものこういうようなものがキリスト教社会には根付いているというか存在していたんですね。
これは何かというとアダムとイブですつまり男性のモデルはアダム女性のモデルはイブなわけですつまり男性はアダムのような存在であることを求められ同時に女性はイブのような存在であることが求められると。
こういうような文化的基盤がキリスト教社会においては存在しています。
そんなキリスト教社会においてルネサンス期聖母マリアというものが人気を博していくとどうなっていたかこの話をしていきたいと思います。
実はですね聖母マリアは母性的側面とそして同時に女性的側面この2つを強調されていくのがルネサンス期なんですよ。
まず母性的な側面というところから話をしたいと思いますね。
母性的側面ってどういうことかというと女性の道徳的理想としての母そのモデルにはなるんですけどつまり女性イコール母なんですよここで女性イコール母の関連付けができてイコール聖母マリアと。
つまり女性は母であることが求められつつ聖母マリアのようなことであることが求められると。
こういうのはちょっと複雑経路が複雑ではあるんですけど単純に言ってこういうようなことが起こっているそれが発生したのがルネサンス期なんですね。
つまり聖母マリアが女性の一般的なモデルになってしまったということです。
具体的に言うとですね、非婚者、結婚していないものは純潔な処女であることが求められ、そして寄婚者は低粛な母であることが求められたと。
こういうようなことが起こったわけですね。
マリアはですね、皆様ご存知のように処女解体をした人物なんですね。
つまり性交渉を行わずに子供を授かった人なんです。
ガブリエルのダ・ヴィンチの有名な絵があるので、それで皆さんも覚えているかと思うんですけど。
そういうようなマリアはですね、処女であることと同時に母でもあるんです。
処女でありながら母になった唯一の存在なんですよ。
つまりマリアは処女かつ母であるというような特殊なイメージを持っていたんだけれども、こういう聖母マリアっていうのが非婚者にとっても、非婚者にとっても双方の意味でモデルにされていったんですね。
当時の風習にちょっと面白いものがあって、ちょっとコラム的な話になるんですけど、女子、女子ですね、女の子ってことです。
女の子に対して幼児のキリストの人形を与えるという風習がありました。
つまり幼児キリストっていうのは、キリストが赤ちゃんのような形をしている人形ですね。
この人形を生まれてきた女の子に与えるんです。
これはなぜかというと、聖母マリアと自分を一体化させるため。
つまりあなたもこのような人になりなさいよという意味でこの人形を与えているんですけど、この人形が幼児のキリストなんですよ。
つまりそれを与えられた女の子っていうのは聖母マリアに相当する。
つまりその女の子は聖母マリアのような人間に育つことが求められるわけです。
聖母マリアって何って言われたら、それは諸女かつ母であるそういう特殊なイメージ。
さっき言ったような諸女であると同時に低粛な母である。
この純潔な諸女かつ低粛な母。
この2つの属性を同時に求められていったのがこの当時の女の子なわけです。
その具体例として実際にキリストの人形を生まれてきた女児に与えると。
こういう風習が残されているわけですね。
これは非常に面白い話だと思いますね。
すごくわかりやすい分野の話題かなと思いますけど、こういうようなことが実際に起こっていたということです。
このイメージが何を表しているか。
これは当時の男性が女性一般に要求したイメージを表しているんですよ。
現実には模倣不可能ですよね。
諸女かつ母。
諸女でありながら母親であるというのは、作動屋とかいろいろありますけど、そういうものを抜いたら一般的には模倣不可能なんですよ。
絶対に学べきないんです。
ただこういうイメージが女性一般に与えられていたんですね。
じゃあ誰がそんなイメージを押し付けていたのか。
これは当時の男性なんです。
言い換えれば男性中心社会なんですね。
これが女性一般に要求するわけです。
このイメージを。
男性中心社会というか、教会文化というふうに言い換えてもいいんじゃないかなと思うんですけど、教会の中の人たちは基本的に男性なんで、修道場とか抜いてね。
教会の中で権力を持てる人たちは基本的に男性しかいないので、教会の考えること、教会が作る文化というのは基本的に男性が考えたものになるわけで。
そういうような文化が女性に要求する。
つまりそれは男性が要求することと変わりないわけです。
つまりこういうようなイメージを当時の男性は当時の女性に対して要求していた、強いていたわけですね。
この結果何が起こるかというと、つまり現実の女性のセクシュアリティの表出を抑制する、そういうような働きを持ってしまったわけです。
つまり当時の女性というのは自分のセクシュアリティ、性表現、性的なものを自分の表現として表に出すこと、表出させること、それがタブーとされるわけです。
なぜタブーなるか、それは男性から聖母マリアのような存在であることを求められていたからです。
男性によってやられていたわけですね。こういうような力学ですよね。力関係が働いていたということですね。
毎度言っている話なんですけど、僕は男性批判をしている話ではないんですよ。男性のことを非難しているわけではないです。
こういうように僕らがフェミニズムであったりジェンダー論の話であったり、そういった話をするときにすごくいつも気をつけていることにはなるんですけど、ちょっと雑談的な話になりますよ。
本筋とはちょっとそれるんですけど、僕らが話しているのはリアル、現実にいる男性とか女性の話ではないんですね。
僕らが何の話をしているかというと、これは構造の話をしているんです。つまり抽象的なことについて話しているんですね。今回でいうと社会構造の話をしているわけです。
ルネサンス期のヨーロッパにおいては教会文化というのが基盤にありました。つまりキリスト教文化圏でした。
このキリスト教の文化というのを誰が作っているかというと、それはキリスト教会の中の人。中の人誰って言われたらそれは男性たちなわけですね。
つまりこの当時の社会の文化というのは男性によって作られた文化であり、そういった社会であったと。
そういうような構造があるからこそ、男性が女性に対して求めるというような力学が自然と働いてしまっていたというような見解解釈を僕はお話ししたまでです。
ジェンダーとかの話になると、ジェンダーとかセクシャリティとか全人類が持っていることなんですよ。
全ての人が持っている、感じている、関わっている事柄なんですね。
だから男性とか女性とかそういったジェンダーの話をすると、どうしても自分ごとに捉えてしまう方が多くいらっしゃいます。
自分ごとに捉えてしまった人が多く存在して、その不満とかがインターネットに吐き出されると、よく起こるのが男性vs女性の言い合いですね。
ああいう全く意味のない議論がインターネット上ではされるし、問題ではないことが問題とされることがよくあるんですけど。
僕はああいうことをさせたいわけではないんです。
男性対女性の対立を煽りたいとかそういう話ではなくて、僕は現実の女性とか現実の男性の話は一切していないんです。
抽象的な概念としての男性女性の話をしているので、そもそもジェンダーはそういうものなので。
実際の男性のことを言っているわけではないよということを、今回の話の雑談としてちょっと皆さんには聞いていただきたいし、注意して聞かなければならないところだなというふうに思いますね。
僕の別の分野で言うと、僕はすごく歴史が好きなタイプで、いろんな歴史の本とか授業とかいろいろ受けてきたタイプの人間なんですけど、
例えばですよ、歴史の勉強をしているときに独裁的な権力によって社会が乱されてしまったり、戦争に発展してしまったり、そういうような場面はよくあります。
ただ、ただですよ、じゃあそれはヒトラーが悪いのかカエサルが悪いのか言われたら別にそういう話はしないんですよ。
なんで戦争が起こされたか、ヒトラーの場合で話しますけど、じゃあなんでヒトラー政権のナチスドイツにおいて戦争が勃発してしまったのかというと、それはヒトラーが悪いというわけではない。
独裁政治、独裁政権が悪いという話でもない。
何が悪いのか。
ああいうような民衆の保守的な気持ちを煽るように、ただそれに応えるようにヒトラーというもの、ウハポプリズムの頂点となるような人を作り出してしまった社会側に問題があるわけですね、あれも。
結局あれは第一次世界大戦の敗北があって、その後特にフランスに屈辱的な条約を結ばされる羽目になって、莫大な借金を背負って、ドイツがめちゃくちゃだっていう時に、
フランスになんかの言いなりなんてならなくていいと、我々はドイツ人なのであって、それは崇高な民族なのだから。
こういうように言って、ウハ的なポプリズム、本当ポプリズムですけど、こういうような、ただ民衆の気持ちを煽るだけのような政治家を生み出してしまった当時の社会に問題があるわけですね。
なので、権力者が悪いよねっていう話とか、ヒトラーが悪いよねっていう話とか、独裁政治自体が悪いよねっていう話は、歴史の話では、歴史学の話の中では少なくともそういう話をしないんですね。
何が悪いのかっていうのは、当時そういうような独裁政権を生み出してしまった社会側に問題がある。
あるいは、第一次世界大戦が始まった時点で、こういうような国、この場合はドイツでしたけど、こういうドイツのようなポプリズムが流行ってしまうような国を作ってしまったような戦争を起こした時点で、その構造が悪い。
そういうように批判するわけです。
これが歴史学の中のお勉強になるわけですけど、ジェンダー論の話も同じなんですよ。
結局は現実の話はしない。抽象的な話をする。
で、その上で何が悪いのか、何を直さなければならないのか、何を学ばなければならないのか、こういうとこにフォーカスしていく。
それがジェンダー論であってフェミニズムなわけですね。
だからここに一番ジェンダー論とかフェミニズムみたいなものを勉強する上で注意しなければならない点がある。
だから冒頭の話に戻りますけど、別に男性が悪いとか、現実に男性が悪いとかそういう話をしているわけではないんですよ。
特にジェンダー論とかフェミニズムとかこういう話をするときは、現実の話をしているように思われる場合が多々あるけど、実際には現実の話は一切していないんだよという話。