そうですね。
でもね、加藤石黒さんってすごくこの時には有名で。
でも初めて短編集を出されたのかな。それが話題になったのかなと思うんですね。
私を話さないでの後に書いてあるこれってことですね。
この短編集、さっきのあらすじの中でテーマが音楽だったんですけども、
この話題にも音楽と夕暮れを巡る5つの物語が書いてありまして、
5つの短編には音楽のモチーフと、あと夕暮れというのが人生の夕暮れですね。
というのに直面する人々の姿というのを描いている。
そういった作品になっています。
加藤石黒さん自体、若い頃ミュージシャンを目指していたというのもあって、
結構ね、そういう音楽というところが作品に影響を与えているみたいですね。
なるほど。
時代背景としては、現代なんですけど、
ベルリンの壁崩壊から9.11、主には1990年代というところになってくるかと思います。
5つの短編集なんですけど、今回ラジオで紹介しているのは、
その中から2作、ローカストーリーやソークをこれから話していきたいと思います。
その2作入る前に、この短編集の魅力のようなところをお伝えできたらなと思っています。
まずですね、私を話さないで、ひろがおり、ふららとおきさまの3作は読んでいるんですけど、
他の作品にも確かにあるんですけど、この作品から感じたのは結構ユーモアな部分は大きかったかなと思いますね。
笑い話みたいなのは結構わかりやすく入ってたりとかしたので、
他の展でも読みやすいんですけど、結構読みやすさを生んでいたなというところと、
あとやっぱり文章がテンポがいい。サクサク読めるというところがありましたね。
ちょっとカズオ石黒さんの長編とは違った趣というか、文体なのかなと思います。
で、登場人物はさっきのみえさんの話にもあった通り、人生の夕暮れ。
これから終わりに向かっていくというか、最後の時間に向かっていく直前という感じで、
結構切ない部分があるんですけれども、それもさっき話したユーモアがちょっと出てくるので、
結構面白く読める部分も多いなという作品集です。
やっぱり初めてカズオ石黒さんを読むにはおすすめなんじゃないかなと私は思いました。
そうですね。作品によっては本当にコメディに振り切っている作品とかもあって、
カズオ石黒さんこんなに面白いんだって。ちょっと驚きながら読めるものもあったりするんで。
私を離さないから考えるとだいぶいいですよね。
重さがないわけじゃないんだけど、ああいう命みたいな重さがなくて、手に取りやすいかなと思います。
やっぱり読んでいくといろいろ考えさせられることが多いというのも特徴かなと思うので。
そういう意味では今回一つが才能ですね。
特に音楽家がたくさん出てくるんですけど、やはり成功している音楽家と売れない音楽家がいて、
その間には才能の差というのはあるんだろうかと。
結構その辺が小説の中でも触れられたりしていて、そこで才能についても考えさせられるというところはあるんですけど、
本当に成功するのに才能というのが果たしてどれだけ重要なんだろう。そういったところとか書かれているのかなと思いますね。
他に小説の良しというところでは、次元生の夕暮れに直面した人々というのが出てくるんですけども、
そういった人の描き方がすごくいいなと思っています。
作品に登場する音楽家というのも多いのが本当に若い時に成功を夢見ていた人たちで、
才能もある人たちなんですけど、ただ思っていたような成功というところまでは実現せずに、
今を迎えている人生の夕暮れに直面しようとしている。
そういう人たちが今どう生きていて、この先どう生きようとしているのかというところが描かれていて、
そういったところを読めるというのは本当にこの短編集の醍醐味かなと思っています。
本当そうですね。才能というところと、上手くいかないという状況で苦しんでいる方々というのは描かれているので、
そういう姿は共感してしまうところも多くて、その中で夢を打ちましたね。
あと私が今回読んで感じたのは、和尚石黒さんが一貫して持っているテーマというのも、
やっぱりここにもこの作品にも現れているなと思っていて、
和尚石黒さんっておそらくアイデンティティというものを、自分とは何かというところにテーマを置いて描いている作品が多いんじゃないかなと個人的には思っていて、
今回もですね、やっぱりこの後話しますけど、この老歌手を置いてスター性を失っていった老歌手は、
かつての輝きというか、自分が持っていたものに固執しているし、その後話す野草曲の方では、
ブレダイサックス奏者っていうのはプライドに固執しているのかなみたいなところもあって、
自分を保ってくれているものっていうものに対して固執する人たちが多い。
それを持っていた時ということを何というか思い出したりするっていうところがあって、
これは日の名残りとか、私を離さないで、クララとお日様にも通じているところでもあるなと私はちょっと読んで思いました。
音楽だけが全てじゃないとは思いますし、そこから人生とは何だろう、人間って何だろうって結構変われているような気がしましたね。
多分パズー石黒さんが持っているテーマなんでしょうね。
じゃあちょっとそのところで具体的に2作紹介していきましょうか。
じゃあちょっと老歌手を私の方からあらつきをお伝えしたいと思います。
この老歌手はベネチアでギター弾きとして活動しているヤネクという男が主人公です。
彼は旧共産圏の出身で、いくつかのカフェでバンドをしながら掛け持ちして生計を立てています。
ある春の日、ヤネクの憧れの歌手トニー・ガードナーが広場で客で来ているのを見つけて、これは思わず声をかけてしまったというところからこの話が始まります。
このトニー・ガードナーという人物なんですけれども、60年代スターになったアメリカの歌手で、このヤネクの母が大ファンで子供の頃からいつも聴いていました。
ヤネクも一緒に聴いていたという思い出がある歌手でございます。
ヤネクから声をかけられたガードナーは予想に反して親しく会話に付き合ってくれて、その妻であるリンディ・ガーディナーがやってきまして、
このガードナー夫妻はその時立ち去るんですけれども、帰り際ヤネクにガードナーはある頼み事をします。
ちょっと後で話しますが、元々今回ガードナー夫妻はベネチンに来たのはハネムーン以来、27年ぶりという特別な旅行でした。
ガードナーはこの夜、ゴンドラに乗って二人が泊まっているホテルの窓の下に現れて、
ゴンドラの上から妻リンデのためにスレナーデを歌いたいという計画を考えていました。
そのためには演奏が必要なので、このヤネクに演奏を頼めないかと依頼したという流れになっています。
ヤネクは憧れのガードナーからそんな依頼をされたので、もちろん喜んで引き受けます。
しかもこの60歳の男と50歳の女性の夢のような計画をめちゃめちゃいいなと思って引き受けました。
いざ夜になって待ち合わせ場所に行くと、ガードナーの雰囲気が明らかに重くて、あんまりロマンチックな感じじゃなかったんですね。
ゴンドラに乗って目的地に向かう間に、ヤネクはガードナーからリンデとどういう経緯で結婚したのかということを聞くされます。
ゴンドラが2人の部屋の下に着くと、ガードナーはリンデに呼びかけてリンデが姿を現します。
ヤネクの演奏と共にガードナーはリンデに昔の思い出の歌を歌いだします。
ガードナーが何曲か歌うとリンデは部屋に消えていき、部屋の中から彼女のすすり泣く声が聞こえてきました。
演奏が終わるとガードナーはリンデがなぜ泣いたかということを伝えます。
実はこのイタリアの旅行が、このベニセの旅行が27年間の結婚生活の最後の旅行だったということを告げられます。
ヤネクは仲の良い夫婦が別れるのは納得いかない。
でもガードナーは我々2人が別れるというのは今お互いにとって必要なことだと話します。
ガードナーはヤネクに礼を言って別れるというところでこのお話は終わります。
すごくいい小説なんですけど、読んでるとしっとりとした感じで、本当に大人な小説だなと思って読んでいて、
舞台がベネチアっていうのもいいですよね。
めっちゃいいよね。
設定がすごく良くて、ゴンドラに乗ってホテルの窓の下に現れて、奥さんに向かってセレナーデを歌うという歌手という、すごいロマンチックな設定だなと思って。
ヤネクも自分が憧れてたというか、憧れてたか、憧れてた人に出会ってその人と何かをできてっていうのはなかなかないものだなと思うので、
そういう経験を通して見せてくるっていうのがやっぱりうまいなと個人的には思いますね。
そうですね。ヤネクにとってこの人生経験って何だろうって思いますし、なんか本当にいいですね。
こういう人生の本当にちょっとした一瞬かもしれないんですけど、それは人生の中でヤネクにとってすごく大事なことだったと思いますし、
多分ヤネクもこの先生きていく上で、この一瞬のここからすごく影響を受けて生きるんだろうなと思います。
そこにやっぱりガードナーの偉大さというか、なんかそれが今までは聞いていた曲であったのがガードナーという人と関わった時に、
ヤネクもちょっと何か変化というか変わるかもしれないなっていう、そういうちょっと予兆みたいなものを感じたりします。
じゃあちょっとこの辺にしときましょう。
ローカシュー、いやローカシューめっちゃいい曲だった。
では次に紹介するのが野草曲ですね。先ほどのローカシューに続いてなんですけど、実はリンディガードナーが登場するという作品になっていて、
さっきのローカシューに比べるとこの野草曲はすごくコメディな内容になっていて、面白おかしく読めるものかなと思っています。
どういう話かというと、主人公は才能もあるのに売れないサックス奏者のスティーブですね。
そのスティーブがマネージャーに裾を抜かされて顔面成形を受けるというお話なんですけれども、
このスティーブ、ちょっと奥さんとの関係もうまくいっていないという状況があって、奥さんとの関係も修復したいという思いもあって、
スティーブは成形とかしたくないと思ったんですけど、奥さんとの事情というのも考えて成形をすることになっています。
しかも奥さんがなかなかできる人というか、成形ってすごくお金がかかって、一般人にはなかなかできないんですけど、奥さんが手配をしてくれて、
スティーブは本当にすごく有名な一流の成形外科の先生に手術をしてもらって、
その人はなかなか泊まれないような高級ホテルに泊まって入院する、そういう人になります。
実はスティーブが入院しているホテルの隣の部屋には、同じく成形手術を受けたばかりで入院しているリンディガーデンがいました。
さっきの農家誌に出ていたリンディガーデンが、今度は成形を受けたばかりで入院しているという状況で登場しています。
スティーブはこれまでゴシップで名声を得てきたリンディに対して、良い印象というのは持っていなかったです。
どちらかというと見下したような思いというのは持っていたんですけども、しかも最近リンディはポニーガードナーと離婚したばかりでニュースになっているので、
リンディすごく綺麗な女性なんで、果たして整形とかする必要ってあるんだろうって思われていたと思うんですけど、
リンディにとってそうやってやっぱり殻を破って出ていくというところが本当はやらないといけないことだというのをすごく理解していて、
おそらくそういったことをリンディとスティーブにとっていいと。
この二人ってリンディとスティーブの共通点っていうのは包帯をしていて、顔に。
要は人生の再出発の前っていう状況だと思うんですよ。この感じが結構いいなと思って。
さっきの老化死のガードナーもそうだったし、これが表題作野草曲集になってますけど、表題作に近い名前が与えられているこの短編に、
この再出発前っていうのがすごく出てるなと思ってて、ちょっと私はいいなと思いましたね。
そうですね。最後に読み終わって、スティーブが果たしてリンディのように出発していくことができるのかどうなのかというところを問い合わせて、
それもスティーブって自分に自信がなくて、そういうメンタリティだったと思うんですけど、
リンディと出会ったときに何かその辺のメンタリティの変化っていうのが起きたんだろうかどうなのかというところが気になりました。
見せずに終わるからいいですよね。
そうそう。どっちかというとね、最後はちょっと半信半疑というか、悩みつつ終わったというところだったので、
ここからはですね、この短編集のテーマの一つでもある才能というところに続いて大地さんと話をしていけたらなと思っていまして、
このね、さっき話していた野草曲っていうのは、結構顕著に才能があるだけではメジャーになれないというようなことを作中の中で言っていたりして、
果たしてその才能って何だろうとかですね、成功するのが果たして全てなのかと思うところはあるんですけど、
そういうのにね、才能ってどれだけ必要なんだろう、才能って一体何だろうっていう話をちょっとしてみてもらったと思うんですけども、
そもそも才能とかについて考えたこととかあります?
いやもう私は常に考えてますもん。常にっていうか、自分の才能って何だろうみたいな。
みなさんどうですか、才能について考えたことはあります?自分の才能と他人の才能。
なんかそうですね、考えていたと思いますね、やっぱり。
一つがアウトプットと一緒なんですけど、文章を書いたりするっていうところ、願望はありつつ全然やってもいないんですけど、
そういうのは自分って才能あるんだろうかっていうのは思いますし、
それが才能あるかもしれないと思うから怖くてやってないのかもしれないですけど、
他にはあんまり才能で考えたことはないです。
これ結構音楽に絡めた話が多いから、この野草曲集の中で言うと、才能って言うと芸術に火入れてるみたいな、
芸術に対して力があるみたいなイメージが強くて。
だからさっきみなさんが言った分裁ってことですよね。
自分はもっとミニマムに、仕事においての才能とか、そっちを結構考えちゃいますね。
それって交渉であったりとか?
そうですね、コミュニケーション能力の才能が一つだと思います。
それが自分に火入れてる部分と全く足りない部分があるなとか、特性があるなと思ってますね。
自分の才能をまだ自分は掴み切れてないと思います。
僕も今回そこでふと思ったのが、才能ってすごく大事なものだと思うんですけども、
これもし得意・不得意に置き換えた時に、
もちろん仕事でも何でも得意・不得意に分かれてくるのは人それぞれあると思うんですけども、
そんなに拘るようなことなのかなとちょっと思うんですよ。
不得意なものはもう仕方ないし、得意なことをできるだけたくさんできたらそれでいいんじゃないかって思う方なんですけども、
もし仮に才能が得意・不得意で片付けられるものだったら、
人ってそんなに才能にこだわらなくても尋常のあるものを受け止めちゃっていいんじゃないのかなと思えるところがあってですね。
でもこういう音楽であったり文章であったりの才能ってなると、
どうも得意・不得意ってのはイコールで片付けてしまっていいんだろうと思うと考えてしまいます。
この小説の中に出てくる音楽に対して才能を発揮したい方々は、
やっぱり彼らにとって目指すべき姿とか理想の場所があって、
そこにたどり着いていないから、たどり着くために動かなきゃいけない、しなくてはいけないことがあるみたいな感じだと思うので、
それが才能とはまたちょっと違う感じもしますね。
才能があるけれども認められていないという状況じゃないですか。
芸術関係において難しいところだなと。
そうですね。よくスポーツの世界でも言っていますけど、
本当に実力の差って紙一重かもしれなくて、
メジャーな人とちょっとマイナーな人でも紙一重かもしれないし、
それが大きくすると運かもしれないし、運以外のところで差がついているところがあるのかもしれないし。
才能って一緒くたに考えるとめちゃくちゃ難しい領域ですね。
自分の才能って全くわからない。
それは覚えますね。
いい歳してますけど、自分の才能って何なんだろうなって。
本当そうです。
自分を理解しないんだろうなっていう状況ではある。
自分の資格は理解することができないと思うんですけど、
自分の理解が深まってないんだろうなって今感じちゃいましたね。
あとよく成功というところに話を聞くと、
才能プラスで継続であったり経験であったり、
そういうのの掛け合わせで人が結果を残すかどうか、成功するかどうかってなってくると思うので、
もちろんそういったところで才能も大事かもしれないし、
何か目指すものを持てるかどうかっていうのもまた重要ですよね。
そこに向けて努力できるかどうかっていうところとかも大きいかもしれないし、
そういう環境にいるかどうかっていうのも大きいかもしれないし、
そういったところではこの小説に出てくる倫理とかガードナーっていうのは、
やっぱり努力しようとしてるし、環境を変えようとしてるっていうのはすごく読んでると感じましたね。
スティーブもトイレみたいなコースでずっとサックス吹いてるじゃないですか。
あれもすごい才能に対しての努力だなってちょっと思いますし。
そうですね。でもやっぱり倫理とかから言わせると、
そこだけじゃなくて思い切っても人がいるところに怒られようが何だろうが、
人前にバンって出て一曲吹けみたいな、やるのはそちらだって。
そういう意味でやっぱり才能をどう伸ばそうかって。
才能を磨くのと目標、理想を達成するっていうのが実は完全な一致ではないのかなと。
もちろん才能を磨くのも大事なことであって、
目標を達成するためには理想を達成するにはさらに他にもやるべきことがあるかもしれない。
そういう意味で言うと、才能ってなんだろうっていうのはよくわかんなくなってる。
強引に定義しなくていいかもしれないけど、
自分の特性、活かせる特性だと思うんですよね。
それはみんな誰が何かしら持ってると思うんですけど、
それがピタッとはまる場所に今いるかいないかっていうのが結構重要なんだなって。
懐かしいなって思いますね。
だから私ちょっと最近よく考えます。何が得意なんだろう、才能があるんだろうって。
あとやっぱりガードナーとか倫理のような、外に出て行って行動するっていうのは、
つい現状維持やっていけないんだなって感じますね。
理想を達成するならっていう話ですけど。
これが変な、別に才能があることがAIってわけじゃないと思うんで。
だからちょっと誤解されないようにちょっと補足すると。
いろんな人がいて、別に全ての人が能力を発揮する必要はない。
発揮できる状態っていうのがベストと思いますけど、
私も発揮せずに日々生きてる人も多いと思うので、私もその一人かもしれないし。
現状楽しければそれでいいんじゃないかって思うタイプではありますし。
それでもいいと思います。
いやでも才能についてあれですね。
真剣に話し出すと、たぶん普通に漫画編一本になりますね。
そうですよね。
最後、感想とどんな人に読んでもらいたいか、お話ししてもらいたいと思います。