はじらぢさんでぃ、新しい一週間が始まりました。
はじらぢさんでぃ、7月7日になりました。
七夕様、北海道札幌は雨の七夕ですね。
今日はもう天の川は見れません。
もう前々から予報で分かってたんですけどね。
1日雨の札幌、昨日から雨が続いてる。
そんな札幌、気温も下がって過ごしやすい、いい季節ですね。
そんな札幌から今日もお送りしてまいります。
はじらぢさんでぃシーズン5始まって、今日が6回目のエピソードということになります。
今日のテーマは、時間軸で考える。
このテーマで、第1コーナー、人生いろいろ。
第2コーナー、がんばれホモ・サピエンス。
第3コーナー、SNSあれこれ。
そして第4コーナー、ザ冬一郎散歩でお送りします。
涼しいと言っても窓開けてやってるんで、ちょっとノイズ入りますがご容赦ください。
今日も最後までお聞きください。
はじめるラジオキャンパス、シーズン5、プレゼンテッドバイキャンパス。
ということで第1コーナー、人生いろいろ、時間軸で考える。
これ意外とですね、若い時は時間軸で考えないんですね。
もうその瞬間その瞬間、今を生きるというか、
例えば何かやらかしちゃったと、もうその時その瞬間でいっぱいいっぱいになっちゃうんですね。
もう3日も4日も経てばみんな忘れてるさ、みたいなことがなくて、
もうその時だけで落ち込んだり焦ってみたりするんですが、
そこでジタバタして下手な行動をしてしまうと、かえって時間軸で考えると問題がこじれる場合があるんですね。
逆にこう、まあよく言いますけど、時間が解決するとかね、ほとぼりが冷めるとかね、
人の噂も何日?何日だか忘れちゃいましたけど、45日も続きますか?
今時は人の噂も4、5分ぐらいしか続かないんじゃないですか?よくわかりません。
まあでもあれですね、報道とか見てると、結構ね、これ前にもどっかでしゃべりましたが、
お父さんにだってぶたれたことないのにとか言ってた人が、一度の過ちか何度の過ちか知りませんが、
もうあれで芸能人生命が断たれるというね、これは昔はありえなかったんですが、
今はもう常にSNSで復活するんですね。だから皆さんもう復活できないという。記憶、
そういう意味での記憶、記憶じゃないですね、記録が残っちゃって、その記録が再生されるということで、
いつまで経っても消えないなってことが起きるんですが、まあそれはさておき、時間軸で考えるのは結構大事なんですよね。
若い時はあんまり時間軸で考えられない。それはもう短い人生しか生きてないので、
もうその瞬間その瞬間、とりあえず明日のことぐらい、明日の宿題とか明日の時間割ぐらいまでしか考えられなくて、
明後日のこととか考えられない。まあ時々夏休みのこととかね、そういうことはできる。
修学旅行の計画とかね、そういうことはできるんだけど、でもそれは本当に時間軸で考えてるかっていうとそうじゃなくて、
今その空間でね、その未来を妄想してるだけであって、時間軸で本当に考えてるかと、そうでもなかったりするんですよね。
これがある程度、歳取ってくると、やっぱり時間軸で考えられるようになるという。
まあ皆さんどれぐらいの時間軸で普段、物事考えてるかわかんないんですが、私も結構、時間軸はどんどん長くなって考えるようになるんですが、
それでもやっぱり忙しい時ほど2日後3日後とかね、明日のこととかもう今日のことで精一杯なんて日もあるんですが、
でもそういう時こそなるべく長い時間軸で現在を考えて、現在を生きて、現在を行動した方が、
実は時間軸で考えたときにはいい結果が出るということを学んじゃったんですね、どっかでね。
あと下手に政治学なんて学んじゃったもんですから、それなりに時間軸で1週間1ヶ月とかで先の結果を予測して、つまりホモ・サピエンスは未来を予測して計画する動物なんですね。
例えば、建物を1年かけて建てますと。最近は1ヶ月でできちゃう、1週間で建物、建っちゃいますけどね、お家はね。
昔は1ヶ月2ヶ月半年かかったわけです。
家を建てようと思ったら1軒建てようと思ったら。でもそれを完成をイメージして設計図まで描いて1個ずつ手順を踏んで完成させる動物はこの世にはホモ・サピエンス以外いないんですが、
そういう意味では未来軸で考えられる、時間軸で考えられる唯一の動物かもしれないわけですけど。そんなことで、
そういう意味ではホモ・サピエンスとしてはやっぱり時間軸で考える能力っていうのは、これはフルに使った方がいい。
ただ問題は今日のこと、今日の夕飯のこと、明日の朝ごはんのことぐらいで短い時間軸で考えてしまうと、これはもったいないわけですね。
なるべく長い時間軸で考えるということで、政治学なんてやったら、それまでは私やっぱり1週間とかせめて1年後ぐらいとかしか考えれなかったのが、学生時代とかね。
でも政治学なんて学ぶともう古代ギリシャからローマから千年単位で考えるようになっちゃったとかね。
あと日本の政治とか見てると1年2年じゃ決着つかねえなと。やっぱ10年20年30年、場合によっては400年単位。
例えば、イギリスの議会主義が成熟するのにはやっぱり200年300年かかったわけだし、
いろんなジグザグがあってね、王権とのやりとりとかもあったりして成熟していったわけだし。
さらにフランス革命のあとは100年間はね、王政復古もあり、ナポレオンも出てきて、いろんなことがあったわけだよ。
そういう意味ではやっぱり100年200年単位で考えないと、ホモ・サピエンスのまつりごとは考えれないんだなーなんていうのは政治学通して学んだことなんですよね。
そうするとまあ大体、現実、リアルにはやっぱり10年単位で、10年後どうなってるかを考えて発想するようになったっていう、これはあらゆることについてそうですね。
自分の人生だけは10年先が見えないと。だけど世の中の物事は大体10年先を、いろんな統計的なデータやらトレンドですね、トレンド。
自分なりにこのトレンドはやっぱり必然性がある。このトレンドは一時的なものだっていう、こういう目が、それなりに養ってくるわけですね。
理屈だけじゃなくて経験則としてもやっぱりそういうのがだんだんだんだん出てくるわけですね。
世の中の物事はどう動くかっていうのが、歳とともに多少は見えるようになってくると。
いろんな経験を積むわけだから、期待したけどもそうならなかったっていう経験もいっぱいするわけで、
だからそこで下手に期待値を持たない。期待値を持ちすぎるとダメなんですね。
だけど冷静に見ながらも、あとはもう一個は選択肢ですね。
一つに絞らないっていうか、こういう幅、幅って言ってもいいね。この幅で動くという。
だいたい幅を設定しますね。この幅の範囲で動く。
1年2年経って、こっちの幅のこの辺にいるから、次の幅がまたちょっとずれてくるわけね。
この先はこの幅で動くな。
だけど面白いもので、何かやっぱり事件とかハプニングは起きるわけですよね。想定外の出来事。
想定外の出来事が起きるとやっぱり時間軸が歪むわけじゃないですが、やっぱり変わるんですよね、未来がね。
その想定外の出来事にもよるけれども、今度はそれを踏まえてまた未来軸の時間軸の想定を修正するんですね、その瞬間に。
その時はもう頭がダーッと動くわけです。コロナが起きた時、震災が起きた時、全部頭が動いて。
全部その瞬間に修正していくっていう。未来の幅がピッと変わるわけですね。
そうするとね、あたふたしなくて。
例えば、コロナが起きた時なんか、いつまで続くんですか。いつになったら対面授業できるんですかって、いろんな先生が言ってくる。
私はもう1年2年は覚悟してください。もう今年は対面授業はできませんって言うんだけど、納得してくんないのね。
納得してくんない。でもきっとそうなりますよって。だからこれもう言ってもしょうがなくて。
自分のところではそう思っておいて、それを前提に全部進めると、物事をね。
そうすると、後からこんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかったって言って、
常に軌道修正して無駄な時間を過ごすことなく。あらかじめ想定の範囲内に全部入れとくということはとても重要で。
想定内、想定外っていうのは、これやっぱり時間軸で考えるから出てくることなんだろうなって思うんですが、
それで時間軸に対しては空間軸っていうのがあって、なんかやらかしちゃったと。
そうするともうその瞬間のいろんな人の顔が思い浮かぶわけで、どうしようどうしようって、もうその時間、現在だけで考えちゃう。
1年後から考えれば、1年後から見れば今回起きた事件はこういうことになってくだろうというのが、少し客観的に見れるわけですよね。
客観視する、未来から俯瞰すると言ってもいいですね。
だからそういう瞬間を1年後、5年後、10年後からの未来から現在の自分をなるべく俯瞰すると、いろんなことが想定内に入るんですよね。
だからそういう発想が身についちゃったんですね。
これやっぱり政治学っていう専門のせいもあったけど、もう一個はやっぱり大学の運営とかに関わって学長とかやっちゃったときに、そこでやっぱり決断を間違うわけにいかないので。
将来に責任を負わなきゃいけないので、今に責任を負ってるだけじゃ責任を負えないのでね。
今年の募集は頑張りましたとか言ってる場合じゃないんで。
来年、再来年、5年後、10年後はこういう時代がやってくる。そのときにこうなるためには、こうしとかなきゃいけないみたいなことがいっぱい出てくるわけですよね。
それはもちろん想定を外れることもあるんだけども、そこでいろんなことをやるんですよね。
だからこっちは10年後を考えて動いてるんだけど、周りは目の前で動いてるから、ここにズレが生じるわけですね。
これは結構、厄介でしたね。
だからよく言ってたのは、そのとき100%の人が納得することはありえない。
1割、2割の人しかわかんないかもしれない。もしかしたら自分ともう一人ぐらいしかわかんないこともあるかもしれない。
でもそれは、時間とともにみんなの認識になっていく。
例えばコロナは、1か月経っても2か月経っても終わらないと。
ちょっと収束するかなって言ったけど、それはまた第二波、第三波きますよってこっちは言ってるんだけど、1年、2年は覚悟してくださいって言ってるんだけど、
そう思わない人もたくさんいるわけだけど、だんだん夏休みぐらいになると諦めてくるわけね、みんなね。
今年はしょうがないか。
その頃には私はもう、推薦入試も一般入試も全部オンライン入試やってください、準備してください。
いやもう一般入試は大丈夫でしょって言うんだよね。
いやもうとにかく大丈夫だったら、このときよかったねって言えばいいんだけど、
これは可能性がある限りやりましょうって言って、結局オンライン入試必要になったとかね。
いろんなことがあるんですが。
他の大学は、言っちゃ悪いけども、準備してないからあたふたして入試ができないとかね、やってましたけども。
オンライン授業もそうでしたけどね。
もう一つが言葉なんですよね。
語る言葉で、アーティキュレーションですけど、音節を生み出して、
いろんな音を、母音、子音を獲得することで、
いろんな音を表現できるようになるから、
それだけ世界の表現の幅が広がるわけですよね。
だから、その上でやっぱり文字なんですね。
文字を発明したことなんですね。
これが文字を発明したことで時間軸で考えられるようになったんですね。
時間を超えられるようになったのはやっぱり文字のおかげで、
語る言葉は時間を超えないんです。
常に復唱、口承って言いますけど、口伝えね。
口伝えしていかないと、語る言葉は時間を超えないんです。
おばあちゃんが言ってたよ、古い言い伝えがあってね、
昔々あるところに、こうやって伝えていかないと、
語る言葉は時間を超えられない。
それは不正確さもあるし、時代とともに移り変わっちゃう。
ところが書かれた文字は変わらないわけね。
ただ、その時の文脈、状況はわかんないから、別の解釈が生じたりするんですけども、
これを脱脈絡化って言うんですね。脈絡から外れる、脱脈絡化。
そしてそれが現在の状況の中に、文字だけ、テキストだけがポンと落ちるわけ。
コンテキストの中にテキストが落ちると、再脈絡化って言ってね。
再び文脈の中に投げ込まれると。
よくSNSで、これSNSあれこれになっちゃうけど、炎上する。
あれ切り取られて、文字だけが切り取られて、再文脈化されるわけね。
脱文脈化されて、再文脈化されるから、炎上するんですが、
これは第三コーナーでしゃべるとして、頑張れホモ・サピエンス。
とにかく頑張れホモ・サピエンスは、文字を発明したこと、文字というか記号ですね。
書かれた記号を発明することによって、時間を超える。時間軸で考えれるようになった。
例えば、日記書くじゃないですか。声で書く日記なんてやってる人もいますけれども、
それが、例えば1年前に自分が何を言ってたか何を書いてたか、
これ何言ってたかは忘れてるわけです、文字がなければ。
1年前自分何言ってたかなぁ、記憶の彼方にあるんだけど、何か言ってたんだけどなぁって。
その時に思い出したことは、別にその時に本当に言ってたことじゃないかもしれないわけね。
それが今はポッドキャストで、これまたSNSになっちゃいますが、
文字で、とりあえず文字でね。日記を書くっていうのは過去の自分を振り返ることができるからなんですね。
そこに、1年前こんなこと書いてるって、よく5年日記とか10年日記ってあるじゃないですか。
あれはやっぱり過去を振り返るっていう作用が日記にはあるからなんですよね。
1年前の今日も同じこと言ってたなぁ、同じこと書いてたなぁ、進歩のない人生だなぁとか言ってね。
そうやって振り返るわけですね。
つまり文字に書き記すことによって過去を思い出すということができるようになったって、これやっぱり他の、犬にはできない。
犬には文字がないから。
そういう意味では予測モデルの範囲が狭いわけね。
とりあえず目の前にあることに対して、何分先かわかんないけど、せいぜい、1時間先まで考えられる犬ってあんまりいないじゃないですかね。
やっぱり目先の5分10分の予測しか立てられないんじゃないかなっていう気はしますね。
うちのワンコはとりあえず、もうすぐうんち出そうだからまだお家帰りたくないっていう予測ぐらいは立つみたいで、
この後お家帰っちゃうとうんちができなくなるっていう予測も立つみたいなんで、
そういう意味では20分30分ぐらいの予測モデルは持ってるのかなとか勝手に思ってるんですけどね。
1時間先はやっぱりさすがに持ってないですね。
ただ明日お客さん来るよとか言うとやっぱりわかるみたいですし、
明日お留守番だよって言うとわかるみたいなんで、
今日じゃなくて明日だよはわかるようになってきてるような気がするので、
もしかしたら1日ぐらいは予測してるかもしれない。
ところがホモ・サピエンスは1日どころじゃないんですね。
まあ人によって違うんですけどね。
今日の夕飯までしか考えてない人もいるけれども、
明日のことまで考えるとか夏休みの旅行ぐらいまでは考えてるとか、
これはまあ人生いろいろでも言ったけど、
年齢が低いほど未来予測の射程は短い。
歳を重ねるほど未来予測の射程は長くなる傾向にあるけど、
人によっては全くのびない。
常に目の前のことしか考えないっていうそういうホモ・サピエンスもいるわけね。
これはもう習慣ですよね。思考の癖ですよね。
大脳新皮質をどれだけ駆使するかっていうことなんですが、
これを駆使しない人がいると。
大脳新皮質っていうのは、大脳の中だけにあるんじゃなくて、
文字を発明したっていうのは脳の外部化って言われてるわけね。
記憶の外部化。記憶を記録として文字に書き留めるという。
これはある意味、脳の中にしか置けなかった言葉の記憶を文字に書くことで外部に置けるようになった。
今これはもう電子メディアですね。パソコンに入れとけるわけです、全部。
だからパソコンできたときに使ったのはそれですね、私はね。
外部脳だと、これは。脳が広がったっていうか脳がもう一個できたっていうか。
外部脳ですね。自分の脳だけじゃなくて、脳の中にはやっぱり置いとけないので、
全部外部に記録して置いとくということで、それで使うようになって、
今も結局ポッドキャストは、それで結局使ってるんですよね。
声で書く日記もそうだし、他のもそうだけど、何でもこう吐き出しておくのは、これは外部脳なんですね。
自分の脳内に記憶できない、記録できないから、外部の脳に記憶しておくということで、
これもう第3コーナーのテーマに近づいてきたんで、これぐらいにしたいと思うんですが、
とにかく人間が発明した、まず言葉。でもそれは空気中に消えちゃうことのは。
それで文字ができた、5000年前。一般の人もだいたい2000年前ぐらいからね。
一般って言ってもごく一部ですけど、文字を使うようになって、それが文字として伝えられるようになる。
これが最初の外部化ですよね。それの後に出てきたのが印刷術で、
さらに出てきたのが電子メディアなんですよね。だから三段飛びで今、電子メディアまで来たんですね。脳の外部化は。
だからホモ・サピエンスが人工知能を生み出したっていうことは、これはそういう意味ですごいという話だし、
その前に電子メディアですね。コンピューター、パソコンという世界をあたかも人間のCPUと、それからハードディスクね。
ハードディスクを拡張するってことなんですよね。結局ね。文字を書いて、それを日記にしたり書物にしたり本にしたり記録にしたりして、
自分の本棚に入れるってのは、これは実はハードディスクに保存するっていうことなんですね。
よくメモリーは机の上で、ハードディスクは本棚でみたいなね、説明が、昔パソコンが出てきた頃されてましたけども、そういうことなんですよね。
だからそれをやっぱ使わない手はないっていうことだし、これは電子メディアだけじゃなくて日常の中でもやっぱり自分の机の上と、
それから本棚ですよね。あるいは自分のnoteや記録、そういう意味では重要。
電子メディアになったことで、これに非常にアクセスしやすくなった。検索できるようになった。
家の本棚を探しても、あの本どこ行っちゃったかな、あの時のメモどこ行っちゃったかなって探してた紙メディアの時代を卒業して、
我々は電子メディアの時代にいるんだけど、この電子メディアをどう活用するのかですよね。
これは私にとってはもう外部脳であるということなんですが、がんばれホモ・サピエンス、ちゃんと使えてますか。
ということで、第3コーナー、SNSあれこれ。
はじめるラジオキャンパス、シーズン5、プレゼンテッドバイキャンパス。
はい、ということで第3コーナー、SNSあれこれですけど、結局SNSなんでやるのかっていう話ですね。
今はブログもやるんだけど、いろんな目的皆さんあるんでしょうが、
私はやっぱり自分の記録、外部の脳として、自分のハードディスクとして使ってることなんですよね。
これが今、音声でできるようになった。
それこそもっと早くPodcast20年前にやって音声コンテンツ残しとけばよかったなと思いながらやってなかったのはなぜかというと、
聞き直すのに時間がかかって検索もかけれなかったから、残しといても結局、埋もれて再活用しない。
再脈絡化するということなく全部埋もれてっちゃうからやっぱりストックする意味を感じなかったんですね。
ブログはやっぱり意味感じたんですね。
そこに書いとけば、5年前こうやって言ってた、10年前こうやって言ってたって振り返れることがわかったからそれでブログはやり始めたんですよね、記録としてね。
文字。だけど声はやらなかった。埋もれちゃって聞かないから二度とね。
二度とってこともないんだけども。
時々聞くものもあるにしても全部はやっぱり聞けないんだよね。検索性、一覧性がなかった。再利用できない
ことがやっぱり多かった。発掘しなきゃいけないっていうね。
どこにあんのかわかんないし、もう時間のロスにしかならない。
だったら今を生きた方がいいっていう、未来のことを考えた方がいいっていうことで、使えなかったのが使えるようになったんですね。
これが去年から、2023年の8月3日からですね、私にとってはね。
その前から7月から使い始めたんですけど、やっぱりLISTENができて、それができるようになったんですね。
だからやっぱり音声を記録として外部脳として使うようになったっていうことなんですね。
私にとってはね、間違いなくね。
だから脳内垂れ流しで全部、とりあえず思いついていることで忘れそうなことは全部吐き出しておくと。
忘れないことも含めてその時の言葉で吐き出しておくと。
そうすると思わぬ言葉がね、出てくるという。
だから、その時に自分がわかっていることじゃないことの言葉をついて出る方が面白いから、台本なしでやるんですね。
台本で書けることはもう全部そこでもうすでに自分がわかっていることだから、それを読み上げることにあんまり意味を感じない。
むしろ自分が今思いついてない言葉になってないことを喋っているうちに語ることのはを紡ぎ出しているうちに思わぬことが出てくるっていう。
こういう経験はいっぱいしてきたわけです、この1年間。
こんな話する予定じゃなかったんだけども、新しいアイデアが喋ってるうちに出てくるんですね。
これ面白いですね。
だから台本なし、未来の言葉が出てくるときってやっぱり台本なしですね。
台本を読み上げることほどあんまり面白くないことはないですね。
私にとってはね。
これホモ・サピエンスにとってもあんまり意味がないと思いますね。
私はね、だからオーディブルとかあんまり。
もう書かれた本なんでわざわざAIに読ましたり人に読ましたりして聞かなきゃいけないんだっていう。
パッと見て読んじゃった方が早いだろうってやっぱ思っちゃうんですね。
それよりもやっぱり自分が語ることっていうのは、台本なしで今思いついてない言葉になってないことが出てくるかもしれないっていうそのワクワク感で語るわけですよね。
実際出てくるわけね、これがね。
しゃべってるうちにアイディアが出てきちゃうっていう。
これは面白いですね。
とてもね。すごくね面白いですね。
だから本当に思いついてないんです。
録音ボタンを押したときはね思いついてないんです。
収録終わって読み直してみるとすごい新しいアイディア出たみたいな話になってくる。
この循環プロセスが面白すぎて今SNSというよりも音声配信をしていると。
これただ一人でやってても寂しいわけね。
セルフプレジャーは寂しいわけ。
ところがこれに、それこそコロナの話でしたけども100%の人がそれで共感してくれるわけでは全然ないわけね。
何このおっさん戯言言ってんだっていうか、何しゃべってんだかよくわかんねーやって思ってる人が多いと思うんですけど。
だけどそこに、あそうだよねっていうか、それって面白いアイディアだよねって人が、一人二人ぽつぽついるわけですよね。
ここが面白いわけね。だから少なければ少ないほど、それはまだみんな知らないっていうね。
少なければ少ないほどまだみんな知らないっていう。
1年後2年後3年後4年後になったらねなんかみんなとなんか前から知ってたかのようにやってるみたいなことが起きるんですねいろいろね。
そういう経験もいっぱいしてきたんでSNSの世界でもね。
例えば、パソコン通信がインターネットに接続されてった時代。文字チャットが廃れてって音声チャットビデオチャットになってった時代。
やっぱりこう古き良きものにこだわる人はいるけどそれはでも技術革新なのでそっちみんな行っちゃうよとホモ・サピエンスは。
新しいもの好きだし、好奇心あるし楽な方に行くし便利な方に行くし。
そうすると文字キーボードで文字打つのはやめてみんなビデオチャット音声チャットやるようになるしね。
今はまだ音声入力でブログ書いてる人なんてほとんどいない。
まぁちょっとずつ出てきたかな。あるいは音声入力で本書く人もまだまだ少ないけども。まだキーボード打ってんのね。
でもキーボードなんて考えてみたらまだ30年ちょっとです。40年経ってないぐらいですよね。
キーボードとモニターっていうこの形で、その後スマホっていうのが出てきて、これは全部インターフェース革命ですけど。キーボードでパソコンに入力するっていう時代の前はパンチカードとかでやってたわけでね。
パンチカードを読み込ませてたんで、キーボードなかったんだよね。
これキーボード革命ですよね。でもそれまだ40年ぐらいですよね。
今はスマホ革命ね。この液晶画面ね。これ液晶出てきた時も液晶は使いにくいとか言ってたんだけど今みんな液晶でやってるでしょ。
今、音声入力まだやり始めてる人少ないんだけどこれはもうキーボードから液晶画面そしてタッチパネルね。
そして昔はそのマウスもマウスっていうのも、だからなかったんだよね。
キーボードにマウスがくっついて、マウスもタッチパッドになったわけね。
それが液晶になって、それが今音声入力になって、これも全部インターフェースですね。
どういう入力、コンピューターとどこを通じて接触してやり取りするかっていうインターフェース革命ですけど、それがもう完全に音声入力になったという。
だから、そこの音声入力に文字起こしAI文字起こしがくっついて文字化されてね、外部脳として使えるようになったっていう、ここですよね。
だから語った言葉がそのまま本になる。語り本の世界。
もうこれこそまさに、今の技術革新の成果を生かすSNSの可能性を全部見せてくれる世界であって、みんながこれをいずれはやるようになるってね。
もうそういう確信がやってるうちに日々強まると。
しかもそれはまだみんな知らない。
何の話してんだかよくわかりませんね。ということでポッドキャストを始めて1年経ちました。
去年の7月4日に始めてそして8月3日にLISTENのホスティングが始まって、そのおかげで。LISTEN使い始めたのは実はそのポッドキャストを始めて半月ぐらいなんで、7月半ばぐらいからなんですね私ね。
それで文字起こしって言ったけど、まぁでも最初はちょっとやっぱり精度がイマイチだったんでもう修正してないんですね。最初の方のやつは。
それが精度が格段に上がってきたっていうことと、もう一個はやっぱりLISTENで文字起こしできるんで多少精度はその頃は不満もあったけれども、
とにかく自分の中の頭の中にあるものは全部吐き出そう吐き出せる外部脳になると思ったんで、番組がどんどん増えて増殖して。これは文字化する喜びですよね。
文字になる喜びっていうか文字になるから音声入力して文字になるからポッドキャスト配信してっていうことだったんだな。
文字にしたいことがあるから番組が増えていくみたいなそういう話でも完全に私の外部脳ですね。
としてSNSを使っているということで、外部脳としてのSNSと。
その脳の中にあることと対話する、ディアレクティクする方、そこに反応される方も時々ポツンポツンと見えるけれども、それは100%のホモ・サピエンスに伝わるようなことをやってるわけではないっていうね。
そもそもね。そんなことでSNSっていうのは何なのか何を目的にやるのかっていろいろあると思うんですけども。
やっぱり友達増やしたいとかね。そこであったかみのある交流がしたい。それはそれで大事なことだと思うしそれは僕も求めてるわけだけどそれだけじゃないぞというね。
SNSはね。ホモ・サピエンス。外部脳。脳と脳がつながるときみたいな。
そこにやっぱりそれが1%なくていいからね。1人2人3人いればそれがいいという。
そういうSNSですね。
まあ何話してるのかわかりませんが、SNSあれこれでした。最後はザ・冬一郎散歩のコーナーでお耳直しください。