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  2. 【0039】教員時代の忘れられな..

2022/07/12 
その生徒を担任したことで「選択の幅が広がることは幸せの度合いが広がることだ」と学びました。

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おはようございます。鶴岡慶子と花火と天気と、7月12日火曜日、日本の秋田県から発信しています。
昨日の配信では、私が学校の先生を退職する時の、その学校にいた校長先生とのお話、それを配信しました。
私が学校の先生だった時代の話を今日は少ししたいと思います。
印象的な子供がいます。その子の話を中心にしようかと思うんですが、私がいた学校というのは特別支援学校だったんです。
人事異動もあって、2校行きました。1校目は病弱というカテゴリーの学校、2校目は死体不自由というカテゴリーの学校でした。
1校目の病弱というのは、喘息だったりとか腎臓病だったりとか、いわゆる体育が難しいとか、不登校で地域の学校にはなかなか行けないけれどもということで、心の治療をしながらうちの学校に来るというような子供もいました。
2校目の死体不自由の学校というのは、いわゆるいろんな子供たちはもちろんいるんですけれども、車椅子の子供たちということで考えていただくと、もしかしたらイメージしやすいかもしれません。
一時的にうちの学校に来て、手術をした後、大けがが治って地域の学校に帰っていくという子供たちも多くいたんですけれども、中には知的の障害と併せ持っている子供たちもいたりして、私は両方の担任をしたことがあります。
非常に印象的な子供が1人いるので、その子のことを少しお話ししようと思います。
その子は脳性麻痺で、自分の思った通りに手と足が動かせないんですよ。うずい運動をしてしまうという子供でした。
車椅子を押すのは先生あるいは同級生が押してくれることもあります。
食べるとき、食事お弁当を食べるっていう時も、いわゆるアーンって言って食べる。
普段の授業も、中間テスト、期末テストっていう時も、ノートをまとめるのは先生。
もう1人、別の先生がその子につきっきりでノートを取るというようなこともしていました。
いや、この子のここは何とか直したいなと思う点があって、それは何かっていうと、
同級生の学習ノートを見て、何とか君のノートは汚いね、字が汚いねって言っちゃうところでした。
それも含めて、自分はうまくやれているというふうに思っちゃうところでした。
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いやいや、自分は不随運動があるので、全部解除してもらっているわけですよ。
解除してくれている人がうまくやってくれているわけです。
あなたが言うんじゃないっていうことをすごく思っていました。
2年間担任したんですけど、2年の間に劇的に変わる事件がありました。
その子が電動車椅子にチャレンジしたんです。
いや不随運動があるから、暴走してしまったらどうするんですか?という声もたくさんあったんですけど、
いや、自分で何かをやるっていうこと、頑張ること、同級生がやっていることってすごいことだったんだということを、
分かっていくんじゃないかと思って、そのチャレンジを応援することにしました。
車椅子を押しちゃえば早く下校させることができたり、
それからノートを私たちがまとめてあげれば早く進むっていうことはあるんです。
でもチャレンジさせるっていうと、すごい時間がかかることでした。
もう電動車椅子1メートル進むのに20分ぐらいかかっていることもありました。
だんだんだんだんだん早くなっていくんですけど、
でも本当にその道のりは長くて、その子がずっと進むのを見守っていると先生たちの会議に出ることができないっていうこともありました。
でもそのことは校長先生をはじめ皆さんに理解していただいて、
そして私あるいは副担任がそれを交互に見守るということをずっとしてきて、
そしてやがて自分一人で電動車椅子で教室から出入り口まで、
自分の力で私たちが見ていなくても進めるようになっていくんですね。
その時にかつてはなんとかくんのノート汚いねって言っていたそのなんとかくんのことを、
なんとかくんってすごかったんだねと言ったんです。
これはすごい私は嬉しい言葉でした。
時間をかけて人が育つまで待つっていうことはすっごく大変なことで、
もうできる私たちがやっちゃった方が早いし、もしかしたらきれいにできるし、
例えばお仕事の中でもあると思うんですけれども、
でも認めて励まして見守って待つっていうこと、
それがその子の電動車椅子の技術だけじゃなくて、心も変えてしまったんだと思いました。
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教育ってすごいってその時強く思ったのを覚えています。
電動車椅子が自由に操作できるようになった彼は、
ちょっとあそこまで行ってきますと言って、自分で好きな時に好きなところに行けるようになったんです。
それまでは先生あそこに連れて行ってくださいと言っていて、
もしかしたら遠慮する場面もたくさんあったと思うんですけど、
自分でできるようになったらちょっとあそこまで行ってきますと言って出かける。
そして出かけていく過程で、やっぱりこっちにも行ってみようかなとか、
そういう自分で選択ができるようになったんですね。
その選択の幅が広がるっていうことが、
彼の生きる力になり幸せの度合いが広がるっていうことだったんじゃないかなって強く思いました。
教育ってすごいですよね。
そんな教員生活を送っていました。
私も頑固だったんでしょうね。
本当に誰もが無理でしょうって言ってた、彼の電動車椅子チャレンジ。
できた時には本当にたくさんの人に大きな喜びを与えるものでした。
もしかしたらこれやってみたいんだよねって思ったことが、
周りの人から無理でしょうとか、そんなことして大丈夫なのって言われることってたくさんあると思うんですよね。
でもそれでも前に進むということ、そして行動すれば次の現実が見えてきますから、
その見えてきた現実にまた向き合って、じゃあ次進もうっていうふうに思ったらいいんじゃないかなって思います。
ちょっと長くなりましたけれども、今日もお聞きいただきありがとうございました。
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鶴岡稽古でした。
08:25

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