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おはようございます。鶴岡慶子です。この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。司会やナレーションを通じて日々感じたことなどを語る声の日記です。日本の秋田県から毎朝更新しています。
少しでも安全な場所で命の助かる可能性の高い行動をとるように。昨日繰り返し伝えられた命を守る行動を、という呼びかけです。
災害警戒レベルの高い地域
昨日は山形県の阪田市と湯沢町には、一時大雨特別警報が出されたほか、秋田県の日本海沿岸の南部、百里本城市で警戒レベルが最も高い緊急安全確保が出されました。
気象予報誌の横のつながりの中では、降水の予報が予測よりも続いている状況で大変だよ、というようなことで、尾物川も夜遅く増水しそうだよね、という話もしていました。
コンピューターの計算結果では、もうすぐこの雨は止むだろう、というふうに結果が出ているのに、実際はどうかというと降り続く、こういうのをやむやむ詐欺の状況と言ったりするんですけども、まさに一昨日は、これはやむやむ詐欺の状況だよね、という話をしていました。
一旦コンピューターが雨が止むと予測しますと、それをもとに川の水位の予測も影響を受けますので、水位があたかも低くなるように予想が出ていたんです。
でも他の資料を見ると、これはやむやむ詐欺だから、実際は増えるんじゃないか、とも言っていました。
私はコンピューターの予測結果を、それって本当かな、というふうに疑う材料があまり自分の手元にはなかったので、去年の秋田市の大雨の時のような注意喚起は旧TwitterのXでするのみでした。
ですからこの配信の中で、昨日の配信の中ではお話ができなかったんですよね。
空振りでもいいから、あっちでもこっちでも注意喚起をするべきだったなって、今思っています。
じゃあ実際秋田県、山形県の大雨、どうだったのかというと、ご承知の通り、百里本城市の東百里では3時間に100ミリを超える雨が降って、小吉川の支流の石澤川が、昨日の未明に氾濫しました。
24時間雨量は百里本城市東百里で、昨日の午後2時半までに238.5ミリ。
湯沢市では、昨日午後4時20分までに210.5ミリで、いずれも平年の7月1ヶ月分の雨量を超えて、統計を取り始めてから最も多くなりました。
去年の秋田市での記録的な大雨、4月14日から16日まではどのくらいの雨だったのかって言いますと、24時間雨量は秋田市2別332ミリ。
さらに48時間雨量となると秋田市2別415ミリでした。
その降水量で災害の起き地さえは決められないんですけれども、例えば秋田と九州では全く違いますからね。
なれているかなれていないかってずいぶん違う話になりますので、秋田市で去年20時間雨量が300ミリを超えていた。
そして湯本城市湯沢市の昨日は200ミリを超えていたって100ミリ以上の開きがあるんですけれども、それは単純に決められないんですね。
大事なことは統計を取り始めてから最も多くなったっていうところです。
ということは今まで経験がない、経験をしたことがないような雨だったっていうことなんです。
天気図の比較と注意喚起
改めて昨日の天気図と昨年の秋田市に記録的な大雨をもたらした天気図を比べてみますと、どっちがどっちやらわからなくなるぐらい同じような気圧配置でした。
現在は台風3号が秋田から見ると南西方向にありますけれども、昨年は熱帯低気圧が同じような場所にありました。
台風って熱帯低気圧の親分みたいなもんですから、同じようなところにそれがあるってことですね。
それから太平洋高気圧の張り出し方も非常に似ていて、その張り出し方によって前線が南北に少しずれているだけで、
昨年よりもちょっと南にずれたことで、今回は秋田市ではなくちょっと南に同じような雨をもたらしたという感じに見えました。
ゆりほん城市や湯沢市では今後も雨が降り続く予想で、
今日夜までの24時間に降る雨の量は多いところで150ミリと予想されていますので、降り始めからの雨の量がさらに増える、そんな恐れがあります。
そうなるとこれまでの大雨で氾濫している河川がありますし、地盤の緩んでいるところもありますので、
今日夕方にかけて河川の増水とか氾濫に最大限の警戒をするっていうことはもちろんなんですけど、土砂災害とか低い土地の浸水に厳重に警戒なさってください。
さらに言いますと、明後日、日曜日ですね28日、日曜日は前線というよりは低気圧の影響で東北全域で雨の予報なんですね。
特に秋田県の沿岸や山形県の省内では大雨の恐れがあります。
ということは昨日と同じような場所っていうことですね。
どうぞ安全にお過ごしください。
そして交通機関にも大雨の影響は出ていますし、これからもちょっと出ていくと思いますので、最新の情報をチェックなさってください。
この配信はアップルポッドキャスト他各種プラットフォームでお届けしています。
ではまた明日もお会いしましょう。
鶴岡慶子でした。