熊川哲也さん率いるK-BALLET TOKYOの「パリの炎」の演出・再振付の宮尾俊太郎さんの言葉に震えました
曰く
"ただ、単に悲劇の物語を届けたいわけではない。この作品においても「愛」は確かに存在している。恋人への愛、家族への愛一それは教いと言ってもいい。
そして何より、バレエには、人間の業や悲劇を描きながらも、それを美しく見せてしまう力がある。「ジゼル」も「白鳥の湖」も「ラ・バヤデール」もそうだ。
だから僕も、この「パリの炎」をそうした「浄化」という地点まで持っていきたいと思っている。
光があるから闇が深くなる。その振幅の先にこそ、芸術のカタルシスは生まれる。
自由を求める人々の情熱、時代に翻弄される個人の運命、そして熱狂の裏にある狂気--。それらすべてが、理屈を超えた”本能の叫び"として皆様の感性に届けば幸いだ。"
ここから私は思いました
1、言葉では表現しきれない感情がある
2、身体が理屈を超えた本能を叫ぶ
3、バレエという型が全てを美しく魅せる
1、言葉では表現しきれない感情がある
激動のフランス革命における、革命を起こす民衆と、君臨する貴族との、各々の心の葛藤は、あえて言葉にするならば、愛、情熱、狂気、業、悲劇、、などとさまざまな感情が入り乱れ、とても一言では語れないもので
しかしそれは、言葉にしてしまうと、わかりやすくはなるのだけれども、とても単純化されて伝えきれないものなのかもしれないなあと思いました
この「パリの炎」は、全幕で上演されるのはロシア以外ではとても限られていて、かつ古典作品をそのままなぞるのではなく、宮尾さんの思いを加えて際創造されていたバレエは
言葉がない分、各々の感情の起伏や爆発が、多数のバレエダンサーの踊りによって、かつそこに奏でられる音楽によって
観ている観客の一人一人に説明できない感情を巻き起こしてくれていると思いました。
人にとって、音楽と踊りというのは、原始的な官能を最も揺さぶってくれる、逆に言えば、我々の感情は、言葉なんかでは到底説明ができない
パッションの源も本当は言葉なんかにできるはずもない、本来はそういうものなんだということを改めて教えていただいた気がしました
2、身体が理屈を超えた本能を叫ぶ
鍛え抜かれたバレエダンサーの信じられないほどの素晴らしい身体の動きを見ると
伊藤亜沙さんの、技術習得のパラドクスを思い出しました
逆上がりや自転車など、一見、人間の理屈では理解できないことを、体が先に習得してしまうことがあるということですが
まさにバレエダンサーの動きは、理屈ではそんなことはできっこないという驚きの動きの連続で
だからこそ、そこに培われた時間と情熱も含めて、その動きに、理屈を超えた本能的な叫びのようなものを感じることができるのかもしれないなと思いました
一長一短では決して表現することができないことを、頭ではなく身体で少しずつ身につけていった、その先に、自らのパッションを爆発させることができる、言葉を超えた、本能の表現ができるようになる、そんなことを感じました
3、バレエという型が全てを美しく魅せる
そして、この美しいバレエという美しい型があるからこそ、通常であれば直視できないほどの悲劇も、美しさのベールを纏いながら、伝えていくことができる
それは、ローディの感情教育のように、本当にある悲劇や大変な事実を、それでも伝える必要がある際に、とっても効果的に表現し、歴史に刻むことができる
そこには野暮な言葉や、勝手な解釈が入る混む余地がない、バレエダンスという究極の方法によって表現し
それを観客の人たちが各々の想いとして持ち帰ることができる
それは後世の人たちへのメッセージであるとともに、さらにそのメッセージをどのようにさらなる後世へ伝えるために、どのようにアップデートしていくか、ということも我々に問われていることなのもかもしれないと思いました
ということで、一言で言えば
理屈を超えた本能の叫びノベーション
本当に素晴らしい感動を頂けました
そんな話をしています
参考:バレエ Daiwa House. PRESENTS TETSUYA KUMAKAWA K-BALLET TOKYO SPRING TOUR 2026 https://www.k-ballet.co.jp/performance/2026flamesofparis.html
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