楠木建さんが紹介してくれた、ビートたけしさんの言葉に、センスとスキルの違いについて、とても考えさせられました
曰く
"「バカ」と「間抜け」は似て非なるものだというのがビートたけしさんの論点です。
「バカ」にはつける薬がない。どんな状況であろうとバカはバカ。ところが「間抜け」は違う。一定の認知能力はあるかもしれないが、「間」が悪い。間を外してしまうのが間抜け。
つまり、バカは状況や文脈から独立した「オールウェイズ・バカ」であるのに対し、間抜けは文脈依存的であるというのが彼の主張です。
この二つの区別がなぜ重要かというと、「バカ」とはスキルの欠如、「間抜け」とはセンスの欠如だと理解できるからです。"
"どうすれば間を外さずに済むのか、ビートたけしさんは「客の前に出ていかないヤツは絶対にダメだ」と言います。いくら一人で練習していてもダメ。あらゆる芸事は人前でやらなければ身につかない。たった三人でもいい。客の前に出て芸をやることが大切だというのです。"
ここから私は思いました
1、センスは人間らしさ
2、センスは磨ける
3、センスのイノベーション
1、センスは人間らしさ
私は、自己紹介の時に、先祖代々の言い方として、「残酷の残に、間抜けの間の残間です」とよくいうのですが、「バカ」と「間抜け」にこんな違いがあるのかということが、まずは目から鱗がおちる思いでした
なんとなく、バカは直接的で、間抜けの方が少し可愛げがあるかな、くらいしか思っていなかったのですが、スキルとセンスの違いと言われると、とても腹落ちする気がしました
そう考えると、センスというのは、人間らしさ、とも言えるのかもしれないと思いました
例えば、これからAIで漫才をやらせる時代が来たとしても、お互いの呼吸や、会場のお客様のあたたまり具合を見ながら、ツッコミのタイミングを変えたりというのは、学習しきれないのではないかと
過去のギャグやツッコミの種類というスキルは、人間以上に発達させていくことができても、その場にいるお客様に、合わせて大爆笑をとれるのは、人間しかいないのかもしれない
間というのは、人間というように、人と人の間にあるものなので、アドラーが人の悩みは人間関係に帰結すると言われているように、例えば漫才のようにこの関係性をその場で構築していくことは、AIが進化しても、人間が磨く価値になるのかもしれないと思いました
2、センスは磨ける
今回のお話からの、もう一つの学びは、センスは磨くことができるというお話で、とても勇気をいただくことができました
そしてそれは、畑村洋太郎さんの言われている、三現主義のように、現場、現人、現物に触れる等いうことなのだなあと思いました
AIは、今の所、体がないので、現場、現人、現物触れることができないということを考えると、これも極めて、人間がAIにはできないこととして、意識して育てていかなければならないことかもしれないと思いました
イノベーションの世界でも、それらしいアイデイアや、提案資料は、AIから容易に出してくることができるようになっていますが
せいぜい、最初の叩き台としてはあるかもしれませんが、お客様との関係性の中で、本当に行動変容を起こせるものというところには、辿り着けないのも、センスと三現主義が必要だから、というように改めて思いました
3、センスのイノベーション
そう考えると、これからは、より、人と人の間にある、間を、いかにうまく構築していくか、または、間抜けに陥らないように、間をいかにブラッシュアップしていけるかということが、人にとっての大きなイノベーションの種になるのでは、と思いました
スキル面では、AIが圧倒的なスピードで、しかもあらゆる種類のスキルを凌駕していく中で、人がそれを使いこなしながら、新しい価値を、人と人の間に作っていくかは、このセンスにかかっている
そんなセンスを高めるための、または適切に発動させるための、イノベーションが人に求められていくのではないかと思います
それはもしかしたら、人と人の間だけに限らず、組織と組織、国と国、さらには、人と自然というような間の関係性を、どう間抜けにしないかという、センスまで問われる気がします
スキルはAIに任せて、人間は、あらゆるセンスを徹底的に磨いていく
一言で言うと
センスノベーション
がとても大切になっていくのではないかと
感じさせていただきました
そんな話をしています
参考:本:知的生産のセンス 2026年8月25日 1版著者 楠木建、山口周 株式会社日経BP 日本経済新聞出版
参考:本:ビートたけし『間抜けの構造』新潮新書、2012年
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