マイケル・サンデルさんの、言葉に深く考えさせられました
"人はその才能に市場が与えるどんな富にも値するという能力主義的な信念は、連帯をほとんど不可能なプロジェクトにしてしまう。いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか?
その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。
自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ、こんなふうに思うのではないだろうか。
「神の恩寵か、出自の偶然か、運命の神秘がなかったら、私もああなっていた」。そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ。"
ここから私は思いました
1、私は私と環境である
2、自分はついてると言えているか?
3、もらった運を繋いでいく
1. 私は私と環境である
スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットが
「私は私と私の環境である。」
と言われたことを思い出しました
生まれた時代、育った家庭、出会った人、健康、社会、そして自分を必要としてくれる市場。そのどれが欠けても、今の自分にはなれなかったと思います。
私が大企業に入れたのも、その中で切磋琢磨させてもらえたことも、あの時、もしあの人がいなかったら、もしあの出会いがなかったら、そんなことばっかりです。
もちろん、その逆のこともあったのかもしれません。
でも今ここに少なくとも言えるることは、私だけの力ではありえない、ということかと思います
だから実力とは、自分だけのものではないのだろうかと
自分の努力と、自分を育ててくれた環境が重なり合って初めて生まれるものなのかもしれないと思いました
2. 自分は「ついてる」と言えているか?
経営の神様・松下幸之助さんには、採用面接で
「君は運がいいと思うか?」
と尋ね、「運がいいです」と答える人を採用したという有名な逸話があります。
「私はついています」と言える人は、自分だけの力で生きてきたとは思っていないということ
支えてくれた人との出会いも、失敗から学べた経験も、「運が良かった」と受け止めて、決して自分1人ではできることではなかったと思えているか
サンデルさんが語る「謙虚さ」とは、まさにこの姿勢のことかもしれないなあと
実力を誇るのではなく、運に感謝できる人ほど、本当に実力のある人なのだという気がしました
3. もらった運を繋いでいく
そんな風に、自分についてくれた運を振り返ってみると、間違いなくたくさん応援してくれたから今がある
だとすると、それをもし、他に人にも同じように自分が運を与えることが少しでもできたら
自分よりもより遠くへ飛べる人が出てくるのではないか
自分が生涯に遺すべき遺産は、誰かに一握りの運を繋いであげることなのかもしれないなあと思いました
例えば
挑戦する人たちを応援すること。
若い世代に選ぶ選択肢を見せてあげること
失敗した人に、もう一度立ち上がる場所を残すこと。
そうして、自分が受け取った幸運を社会へ返していく。
オルテガが「私は私と環境である」と語ったのなら、その環境をより良くして次の人へ渡すことも、私たちの責任なのかもしれないなあと思います
実力を競い合う社会から、運をつなぎ合う社会へ。
一言でいうと、
運を繋いでいくノベーション
そんな話をしています
参考:本:マイケル・サンデル 実力も運のうち 能力主義は正義か? 二〇二三年九月十五日 電子書籍版発行 著 者 マイケル・サンデル 訳 者 鬼澤 忍 発行所 株式会社早川書房
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