ピューリッツァー賞受賞ジャーナリスト兼小説家のジュリア・ケラーさんの言葉に、深く考えさせられました
曰く
"唯一の絶対的な間違いは、何も選択しないこと。何も選択しなければ、誰かに人生を決められることになるだけだ。
科学者や学者、歴史家、そして多数の一般の人への「やめること」についてのインタビューを通じて、はっきりと浮かび上がったことがある。
人が後悔するのは、何かをやめたことではなく、「やめるべきときにやめなかったこと」なのだ。"
"私は、世間の「やめること」に対する偏見が、どちらの方向からも、なくなればいいと願っている。
つまり、やめるべきことをやめられなくてもひどい人間とは見なされず、やめられたとしても、それが過度にもてはやされたりはしない社会になればいい、と。"
ここから私は思いました
1、諦めるな、と、やめるべき
2、辞める辞めないが自由な世界
3、自らのパッションに従える世界
1、諦めるな、と、やめるべき
私も成功した起業家が必ずいう言葉として「諦めなかったから」ということを、お話しさせて頂くこともあります
でもそれは、時と場合によっていて、「辞めるべき」時にやめないことも、良くない結果になるという、一面も知っておくことが大切だと思いました
名言や金言には、必ずその反対の意味の名言や金言が、必ずあってというお話しは、先日もしましたが、その時々のコンテキストによるということが大事かと思います
心理学者のエイブラハム・マズローは、
「もし手元にある道具がハンマーだけなら、あらゆるものが釘に見えてしまう。」
という趣旨の言葉を残しています。
ふと立ち止まって、道具はハンマーだけじゃないと気づけたら、他の選択肢も見えてくる、そういうことなのかもしれないなと思いました
2、辞める辞めないが自由な世界
途中で辞めることは、負け犬と言われるんじゃないか
たくさんの人に応援してもらっているから今更辞められない
あそこで辞めたことが、自分は続かない人間だと思われているに違いない
これらは、私としてはよく考えてしまうことです
そして、実際に、世間の中の常識として言われていることも確かにあると思います
でも考えてみると、これらは。すべて人からどう思われているか、という他人軸からの見え方を気にしている、ということのように思います
それが、自分の自由な決断に影響を与えてくる
そこがとても難しいことだよなあと思います
3、自らのパッションに従える世界
それを跳ね返すことができるのは、自らのパッションの源に沿って生きられている、という自分しかないような気がしました
世間体という判断からは、そう言われるかもしれないし、確かに言われていると思う
そんな状況になったとしても、これが自らのパッションの源に沿う道筋だということに確認をもてれば、最後は自分を支えてくれる気がします
例えば、スタートアップを始めたとして、それがうまくいかなくて、そこで一旦清算したとしても
「なんで諦めるの?」「諦めちゃうまくいかないよ」と言われていたとしても
それこそが、自らのパッションの源に従ったのだとしたら
それは、Fast Failで、次なる道への礎になったと言えばいいし
逆に、何度も何度もやり直しても、それでも全然うまくいかなかったとして
それでも、自らのパッションの源は、それをやり続けることにワクワク感をずっと感じているのだとしたら」
「そろそろ諦めなよ」「絶対ピボットしたほうがいいよ」
と言われていたとしても、いつかくる時がくる、と言い続けていればいい。
それを、自由に選べる世界
誰かに言われたから、世間的にそうだからということに、影響されずに
自らのパッションの源に従っていける
そしてそれだったら、応援するよ、と言ってくれる世界
そんな世界が素敵なのかもしれないなあと思いました
ということで、一言で言えば
辞める辞めないが自由な世界ノベーション
そんな話をしています
参考:本: 日経ビジネス人文庫 やめる 最良の人生戦略 電子書籍データ作成日 2026年6月3日 第1版 著 者 ジュリア・ケラー 訳 者 児島 修 発 行 株式会社日経BP 日本経済新聞出版
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