映画『ウィキッド 永遠の約束』は、期待をはるかに超えて、大号泣と感動の嵐でした。プログラムから、監督、ジョン・M・チュウさんの言葉に、"仲間"の存在について考えさせられました
曰く
「ふたりの世界観が完全に対立し、どちらかが相手を倒さなければならなくなるのです。そうした状況での友情とは?
同時に本作で描かれるのは自らの人生を守りたいという気持ちと、人を愛する気持ちとのせめぎ合いです。そこに善悪の葛藤も加わります。
本来の自分になる勇気を愛する友が持てずにいる時、どの時点で助けるのか。それとも見捨てるのか。
本作ではこうした疑問が友情の醜さと美しさの中に描かれています。どこか悲しくて、ほろ苦い友情を通してね。
そして、美しい歌とダンスを通じて描かれるのは、ふたりの女性の成長と真実を知った時の姿です」
ここから私は思いました
1、対立が関係を深める
2、相手をそのまま受け入れられるか
3、二度と会えなくても続く友情とは
1、対立が関係を深める
実は、ぶつかることは、関係の終わりではないのかもしれないなあと思いました。
むしろ、ぶつかることで、初めて相手の輪郭がはっきり見えてくることもあるなあと
ドイツの社会学者・哲学者のゲオルク・ジンメルは『社会学』の中で、「対立」や「闘争」をネガティブなものとしてだけでなく、関係を生み出し、維持する力として捉えてます。
良い魔女と悪い魔女と、レッテルを貼られた2人は、何度も対立をせざるを得ない状況に追い込まれながらも
さらに強く強固な友情が生まれていった、そのことを思うと、個人や組織や国の対立、紛争も
だからこそ分かり合える、良い機会が訪れていると、ポジティブに捉えることで、新たな道筋を描くこともできるかもそれない
そんなことを教えてくれてるような気がしました
2、相手をそのまま受け入れられるか
相手が何か間違ってることをしてると思う時、相手を思うほど、「変わってほしい」と願ってしまうことがあるなあと思います
でも、それは本当に相手のためなのか、少し立ち止まって考えたくなりました
臨床心理学者のカール・ロジャーズは、人は本来、自ら成長しようとする力(自己実現傾向)を持っていると主張し、
その成長を支えるために重要な一つが、無条件の肯定的関心(相手をそのまま受け入れる)ことにあると言われてます。
仲間や例えば子供についても、手を差し伸べることも必要ですが、その人のままでいることを認めることもまた必要なのかもしれない
相手を変えることではなく、
相手が自分で選ぶことを信じられるかどうか。
本当の仲間としてどう接すべきなのか、とても難しいけれども、問い続けなければいけないなあと思いました
3、二度と会えなくても続く友情とは
物理的に会えなくなることが、友情の終わりだとは限らない。そんなメッセージを頂いた気がしました
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは『星の王子さま』の中で、「大切なものは、目に見えない」と有名な言葉を語っています
それは、距離や時間では測れない友情の在り方も示してくれているような気がします
一緒に過ごした時間が終わっても、それまで懸命に本気でぶつかり合い、対立し合った、その人との関係は、必ず自分の中に残り続ける。
いま、会えないという事実よりも、
どう関わり、何を受け取ったか。
それは、目に見えない大切な物として、残り続けている
それこそが本当の友情、仲間、繋がり、そんなことを教えて頂いた気がしました
対立しても、ぶつかっても、二度と会えなくなってても
自分の中に残っていたら、それは、きっと本当の関係だったということ
一言でいうと、仲間とは、友情とは、ぶつかり合った分だけ、距離や時間を超えて、自分の中に生き続けるものなのかもしれない
対立するからこそノベーション
そんなことを思わせて頂きました
参考:映画 Wicked 永遠の約束 出演:シンシア・エリヴォ アリアナ・グランデ他 監督:ジョン・M・チュウ 脚本:ウィニー・ホルツマン and ウィニー・ホルツマン&デイナ・フォックス 製作:マーク・プラット デイヴィッド・ストーン 原作:ミュージカル劇「ウィキッド」〈作詞・作曲:スティーヴン・シュワルツ 脚本:ウィニー・ホルツマン〉 / グレゴリー・マグワイアの原作小説に基づく https://wicked-movie.jp
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