能楽師の安田登さんの、「論議」の新しい解釈に、衝撃をいただきました
曰く
"たとえば『論語』の中でもっとも有名な言葉である「四十にして惑わず」(為政篇四)の「不惑」。この語でいえば「惑」という字が孔子の時代にはありませんでした。
「惑」という漢字がないということは、少なくとも孔子は「惑わず(不惑)」とは言わなかったということになります。"
"と、見つかるのが「惑」の下の「心」を取った「或」の字です。"
"すなわち「或」とは、境界線を引くことによって、ある場所を区切ることをいいます。分けること、限定することです。となると「不惑=不或」とは、「自分を限定してはいけない」という意味になります。"
ここから私は思いました
1、歴史は改変されてるかもしれない
2、「惑わず」ではなく「解放する」
3、解放するから、天命を悟る
1、歴史は改変されてるかもしれない
「論語」というと名著中の名著で、疑うことなど、1ミリも思わないですが
実は言葉の成り立ちから考えると、違和感が実はある。ということに、安田さんが切り込んだことがまずは衝撃でした
これは、イノベータは、みんなが正しいと思っていることに、いかに問いを立てることができるか、アジェンダシェイパー足りうるか、ということを、思い知らされました
名著と言われているものは、何千年も受け継がれてきているからこそ、名著たる所以である、と思っていますが
みんなが、そんなところに、間違いがあるはずがない、と思っている、聖域やタブーの中にこそ、真の課題が潜んでいる
またしても、自分のバイアスには、本当に争うことができないことを、とことん突きつけられた思いです
そういう意味では、自分1人では、バイアスに争うのは限界があるなあと思います
だからこそ、仲間の意見や、人本旅のセレンディピティに合う活動だから、新たな気づきや、問いを持つ必要があるなあと思いました
2、「惑わず」ではなく「解放する」
さらに衝撃的だったのが、意味合いが全く変わってくるということです
多少の違いなら、エラーが入り込んで伝承が少しずつ変わってくることはやむを得ないと思いますが
ここでは、全く逆の意味合いのことを、述べていたことがわかったという、ことになります
論語からは、俺も40歳くらいになったら、自分の生きる道が見つかっているんだろうなあと、思っていました
しかし、現実の今を考えると、全く生きる道が、一つに定まっているとは言えない自分がいます
だから、ポンコツだよなあ、オレ、とも思っていましたが、逆なの?それ?
だったら、今のオレでいいってこと?ますます、自由に異論かことがやりたくなっちゃってるんだけど、大丈夫ってこと?
と、思わず、喜んでしまった私がいました
まあ、とっくにその年齢は過ぎてしまっているわけではありますが
3、解放するから、天命を悟る
「論語」では、ご案内の通り、五十にして天命を悟ると、続きます
これまでの解釈では、四十にして惑わず、から続いていたので
四十で一つの道が見つかり、それが五十にして天命だと悟る、という意味だと思っていました
でも、新解釈では、四十にして解放し、五十にして天命を知るとなります
つまり、四十からは、自らを解放し、様々な可能性を追求したところから
初めて五十にして天命を知るということなんだと、全然違う生き方への示唆になることに、感動しました
これは言ってみれば、Fast Failのように、とにかくいろんなことに挑戦するからこそ、失敗を重ねるからこそ、本当にゴールに近づくことができる
まさに、イノベータ的な生き方を説いていただいているように感じました
自分は、その10年遅れではありましたが、独立という新しい挑戦を初めて、6年目
この挑戦を続けていれば、天命がわかってくるのかわかりませんが、方向性は間違っていないと、教えていただけているような気がしました
ということで、一言で言えば
解放するから天命を知るノベーション
そんな話をしています
参考:本: すごい論語 発行日:2021年8月10日 著 者:安田登 発行所:(株)ミシマ社
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