片桐はいりさんが、今現在、映画館のもぎりをしている理由に、深く感度させて頂きました
曰く
「自分の出自を問われたら、『映画館の出身』と答えたいです。俳優としての経歴を考えれば、『大学時代から小劇場の舞台に立ちまして……』と言うのがスジかもしれません。でも心の底では、演劇でもドラマでもなく、私は映画館の出身だとかたくなに思っています」
「中学から女子校に通っていたのですが、学校生活や勉強に馴染めなくてね。唯一楽しかったのが、学校が催してくれた映画鑑賞会です。放課後には、おカネが許す限り有楽町や銀座の映画館に通っていました。内容はなんでも良かった。映画館で作中の別世界に入り込むことが、たまらなく面白かったんです」
ここから私は思いました
1、パッションの源を忘れない
2、創る側と観る側の気持ち
3、パッションの源への恩返し
1、パッションの源を忘れない
片桐さんが言われた
「自分の出自を問われたら、『映画館の出身』と答えたいです。」との言葉から
自分の出自を聞かれたときになんで答えるかなあと思いました
会社に入って、新しいビジネスをいろいろ作ってきて、オープンイノベーションにたどり着いてきたものです
みたいな感じに、私の場合、経歴を時系列に言っちゃうのですが、片桐さんは、自らのパッションの源がどこだったか?
ということを、あえて出自に言うと言う意味で、とても素敵だなあと思いました
自分の今に至る内発的動機の元はどこにあったのか?
それを出自として語る、それは、自らのパッションの源を確認することでもあり、そして、他の人にもそうみてほしい、というメッセージでもあると、思いました
2、創る側と観る側の気持ち
よく言われるように、アートは、創る側から発信されて、観る側がそれを各々が解釈されることで、完成する、とのことですが
片桐さんは、映画人・演劇人としての創る側と、そして映画館のもぎりとしての観る側の感情を、両方ともに、わかる人となってるんだなあと思いました
これは、デザインシンキングにおける、見る側の人たちが、どんな思いでチケット買って、もぎりを通って、始まるまでの暗い中でワクワクして、ポップコーン食べながら、泣いて笑って、そしてリアルに戻っていく
と言うような観客側の気持ちや行動や課題感を、共感として理解できることを常にやられていると言うことかと思います
それは、恐らくは、クリエイティブに戻ったときに、その気持ちを理解しながら創ると創らないでは、全くものが変わってくるのではないか
片桐さんの、映像や舞台での演技には、それが反映されているからこそ、唯一無二の感動を頂けてるのかもしれないなあと思いました
3、パッションの源への恩返し
自分が今ここにいるのは、奇跡的に会社に入らせて頂き、さまざまな人と出会わせて頂き、仕事を厳しく指導して頂き、愛を持って仲間に加えてもらえた、そのおかげだと思います
そして音楽活動も、小さい頃からピアノを学ばせてもらえて、めちゃくちゃ素敵なメンバーに巡り合って、音楽できる環境があって、今できている
それらに対して、何らかの恩返しをしたいと言う気持ちは、とても強いものがあると思います
自分がワクワクさせれてもらえた、今の自分を創り上げてくれた全てのものや人に、恩返しをして死ぬこと
もしかしたら、それが1番幸せな生き方なのかもしれないなあと思いました
片桐さんが、映画館でもぎりをやられているように、自分も、何かできることで恩返しをしたい
それは、まさに、内発的動機への恩返し、パッションの源を形作ってくれたものたちへの感謝
イノベーターリップルモデルは、パッションから始まり、仲間と共に、誰かが喜ぶ大義を実現しますが
その大義の中には、これまでの仲間や、パッションの源に対する感謝を、実現したいと言うことが、たくさん含まれていると思いました
と言うことで一言で言えば
パッションの源への恩返しノベーション
そんな話をしています
参考:FRIDAY DIGITAL 「もぎりも担当」片桐はいりが今も映画館で働き続ける理由 2020年11月27日
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!