映画『アイ・アム・サム』に、人間の能力とは何なのか、深く考えさせられました。
あらすじは、こんな感じです。
「知的障害のある父サムは、一人娘ルーシーを育てていましたが、養育能力を問題視され、娘と引き離されてしまいます。サムは娘と再び暮らすため、弁護士の力を借りながら闘っていきます。」
ここから私は思いました。
1、能力とは何か
2、弱さは、つながる力になる
3、愛する能力
1、能力とは何か
学校も会社も就職も、様々な試験によって「能力」を測られるので、それに合格するために必死にみんな頑張っているんだと思います
確かに提供すべきサービスを、サービス提供者になったら、きちんと提供する必要があるので、それは必要なことなんだろうとも思います
そんな世界では、サムには、できないことがたくさんあります。
けれど、娘を愛するという「能力」においては、彼は誰にも負けないものを持っていました。
ここに、この映画が突きつけてくる大きな問いがあるように思います。
そもそも、人間の能力とは何なのだろう。
測りやすい能力だけを「能力」と呼んでしまった瞬間、私たちは、人間にとって本当に大切な「能力」を見失ってしまうのかもしれないなあと思わせて頂きました
2、弱さは、つながる力になる
サムは、一人ではルーシーを育てられないから、周りの人たちに助けてもらいます。
普通なら、それは親としての「弱さ」と評価されるかもしれません。
ここで、戸谷洋志さんの『弱い責任』という考え方を思い出しました。
私は、自分でできないからこそ、積極的に人に頼りに行くことが、本当に責任を果たすということになるのではないかと思いました。
「一人でできない」ということを認め、誰かの力を借りることも、一つの能力なのではないかと思いました。
弱さを隠して一人で抱え込むのではなく、弱さを開くことで、人と人との間につながりが生まれる。
サムの子育ては、一人の強い父親が娘を守る物語ではなく
弱さを持った人たちが互いに補い合いながら、一人の子どもを育てていく、つながりの物語にも見えました。
3、愛する能力
今回のお話から私が感じたのは、もしかしたら、人間が持つさまざまな能力の中で、最も根源的なものの一つが「愛する能力」なのかもしれない。いうことでした。
記憶力がいい人もいれば、頭の回転が速い人もいれば、人の気持ちを慮ることができる人もいる。
各々、背が高い人がいたり、筋力が強い人がいたり、走るのが速い人がいたり
身体と同じように「能力」も、人それぞれで得意なこと、不得意なことがあるのが、自然だし、それが特徴として、個性が生まれるのかなとも思います
そんな中で、もしかしたら、誰もが根源的に持っていて、そして最強な「能力」は、「愛する能力」なのかもしれないなあと思いました
そして、その「能力」を忘れずにいられれば、得意なことや不得意なことが違っていても、互いに補い合いながら生きていけるのではないか。
サムがルーシーに与え続けたものは、まさにそれだったような気がします
「できること」の量だけで測る社会から、
「誰かを愛することができる」という、数値化できない能力も大切にする社会へ。
イノベーションも同じなのかもしれません。
足りないものを探して人を排除するのではなく、その人にしかない力を見つけ、それぞれの弱さを補い合う。
そこから、今までとは違う社会の形が生まれてくるのではないでしょうか。
それは、イノベータリップルモデルの、誰かの「パッション」から、自分だけではできないところを「仲間」と共に補い合いながら、誰かが喜んでもらえる「大義」へと波紋が広がっていくのにも、呼応することかと思います
一言でいうと、愛する能力ノベーション。
そんな話をしています。
参考作品:映画『アイ・アム・サム(I am Sam)』2001年/監督:ジェシー・ネルソン/Amazon Prime Videoにて視聴
参考:戸谷洋志『生きることは頼ること――「自己責任」から「弱い責任」へ』講談社現代新書、2024
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