陸上競技選手、田中希実さんの『希わくばの詩』の言葉に、表現するとはどういうことなのか、深く考えさせられました。
曰く、
「私は走ることより先に、読むこと、書くことに目覚めました。」
「ただ、書くこともずっと自分のためであり、あくまで『読む専』の私は、読書感想文をはじめ、作文は大の苦手でした。
経験を重ねるにつれ、大人に評価される文の書き方はなんとなく心得るようになりましたが、自分の本当の思いを人に伝えるために文章を使ったことは、ほとんどありませんでした。
だからこそ、だんだんと走ることに目覚めていったのでしょうか。言葉を使わず、走りで心の奥の何かを人に伝えていくことを、選び取っていったように思います。」
ここから私は思いました。
1、天職は最初から天職じゃない
2、思いは全ては言葉にならない
3、思いを伝えるために天職がある
1、天職は最初から天職じゃない
日本記録を次々と塗り替えている田中さんが、最初から「走ることこそが自分の表現だ」と思っていたわけではなく、その前に、読むこと、書くことに目覚めていたということに衝撃を受けました。
私たちは天職というと、小さい頃から「これしかない」と思い続け、一直線に極めていった先にあるもののように考えてしまいます。
でも、もしかすると天職とは、最初から「これが私の天職です」と分かっているものではないのかもしれない。
いろいろなものに触れ、うまくできないことも経験し、自分の中にあるものをどう表現したらいいのかを探していく中で、後から天職になっていくものなのかもしれないと思いました。
2、思いは全ては言葉にならない
想いの全てを、言葉で、人に伝えるということは、とても難しいことだと、私も実感します
言語化の本などもたくさん出ていますが、それでも、どうしても言葉に変換できない思いというのは、あると思います
哲学者・科学者のマイケル・ポランニーは『暗黙知の次元』の中で、
「私たちは、語ることができる以上のことを知ることができる。」
と述べているように
人間の中には、知っているのに説明できないこと、感じているのに言葉にできないことがある。
これは私の場合は、音楽にとてもそれを感じます。歌詞だけでは伝えきれないことを、メロディやコード進行やアレンジで伝えることができる
もっと言えば、言葉がない、インストゥルメンタルの方が、感情を伝えてくれてるなあと、思うことも多々あります
それが、田中さんの場合は、走りだったということなのかなと思いました
3、思いを伝えるために天職がある
きっと、誰にも、言葉には、そんなもどかしさがあって、それを、何か別の表現方法で伝えたいと思うことは、たくさんあるんだなあと、改めて思いました
きっと、その人が、懸命になっている姿、そこには、なんであれ、メッセージがある
そのメッセージに、言葉以上の感動をもらうのかもしれないと思いました
そして、それが、実は、その人の天職になっていくということも言えるのかもしれないと思いました
ランナーであれ、料理人であれ、音楽家であれ、アーティストであれ、教師であれ、職人であれ
自らの天職を見つけているような人は、実は、自分の言葉にならない思い、それをぶつける方法が見つけられた人、ということなのかもしれないと思いました
自分の天職とは、言葉では、伝えられない思いを、伝える手段なのかもしれない
天職を探すということは、自分なりの、誰かへのメッセージを伝える方法を探すということなのかもしれない
内村鑑三さんが、「後世への最大の遺物」でも、言われていた通り、誰もが持っている遺物は、その人の生き様である、ということにも、通じる話だなあと思いました
私も、自分の、言葉だけでは伝えきればい思いを、これからも、自分の生き様を通して、伝えられたらいいなと思いました。
ということ、一言で言えば
生き方が言葉になるノベーション
そんな話をしています
参考
・田中希実『希わくばの詩』世界文化社、2026年4月5日初版第1刷発行
・マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』
・内村鑑三『後世への最大遺物』
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