東北大学教授で宗教学者の谷山洋三さんが、死を前にして語られた言葉に、魂が震えました。
曰く、
「一人ひとりの命というものはその人自身が責任を持つべきで、つらいことも楽しいことも悲しいことも、ちゃんと本人が味わった上で、どう行動するのかというのは決めてほしい
もちろん全部ひとりで生きるという意味ではなくて、サポートが必要であればちゃんと他の人にサポートを求めることも含めて、本人が決めること
それが単純にその人自身が何らかの学びを得ること、だけどもその学びが同時に周りの人に波及すること、そうなれば一番いいなと
本当に自分がどうなっていくのか、その辺も含めて、楽しみですね
冷静なままでもいいし、泣き叫んでもいいし、どちらでもいい
やってみなきゃ分からないんでね
こればっかりは」
ここから私は思いました。
1.自分の命を引き受ける
2.周りの人の学びとなる
3.自分にとって未知のことへ挑戦する
1.自分の命を引き受ける
谷山さんは、終末期医療や災害の現場などで、人々の心に寄り添う臨床宗教師を育ててこられた方です。
そして、ご自身が重い病気と向き合う中で、学生たちに「私を研究対象にしませんか」と呼びかけ、自分自身の死生観や心のありようについて、対話を重ねてこられたそうです。
そんな谷山さんが、一人ひとりの命は、その人自身が責任を持つべきだとおっしゃっていることに、私は深く考えさせられました。
どんな命でありたいのか。最後の最後まで、自分自身に問い続け、そして自分らしい選択をしていこうとすること。
人にお話をするのと、自分自身がその身になることでは、私は違いがあるのではないかとも思います。
私なら、冷静にそんなことを考えられるだろうか。長年終末期医療に携わられてきた谷山さんだからこそ、できることなのかもしれないとも思いました。
でも、谷山さんは、だからこそ1人でそれをやらなくてもいいんだとも言ってくれています。それこそが、以前もお話しした、弱い責任、頼ることこそが、自分の命の責任を果たすということにも、つながるのかもしれないと思いました。
2.周りの人の学びとなる
まさに、臨床宗教師を育ててこられた方ならではのお言葉だなあと思います。最後の最後まで、自分を一つの事例としてまで、後進を育てようとされているのかと思いました
そしてもしかするとそれは、内村鑑三さんが「後世への最大遺物」で言われていたように、生き様を遺すということなのかもしれないとも思いました
イノベーターリップルモデルが、自らのパッションから始まって、仲間と共に、誰かのためになる大義を実現していく、この構造と同じように
谷山さんのパッションは、仲間に引き継がれ、さらに、最後の最後までも、誰かのためになろうとする大義に溢れているからこそ
きっとこのイノベーティブな思いや活動は、永遠に引き継がれていくのかもしれないと思いました。
そしてそれが、谷山さんの生きがいにもつながるのではないかとも思いました
3.自分にとって未知のことへ挑戦する
自分がこれからどうなっていくのかを、楽しみだといわれていることに、とても感動しました。
それは、さらなる挑戦をされているからなのかもしれないと思いました。
そしてそれを、「やってみなきゃわからない、こればっかりは」と何か、新しい趣味にでも挑戦するくらいな軽快さでいってのけているところが、何か私の心まで軽くしていただけたような気がしました
そう考えると、自分にとっても、何かに挑戦することは、基本的にワクワクすることなので、そういう発想の転換をされていることに、とても勇気をいただいた気がします
自分もそんなふうに、軽やかに、でも、自分に正直に、あるがままに、いられたらいいなあと思わせていただきました。
でもそれは、自分自身の命に対して、徹底的に向き合って、辛いことも、悲しいことも、楽しいことにも、自分で味わって、向き合ったからこそ、ある姿なのかもしれないと思いました。
ということで一言で言えば
命の責任ノベーション
そんな話をしています
参考
NHK Eテレ『こころの時代〜宗教・人生〜』
「生死(しょうじ)あるがまま 宗教学者・谷山洋三」2026年10月12日放送https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-X83KJR6973/ep/TFJJYP9GD9
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