ミュージカル『ミス・サイゴン』初めてみましたが衝撃を受けました。そのプログラムに掲載された、脚本・歌詞を担当したアラン・ブーブリルさんと、原案・脚本・音楽を担当したクロード=ミッシェル・シェーンベルクさんの言葉に、自分の信じる道を生きることの尊さについて、深く考えさせられました。
曰く、
「『ミス・サイゴン』の核となっているのは、戦時下に芽生えた、真摯で情熱的な、そして結ばれることのない愛の物語です。
危険が迫る状況のなか、愛を見出した二人一失望を抱えた米兵クリスと生き延びるため身を売ることを余儀なくされたキム。
二つの国の間に生じた行き違いが、若い二人の希望にどれほど悲劇的な影響を及ぼすのかが描かれています。
二人の人生は自分たちの力ではどうすることもできない、「戦争」と呼ばれる事態の展開によって引き裂かれていきます。」
ここから私は思いました。
1.戦争と人生の重み
2.本当の愛の形とは
3.信じる道を生きる尊さ
1.戦争と人生の重み
『ミス・サイゴン』を初めて観ましたが、『レ・ミゼラブル』と同じくらいの衝撃を受け、涙が止まりませんでした。
国という集団と集団が争うことの重みと、一人ひとりの人生の重みは、どちらが重いのだろうと、考えさせられました。
今でも、何万人もの犠牲者が出ていると、毎日のように当たり前のように報道されています。
しかし、そのうちのたった一人の人生にスポットを当ててみると、そこには想像を絶するような悲劇があり、数字だけでは決して見えてこないものがあるのだと改めて思いました。
人生には、自分の力ではどうすることもできないことが起こります。
それは確かにそうなのですが、本当に戦争は、どうすることもできないことなのでしょうか。
一人ひとりの人生をこれほどまでに翻弄するものを、仕方のないこととして受け入れるしかないのだろうかと、深く考えさせられました。
大きな目的のために、一人ひとりの人生が犠牲になっていないか。イノベーションも、社会全体の効率や利益だけでなく、個人の幸福から考える必要があるのではないかと思いました
2.本当の愛の形とは
人の幸せを願うことが本当の愛だとすれば、自分を犠牲にすることも厭わないというのは、一見とても美しく聞こえます。
しかし、本当にそれでよいのか。と思ってしまいました。
何かそれは、対立する関係の中で、どちらかを犠牲にしなければ成り立たない解決方法のようにも思えてしまう。
お互いを否定することなく、どちらかが犠牲になることもなく、第三の選択肢を模索する、アウフヘーベン。そんな愛のあり方はないものかと、思ってしまいます。
愛ほど素敵なものはないと思いますけれども、愛に人生の全てを賭けることだけを美しいとするのは、どこか思考停止しているところもあるのではないかと感じてしまいました。
そんなふうに考えるのは、私が本当の愛を知らないからなのかもしれませんし、単なるひねくれ者なのかもしれません。
それでも、愛を人生の全てにしなくてもよいのではないか、という気持ちを抑えることができませんでした。
3.信じる道を生きる尊さ
そこで思ったのは、自分が信じる道を生きられるかどうかが、大切なのかもしれないということです。
一途な愛を貫くことに最大の価値を置くのであれば、それを選ぶことが、その人にとっての幸せなのかもしれません。
一方で、自分の信じる道は他にあるというのであれば、たとえ世間から違うと言われても、それを貫こうとすることが大切なのだと思います。
誰かが決めた幸せの形ではなく、自分自身が大切だと信じるものを選んで生きる。
それが愛の形だろうが、なんだろうが、それに沿って生ききれたと思えることが、自分の人生を生きたということなのではないかなあと思いました。
様々な環境は否応なしに巻き込んでくることがあるともいますが、その中でも、一人が自分の信じる道を生ききる、それができれば、理想的なのかもしれないと思いました
それは実は、普段の生活の中からできることなのだけれども、普段の生活の中でさえ、自分の信じる道を生きることは難しいとも思ってしまいます。
『ミス・サイゴン』は、愛の物語であると同時に、自分の人生を自分で選ぶことが、いかに尊く、そして難しいことなのかを問いかける作品なのかもしれないなあと思いました
ということで一言で言えば
自分の人生を生きるノベーション
そんな話をしています
参考
ミュージカル『ミス・サイゴン』プログラム
アラン・ブーブリル(脚本・歌詞)、クロード=ミッシェル・シェーンベルク(原案・脚本・音楽)の言葉より
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