同人誌界の動向
はい、おはようございます。本日の放送は2025年の3月25日火曜日です。 本日は第1122回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県氷山市在住の特撮アニメ漫画大好きおやじのピョン吉が響きになったことをたらたら消していくという番組です。
よろしくお願い致します。
昨日の朝のNHKのニュースで、同人誌界がネットで賑わっておりました。
喫蕉寺でですね、3月16日に行われましたZINフェスのニュースですね。 15日に開催予定だったZINフェスがですね、雨でね、
屋外のイベントだったので、天候で1日ずれて16日に行われたんですね。 それが盛況だったみたいです。
そのニュースで見ていた人はね、ZINと同人誌はどちらなの?と疑問になってね、それがネットで話題になっていたんですね。
そんなね、今回はね、大雑把に自分の知っているZINの話をしようと思っています。 ZINの歴史はですね、1940年代頃ですね、
アメリカのSF1がね、ファンZINというのを作っていましたね。 その中が発生しているって言うんですね。
これはZINを作っている大勢の側の認識だと思っています。 その起源としていると。
日本はですね、それより以前ですね、もともと志を同じにする人、 同人が集まって作った雑誌でね、同人雑誌、同人誌という雑誌があったわけです。
同人の出す雑誌ですね。 小説や詩などの文学系が有名ですよね。
文学だけでなくてですね、科学的な研究だとかね、学術的な研究だとかね、そういった同人雑誌もあったんですね。
そのうち学術的なものがですね、研究会とかね、学会とかに変わっていくものがあったわけです。
戦後、柴野匠さんという方がですね、宇宙人というSFの同人誌を出しました。
それがね、日本のSFファンジンの始まりとなります。
そうなのでね、柴野匠さんはですね、SFファンならファンジンを作るものということを啓蒙したんですね。
SFファンのファンが作るのはファンジン、SF同人誌とも呼ばれていました。
そうなのでね、当時自分がね、大学生の頃ですね、同人誌をやっているというとですね、文学系の同人誌を作っていると勘違いするのでね、ちょっと説明困ったという記憶があります。
一方ですね、そのSFファンの集まりとは別にですね、漫画好きの人たちの集まりがあったんですね。漫画好きの人たちの同人による同人誌です。
石上翔太郎さんはね、墨汁一滴などが有名ですよね。当時はね、漫画をね、たくさん印刷するのが難しくてね、作った同人誌をね、郵送して閲覧したりとかしていました。
それ以外にもありましてね、福島県ではね、実は広瀬さんなどが参加していた合図漫画研究会などが有名です。
他にもね、福島県内のあちこちがあったみたいなんですね。
その当時ですね、印刷技術はですね、手書きのガリバンズが大部分でね、あと青焼きコピーというのが出てきた頃ですかね。
また文字の場合はですね、和文タイプというのがあったんですが高かったので、ロットリングペンというね、文字をね、均等に書ける、太さを書ける高いペンを買いましてね、そして読みやすい字を書く練習をしていたんですね、みんなね。
字が綺麗かどうかがね、同人誌が売れるかどうかがかかっていたんですね。 自分もそれをね、何度も練習いたしました。
この頃になりますね、オフセット印刷っていうのね、安く印刷できるようになったんですね。
で、漫画、イラストの絵がね、印刷が楽になったんですよ。 コピー機もね、普及し始めました。
綺麗なイラストを描ける人がいる同人誌が売れるようになったんですね。
そのSFファンたちが集まるSF大会というイベントでですね、同人誌の販売コーナーがあったわけですよ。
そのSF大会のイベントの内からですね、その同人誌の販売コーナーとマスカレード、後にコスプレと呼ばれるものですね。
印刷技術の進化
そのね、コミックマーケットという形になりまして、そして漫画界の方に伝わりまして、瞬く間にですね、日本中に広がっていきます。
これましてね、コミックセンチュリティーですね、同人誌の販売会が始まったのはね、80年代のね、初期の頃ですかね、始めの頃ですかね。
すでにですね、その当時、福島県内の漫画本屋でね、本の方たちと発表している人たちがいたんですね。
合図漫画研究会の流れの人たちですね。そういう人たちが漫画の本を作っていました。
昔からあったなぁってね、その当時知ってびっくりした記憶があります。
またこの頃ですね、文字の方もワープロが普及し始めたんですね。
それでもっとね、手軽に同人誌が作れるようになっていきます。
表紙もね、カラー印刷ができるようになりまして、そしてカラーなものほど売れるようになっていくと。
で、一般に売られているね、本並みのね、綺麗な表紙の本が並ぶようになっていきます。
で、コミケのうちですね、二次創作がどんどんどんどん増えていくんですね。
そしてエロいものが多くなっていくんですよ。R-18のね、薄い本のね、二次創作の漫画同人誌。
そのね、同人誌とね、呼ぶ人が多くなってしまいましたね。で、その頃ですね、同人誌を作っているというとね、そういうエロい漫画を作っているとね、勘違いされるんですね。
そんなこともありました。一方ね、80年代ね、その頃にですね、海外ではですね、サーフィンダーとかね、タトゥーをしている人たちとかね、
あとロックのバンドの人たちとか、仲間のうちのね、小冊子のことをですね、ファン人からファンを取り出した人という呼び方をするようになったんですね。
そしてそれはね、文化となっていきます。そしてそれはね、アート的なものが多くなってきまして、そして定着していくんですね。
日本でもですね、フリーペーパーを作る人、自分で小さな雑誌を作る人が文化が発生していまして、そのうちリトルプレスという呼び方をするようになったんですが、
個人で作る場合はね、ジンと呼ぶような形になってきました。そして最近ですね、海外のジンを真似まして、ジンを作ろうという人が増えてきまして、
ジンという呼び名が多くなってきたわけですね。漫画の同人誌しか知らない人はね、ジンと同人誌同じじゃないかというね、言うわけですね。
ZINEと同人誌の対話
意識高い系の人はね、勝手に呼び方を変えてるんじゃないかと。一方ジンを作っている方はですね、独自の文化だと言いたいし、
人事創作本と勘違いされたくないというのもありますよね。 また個人で作っているからね、複数いないから同人って言葉がつくの変でしょっていうのもありますよね。
といった流れではないかと思うんですね。 個人的にはですね、ジンと同人誌は同じものだと思っています。
呼び方なんてね、時代によってどんどん変わっていくので、楽しんだがちだと思ったんですね。
ジンを作っている側もね、自分たちは全く独自なものを作っていると勘違いした方がいいと思いますし、 漫画同人誌の方もですね、ここからね、流れでできてきたものという認識を持っているべきじゃないかと思ってるんですね。
そうすればこんな風なね、争いみたいなのが発生しないんじゃないかと思うんですよね。 というわけでね、ジンと同人誌同じかとネットで騒がれていたので、自分の考えを話させていただきました。
本当楽しんだものだちだと思いますよ。
はい、それではまた次回よろしくは、ピョン吉のオタクの話にお付き合いくださいね。本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。