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はい、おはようございます。本日の放送は、2026年4月25日土曜日です。 本日は第1518回目のお話となります。
このチャンネルは、福島県郡山主題中の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことを、ダラダラと話をしていくという番組です。
よろしくお願い致します。
昨日Xで漫画家の菅谷光さんが27に書かれた長いポストを読んだんです。
菅谷光さんは小説家の石津嵐さんと家族ぐるみの付き合いだったことが書いてありました。 共同で作品も作ったことがありました。それを読んで面白いなぁと思いました。
石津嵐さん、ご存知でしょうか? 宇宙戦艦ヤマトの小説を書いた人です。
そのラマ文庫の宇宙戦艦ヤマトです。 まずアニメ宇宙戦艦ヤマトの話なんですが、これ今でこそ名作中の名作、伝説のアニメみたいに言われてますけど、放送当時はですね、そんなに人気なかったんですよ。
これ今の感覚で言うと、初回放送は爆死した神アニメみたいな立ち位置です。 実際打ち切りになってますし、なんでかというと裏番組が強すぎた。
まず小松崎雄さん原案の猿の軍団、しかも製作粒ダイアプロですよ。特撮の本家。さらにですよ、高畑勲さんと宮崎駿さんのアルプスの少女ハイジ。
いやもうどうやって勝つのこれ。 今ならSNSで後からバズるとかありますけど、当時はそんな救済措置ゼロですからね。
しかも録画がない、サブスクもない。 つまりどういうことかというと、どれか一つ選んだら残りは一生見られない可能性がある。
今の人に言っても信じてもらえないんですけど、マジで人生の選択なんですよテレビが。 でどうしたかというとチャンネルをガチャガチャ回す。
もうねリモコンじゃないですよ。物理ダイヤルですよ。ガチャッガチャって。 で数分ごとにヤマト、サル、ヤマト、サルみたいな方法で見ていたわけです。
で猿の軍団は途中で、あれ思ったより映画の猿の惑星ほどの面白みはなさそうだなーって気づいて、最終的にヤマトに落ち着いたんですよ。
ところがですよ問題はここから。ヤマトを見ている人が周りにいない。 学校行ってもみんなハイジがさ、クララが立ったんですよ。
いやこっちは宇宙で戦争してるんですけど。 で他の奴が猿の軍団がさーって入ってくる。でヤマトの話題になると
えっ見てない? 終わりです。
孤独。 完全に一人ヤマト。今みたいにネットでどうしとか見つからないですからね。
ネットがないんですから。 共感ゼロの状態です。
さらに追い討ちがあって、当時アニメ雑誌もない。 情報が入ってこない。
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今ならyoutubeで考察動画とか設定解説とかいくらでもあるじゃないですか。 当時は自分の見た記憶だけが全てです。
でもっとヤマトについて知りたいと思っていた時に出たのが、そのラマ文庫のヤマトの小説。 書いたのが石津新さん。原案が豊田有恒さん。
もうねこれだと思って買いましたよ。これでヤマトの謎が解けると。 わくわくしながら読んだら全然違う。
いや本当に誰ってなるレベルで違う。 キャラも雰囲気もなんか違う。設定は似てるけどストーリーが別ルート。
いわゆる公式の二次創作みたいなやつ。 当時の自分はもう混乱ですよ。
え、俺が見てたヤマト間違ってたって。 後から知ったんですがこれは豊田さんが最初に考えていたプロットを元にしたもの。
つまりもしもルートなんですよね。 でも当時はそんな情報もないからこの本何?ってずっとモヤモヤしてました。
でその後ヤマトは再放送で大人気になっていき、映画化で社会現象に。
つまりですよ、あの時自分が見てたマイナー番組が後から国民作品になるという。 ちょっとした優越感ありますよね。
俺リア大で見てたけどみたいな。 ここから話がちょっと横に広がるんですが、その小説を書いていた石津嵐さん。
その後そのラマボンコで同様な数編の作品を書きます。 SF作家になるんですがなんか違う感じだったんですよね。
この人実はいわき市出身なんですよ。 これ知った時めちゃくちゃびっくりしました。
あの謎ヤマト小説書いた人が実は福島県出身って。 さらに時代小説を書くときにペンネームを使うようになって、
番喜一朗。これパッと見るといわき一朗に見えなくもない。 もうね多分狙ってるでしょこれ。
この石津さんが虫プロの人だったんです。 その虫プロ時代に活躍している時代の話を漫画にしたのが菅谷光さん。
菅谷さんこの人も面白くて、最初は石上翔太郎さんのところで仮面ライダーとか書いてたんです。
あれ何か絵石上さんじゃないなーって明らかにわかる絵で書いていたんですが、それが菅谷さんでした。
石上作品の中にちょっと異質な可愛さが混じっている夏。 でその後独立して漫画を書いていたんですが、そのうちの一作がゲームセンター嵐。
これが大ヒット。 ただ自分にとっては漫画よりも菅谷さんといえばすぐできるパソコン通信。
これですよ。 1986年、インターネットなんて言葉すら誰も知らない時代。
この本で家から電話回線で世界とつながるっていう概念を知りました。 いやもう当時完全にSFです。
実際にやるわけですよ。ピヒョロロロロロロって音鳴らしながら。 今の人に聞かせたらそれ壊れてるって言われるやつ。
でも当時はそれで菅谷さん海外の情報を集めてくる。 モータースポーツの情報とか。
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もうね未来に生きている感がすごい。 菅谷さんに憧れて自分ネット世界に入りました。
全然世界ななく市内だけで活動していましたが。 で面白いのがこの石津嵐さんと菅谷光さんご近所さんだったんですよ。
いや世界狭すぎでしょ。 自分に影響を与えた人たちが実は同じエリアにいた。
なんかこう見えないラインでつながってる感じがしますよね。 でその石津嵐さんが2021年に亡くなって一緒に活動することも多かった豊田有常さんも
2023年に亡くなって自分の影響を受けた人たちがどんどんいなくなっていく。 こればっかりは仕方ないんですけどやっぱりちょっと寂しい。
ただだからこそ思うのは影響ってちゃんと話さないと消えるなってことなんですよね。 実はヤマトの sf設定した豊田有常さんが1980年代
パラレルクリエーションという団体を作りました。 そこで石津嵐さんが顧問していました。
そのパラレルクリエーションが元になって後にパトレーバーなどを生み出していきます。 その他いろいろとアニメ漫画小説などを面白くしていきました。
自分が面白いと思ったもの衝撃を受けたものなんだこれと思った体験 それをこうやって話していく残していくことでもしかしたら誰かに何か伝わるかもしれない。
でその人がまた次に話すかもしれない。 そうやってつながっていくのが多分文化なんだろうなと思っています。
ということで今回はヤマトの話から始まってパソコン通信とか脱線しましたがだいぶ 遠くまで来ましたけど
菅谷さんの x のポストを読んでこういう自分の中のルーツみたいなことを思いました 自分はクリエイターになれなかったけれど次のクリエイターになる人が育つ
土壌を作っておきたいですね はいそれではまたもしよろしければピョン吉のオタクな話にお付き合いくださいね
本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました