秋の訪れと栗拾い
みみとも
おはようございます。
おはようございます。
秋だね。
ひんやりしてきたね。
今日はまた久しぶりにウッドデッキで、みみともを録っておりますが、どんな気分ですか?
ひんやりが体感的にはすごく気持ちいいっていうのと、さっきまでちょっと朝日が眩しかったんだけど、今少し上がってきたから、いい角度になって、程よく差し込んでるっていうのかな。
気持ちいいなって感じかな。
いいね。
ちょっとね、今来たからその太陽は、僕はあれだったけど、ちょっとこう、パーカーを着るぐらいな感じになってきたなと思って。
朝晩はね。
感じるよね。
昨日さ、夜寝ようとした時に上に行ったんだけど、屋根に栗がさ、すごい落ちてきてさ、ドンっ、ゴロゴロゴロっていうのが、最初何の音かなって思ったんだけど、あ、これ栗だって思って、今日絶対すごい拾える気がする。
栗ね。
栗。
なんかあの、そうそうそう、ちょうどね屋根の上にね、栗の木があって、なんかそこから栗がね落ちてくるんだよね。
そうそう。もう毎日のように拾ってるよね。
なんかあの、けいちゃんにしては、珍しいって言ったらいいのかわかんないけど、なんかこう、毎日拾ってるよね。栗拾い。
気づくと私外に出て拾ってるよね。
栗拾いの女だよね。
季節を楽しむ意味
そうだよね。
それはさ、なんかそうそう、ちょっとした休憩とかさ、そういう時にも外に行って拾ってるよね。
お昼ご飯食べた後ちょっと時間あるなっていう時に、外出て栗拾ったり。
その栗拾いは、何がそうさせてるんだろうね、その栗拾いへのエネルギー。
えー何だろうね。何がそうさせてるのか。
やっぱりあの、季節ものじゃん。
栗がね。
栗って、もう今この季節だけの楽しみっていうかさ、だから今のうちにやらなきゃやらなきゃっていう感じなんだと思うんだけど多分。
いま性?今性みたいなこと?
今、今だけのもの。だからこう、今が美味しいし、だから美味しいうちにいただきたいからっていう気持ちが突き動かしているのかなっていう気がするんだけどな。
確かにでも、、、今ちょうど栗落ちたね。
確かにさ、春もさ、蕗のとうが。
いやそうだったでしょ。
蕗獲りの女だったよね。
そうそう。ふきのとう拾いの女みたいな感じになってさ。
それもそういう感じなの?
いやそう、あれももうあの季節だけのもの。
だってもうちょっとそのまま置いといたらさ、どんどん伸びてっちゃうじゃん。
いや、もうあの時だけって思うと、もう毎日のように。
なんかそれはさ、何だろうな、無くなっちゃうみたいなことに、無くなっちゃうっていうか今じゃ無くなっちゃうみたいなことにこう、駆られながら取るみたいな感じなのか、
要は差し迫った感っていうのか、それともなんか、今、嬉しいみたいな感じなのか、なんか両方ありえるかなって思ったし他のこともありえるかもしれないけど。
なんかそれはもうちょっと詳しく聞いてみたいなって思った。
なんか今、聞かれてみると両方ある感じがするかな。
なんか、今の季節のものを美味しく食べるとか、なんかそうするとさ、その季節を味わえるでしょ?
だから、なんかそういうもののためにやってるっていうポジティブな意味合いだと思っていたんだけど、
あ、この瞬間を逃してしまうとっていう、なんかそういう差し迫った感じの感覚もあるのかもしれないなって今思ったかな。
思考と身体のバランス
なんかそれはこう、どこで感じるの?
あー、場所?胸のあたりとかそういうこと?
そうそうそうそう。
あー、そうだね。
なんかこう、頭で考えてそうして、頭で感じるっていうよりはやっぱり体かな。
うんうん。確かに体が先に動いて拾いに行ってる感じあるね。
気づいたらなんか拾ってる人おるなみたいな。
庭の方から物音してきたみたいな。
そうそうそうそう。あれどこ行ったかなって思ったら拾ってるわみたいな。
うん。
でも面白いね。どっちの側面があるにしてもさ、今にはなんかそういう力があるってことだよね。けいちゃんにとってね。
あ、そうだね。っていうのと、なんかそのさっきのどこで感じてるの?みたいな話もあったんだけど、
思考的にやってないっていう感じはあるね。
例えば仕事とかでこれを今、この瞬間これをやらなきゃいけないっていう時って、
頭で考えてることが多いじゃん。基本的には。
優先づけみたいなやつ?
そうそうそうそう。これをやるべきだって思考的に考えてそれをやってるっていう感じだけど、
その栗拾いと蕗のとうひろいは、そういう感じじゃないよね。
頭で考えてるっていうよりはもう、体が。
体がね、欲してるみたいな。
そうそうそう。そういう感じかもしれない。
うん。なんか今それを聞きながら思ったんだけど、なんかそういうのって大事だよね。
大事かな。
なんかあの、栗拾いとふきのとうひろいは、僕から見たら面白い光景にしか見えないんだけど、
それはいいとして、なんていうのかな。
あの、ほら、優先づけに慣れてっちゃうじゃない。
あ、仕事してると。
そうそう。それはそれでもちろんとても大事なことだし、必要なスキルだと思うけど、
ずっとそれでいないってことも大事かなと思って。
心とか体にさ、突き動かされるままにある時間っていうのが、バランスよくあるといいなって今ちょっと聞いてた思った。
そうだね。なんか今思い出したのが、その前に保護者向けの学校でね、保護者向けのセミナーっていうか、講演みたいなのを聞いたときに、その話し手の人が、
人はほとんど思考の中に生きてる。日頃ね。ほとんどの時間を思考的に生きてて、でもその思考って、過去の経験をもとに思考してるから、今を生きてるようでいて、過去を生きてるっていう話をしてて、
仕事で優先順位付けするっていう風になった時も、過去の自分の経験からこれを優先させた方がいいっていうのが多分あって、思考的に考えてそうするじゃん。
でも、さっきの栗とかふきのとうの話は、思考で考えてるっていうよりは、体が欲していってるっていう感じでいくと、思考の世界で過去を生きながらやってることっていうよりは、今この瞬間を生きてる感じに近いのかもしれないなっていうのは思った。
そうだね。今聞きながら思考の話してるとき、めっちゃ思考的に話してるもんね。
そうでしょ。
話し方がね。そこのインパクトを今思ったわ。
そうそうそうだね。すごい考えながら話してるもんね。
過去をさらいながら今にいくみたいなね。
でも、栗の拾っているときは、今を感じながら生きてる。
そうね、そうそう、そういう感覚。
そういう意味では、さっきゆうくんがそういうのも大事だよねって言ってくれたんだけど、思考を使っていくっていうのもすごく大事なんだけど、そうじゃない状態の自分でいるっていう時間も大事かもねっていう気がした。
なんかそれを受けてさ、僕が思う一つの理想って言えばいいのかな?わかんないけど、なんかその生き来みたいなのを自在にできたらいいなって思うね。
自在に頻度高くできたら楽しそうだなみたいな。
油断するとずっと思考に行っちゃう感じもするし。
例えば半年に一回とかさ、旅行に行こうみたいなのはそこから離れようみたいなことなんだと思うけど、もっと頻度高く軽やかに今を生きると、思考を生きるを行き来できるといいなっていうのを今思ったな。
そうだね。たまにすることではなくてね。
なんとなく仕事のリズムとかさ、
祝日、休日のリズムみたいな話を考えると、そっちをベースに決まってきちゃいそうなんだけど、そうじゃなくて、自分の方からって言えばいいのかな?
思考と身体とか心みたいなのを、もっと一種能動的に軽やかに生ききできるみたいな感じは結構理想だな。
そうだね。
うん。
なんか結構思考の中だけにどっぷりいると、ちょっと疲れちゃう瞬間あるなって思ったりするから、そういう行き来ができたり、ちょっと違う感覚使ったり、そういう時間もいいのかもしれない。
それを今栗拾いでやっているんだね。
そういうことになるのかな。
でもなんかやっぱり、机に向かって何か作業してるとか仕事してるっていう時とは、やっぱり脳みそがもうちょっと解放されてるっていう感じというかね。
その思考的じゃないから、その思考から解放されてる感じはあって、あとすごい集中してるね。
栗にね。
栗に。
だからそこに集中してるから、その解放されてるとも言えるのかもしれないんだけどね。
没頭してるっていうかね。
そうそうそうそう。
ゾーンに入ってる。
そうそうそうそう。
栗でゾーンに入ってる。
次の栗はここだみたいな、いろんな情報の中でそこがクリアに見えるみたいなね。
栗ゾーンだよ、栗ゾーン。
いいね。
でも大切な時間だなと思って。
そして多分今日もまた拾うんだけどね。
拾い?今ちょっとうずうずしてきてるでしょ。
昨日屋根の上に落ちてたやつ今日拾えるなって思って。
起きてきたから。
いいね。
ちょっと今日も思う存分拾ってもらえたら。
今だけのこの季節のね、楽しみをエンジョイしたいと思います。
じゃあ今日もエンジョイしてください。
はい、ありがとうございます。
そんな感じですかね。
じゃあ今日はこんなところで終わっていきたいと思います。
皆さんも秋を楽しんでください。