2025-02-11 16:43

#18 言葉の話

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みみとも第18回は言葉の話。

言葉は考えるための手段なのか?感じるための道具なのか?
AIを通じて言葉を使ってできることが増えた時、自分は何を選択する?

最近言葉について考える機会があり、そんなことを話してみました。

 

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サマリー

言葉や本に関連するイベントでの体験を通じて、感情や気持ちを言葉で表現することの重要性について考えています。特に、金田一さんの言葉が印象に残り、言葉が思考の手段であり、感情の道具であると再認識しています。言葉の重要性やその使い方について考察が展開され、AIの進化が思考や感情の道具としての言葉の役割に影響を与えていることが示されています。AIによってできることが増える中で、人々が自分の好きなことや価値観を手放さずに持ち続けたいという思いが強調されています。

言葉の感情的役割
おはようございます。
おはようございます。
冬の朝ですね。
静かな感じだね。
うん。今はどんな気分ですか?
今ね、なんかさっき静かって言ったんだけど、自分も静かな気持ちって感じかな。
僕も一緒で、トーンとしてはすごく落ち着いているというか、静やかなというか、割とそういうトーンでおります。
今日何話そうかね。
先週、言葉と言っていいのかな、本とか言葉に触れる機会が多かったから、なんかその話してもいいかなって今ちょっと思ったかな。
いいね。
どこから話そうかな。
一つは子どもが行っているね、風越学園っていうところで、だんだん風越っていう日があって、そこでは大人も子どももやりたい企画を立てて、参加したい人が参加してっていうそういう日があるんだけど、
そこで本好きが集まれっていう一つの企画が立って、それに参加してきたのね。
本好きかって言われるとそうでもないと思うんだけど、でも最近ちょっと面白い本とかあったから、
あと企画してくれた人とかも素敵だなとかって思ってる人だったから参加してきたんだけど、前半と後半があったんだけど、前半の話をしようかなと思ったけど、
最近読んでこんな本がよかったよっていうのを参加した人が紹介をしていくという時間だったんだけど、
そこがすごくよくてさ、自分が知らない本がいっぱい出てくるから、その本自体にも興味がすごく湧くんだけど、
僕がいいなって思ったのは、その本を紹介してくれるじゃない、こんな本なんですよって紹介してくれるんだけど、
その紹介というか感想っていうか、その本でこんなことを感じたよみたいなことにすごく興味というか、いいなって思ったんだよね。
例えばいろんな本があったんだけど、そうだね、いろいろみんなよかったんだけど、例えばさしだし方の教室という本を紹介してくれた方がいて、
その方が本が好きだから、その本をいろんな人に紹介したいとか、
例えば子どもにもそういう時間があったらいいなとか思うけど、どうやって、無理強いするわけにいかないから、
そうそう、自分がいいなとか素敵だなって思うものをどうやって紹介したらいいのかな、差し出したらいいのかな、みたいな気持ちもあって読んだんですよね、みたいな話をしてくれていて、
なんかそういう気持ちすごいわかるな、わかるね。
なんかあるじゃない、自分いいなって思ったんだけど、これどうやって差し出していったらいいのかなって。
自分の価値観の中ではいいと思っているんだけど、これは受け取り側がどう思うかって思うとどう渡していいかちょっと迷うなみたいな時とかね。
なんかそこに心の動きみたいなのがあって、そういうのがわかるなと思った。
それぞれの本の紹介の中でその人が感じた気持ちみたいなことが出てきて、それを一緒に感じられたのがいいなと思ったんだよね。
その本自体もさることだから。
でもそうかもね。
言葉の再認識
なんか私も本をさ、ネットで探すとだいたい口コミっていうかついてたりするじゃん、それを読んだ人たちの。
で、そういう時にさ、なんかその書評みたいなことよりも、なんかどう感じたみたいな話、その人の感情みたいな話の方が結構最近刺さるというか、なんかそういうのを起点に選んだりするところもあるかもしれない。
この本がいいとか悪いとかっていうことよりかは、人気が例えばあるとかっていうことよりかは、なんかそういう感覚なのかなって今思いながら。
こういうね、感情とか気持ちになるってどういう本なんだろうみたいなね、そっち側からいくみたいなね。
なんか今その話も聞きながら、もう一つさ、思い出して。
これも本とか言葉にまつわることなんだけど、イベントがあってね。
たきびばっていう北軽井沢にある場所があるんだけど、そこでオーサーレジデンスっていうイベントがあって、9人の書き手の人が、本を書いてたりとかする方たちなんだけど、書店員の方とかね、書くっていうことについて話をするっていうイベントがちょうどあってさ、
雪の降る日に。
そうそう、それに行ってきて、それもすごくよかったなって思って。
面白そう。
いろんなテーマがあって、自然と言葉とか、テクノロジーと言葉とか、AIと言葉だったかなとか、事業と言葉とかさ、いろんなのがあったんだけど、
それぞれにすごく面白かったんだけど、ある方がね、紹介してくれた言葉が、その時には拾いきれなかったんだけど、今話を聞いてそうだなって思ったんだけど、
金田一さんって言葉のスペシャリストの方いるでしょう?その方がね、話してたっていうことで、それを紹介してくれたんだけど、
言葉は考える手段でもあり、感じる道具でもあるっていうことを金田一さんがおっしゃってたんだと。
なんか、前者はそうだねって感じだけど、感じる?後者の方に感じるって言ってたのは、ちょっと不思議な感じだね。
なんかさ、そこが残っていてというか、イベントが終わった後も残っていてさ、今、けいちゃんの話も聞きながら、改めてまた呼び起こされたんだけど、
そうそう、考える手段でもあるっていうのはわかるし、どちらかというと言葉って、僕の最近の感覚だとね、言葉になりきらないいろんな感覚ってあるじゃない?
あるある。
身体感がかかるとか、だから言葉で伝えられることっていうのは、すごく一部でそぎ落とされた何かとか、あとはわかりやすい、伝えるための手段とか、
そういう感覚で言葉を捉えてたかなっていうふうに思ってたかなと思ったんだけど、でも感じる道具でもあるって確かにそうだなって思って、
さっきのだんだん風越の話もそうなんだけど、その言葉から自分が感じる感情とか、感じる景色とか、身体感覚とかが呼び起こされるなっていうふうに思ったんだよね。
本を紹介してくれたところから、その方が紹介の中で発している言葉から、その何か差し出したいんだけど差し出せないあの気持ちみたいなことが呼び起こされるなとか、目の前になくてもね、なくてもあってもかもしれないな、
なんか目の前の景色のことをね、言葉で紹介してくれたら、その言葉が起点となって気づく景色があるなとか、なんかそういう役割っていうのかな、そういう要素も言葉にはあるんだなっていうことをね、再認識したというか思ったというかね。
でもそうかも。なんかそれを聞きながら思い出したのは、知り合いの詩を書いてる人が、例えば目の前の花のことを詩で表現したいと思うときに、自分がその見てね、感じているものを言葉として紡ぐのがすごい難しくて、いつもこう葛藤しながら紡ぎ出してるみたいな話をしていて、
なんかその言語化の、感覚的に受け取ったものの言語化する難しさも分かりつつ、でもそこで表現された文字を見て受け取った私は、その感覚を、その文字っていうか言葉を通じてその感覚を受け取りに行くっていう感じがあるなって思うなって思ってて、
言葉と感覚の結びつき
だからそれはやっぱりさっきの考えるっていうことというよりはその感覚的なものとか感じるものみたいなことを言葉を通じて得てる。つまり言葉がそういうものの道具なんだなっていうのをちょっと思いましたっていう感じだった。
本当だね。
結構思考的なものと認識しがちだったけど。
言葉の良さっていうかね。
そんなことを感じた1週間だったかな。
面白いね。
そしてまたそこでさ、言葉を通じて聞いたこと、受け取ったことがさ、今もまたここで何か感じたりとか考えたりとかみたいなことにつながってるっていう、なんか不思議だね、言葉ってね。
面白いよね。言葉が生まれたところからね、どういうことができるようになってきて、逆にどういうことができなくなってきて、でもまたそこから何かが生まれてみたいな、言葉による世界の変化とか変遷みたいなものも今ちょっと思い浮かんだかな。
まあでも道具がさ、さっきの金田一さんの話で道具っていう話でいくとさ、
まあそれがその考えるとか思考側に行くのか、感じるとか感情とかそっち側として使うのかわかんないんだけど、
やっぱりこう自由自在に扱えるようになりたいというかさ、そのツールを自分が使いたい方向に使えるようになりたいなって思ったかな。
なんかその結構思考のものとして使ってるイメージがあったんだけど、そうするとほら、感じるみたいなことに言葉を使おうという意識にならないと使えないじゃない、そっち側として。
だからその両側で、なんかそっちにも使えるしこっちにも使えるしみたいな感じで、自由自在に扱える自分でいたいなっていう感じがしたかな。
そうだね、その文脈でいくとさ、その時のセッションはテクノロジーと言葉だったのかな、言葉って今だとAIでいろんなものが紡げちゃうじゃない、みたいな文脈の話から今のことも出ていて、
AIと個人の価値観
言葉を思考の手段として使うっていうのはAIはすごく得意だから、感情の道具みたいなところがそういうところから話の中に出てきてるんだかなという風に記憶してるんだけど、
なんかね、そこで僕がちょっと思ったのは、ちょっと少しずれるかもしれないけど、いわゆるできることも増えるようになるのよね、そのAIというものを使って、概念を整理するとかさ、言葉を考える手段だと思った時に、
わかりやすく言うと、何をAIではやらないか、みたいな、やらないことを選択するっていうことも、すごくこう、できるようになるっていう風に僕は考えたんだけどね、感じたっていうか、
AIに占領されるみたいな話ではあんまりなくて、感覚的にね、できるようになることが増えるんだけど、あえてこれはやらない絶対だ、ことに面白さがあるかなと思っていて、
で、その感じるみたいな領域は、もしかしたらそれもAIではできるようになるのかもしれないけど、それは自分はやらないとか、
たとえばね、そこに価値観って言っていいのかな、自分が好きなこととかさ、
そういう質問を登壇した方にもしたんだけど、できるようになってもあえてしたくないことってありますか?
いろんな答えがあったんだけど、自分の好きなことっていうのはみんな、できてもAIにはやってほしくないんだなっていうのを感じたんだよね。好きなこととか、価値を置いていることとか。
そのほうが便利だったり、他で代用がきくみたいなことだとしても、自分が好きなこととか、自分が味わいたいこととか、
そういうのは意図的に自分で持っておくというか手放さないというか、そういう選択ができるししたいって感じだよね。
それがさっきのけいちゃんの自由自在みたいなことと繋がるかなと思って。何をそれでやってやらないかみたいな。そこと繋がったなと思って。
そうすると結果的に自分が大切にしたいものは手元に残るみたいな感じだよね。
もしかしたらやりやすくなるかもしれないなみたいな。ちょっと思った。両面あると思うけど。
面白い話のシェアをありがとう。
今日はそんなところですかね。
16:43

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