次はね、理解できないことの話ですね。
予定調和を崩そうとするテレビ番組とか、
いろんな組織団体でイベントでとかそういうことすると思うんですけど、
エンターテイメントの一環としてならいいんだけど、
なんかその予定調和を崩そうとして、
なんかその考えも嫌いだし、
はっきり言ってそれもう、
今まで作り上げてきたものをぶち壊す行為でしかないと思ってるんですよ。
予定調和を本番で崩してせっかくね。
はい。
では次の話です。
次の話はですね、
前回、
前日に立ってた計画、
デキの紅白の番組を昔のなんだけど見てて、
卒業メンバーにあるメンバーが手紙を書いてきたって言って、本にも言ってるんですよ。
本にも言ってたけど、その通りなんですよ、こういうことされると。
せっかくそのために一生懸命練習してきたのにね、
本番直前になって、
例えばなんだろうな、
それまで考えてきた文章を変えるとか、
ダンスの振り付けを変えるとか、
何かのやり方を変えるとか、
そんなことをしたところで、
予定調和にならないと思ったら大間違いで、
例えばやってることとしては、
例えば芸術だと伝統と革新性とのバランスを取らなきゃいけない場合が多いんで、
伝統なんか完全にぶち壊して、
そういうことですよね。完全にバランス感覚がぶち壊されてるんですよ、それで。
しかも予定調和、あえて壊そうとするのって、絶対それ予定調和でしかないし、
あとこういうことを習慣にしてる人って予定調和にならない予定調和を作ってるだけなんですよ。
紅白のそれも、明らかに泣かせに変わろうとしてるし、
せっかくセンターの最後の卒業前のお披露目する舞台で泣いちゃったら、
エンターテインメント役だけがこんなこと言うのはおこがわしい話だけど、
エンターテインメントとしてみたらひどい話でね。
空気を読めてないっていうか、その声。
木を照らってるだけですよね、だからね。
紅白もそうやって、かなり紅白と合わせんって、綿密に逆立てるから、
それを壊そうとする層の人たちも一定数いるのか、
でも多分そんなこと許されないだろうから、上の人から。
だから多分その、意地なんでしょうね。
紅白だけではそうやって、全てが計画だけでやってるわけじゃないよっていう、
そのセンスですよね。
だからじゃあ、ただ計画をぶち壊すだけで成り立つのかっていう。
例えば芸術で言うと、これが芸術だっつってめちゃくちゃな絵描いたところで芸術にならないじゃないですか。
あと次も理解できない話なんですけど、やりたいならもう挑戦しちゃえばいいんじゃないかみたいな。
やりたいから挑戦すればいいっていう考えが、
そんな普遍性のある考えなら、誰もそんな躊躇しませんよね。
あと、自分の考えが正しいと思いすぎだし、
その人それぞれのその時のその時の条件もあったり、
そんなことも考慮しないで、やりたいならやればいいじゃないかって投げつけるのってすごい行為だなと思うんだけど。
あとやったもん勝ちだよとか、やらない後悔よりやる後悔とか。
いやそんなことがはっきり言えるなら、みんなやってるよと思うしね。
あと挑戦するってことに、価値を置きすぎですね。
別にこれ大げさな話じゃなくて単純な話なんですよ。
でも競馬の剣を買うかどうかと同じことですから、挑戦するかしないかって。
買えばそれは勝つ可能性もあるし、でも負ける可能性もある。
で、やんなかったら勝つ可能性も負ける可能性もない。
別にどっちがいいかなんて神のみと知るっていうところですよね。
では次。
人間って普段自分で思い込んで、自分の意思で動いてると思い込んでますよね。
そういう思い込みをできてるんでさせてもらえてるんですよ。
でも催眠って見たことありますかね。
これ見ると本当に違和感しかないんだけど。
なぜかというとそうやって普段自分の意思で動いてると思ってるからですね。
だから催眠術師がなぜあるだけでテレビでも問い合わせられるかというと、
いろんなところで出てるかというと、それだけ違和感のある、違和感を持つ行為だからですよね。
なんとほらみんな普段意思で動いてると思うけど、意思で動いてるとは思いさせられなくなる。
現実を見させられるわけですよね、そこで。
やっぱり人間って意思で動いてるんじゃなくて、意思で動いてるという錯覚があるだけだと思いますね。
だから催眠術見てたらどう考えてもやらせ目しか見えないし、違和感しかないし、完全に人に操られますからね。
だから普段は逆に自分で操ってると思ってるのは勘違いだとこですね。
ということは洗脳なんてのが普通に起こるということですね。
あといつも思うんですけど、人間って生まれてその環境でいろんな価値観を尽きててとか、
言葉を学習するのも、すごいシャワーを浴びてとかね、そんな風に言われるけど、
ほとんど現代人ってテレビの影響がほとんどですよね。価値観とかなんだとかって。
いやそれって恐ろしいし、でもこれが現実だとすれば、
発達障害なんか価値観とか常識つきづらいって言うんだけど、それよりもテレビを見るかどうか、
あと何を見るかによる影響の方がよっぽど大きいですよね。
では次。
トマロ越しに行くのは沖縄の料理の感想だけど、やっぱり北海道の料理とは違って、
おいしくないわけじゃないけど、おいしいわけでもおいしくないわけでもね、
っていうことなんだけど、やっぱり思った通りなんですよ。
だから海外旅行なんてのは行ったところで感動もしなければいいと思う悪いと思うはね、
よくわからないで帰ってくる景色もそうだし、
これで政治人類かあるいは相当歴史とか興味あって、言葉も持ち口してて、
だったらある程度、普段から自分でも似せた料理作ってたりとか、
で本物も食べてみたいならあれだけど、