この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。
哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。
「何を知っているのか」
「それは本当にそうなのか」
「確信はどこから生まれるのか」
人はなぜ何かを信じるのか。
なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。
私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。
信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。
意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。
人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。
意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。
結論よりも、考えている途中の揺れ。
完成された思想よりも、変化していく認識の記録。
自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。
虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
00:03
これから、倉木さんのラジオ収録始まります。
現在、朝です。 毎日、豆腐3丁を食べる生活を1年間続けて、今は壁に突き当たっててですね。
まあ、さすがに大豆、液体にして漬けて食べるのも飽きたし、だから、 他の方法で試すか、でもですね。
豆腐のレシピのことで、
時間を使いたくないんですね。
で、
大豆10キロあるのに、ひよこ豆買って後悔して、でも、糖質も高いことがわかり、
今度は黒大豆買って、毎日さすがに大豆だけだと飽きるから。
でもまた失敗したなと思うんですね。まあ、2.5キロあるんですけど。
こうやって迷うんだら、買わないほうが良かったなと思って。
で、最近また気づいて、大豆だとたくさん食べると、匂いもするし、気になるし。
だから、大豆をやめてしまうか。
で、これも気づいたんですけど。
もし、黒大豆買ってなかったら、
そしてひよこ豆買ってなかったら、
豆腐買えたこと、高いの買えたことに気づくんですよ。セイコマートのやつ。
では次。
またポッドキャストを選んだ理由。媒体として選んだ理由。
また忘れちゃって、ブログでなくこれにしたり、はっきりした理由があったんですけど、
忘れてブログにしてればよかったって前回話しましたね。
そういう悩みも出てきてですね。
見ましたね。あとですね、これも前話した。
番組説明について考えてる時、大量に自分が考察したことをメモをしておいたんですね。
でもこれメモ、結局捨てることになるけど、参考に1回でも話したらと思ったんですけど、
あまりにも長いんで、アプリの仕様からいってちょっと難しいことが分かりやっぱりダメでした。
あとこれは昨日あったことですけど、やっぱり食事中ですね。
うちの親が自分の方を少し見てたのか、自分が親の方を向いた瞬間、座ってたけど立ったんですよ。
03:01
やっぱりですよね。挙動不審だから自分が自分の方を見てると勘違いしてきて。
で、まずいまずいとなって違うとこ行くんですよ。
あと昨日見てた歌詞がですね、そんなにアイドル番組、小さい番組で完璧に歌ってたんだけど、
ゴールデンの番組で完全に歌詞を忘れて、もうそう崩れですよ。
自分だったらこういう時、逆だったらなと思うんですね。
別に上手くいかなくていいとこで上手くいって、上手くいかなきゃいけないとこで上手くいかない。
これが自分が一番恐れてることなんですよ。運が悪いと感じるから。
あと今朝も、いやー一人暮らし、将来は働けないけどなんとかできないものかと。
でもそんな家に貯金あるわけないし、しかも、
強悪性障害とかうつとか問題ではないと思ってるけど、
親と別に暮らすようになり、治すつもりもないけど変化があるかもしれない。
で、その時どんな暮らしができるのかがわからないわけですよね。
あと昨日歌番組見てて、昔日記だったグループのもう一人の方が出てなくて、
怖い時微妙だろうなと思って、もう一人の方が出てほしいし、
こんな苦想してましたね。電話かけて一緒に出てほしいと。
でも出れないとそれだったら、全然いいけど見ててって言うかなとか考えてました。
どうして出れなかったのかとか考えてましたね。
あとですね、ある番組で、
あるバンドが実はARなんだと弾いてないんだということを知って驚いたって話してて、
で、自分はですね、何とも思わなかったんですよ。
別にどっちだとも思ってないというか、
アイドルバンドとかで歌番組では特に演奏してないとか、
初期の頃はARだったとかそんな話聞くし、
だからバンドで別に実際弾いてるかどうかっていう発想すらないっていう。
だから自分はさらにこの人たちよりも例外だなと思って、ずれてるなと思ってました。
朝ですね、また結局メモの件でまた失敗してしまいましたね。
06:09
最近新たに取り組んでることとかもあって、それでまた失敗もして、
こうやって今話してると失敗も別にあってもいいじゃないかって思うけども、
結構深刻になっちゃうんですね、一つ一つの失敗に対して。
あとですね、あるアイドルが、いとこもアイドルだし、
友達も同じグループに入ったって。
これ確率的に言うとかなり奇跡だけど、
こういう世界が狭いっていうことってよくあるよなと思って調べてみたら、
確率的に別にそんな奇跡とも言えない、別にあることなんだってわかり、
だから自分が親と話した人なんでかその後すぐ亡くなったり、
あれも別に確率的に、それはちょっとどうだろう、
わかってはいたんですよ、科学的に説明がつくっていうのは。
でもなんか残念な気もしますね。
今計算してみたんですけど、夜不定期にトイレに行くんですよ。
そのタイミングで親が帰ってくる。
帰る時間も不定期。これが何十回もあるんですよ。
10回中8回くらいですかね。
3時間の間に親が帰ってくる。
親が帰宅する可能性のある時間帯は約3時間。
自分がトイレに行って親が居上がってベッドに入ってから約5分以内に帰ってくる。
この5分以内に帰宅する確率って2.8%なんですよ。
これが10回中8回っていうのはかなり奇跡的だと思うんですよね。
あと親と話しててその人が直後に亡くなるっていうのは、
今まで一度も話に出てきてないかとはあまり出てこない人なんですね。
偶然の一度なのもわかってはいるんですけど。
これは統計を取ったわけじゃないから、どの程度奇跡的なことなのかわからないですけど。
もちろんそんな超能力があるなんて信じてはいませんよ。
そういえば、やっぱり人間って寝る前の記憶ってなくなるらしいんですよ。
会話の機能が低下するかららしいんですけど。
お酒飲んだ人が記憶なくなるっていうのは全くなんとも思わないけど、
寝る前の記憶なくなるってすごいロマンがあると思いません?
だって考える内容によっては記憶してるんじゃないんですよ。
考える内容がどうであれ全て忘れてるとしたら、
09:04
実はいろんなことを寝る前に実は考えてるけど、
それを忘れてるわけですよね。
いや、面白いなと思うんですけど。
忘れてたら何もなかったことになりますから。
忘れたという記憶があればいいけど、忘れたことさえ忘れてるというか。
会話って小指サイズって説明するんだけど、
よく理学者のわけのわからない説明の仕方を何とかしてほしいと思うんですよ。
だって小指、これは本当に小指の長さはあるらしいんですけど、
こういうことばかりじゃないですから。
では次の話。
なぜか別に興味があるというわけでもないのに、
何か動画で見たこと、話聞いたこと、それを親に熱弁してることあるんですよ。
もちろん共有したいなんて思いは全くないし、
知識を成立させるためでもないんですよ。
興味が一気に高まったわけじゃないし。
最近だとドラゴンボールの歴史を聞いて、
ちょっと気になった程度なんですけど、
昔好きだったんですね。
よくありそうなことですけど、別に興味ないし、
親もこの話聞いてもしょうないと思うし、
何か特に伝えたいという思いもないし。
では次です。
普通ですね、飽きることって刺激不足なんですよ。
食事中、味を察知しないって、
コントラストがないってことなんですね。
味の変化。
自分の場合はですね、
変化にも弱いけれども単調にも弱い。
変化が大きすぎると負担になるし、
変化が少なくすぎると退屈になるし。
ただですね、残念ながら自分は、
変化が小さくても負担になるし、
変化がもちろんないと退屈になる。
というかですね、これ難しいところなんですけど、
そもそも自分はとにかく変化しない生活なので、
変化がないとすぐ退屈になってしまうんですよ。
普通は飽きる方がずっと多いんですね。
自分は飽きてるのは飽きてるんですよ。
でも察知してないんですね。
自分は病気ではないんですよ。
そういう味覚障害ってあるんですけど、
でも味察知できてないんですよ。
ただ飽きてるわけじゃないんですよ。
12:01
ほぼ無味になるんですね。
ちゃんと味を感じてはいるんですよ。
病気ではないんですよ。
物によってはそうなってしまう。
原因わかりませんでした。
では次の話です。
自分は虚無の中にいるから、
あまり気につけたりしてないけど、
あまり偏って考え方は好きじゃないんですね。
中立ってのは公平に見るっていうこと。
あとは中庸って、
仏教用語であるんですけど、
それは適切なものを選ぶっていうこと。
バランスといえばバランスだし、
虚無は価値が存在しないということで、
中立も中庸もAかBかに偏らないってことなんですよ。
だからAとBの間っていうのと違うんですよね。
決めつけないっていう意味では中立ですよね。
あと価値判断自体に絶対性はないと考えているので、
そういう意味では決めつけないは虚無主義。
自分は虚無だけどラジオで自分は…
あるボットキャスターがラジオで自分は恋愛してもみいじめだ、
ダメな奴だみたいに言ってたんですね。
ある意味これも諦めの境地というか、
自分の虚無と似たものを感じるんですよね。
諦めと虚無って共通する部分は絶対あるんですよ。
諦めっていうのはこだわらないってことですから。
さっきの言った決めつけないっていうのと似たところがありますよね。
もちろん諦めてるってこともそうだし、自分はみじめなんだと。
なんかその感じがですね、話聞いてて、
自分と真逆のようで共通したものを感じたんですよ。
自分はそのみじめだとか、
そういう絶望に浸ることはしないですけど。
そういえばですね、最近この10年以上のことを
まとめて整理してメモしようと思ってるんだけど、
そうするとメモする場所があるから、
どれに振り分けたらいいのかがまた苦労してですね。
そういえば以前まとめサイトやってたときもそうでした。
例えば2つに入れれるとか、そういうことも出てくるわけですよ。
15:00
そういう場合そうするしかないんですけど。
複雑なんですよね。
さっきの人は、これは仮説ですけど、
多分同じように虚無なんですよ。
虚無だからこそそうやってそういう大遊びができるんですね。
本人は本気だろうけど、自分はみじめだと。
つまりみじめだということに酔ってるわけじゃなくても、
決めつけてる感じなんじゃないかなと思うんですよ。
だからそうやって決めつけることによって保とうとしてたのかもしれないし、
あるいはその人にとってのルールだったのかもしれないし。
では次。
普通であれば物語だから虚無と対立。
だから力強かったというか、
今の人の話なんですけど虚無をわかっていた。
うん、みじめというのも思い込みだとわかっているからこそ、
使いこなしていたのかもしれないですね。
ここまで言って話すと言葉の綾になりそうなので。
次。
普通は辛いことあってもいいこともあると言うけど、
プラマイゼロもしくはどっちかに偏るわけですよね。
だからやれっておかしくないかと思うんですよ。
いいこともあるからやれっていうのは。
絶対楽しいことの方が多いならわかるけど、
少しでもうまくいかないならこの考え方成立しないと思うんですよ。
だから少しでもうまくいかないなら、
可能性あるならやらなくていいっていうのも一つ一理ある選択なんじゃないかと思うんですよ。
そもそもはですね、別に辛いことが多くても、
というか自分は辛いことの方が続くし、
今話しているのはですね、
辛いことあってもいいことがあるから続けろっていう発想がおかしいなと思うんですよ。
辛いことしかなくてもそのことやっていいと思う。
しかし楽しいことあるから辛いけどやったほうがいいっていう考えは理解できなくて、
楽しいことに価値が多くならその逆の不快っていうのはやめる要因になりますね。
じゃあ辛いこと多いならどうなんだって話ですよね。
あと楽しいことは少しはあることぐらいわかってるし、
それでもそれを含めて辛いわけだし、
では次。
一番ですね、悩み事があるとストレスになるんですよ。
ストレスで不安定になるんですよ。
18:01
不安定だから悩みが多いことに気づくという順番なんですね。
ストレスがあって心身が不安定になって、
普段気にならないことまで気になって、
悩みが多いと感じる。
こんな感じですね。
あとは不安定だと悩みが多いことに気づくんですよ。
逆の順番もありますよね。悩みが増えてストレス増えてさらに不安定になる。
だからストレスとか悩みって一方向じゃないんでしょうね。
自分の場合はですね、前者の方が多いんですよ。
誰でもそうなんかなどうだろう。
本当につくづくと思うんですよ。これ勘違いしちゃうんですよね。
単にストレスが多いだけなんですよ。
では次。文学的ではないけど、
でも人について考えるの好きだし、哲学的なことは好きだし、
文学的な一つな文章表現とか感情を楽しんでますよね。
哲学が好きな人は問いを考えることに興味があるんですよね。
自分の場合、認知とか価値観はどうなりだとか、
善悪、幸福には興味はあるわけじゃないんだけど、
ちょっと気になる材料ではある。
文学作品をそういう材料として読む人もいるんですよね。
自分はダメですね。そういうことはできないですね。
では次。親と話がかみ合わなくて、
本来であればどっちが悪いかわからないはずですけど、間違いなく向こうなんですよ。
こんなことあるのかと自分でも思うけど、
理由は様々ですよね。
自分の伝え方が伝わりにくかった、互いに前提が違った、
どちらにも改善できる点があるとか、
逆に相手の説明が不自分かもしれないし。
普通だったらこうのはずなんですよ。
自分の周りは軸が歪んでいるのか、こういうおかしなことが起きるんですね。
本当ならこんなことはどっちが悪いかなんてわかるはずないですよね。
自分の感じ方の問題のはずなんですよ。
客観的に相手が悪いとは言えないわけですよね。
21:02
まあでもいつもの話聞いてくれてる人は多分わかってもらえると思うんですけど。
普通であれば説明つくものが自分の場合ですね。
説明つかないときがあるのは親との会話。
普通ならどっちが悪いになるだろうし、
奇跡が起きるのも普通ならそれは確率的にあり得るとか、
説明つくけどあまりにも自分が偏りすぎてて相当な例外になると考えたら
説明つかないのもわかると思いますけど。
では次。
乃木坂のメンバーずっと応援してて。
ああ間違えました。
虎物先生が今まで空想だったけど、
ソツアルで実際見てしまったんですよ。
まあもちろん自分の場合フラッシュバックするとはいえ
昔の人、空想のような存在になっている部分もあった。
で実際に姿を現すと写真とはいえ実在してたんだとなってしまう。
記憶の中の存在ではなかったなという感覚になり現実味が増すんですね。
で現実として感じられたわけですよ。
まあドラマ10年以上の時で薄らいでると思いたいですけど、
フラッシュバックするんですよね。
でも写真見て思ったんですよ。やっぱり空想ではあるんだよなと。
でやっぱり感情と結びつけられてるんだ記憶っていうのは。
当時の感情が蘇ってくるんですよね。
では次、悪の花っていうドラマを見てて
なんて握るで素晴らしいと思ってたんですけど
都合よく見てたのか違ったんですね。
まあでも誰でもそうやって都合よくドラマとか見てしまうのかもしれないです。
何か気になってるテーマについて?
描かれてたらそのことばかり注視してしまうだろうし。
では次、誰でも人は虚無なこと
うすうす気づいててでも見ないように物語描いてる
というふうにもそんなふうにも撮れたんですね。
でも小説とかそこまでいろんな解釈の仕方できるなら
じゃあ何を伝えたいか正解がない。
まあ全くない。
だったら何かを伝えたいものであるかのように
説明するのっておかしくないのかなと思うんですよ。
つもつも文学って別に何かを伝えるためのものじゃないと思ってるし。
では次、誰でも人は虚無なこと
24:00
うすうす気づいていてでも見ないように物語描いてる
意味があるのだという
そんなふうにも撮れたわけですけど
なぜこのことを文学にするのか
なぜフィクションにして分かりづらくするのか
というのも疑問なんですね。
一つの答えを押しつけたくないんなら
何も伝える気ないじゃないですか。
答えを押しつけたくないんなら
何も伝えなきゃ言わない話だし。
それで感情に働きかけられるかもしれないけど
それって余計な付け足しにしか思えないし。
文学は分かりづらくしてやっていろんな解釈できるようにして
歌詞なんかもそうだけど
自分で考える余地があると思ってるかもしれないけど
単に小難しくしてるだけだと思うんですよ。
では次、絵は色合いが美しいでいいだろうし
なぜ深みとか人生哲学を盛り込むのかわからないですよ。
あと言葉で説明しないと
意味伝わらない絵は何なんだと思うんですよ。
じゃあ花から言葉で伝えなさいと思うんですよ。
絵は色合いで美しい、構図で美しいで十分じゃないかと思うんですよ。
人生の哲学を伝えたいなら言葉で説明した方が正確だし
言葉で説明しないとわからないからじゃあ絵にするって
むちゃくちゃな発想だと思いますね。
言葉ではあらしに感覚や雰囲気、感情を伝えたいと考える人が絵にするのであれば
それって言葉でわからないから暴力振るのと一緒だろうと思うんですよ。
では次、仏陀の言うことはなんとなく信用してたんですけど
仏教にもいろんな解釈が生まれて、いろんな宗派が生まれてて
直接仏陀の話なんて録音してるわけじゃないですよ。
直接受け取れないなら信じるしかないのではないかと思ったんですね。
仏教というか仏陀っていうのは哲学でもあり宗教でもあるから
難しいところではあるんですけど
自分で確かめる要素もあるし信仰の要素もあるし
では次、哲学はメモしてポッドキャストを撮るか、日曜の話は
メモしなし、一度しか聞いてもらえないと不十分に感じてしまうんですね。
考えを正確に残したいということで哲学の話はメモしてるんですけど
27:02
一方日曜会話ってその場で流れてくものなので
では次、自分はですね、空想をしてるということをここで話すという空想をするんですよ。
ポッドキャストで話してるのをイメージするんですね。
シミュレーションみたいなことなんですけど
でもポッドキャストを撮る前から親戚にこんなこと話したらどうだろうと
ことを考えたりしてたんですよ。
あと頭の中で話す内容を組み立てたり
聞いてる人の反応を想像したりはしないけど
あとですね、選択するのはすごいストレスだけど自然になることもあるし
一本にまとめてしまうってこともあるし
選択肢が多いと不安に感じるんですよ。
一方でこれでいいって自然に一つで収束することもあるし
あと特に何が辛いというわけでもないし
全てにおいて辛いとも言えるんですね。
特定の出来事っていうよりも生きてること全体が重く感じるし
何が辛いのと聞かれても一つの理由ではないし
でも全部が辛いとも言えるし
一つの原因を挙げることはできないんですね。
でも生活全体を通して重く感じるですね。
ただですね、全員が○○というわけではない
鉄道ファンに全員が発達障害でわけではありませんみたいな
全員が○○というわけではないみたいな
対象そのものの愛の興味が強い人が一定数いるだけです
という言い方をする人いるけど
発達障害に鉄道卓が多いのって事実なんですよね。
では次。老夫婦は若い時の相手を見ている
つまり保管していると思っていると思うんですね。
若い頃の性格、一緒に過ごした記憶
相手に重ねて見ていると思っているんだよ。
今だけの情報だとじいちゃんばあちゃんですよね。
過去の記憶を補いながら相手を認識しているんだと思うんですね。
30:01
では次。有心論おかしいと思うんですよ。
物理空間にあるものが全て
あとは幻想だと思うんですよ。
でもですね、迷路はなくても迷路から出ようとした瞬間
迷路を作るのが
出ようとした瞬間迷路を作るのが人という意味では
あるいは人によっては同じもの
見ても見え方が違うという意味では
ある意味脳がこの世界を作っているという
見方も半分できるんじゃないかと思ったんですよ。
これは実際ある解釈でしかなくて
これは認知の話で
しかし単にその人の脳がそう見えているだけという
意味では有意心論だし
有心論ってちなみに心がこの世界を作っている
というちょっとありえない考えなんですけど
半分はあっているという
もちろん作り出しているわけではないけれども
うちらは見ているものが絶対
他の人も同じように見ていると思っているけど
そうではないという意味では有心論も
そうでないのもどちらが正解とも言えないなと思うんですよ。
認知、知覚は脳によって構成されていると言った方がいいのかなと思います。
私たちが見ている世界は脳を通した世界であって
他人も同じように見ているとは限らないです。
だから意識が見ているのはこの世界じゃなくて
脳を通した世界なんですよね。
脳が見ているのはこの世界じゃなくて脳が知覚したものを見ているということです。
物は存在するという点では有意物論よりで
見えている世界は脳による構成物という意味では
有意識論と重なる部分があるんですよ。
次ですけど
音楽のカバーをしているけれど原曲の面影もほとんどないのって
理解できないんですよ。それならカバーする意味ないんじゃないかと
自分に出したいなら自分で作ればいいんじゃないかと思うんですよ。
自分の表現に作り変えるのも手ではあるんですけど
原曲という土台の意味が損なわれていると思うんですね。
では次
ブッダの言うことは正しい事実、宗教ではないと思ってきたけど
ブッダを信じることになるわけだから結局同じことだし
ブッダのこう言ったといういろんな説があるけど
ブッダの言うことというより仏教を知ることになるのかなと思ったんですよ。
伝えられてきた言葉では本人の言葉ではないですよね。
だから同じ仏教でも哲学として接することも
宗教として接することもできるんですよ。
33:03
信仰の対象としてするか、教えを吟味するか
では次
不完全性定理で絶対というものはないことを証明できないけど
科学的にこの世界を見る現代人にとってほぼほぼ同義ではないか
科学はどこまで行っても矛盾があるわけですから
科学的にこの世界を見ている現代人にとって
科学が矛盾があるなら絶対ないだろうということですね。
では次
ババアの声が聞こえるでイライラするというより
ルーティンの流れが切れて集中が途切れてて嫌な感じがするということなんですね
ということは集中できてないというのは後付けであって
普段気づいてないけどババアが嫌いだから意識してそうなってしまうんだと思うんですね
後からババアのせいでイライラしたと説明していることになるんですよ
だからイライラの原因が違ったということですね
だから普段集中、途切れてたことは気づかずに済んでいたということなんですよ
気づかずに済んでいた方が良かったのと取られるかどうかは微妙なところだけど
では次
絶対という言葉が生まれたのは人間が絶対的なものを求める傾向を持っているからだというより
脳にそういう風に組み込まれているぐらいのものじゃないかと思ったんですよ
求めるからそういう言葉を作ったというよりもそういう風になっているというか
構造上
だから人間は絶対を求める傾向があるというか
同じことかな絶対を求める性質が脳の基本的な働きに組み込まれているのではないかという仮説ですね
人間って確実性を求めるし一貫した説明を求めるし曖昧さを嫌うし
だから絶対という概念が生まれたのではないかと思うんですね
35:46
コメント
スクロール