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第5909回 結論は出ないただ今日思ったことを並べる
2026-07-30 58:26

第5909回 結論は出ないただ今日思ったことを並べる

この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。

哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。

「何を知っているのか」

「それは本当にそうなのか」

「確信はどこから生まれるのか」

人はなぜ何かを信じるのか。

なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。

私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。

信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。

意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。

人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。

意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。

結論よりも、考えている途中の揺れ。

完成された思想よりも、変化していく認識の記録。

自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。

虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。

感想

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00:00
これから、倉木さんのラジオ収録始まります。
ポッドキャストで英語を書いているのをやめましたね。
フェードアウトしていったよりも直感的しかも、しかし衝動的じゃないんですよ。 特に何かあったわけじゃない。変化の兆しもね。
普段は石橋叩いて渡るような性格なのに、大きな変化ではですね、直感的にやめられるんですね。
心の奥でフェードアウトしてたんだとしたら、全く認識できてないし、 全く認識できない心の動き、
変化があったということですよね。 あと自分は何もしてないと、
夢を見るように空想が始まるんですね。
てことは、じっとしていれば次々とここで話す材料ができるとすると、
じゃあなんで今までそんな話す内容で悩んできたのか。
逆にこうやって話す内容ができた時に限ってそうやって、 そういうことに気づいて、やっぱりうまくいくときに限ってうまくいかないと思います。
話戻るんですけど、英語科は辞めるとなってからですね、
やってることを正当化させるためのものですね。
とかこれやってる理由とか。
次々に思い出してましたね。
分かってるんですけど、辞めるとなってから、 やってた理由が次々に思い出されてきて。
人間って悩みたいのかなと思います。悩みなくなったら新たな悩みを作るんですよ。
こんなことまで悩む材料にするのかというくらい。 今朝はですね、
もしかしたら、話す内容を思い出そうとして、
そのことが自分の生活の負荷になるなんてことも あり得るのかなと思いました。
今でもありましたけど、こんなことまで悩む材料にするのか ということはありましたね。
あとですね、筋トレを結局始めることにして、 体高圧からどうしても無理してやるんでね。
ただ、
始めてしまってで、朝ですね、 ふくらはぎを鍛える筋トレも暇のときしてて、
03:10
でもですね、
ふくらはぎの筋トレなんて10年以上してないんですよ。
スクワットみたいなことはずっとしてて、 最近はしてなくて。
で、 今までやってたことしか自分は続かないんですね。
あるいは、 ここ何年もやってないことは続かないんですよ。
あと1日のうちにいくつものことを、
その場その場で、っていうか、
容量よくっていうのかな、まあできないんですね。
で、新たに筋トレの方法をやっても、
何だろう、 続くともはないし、
小手先の感じがしてしまうんですよね。
筋トレするなら、なるべくやる場所を絞るし、 エネルギーが分散するのは過度に苦手なんですよ。
1日の間にいくつものことはできないんですね。
じゃあ次、アサトウと話したいと思います。
昨日見た店で、
ラム、
じゃなくてマトンもあったねって親に話したら、
普通は、 マトンを置いてるよって言い出したんですよ。
マトンは、
どこでも置いてるよって言ったのかな。
で、
マトンが普通だよって親が言ったんですね。
あ、間違えました。
自分が昨日のジェンギス館の動画で見た店、
ラムが多い、ラムだったねって、
あ、違う、マトンもあったようだねって言ったら、
いや、ラムの方が若いんだよって言い出したんですよ。
いや、またこの話って関係ないなそれと思って。
まあ、話が、説明が足りないんですね。
何が言いたいのかとっぱり分かんないんですよ。
で、
いや、
それはマトン、
よりラムの方が若い、
ラムは若い羊?
そういう定義なんだから、
どこで言われなくても当たり前でしょって言ったらですね、
いや、どの店でもマトンが普通だよって言い出したんですよ。
え、今はだってラムじゃないのって。
いや、ラム普通に、
普通ラムがまあ標準というかみんな頼むもんでしょって。
言ったらうちもラムしか食べたことないし、ジンギス館で。
したらですね、
そうだよ、
普通は、
ラムの方が美味しいからって言い出したんですよ。
いや、さっきと言ってることは違うって言ったら、
06:01
いや、昔からマトンがどうのこうので言い出して、
確か、昔から、
マトンが普通なんだってまた言い出すんですよ。
いや、だから今はラムが普通だってあんた言ってばっかりでしょと。
昔も何もないだろと。
言ったら、ああそう言ったらおかしいねって言うんだけども、
話に責任感を持たないし、もう相手をいくら混乱させても、
もう後は言い放って後は知らないって感じですね。
では次。
昨日、ある歌番組見てて思ったんですけど、
その前に、
今応援してないアイドルグループがですね、
パン屋さんに修行に行ってて、
そのパン屋さんがですね、
怪我されたくないって言うんですよ。
でもですね、
そのアイドルグループに何をしたかというと、
挨拶をちゃんとしなかったんですね。
いや、パンで挨拶するかしないかで別に、
今までやってきたこと、積み重ねてきたことを別に崩されないだろうって思うし。
ああ、その人の言うこと全部ヘンテコりんでしたね。
パン屋で返事は大きくって不自然なくらい強調するんですよ、パン屋さんが。
それは返事、逆にしづらいだろうと思って、で返事しなくて怒ってたんですね。
大きな声で返事しろって強くかけるほど、返事しづらくなると思うんですよ。
緊張するし。
まあ自分の場合もそういうこと、自分もそういうことありました。
なんか注目されてるような感じがして。
普段やってることが自然にやりづらくなりますね、強調されるとは。
でもそういうことってないですかね。
自分がやってきたことが怪我されたくなくてプライド守るために、
例えば師匠が舐められないように、必要以上に弟子に本気見せろって圧をかけたり、
自分のヒット曲を守ろうとしたり。
歌手であればヒット曲を守り続けなきゃいけない。
でも人に何か強要するのっておかしくないと思うんですよ。
馬鹿にされたくない、怪我されたくない、壊されたくない、壊さないでという圧をかけるのっておかしいと思うんですよ。
そうでも自信持ってない、情けない人たちなんだなと思いますね。
あとですね、一回で親がブロッコリーが何かあったのかな。
残しといてとか話してるんですけど。
その後普通にすぐ食べ始めたんで、他のもの。
09:01
神経な人は気持ちの切り替えが早いなと思いました。
数曲?
爆発的に人気のある歌詞ってですね。
一生それにすがらないといけないんですね。
その曲なくなったらやっていけないんですよ、曲論。
怪我されたくない、怪我されたくない、とか変化させたくないという思い。
間違いなくあるんですよね。
昨日歌番外見ててもそういう感じでした。
でもそれって宗教みたいになるなと思いました。
自分にとっての絶対ができるし。
そうでなくなってしまったら生きていけないし。
でも一人で守らなくてはいけない。
頼りないし孤独だし。
誰にも頼れないし。
人気上がり下がりあるから自分で自分の曲をコントロールすることもできないし。
なかなかすごい仕組みのある人たちだなと思いました。
やっぱり数曲しか人気ない人、数曲爆発的に人気ある人って絶対すがるんですよ。
あと英語化やめて、何かをやめるとやるメリットが大きくなったりメリットが小さくなるんですよね。
だから続けてたほうがよかったなという気になるんですよ。
あと豆腐の量を3丁から2丁に減らして、昼は豆腐だけなんですけど。
今考えるとさっさと少なくしてればよかったと思うけど。
ただそうしてればすぐ戻してただろうと思うんですよ。
中途半端な状態で変えてもやっぱり元に戻ろうとしちゃうんですね。
限界までいかないと自分は続けれないんですよ。
それくらい自分にとって変化するってあんまりあっては良くないことなんですね。
変化するということは細かく分けると今までやってなかったことをやることになるし、やってたことをやめることになるわけですよね。
人は意味をある程度感じないとやっていけないわけです。
だから価値観や優先順位の変化もあるんですね。
自分は虚無だからこそほんのその少しの意味を新たに持てないし、完成習慣の力でやってきたから変化したとは難しいですね。
12:12
ちなみに番組名、半年以上また考えて、全部で1年以上考えてるんですけど。
日本語で番組名作るんで1からまた考え直して。
やっぱり自分の性格上どうにもならないですね。
昨日の夜中も考えて。
今はですね、ラジオなんだけども。
これもちょっとややこしい話ではあるんですけど。
土台が虚無だから英語化はやめたけど、あっさりしてるんですね。
大ピンチの時こそなぜかこの虚無が発見されるんですよ。
普段は後悔しまくるのに。
しかし番組名を考えた期間を無駄にしたくないという思いは出てきましたね。
あと他のこともすべてこれに伴い変化すべきことはしなければいけないから確認が大変なんですよ。
これをやるからではこれをやらないという。すべて崩壊するんですね。
変化するときすべてこれに伴い変化すべきことはしなければいけないから確認大変なんですね。
それをやるからではこれをやる、これはやらないという。すべて崩壊するんですよ。
新たなことをやると、ではこれをやらないと、これはやめないととなるんですね。
昨日、親が夜中座ってはいけないルールのはずなのにソファの音して、これ2回目だったんですよ。
迷ったんだけど、トータタイトルなかなか返事してくれなくて。
朝聞きました。何でだと。何かあったのかと。本当にソファに座ってたんじゃないかと。
昨日はソファに座ってないと言ってました。
あとですね、昨日その歌番組見てたら、男女で歌うときに男性機に合わせなきゃいけないから大変だってみんな言うんだけど。
プロの歌手でもそんなカラオケみたいなこと言うのかと思ってですね。変に感動してました。
あと中国人がまずですね、アニメなんて自分は好きじゃないんだけど日本のドラゴンボールの曲歌ってて、韓国人も歌ってて。
この普遍性のある感じに感動してしまったので。
あとその中国人が女性だったんだけど日本人にはいない。
どの系統のタイプの美人さんとも違う感じで、それも同じアジア人とは違うのかと思って感動してました。
15:01
あと歌詞がですね、そのアイドルの番組に来てるんだけど、みんな何をさせられるのかと思ったとか。
あとはっきり言ってアイドルのことバカにしてるんですよ。軽く見てるんですね。
これがやっぱり人間なのかと思ってですね。やっぱりそういうのってみんな隠してるんだなと思ったのと。
あとさっき言った、自分の曲を大事にしたいが故に不安感も相まって何をさせられるんだみたいなこと。
その本音が出てる感じがすごい嫌でしたね。
次、UFOを公式に研究してるとかあると聞いて笑っちゃったんだけど。
科学ってもの全てが真理という幻想を追ってるから、科学自体がそんなものかなと思ったんですよ。
時間が経てば今最善だと思ったことが変わる。だから科学者と同じように暫定のものでやっていくんですね。
で、自分はそんな嘘を自分につけないんですよ。
時間が経てば最善だと思ったことが変わるなら、今の判断は当然絶対ではない。
だから暫定だと知りながら、それでやっていくしかない。
でもその暫定は、要は世間の人は暫定だと思ってないんですよね。
次、学校でそんなことを教えられませんでしたという人。
多いことに驚き、しかも割と真面目に言ってるんですよね。
いや、ほとんどのことは学校で習わないし、地域によっても習うことなんて違うし、
なんで人生で知っておくべきことを網羅してくれると思ってるのか、さっぱりわかんないんですよ。
だいたい、国数英霊者がほとんどだし、生活に必要なことなんて教えるかと思うんですよ。
でもこれからどうせ、覆る暫定に確信なんか持てないし、疑いしかないですね。
18:33
しかしそもそも、一生正解にどうせ巡り合いなんかしないんだから問題ないんですよ。
自分のことだけで、じゃあ自分はどんな風にやってたんだと。
でもやっぱり無意識的にやってることだから、なかなか意識化しないとわからないですね。
自分は暫定の正解も持つんだけれども、それよりも暫定のものにすら固定しないですね。
しないことが防衛戦なんですよ。
時間が経ても今最先だと思ってたことが変わるし、
しかしそもそも絶対的正解なんてね、正解ないけど時間が経てばその正解も変わってしまう。
で、どういうことなんだろうと思いました。
正解がないけど時間が経てばその正解も変わってしまうっておかしな話だと思いますね。
正解が変わってると思ってるだけなのか、勝手に信じて勝手に変わったと思い込んでるだけなのか。
つまりですね、正解なんてないからこそ正解が変わってるのか、それとも、というよりも自分で正解を作り上げて勝手に変わったと思い込んでるだけなのか。
やっぱり何かを信じる時って何か対象があるんじゃないんですよね。
信じようとした瞬間何かを作り上げてるんですよ。
わかりやすく言うと光が見えるとかそういうことです。
希望ってね、成立する可能性はあるっていう定義上の話なんだけど、いや違うと思うんですよ。
21:28
人は何か正解がわからないものを正解と信じてるのではなくて、正解を勝手に作り上げてるのだと思います。
そして信じるんですね。
共同元素の場合もあると思います。宗教、科学なんかそうですよね。
正解が変わるとは何なのかっていう疑問になりますよね。
つまり正解そのものが変わってるのではなくて、ただ自分の見方が変わってるだけではないかってことですよね。
24:35
実際には世界の正解が変わるというよりも
あるいは自分の中での正解が変わったというよりも
正解だと思ってたものが変わるっていうだけ
っていうことが多いかもしれないです。つまり認識の更新ですね。
だから自分は勝手に信じてこいつら勝手に変わってるぞと見てしまうんですね。観察してて。
28:30
絶対的な正解がなくても表面的な正解、生活上世界的な正解っていうのもあるから
それは信じられるのか成り立つのかおかしくないのかと思いますね。
絶対的な正解がなくても生活の中でや社会の中で実用的な正解ってありますよね。
例えば約束守る、時間を守る、危険を避ける。危険を避けるって自分の中ではかなり上位ですね。
だってそもそも危険に晒されて生物として問題ですよね。相手に合わせるっていうのも正解ですよね。
宇宙的な真理ではないけども現実の場では十分に機能する正解。
次は運が悪いなと思った話。以前と違って昼間も夜も
幸いなことに暇じゃなくてですね。逆に暇つぶしをするのにとても忙しくてですね。
そんな時にまた番組名を考えなきゃいけなくなって。
これもしそうじゃなかったらなとは思ったんですけど、とはいえですね。
番組名で今まで何ヶ月も考えて無駄な時間を過ごしてきたから、まあどちらにしろ。
たぶんそんな時間かけられないけど。
30:05
あと黒大豆を今回はそんな多い量じゃなかったんですけど、
ひよこ豆は時と違ってたぶん今回はもしかしたらこれだけでやっていくかもしれない。
だからアメリカ産の方がもっと量が多くて安いやつでよかったんですよ。運が悪いなと思いました。
あとですね、最近豆腐減らしてたから痩せれると思うんだけど、
なぜか筋トレ、あ、なぜかじゃなくて筋トレ始めて、ちゃんと理由はあるわけですよ。
しかも自分が何か変化させるって何日間もそれで悩んで変化することばっかりだけど、
それでも豆腐減らしたんだから一丁も減らしたんだから筋トレしなくても痩せるのにっていう気になってですね、
今日は動画見てても集中できないし、親と話しててもずっと足ガクガク震えながら筋トレしながら話してるし、
でも昼間はねめくなったら腹筋をするっていうルールにしちゃって、
そしたらもう多分1000回ぐらいしてるのかな、あれ。
最近話してた鳥人間って、これもう宿命みたいなもんだけど、
永遠の正解じゃなくてその時その時の暫定的な正しさで行動するしかなくて、
最近話してましたが、そんなこと知らずともですね、自分は苦手でしたやっぱりそういうのは。
この人たちと行ったら幸せだとか、この人と話してたら全て忘れられる。
この世界に使ってたら全て辛いことを忘れられるみたいな時、
自分はこんなのいつまでも続かないと思い辛くなるんですね。
普通は永遠に続くと思ってないはずなんですよ。
そんな発想なくてでもいつか終わるとも思ってないと思うんですね、普通は。
自分は暫定的な正しさや幸せ、ただの暫定的なものとは気づいてしまうんですね。
33:00
昔からそういう傾向がありました。
ほんの一瞬幸せな気分味わってるかもしれないけど、いやー一瞬もないですね。
この人たちといる間は全てのことを忘れる幸せだみたいなのが前証だと気づいてしまうんですよ。
あと英語会、英語勉強というかポートキャストで話すのやめてしたら、
やっぱり音楽聴いてる時なんかも、もうやめて1日目なんですけども、なんか嫌な意味で懐かしくなるんですね。
もしやってたらどうだっただろうかと考えてしまうんですよ。
今日歌番組見てですね、本当に歌いたいのかもしれないけど楽しく歌ってるような見せて、
それで自分も盛り上がってるとこもあるのかもしれないけど、自分は学生時代やりたくないことを楽しく見せる演技はできなかったんですね。
学校祭とか友達と遊んでる時は楽しく見せてたのが演技しきれなかった。
そうやって嘘をつけないんですよ。自分にも人にも嘘をつくことになるから。
だから人に対する嘘でもあるけど自分に対して嘘をついてる気がして。
39:34
正しいと信じたい、あるいは思い込むより、科学に対してみたいにこれは正しいと決まってると決めつけることはできない。
39:46
そういう方法恐ろしいんじゃないかと思いました。実際定説なんてのはあまりないのに。
正しいと信じたいと思うより、これは正しいに決まってると思い込む方が危ういと思うんですね。
疑う余地が必要だと思うんですけど、その点はあまり変わらないけど、校舎の方が疑う余地はないし、
正しいと信じる場合は多少なりとも信じてる自覚ってあると思うんですよ。
でも科学ってもう信じる必要もないくらい正しいと思っちゃってますよね。
科学に対して誰もが定説を絶対の信念に扱ってしまうんですね。
定説であるかどうか線もわからないし、大抵の人。
定説さえ更新されるし、一番細かいことを微調整してうまくいったことはないですね。
全体のバランスに負けるし、少し直しただけで変わらないこともあったり、変わってもあまり意味ないことがあったり。
小さな修正をすればなんとかなるという楽観には乗れないですね。
それよりも土台となるものの方が大きく影響するし大きなものだし、あまり細胞をいじることに意味を感じないですね。
次、みんなのを真似して。
次、大事なとこで普通であれば説明つくものが自分の場合つかないときあるんですね。
親との会話は普通ならどっちも悪いになるだろうし、奇跡が起きるのも普通ならそれは確率的にあり得るとか。
説明つくけどあまりにも肩入れすぎてて相当な例外なんですね。
一般論から言うと親にも非があって自分にも非があってみたいになると思うんですけど。
42:05
自分の場合別にそこはどうでもいいんですよ。どっちが悪いかなんてことはどうでもよくて。
あとありえないような奇跡が起きるのも別に、たまたまでも別にいいんですけど、それにしてもちょっと変なんですね。
では次、文学やドラマの解釈って相当幅広くできる。
何を伝えたいのか?
正解ないようなもんだし、それなら何を伝えようとして書いていても意味ないんじゃないか。
そもそも文学は芸術であり、自己啓発じゃないから何も伝えなくていいんじゃないかと思ったんです。
正解に閉じられないということは作者の意図を唯一の答えにするのは難しいということですよね。
作者が何か伝えたくているのだとしたら、それが答えにならないって何なんだって思いませんか。
解釈があるだけで作者の意図なんかわからないし、しかも作者の意図を唯一の答えにするのは難しいってことは、つまり作者の意図を無視されていくつもの正解を作られているっていうことですよね。
その正解の無さが魅力なんだって言われたところで、正直ちょっとヘリクツーだと思いますね。
一つの答えを教えつけたくないからっていうことなんだとしたら何も伝えなきゃいい話だし。
一方で文学が好きな人は分かりづらいからこそ自分に考える余地があると感じてます。
小難しくしてるだけだろうと思うんですよ。
実際小難しくしてこれを文学だと言っている場合が結構多いと思います。
小難しくしたり、グロテスクにして文学性があるように見せているものが多いし、あと文学そんな読んでないにも関わらず分かりますね。
あと現代アート、現代音楽は抽象的意味を含ませることだけで、美しい音で感動させようたとしませんよみたいなことを軽視されていると思いますね。
自分の経験を重ねられるとかそれは分かるんですけど、ただですね、作者が何か伝えたいことがあるという前提で考えると、今言ったようなことですね。
では次。言葉では表しにくい感覚や雰囲気。感情を伝えたいと考える人。
45:07
それを絵にする。言葉では表しにくいから絵にするって言葉では分からないから暴力振るうのと一緒な発想だと思うんですよ。
言葉で伝えられないものを別の形にする。その点で暴力と何ら変わらないと思うんですよね。
ただこういう極論はあまり好きじゃなくて、話の後全員が○○というわけではない。
例えば鉄道ファンも全員が発達障害というわけではありませんみたいに。
単に対象そのものへの興味が強い人がいるだけですみたいな言い方をする人がいるけど、
この場合発達障害が鉄道に多い事実があるのに、全員が発達障害というわけではありませんみたいな。
こういうことをたまに聞きますよね。
こういう場合何を伝えたいんだろうと思うんですよ。
普通と何ら変わらないということなのか、少しだけ違うのであればそう書けばいいわけだし。
全員がそういうわけではないですよという言い方。
事実を和らげる一方で、事実を和らげる必要ないだろうしこういう場合。
何を言いたいのか、完全にぼやけてるし。
曖昧な配慮のせいで話の本質が壊れてしまってるんですよね。
全員ではないことはそりゃそうですよね。
でもそれ言う必要ないし、何も伝えてないに等しくなるんですよね。
次、正解ないだろうししかも曖昧性があるもの。
考えてて困るんですね。
これはもちろん、例えばポッドキャストであるとすれば、
ポッドキャストの方法論のことで、
でも正解らしきものがあってもたぶんたどり着くことはありえない。
しかも人によって全然言ってることも違うみたいなことですね。
それからいろんな何かのテーマについて、ちょっと小難しいテーマなんだけど、
48:03
ちょっと定説もなければ、全然議論の余地がすごいあるっていうこと。
正解がない上に曖昧になる。どう考えても最後まで決まらないんですよね。
曖昧さが苦しさになるんですよね。
次、救いや希望は恋愛と同じで欲してしまうし、
この上ない幸せ。いつまでもこれが続くと思うもの。
恋愛だってそうじゃないですか。
これだけ恋愛ソングが多くて、ドラマも好まれるってことは、
それだけみんな欲してるし、
でもですね、たとえ同じ人と付き合い続けても、一緒にいても、
その感覚、最初の頃の感覚って消えるわけですよ。恋愛感情って。
この構造似てますよね。救い、希望。
みんな欲してしまう。なくてはならないんだけど、ないと分かるものですよね。
麻酔なんですよね。救いや希望も最初は強く効くんですけど、慣れると感覚は薄れるんですよね。
希望、永遠な幸福として見てしまいますよね。
一時的な支えなんですよ。
自分たちが見ている世界は脳とした世界であり、
意識が見ているのは、この世界が出がなく自覚したものなんですよね。
脳が自覚したものを統合させて、それを意識が見ているんですよね。
つまり脳が編集した世界を見ているんですよね。
だからですね、現実を見ている人はちゃんとこうやって目に見えるものをしっかり見ていると思っているかもしれないけど、
正しさとのこの現実、
絶対的なものということじゃないんですよね。
絶対的な正しさではないんですよね。
余裕がない精神状態だと選択肢削りすぎて、
余裕が出たらやっぱりあれでもいいんじゃないか、これやめたけどやっぱりいいんじゃないかみたいになるんですね。
余裕がないときって視野が狭くなっているから、
決め打ちみたいになってでも余裕が出ると封じていた選択肢が見えてくるんですよね。
51:02
だから選択肢の数って揺れがあるんですよね。
次、ポッドキャスト最後の方は適当にやりたくなる。
そうした憂鬱を聞かせることはしてはいけないんですね。
どこから楽していいのかと考えてもキリがなくなるし、
では今回はもっと早くから適当に力抜こうとなってしまう。
例外も作れないですね。
完璧でなくても例外があってもいいじゃないかとならないですね。
今日あったこと、疲れたし一つ二つ話さなくてもいいとか、
今日は食事中集中しなくてもいいというふうにしてしまうと、
そうする基準なんて曖昧だから、
今日も適当にやるとか、昨日適当にやって、
今日適当にやらないのはなぜだとなってしまうんですよ。
整合性取れなくなるんですね。
単に理屈の問題でなくて虚無にいてなぜ続けられるかというと、
脳の物理的に感性の力で稼働している。
だから例外を作るといくらでも理屈でバランスを取ろうとしても
体は言うことが聞くわけないんですよ。一度例外を作ると。
昨日やったのに今日はこうしないのかみたいに
ルールが崩れて見えるんですよね。
整合性を大事にするからこそ例外には敏感ですよね。
普通であれば一貫性を求めすぎると
続けることが困難になるけど、
だからルールと例外の境目って本当に大事なんですけど、
そこを器用にはできないとも言え、何とかやっていくしかないんですよね。
だから自分をごまかすしかないですよね。
一貫性、貫けてないんだけど貫けてると思い込むか、
ちなみに豆腐一年間具合悪いからって量減らしたり、
以前一日歌ってたときは疲れてるからといって
寝たりはしなかったですね。
一貫性貫けなくてもできてると思い込ませるのは無理だから、
うやむやでわからなくなるんですよね。
それぐらいまで限界まで耐えてましたね。
やりたくないことはそれまでの数時間で辛いですよね。
10時間前から辛い。だからですね、やらない予定の時間で衝動的に始めるんですよ。
それが回避なんですね。
54:02
やる前から気持ちを削ることになる。
予定の時間までずっと苦しくなる。
だから、事前に衝動的に始めてしまうんですよ。
つまり先延ばしするのと先に早めに開始するの両方が
同じ辛さ回避になってるっていうことですよね。
だから先延ばししてる人と何ら変わらないんですよね。
そうなんです。宿題とか先延ばしする人と自分が早めにやっちゃうっていうのは
全く同じ構造なんですよね。
でも全く違うような気もするし。
多分全く性格は違うんですよ。先延ばしする人と。
真逆なんですよ。でも共通点もありましたね。
次、虚無とはいえ動画見るときは大事に見るから
消えてるとかなり落ち込んでたけど今は過去に囚われなくなりましたね。
なぜか過去にの執着が弱まって
事実は事実として受け入れる力がついたのと
これは分かんないですね。
執着することがもう減ったというしかないですよね。
それは自分の意識とはやっぱり別の次元ですね、多分。
次、意味付けしないと価値観を置かないことになるから
適当になったりちゃんと自分の意識が
規律で、ルールでやったとしても
大事にできなかったり、動画つまらなく感じたり
必要なものだがそんなことないんですね。
でも価値って意味付けしなくても
自分は気持ちに余裕がないわけですよ。
なんとかして暇つぶししなきゃいけない。
だから動画見れるだけでもありがたいってことですよね。
あと結構物事って見方でも変わることがあって
57:01
ちょっと視点を変えてみれば
やりがいが出てきたりするんですよね。
次、楽しいと言っている人は楽しんでいないと思うんですね。
楽しいと思いたいだけ。楽しいかどうかの
自己開発を必ずしているということは
楽しいという感情は出ていないんですよ。
楽しんでいる時って楽しんでいるかどうか
確認しようとはならないんですね。
ただし集中している時楽しいという
感情ってそもそも出ていないんですよ。
あとは楽しいと言っている人は楽しんでいないんですよ。
楽しいと発言している人全員で意識がしているので
楽しめなくなりますからね。
楽しいと言っている自分によっている可能性はあるけど
楽しむことが目的なものってプレッシャーで楽しめなくなるんですね。
ストレスになるんですよ。
楽しもうとしたら目の前に集中できていないから楽しめない。
しかし楽しもうと笑顔で盛り上がろうとしたら
思い込みで何だか楽しめることはあるんですよ。
逆に集中するということは楽しめなくなるということもあるんですよね。
感情が鈍るからですね。
ありがとうございます。
58:26

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