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第5908回 意味を足さずにただの日常として見る
2026-07-29 25:23

第5908回 意味を足さずにただの日常として見る

この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。

哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。

「何を知っているのか」

「それは本当にそうなのか」

「確信はどこから生まれるのか」

人はなぜ何かを信じるのか。

なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。

私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。

信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。

意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。

人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。

意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。

結論よりも、考えている途中の揺れ。

完成された思想よりも、変化していく認識の記録。

自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。

虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。

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サマリー

このポッドキャストでは、日常の些細な出来事や人間の行動様式を観察し、そこから生じる認識や意味づけの仕組みを探求します。集団行動への疑問、運の捉え方、努力の価値、そして物語を創造する人間の性質について考察。意味や目的が揺らいだ後でも、人間がどのように日常を維持し、思考し、行動し続けるのかを記録し、答えではなく問い続ける姿勢を重視します。

集団行動と個人の必要性
倉木さんのラジオ収録始まります。
朝です。現在朝です。 みんなの真似をして
みんながやっているようなこと。 かつてから
かねてからの疑問で、例えば 中学生がみんなの真似して恋人を作り始めたり、こういうの子供がアニメの技を真似して
喜んでいるのと同じように見えてましたね。 みんなやってるからってやる行為、全てが
滑稽に見えてました。 本人の深い必要じゃなくて
みんながやってるからという 連鎖
で成立しているものって多いですよね。 まあでもそれが人間らしさなんだけど、その人間らしさ自体が
滑稽だし。
運の捉え方と失敗の解釈
では次行きます。大事なところで失敗すると 運が悪いと感じますね。でも本当は
自分を選んでくれていたのにたまたまだったと気づいて
大事なところで失敗して、大事でないところで上手くいく、このようなことに運が悪く感じるんですね。
なぜか敏感で運悪いと思いたく
それを目的の行動もあるんですよ。 でも運悪いと思いなくないだけの行動だから
理にかなってないことも多くて 後々変化させるんですけど
この前もですね、歌手がですね 割と大きな番組
大きな番組で ミスをして
そうでない番組で 完璧に歌えてて
いやー見てて不便でしたね。
何かで選抜してくれた人、まあ自分選んでくれて
喜んでるんですよ。たまたまだったら つまり別にその人
でなくてもよかったってことですね。それに気づいても なんだ
落ち込んでないんですよ。ポジティブなんですよ。 そんな場面ってたまにありますよね
失恋じゃなく偶然だったと知ると 意味の重さが本来変わるはずなんですよ
まあただもちろん選ばれたこと自体
嬉しいことだろうし、そこに目が行ってるんでしょうね。 でも理由を聞いてがっかりしないのかなと思います
自分だったらがっかりしますね。 やっぱり選んでくれた理由に目が行くんで
今のやり方だと不十分、しかし別の方法で
うまくいってしまうとですね、最初のやつなんだったんだ ってなってしまうんですよ
特に短時間でできるようになったら あの時間なんだったんだと否定することになるんですよね
よくある感覚ですよね、これって
自分はそれにも運が悪いなと感じてしまうんですよ
別のやり方で簡単にできるようになると
最初の苦労は無駄に見えますよね でも一郎なんかも
言ってましたが 奴の時間があったからこそ
たどり着けてるんですけどね
興味の対象と調べる行為
何か加工が雑にされてしまってる、消されてるような
この違和感があるんですよ。 興味の対象は面白いこと
楽しいことではなくて 気になることなんですね
自分は
しかも疲れて嫌になるほど調べる 対象でもあるんですよ
つまり 別に
そんな快感を得るようなものじゃない 単にもう
調べるざるを得ないみたいな ものは全て興味の対象なんです
娯楽としての興味じゃないんですね 引っかかりを解消したい
要求に近いんですよ 楽しいから見るのではなく気になるから掘るんですね
しかも調べること自体も別に快感じゃないんですよ
放置できないんですよ だから前もいいとか確認欲求なんですよね
中立の概念と固定観念
次、中立をあるものと
あるものの間と思っている人 多くないのかと思うんですね。違うと思います
でも 中立って真ん中
立つことではないと思いますね
固定されないことなんですよね だからどちらにも飲み込まれないこと
中立的な立場って言いますよね
だから自然と都会と 中立っていうと
自然もある程度あってでも 利名性もある都会っぽいところを指すんじゃなくて
都会がいいとか 自然がいいとか
そういう考えに懲りかたまらないってことですね
だからその両方を外から見る態度なんですね では次、自分は
惨めさの表明と虚無の構造
惨めだと言っている人
テレビで見たのかな?で自分は 絶望に浸らないので
大局なはずなんですね 課題を取り出し決めつけてるし
しかしですね 似たものを感じたんですよその人も
虚無だからこそ惨めだと あえて決めつけることによって
保とうとしている それはだから決めつけというより
その人にとってはルールなんじゃないかと思いました 表面的にはもちろん反対のことを言ってても
構造は似てるんですよ その人は惨めと言ってと思ってて自分は
絶望に浸らないことでと思ってるんですね
絶望に酔わないこと
絶望に酔うっていうのは 絶望が
不快感じゃなくてなんて自分は 可哀想な人間なんだって逆に快感が生まれるんですよ
ポッドキャストで話すためにある程度 ストーリー化しないといけない
物語創造における正解の探求
発達所があるからこうなんだみたいに 言えるし宗教
虚無 宗教人生で虚無になったから
とも言えるし こうなったみたいに言えるし
いくらでも変えることができてしまうんですよね 正確で
ありたいけどそもそも物語を書く時点で 正解も何もない話だ気もするんですよ
物語 意味づき 人生 物語の幻想を抱いている時 正解を求めたり正しくいたいと言うのって
愚かだと思いますね 次の話はですね 人間って物語を書くけどその時に正解を求めるって
おかしな話だなぁと思ったんですよ 例えば
物語って何があるかというと この失敗は自分を成長させるためだったとか
あの人と出会ったのは運命だった 苦労したから今の自分があるとか
この今のこの状態になる
今までの今までの経験 つまりこの仕事を今してるけども
そのために今までの経験があったんだ あの別れには意味があったとか
人生に無駄なことがない 天と電が繋がった 神様が支援を与えてるんだ
今は辛くて耐えてるけど 必ずいつかも使われる
人生の これはこの時は天気だったなぁとか
そうやって物語を書いている最中に 正解を求めてるっておかしな話だと思うんですよ
この出来事には何の意味があったんだろう
意味づけしてる最中に そもそも物語に正解なんてないんですよね
物語自体が正解じゃないし だから
作り話でしかないんですよね あの
さっき言ったいくつかのこと だから
だから この出来事には何かの意味があったって考えてる時点で
単なる作り話でしかないのに 本当は何の意味があったんだろうって言ったって
そんな答えがあるわけがないんですよ この苦しみは何かのためだったのかなって
何かのためじゃないわけがないんですよ 単なる苦しみなんですよね
自分の人生のテーマは何だろうとか あるわけないのに
それをああだこうだって探しても おかしな話なんですよね
あの選択は正しかったのかっていうのもそうですね
正解でも不正解でもないですからね
この経験は自分に何を教えたんだろうとか これも宗教にいた頃は
そういうことをよく問うてましたね 物語を書きまくってましたね 自分の人生は
成功だったか失敗だったかとか あとさっきの話でいくと
神様は今どんな試練を与えているのかとか どんな意味があるのか
答えを探すってのもそうだし あの別れにはどんな意味があったんだろうとか
話戻りますけどだから宗教にせいなせいで こうなったのか 発達障害のせいでこうなったのか
正解を求めている時点でおかしいんですよ 語り方次第で何でも変わってしまうんですよね
物語を書く時点で完全な正解は 正解がなくなってしまうんですよ
だからこそ自由にできてしまうことの 恐ろしさがあるんですよ
何とでも言いくるめることが できてしまうから
仮設定としての正解と遊び
でもフォトキャストで話すために ある程度ストーリー化しないといけないし
次 正解なんてないと分かっているから
正解作ってある程度信じるっていう お遊びもできるのかなとは思いました
運用 生活 運用のための仮設定みたいなもんですね
本気にならないっていうことを知っているからこそ お遊びができるんですよね
そんなことは多分しないけど
というか 今現在そうやって運用のためのお遊びとしては
正解ってものも使わざるを得ないっていう感じですね
しかもそれを一時信じるっていう お遊びになるんですよね
では次 自分が固定しているのは信念ではなく
信念と維持のための規律
維持するための規律やルールなんですよ
逆に固定しないでいるのは 価値判断による固定という意味合いなんですね
さっき言った運用 生活のための運用の固定なんですよ 規律 ルール
一番小説家でもないのにですね
空想と過去の出来事の回想
普段から何を話すかって常に考えてしまうんですけど
他人がこんなこと考えてるなんて 空想もよくするんですよ
例えばアイドルの子が ファンはライブで熱を帯びたら
もともとの性格はどうであれ
目立ちすぎる行動とか 自己中心的な行動になってもおかしくないけど
うちのファンはそうじゃないとか 言ってる空想をしたりですね
あとはですね いつも食事中なんですけど
こういう空想をしてしまいますが 今日はですね
給食の時間
自分に対してではないんだけど 部活の悪口というかバカにしてる奴いて
でもそいつ中学生にもなって カードを集めてたりしてたから
そういうことでバカにされたくないなら 自分も人のことを
そうやって見くびれるようなことを 言わない方がいいって言ったら
なんて言い返ししてくるだろうな とか考えてましたね
あとはですね
逆にその
お兄さんがですね 自分と同じ宗教に入ってて
で ある時 集会に同じクルマで 一緒に行くことになって
中学生の時 先輩のことを恐れおののいてたけど
原感で話しかけてくれて 嬉しかったということをちゃんと
素直に伝えればよかったなと思って 後悔してました
という空想ですね 空想というか思い出してました
あとですね
身体の変化と食事の調整
最近腹出てきて 少しだけで出てきてって親に話して
食べる量 食事の量を減らされたりしても困るし
しかも昨日 豆腐を2丁にして
急変化がありましたね
さらに減らされたら逆に痩せすぎるし
朝ですね 予想だにしないことが起きました
予期せぬ出来事と味覚の変化
卵を焼きなんだけど味がしないんですよ
糖分減らしてる方がいいと思って 多分砂糖を減らしたんですね
やっぱりかと思いましたね
最近の葛藤なんですけど 夜ラジオを聞くの
生活の変化と習慣の見直し
当たり前になってたんですけど
哲学的なことを考えるようになって
夜できることができたし 季節も変わったし
そういう変化があるんですね
あと ロッドキャストで勉強のつもりで聞いてたけど
聞くのなくなったとか そういう色んな変化があって
だからやることできたんです 別にそれやればいいんですけど
さらにそれとは逆にですね
昼豆腐しか食べれてないし
あまり夜にそんなストイックにならなくていいと
思ったのは忘れてたんですよ
あとですね
結局夜中ちゃんと勉強してたんです
ロッドキャストのためにできることやってたんですよね
今日だって4時半に起きて 2時間ぐらいロッドキャスト撮って
あと他の理由もあって夜はリラックスして
また理由忘れたけど
夜はリラックスしていていいな そんなストイックじゃなくていいなって
考えてたことなんかも忘れてるんですね
こんなことしててはいけないとか なんでこれやってるんだという場合
その行動自体に問題あるのではなくて
単にそれやってる理由忘れてるだけという場合が多いんですね
辛いことしかなくても そのことやっていいと思うんですね
楽しさと辛さのバランス
しかし楽しいこともあるから辛いけど
やった方がいいという考え 理解できないんですね
楽しいことに価値を置くなら
その逆はやめる要因になる
じゃあ辛いことの方
多いならやってるのおかしくないと思うんですよ
楽しいこと少しはあることを分かってても
全体的に見て辛いかが重要で
分かりますかね
楽しいことがあるからって言うけれども
楽しいことも少しはあるからやるって言っても
続けられる理由にはなっても
わざわざ続ける理由にはなんないですよね
部活楽しいこともあるから続けてたみたいな
アイドル活動楽しいこともあるから辛いけどできてましたみたいな
続けられた理由としてはいいかもしれないけど
これも衝突してますよね
楽しいのが理由で続けてるなら
じゃあ辛いこと多いってなる
じゃあそれでやめるでしょうって話です
だから一部の
心地よさで
全体を正解化できないだろうと思うんですよ
辛いかどうか関係ないっていうことじゃなくて
辛いかどうか続けるかどうかと関係ないというのではなくて
楽しいことも全くないわけでないから続けるという場合
楽しいことに価値を置いてるから
そのことやめて楽しさの比重をもっとあるものに
いかないのっておかしいと思いますね
それをやらなければいけないなら続けてる理由なんてそもそもないし
単にストレス多いだけなのにいろいろ
気になって悩み多いと思ってしまうんですね
疲労とストレスによる認識の変化
ストレスが多いと過敏になって
些細なことまで大きく見えて
だから単なる疲労とかストレスの問題なのに
人生の問題として見えてしまうんですよ
もちろん自分の性格の問題にしてしまうこともあるかもしれないし
発達障害が理由だと思うことはありますね
これは正しいですよね
悩みの中身が増えてるだけじゃなくて
増えてたとしてもそれよりも受け止める
余力の問題なのかもしれない
それが減ってるのかもしれないですね
増えたように感じてしまってる
だから単なる考え事が悩みになってしまってるとこですね
今までだって別にそんな悩みにしか考えてあるわけだし
では次
欲求の探求とエネルギー消費
自由な感覚になったり
余裕できると
動画の見たいのが増えていてもまだ何か
何見たいかわからない
その何かを探す作業が大変なんですね
何か見たいんだけど何なのか漠然としてるんですよ
余裕ができると抑えてた欲求が元に出てくる
でも長く抑えてた分何が欲しいのか自分でもすぐにはわからない
見たいものの輪郭がぼやけたまま出てくるんですね
でももう見たいという
何か動画
他暇つぶしで見たいという欲はあるんですよ
だから何かしたい気がするけど
自分が本当に何がしたいんだろう
そもそも見たいものがあるのかみたいに
欲求の正体を知ろうとし続けてしまうんですね
この欲求は何なんだと
いうことにエネルギー使って疲れるんですよ
幸福みたいにこの概念をバカにしてる
幸福概念への反発と関心
けども気になるってことあるんですね
幸福って綺麗事
外側からの押し付けだと思ってるけど
かえって気になるんですよ
バカにしてるようで実は引っかかってるんですね
反発と関心が同時に出てるんですよ
ポジティブ思考もそうだし希望なんかも前向きさ
あと自己肯定
自己肯定感って言われますね
充実感
成功物語もそうだし
充実感って自分を肯定させるものなんですよ
自分が今充実させると思えれば自分肯定できる
人生が満たされてる
やってることに意味を感じたり
毎日が楽しいと思える
こういう感覚は
自分の生活はいいものと受け取ってますよね
25:23

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