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第5916回 前編 哲学以前の問い
2026-08-03 10:22

第5916回 前編 哲学以前の問い

この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。

哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。

「何を知っているのか」

「それは本当にそうなのか」

「確信はどこから生まれるのか」

人はなぜ何かを信じるのか。

なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。

私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。

信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。

意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。

人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。

意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。

結論よりも、考えている途中の揺れ。

完成された思想よりも、変化していく認識の記録。

自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。

虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。

感想

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サマリー

このポッドキャストでは、「極める」という行為の本質について考察します。何かを極めようとすると、実際には表面が増えているだけで、奥に進んでいるわけではないと指摘します。これは、人間が悩むプロセスや、自己成長の幻想にも当てはまると述べます。また、合理的ながらも無駄を惜しまない人の魅力や、「遠回りが一番の近道」という言葉のパラドックスについても掘り下げ、物事の捉え方や認識の仕組みについて深く考察しています。

「極める」ことの幻想
存在意識現実記憶記憶世界
すべては
作られている
現在はそうです。 何かを極めようとする時って
奥に奥に 行ってどっかにたどり着く
っていう人もいれば
進んでいる行為そのものが極めようとしている行為だ
っていう風に見ている人もいると思うんですけど、いずれも自分は間違ってると思うんですね
極めようとすると、まだ奥がある、まだ極めてない
まだ足りないんだって認識する。すると
実は奥に進んでるつもりでも、単に表面が増えてるだけだと思うんですね
つまりですね、まだ極めてない自分が生まれることによって
交代してるまではいいすぎるかもしれないけど
実は表面が作られているだけだと思うんですね
握水ってご存知ですかね
水たまりがあって、そこに向かっていくとどんどん離れていくっていう現象ですけど
これにたどってしまうと違うんですね
一瞬これに近いかなと思ったんですけど
これだと奥に奥に
進んでる。つまり極めようとして新しい技術とかをつけて
先に先に進んでるイメージ
でも奥に進んでるっていうとやっぱりそれは
到達点はないけれども
でも成長してるニュアンスがつくわけですね
そんなことはないと思うんですよ
もう一度先の話に戻りますけど
先に進んでるけれども実際に進んでない
でも最初の地点からのしたら距離を自分で作ることになりますよね
だからその
その距離感を表すと表面が表れてるっていうイメージ
表面ができてるってイメージなんですよね
奥に奥に自分が行ってるっていうのも
その人の頭の中では先に先に進んでるイメージだけど
本当は奥に行ってなんかいないから
実際は表面ができてる
で例えるなら
包み紙をめくってって
奥に奥に進んでるイメージだけど
そんなことはなくて
自分の包み紙見て
まだ先があるんだって驚いてる感じ
何か極めるとですね
技術が向上する分見えない部分が出てくるわけですよね
その繰り返しですよ
だから進めど進めど同じことをしてる
で極めてるって幻想に浸ってる人
浸ってるとかみんなそうだろうけど
そういう人は奥に奥にどんどん進んでもいるっていうイメージだけど
奥に表面ができて
イメージですけどそれを見て驚いて奥に進まないとと考えるんですよね
ちなみに人間が悩むときもそうなんですよ
迷路に勝手に入ってると思って
で出口を探す
もう一個例えると
例えば丸いボール
これは自分だとして
もっとすごくなりたいと思って頑張って
でその周りに粘土か何かペタッと張っていく
で表面ができる
でさらに頑張るとまた表面に粘土ができて
ででぶでぶとどんどん大きくなっていって
でも本人は極めてると思ってるんですよ感じがして
でその外側に張り付いた粘土を見て
うわまだまだ奥があるじゃないかと
もっと頑張んなきゃ
ってやる
だから自分で壁を作って
自分でですよ壁を作って
で壁があるからもっと進まなきゃって言ってるようなもんですよね
でもそういうことではあると思うんですよ
木職人さんとか見てると
自分でない壁を作って
で壊してってなんか極めてると思ってる感じ
これはちょっといいですね
これはちょっと飛躍してるかもしれないけど
まあ科学もなんかそれに近いような気がするけど
科学者がやってることって
でも人類ってものを俯瞰してみたらなんかそういう面もあるかもしれないですね
日常の出来事と思考の揺れ
では次の話ですが
軸ってぶれるんですね
自分は特性なんて最近メモしなくていい
でメモすることを限定的にして
迷ってる状態ですね
で話さなくていいと思ったり
そうやって軸がぶれてるんですよ
でもですね
もうメモはしてしまってる話は
まあともかくとして
それぞれいつものように整合性が取れなくなるんですね
まあぶれてる時ってそうやって色々気づくことがあるんですよだから
あと親との会話は上手くいかないですね
Xの
頼んでXに
ある人の
TikTokか調べてもらったら
単にその人の名前入れるから
別の人のアカウントも出てくるってことがあって
こういう親がパソコンでありえないミスする時あるんですね
まあ親子の会話の件と違って
まあせめて仕方ないのに
なんで腹立つのか
って考えてしまうんですよ
でもその時はやっぱり腹立ってるんですよ
あとこのこともありました
裏で庭で椅子
使ってるのかって聞いたら
まあうちの親
ルール通り
座れないことになってるんで
最近はお茶飲めることに
聞き参りましたけどね
まあだから
座ってないよって強調してるんですよ
ちゃんとルール迷ってるよって
別に自分は興味があって聞いてるだけなんですよね
まあそんなこともありました
では次
合理性と無駄の魅力、そしてパラドックス
自分は合理的なのに
無駄を惜しまない人の魅力を感じるんですよ
最近だと前の家の人
車庫を電動にしたり
合理的なんだけど
まあ原始的なことっていうのかな
庭いじりしたり
してたんですね
あとは
一郎なんかもそうですよね
まあこの文言自体
あんまり好きじゃないんですけど
遠回りが一番の近道
って本にも言ってるし
無駄なこと
一見遠回りにするのようなことが
大事だったって言ってるし
まあそういう
考え方自体もそうだし
うーん
でももう一度言いますけど
合理的だけど
無駄を惜しまないっていうそのギャップ
魅力を感じてるんですよ
では次
遠回りが一番の近道って
右は左
東は西と
言ってるようなもんで
まあそんなこと言い出したら
まあ非理屈ですよね
まあ遠回りには遠回りの特徴があるし
近道には特徴もある
同じもんだって言いたいんだとしたら
それって軸歪んでるっていうのか
パラドックスっていうのか
遠回りイコール近道って言い出したら
百歩譲って遠回りも近道も
同じ道なんだみたいに
言うならいいけど
遠回りが近道に置き換わるなら
じゃあ近道はどうなんだってなりますよね
あとさっきの話
ですけど
芸術を身につけて
今まで聞こえなかった細かい違いが
聞こえるとか
見えなかったものが見える
さらに修正点が見える
で新しい解説が生まれて
向上させてると思ってるけど
到達点がないのに
ないわけですよねそんな人生に
これは何だったそうだと思うんですよ
職人だって
答えがないんだからだって
で到達点がないんなら
穴掘って埋めて
また穴
10:22

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