1. 北海道から倉木 凪(なぎ)がお届け
  2. 第100回 新興宗教に20年いた宗..
2024-06-12 30:03

第100回 新興宗教に20年いた宗教2世が語る新興宗教○○○の実態

変な儀式、キテレツな会員たち、トラウマ、教祖、退会は難しいのか。



---

Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/kuta1/message

Powered by Firstory Hosting
00:17
変な儀式、喜手列な会員たち、トラウマ、競争、大会は難しいのか?が概要です。
まずいきなりなんですが、大会ですよね。大会については、宗教によっては、何の大会かというと、
競争、大会は難しいのか?が概要です。
まずいきなりなんですが、大会については、
宗教によっては、なかなか辞めれない宗教もありますよね。
辞めようとしても、かなり威圧的というか脅迫的というか、
辞めたら、たたりがあるぞみたいな。
それで親戚もいますね。なかなか辞めれなくて、
大変な思いをしたって、確か言ってましたね。
洋館から聞いた人の話でも、具体的には忘れましたけど、
いろいろやられると。
あと、不安を煽るようなことを言われたり。
でも実際、物理的にというのかな、
辞めたら何回も、脅迫的なことを何回も言われやられ。
そんな宗教もありますね。
信仰宗教は大手のところ、小さいところも、
本当に辞めるのは、かなり難しいと思っていた方がいいと思います。
やっぱりその宗教をそれまで何年も信じていた、
例えば2年以上いたという人は、
拭い去ることができないわけですよ、その信仰の思いを。
だからやっぱり何か引っかかる部分があるというか、
何か悪いことが起きそうなことが気がするというか。
それで周りからもいろいろ言われるしね。
何か起きそうな気がするみたいで、
それで結局戻るという人もいるでしょうね。
あとは、信仰自体はどうだろうね。
もうそうだけど、仲間と離縁することになるわけだし、
会えませんよね、もう辞めたら。
その人が立ち暮らしたら裏切り者だし、
こっちも怖いし、会えないですよね。
で、戻ることになるとか。
ちなみに自分がいた宗教は、
いやーこれも本当にあれなんですよね。
上っ面は良い宗教と予想している宗教なんだよ。
ただね、本当に表面的な違いですよ。
やっぱり辞めづらいですよ。
特に何か脅迫的なこととかしていないつもりなんでしょうね。
自分たちは良い人たちですよって思っているつもりでしょう、きっと。
でもどうですか。
その宗教だと同じでしょう。
辞めさせたくないし、会員数減るのも嫌だし、
なんで辞めるんだと思っているだろうし、
何としてでも引き止めようとするわけですよ。
03:01
その手段が違うだけですよね。
自分なんかは引きこもっていたんでね。
親がプロジェクトをやっていたりしたんで、
ターミナルの代表というか、
仲が良かったんでね。
自分は特例ですよ、もう。
その人に行って、
割とすんなりに行ったけど、他の人はどうなんかな。
ちなみに自分は1回辞めて、
老人1年目に辞めたんですよね。
老人始まってすぐ辞めて、
その時何で辞めたかというと、
他の周りの青年の人たちに対しての嫌悪感と、
もうさすがに嫌だという思いと、
教えに対する何かというのはあったのかな。
だからもちろん中途半端な思いじゃないですよ。
それまで20年間やってきたわけですから。
さすがに辞めようと思った感じですよね。
2回目辞めようと思ったのは、
完全にフィリズムになってたのかな、その時は。
でもなんとなく、周回にも行かないし、
やってても同じだろうと思って。
1ヶ月に1回本、雑誌、
広報でもないし、
ちょっと教祖の文章が載ってて、
あと写真、周回の様子とか、
あと偉い人の文章が載ってたり、
どの宗教でもあるでしょ、そういうの。
しっかり一冊の本になって、
すっぺらい本ですけど。
それももらえるし、
何回も辞めてたけど。
あとは演技みたいなもんですね。
入会してたら、
笑われてるだろうみたいな。
そこに教えを思う、その時は信じてなかったでしょうけど。
だけど辞めちゃって、
それから10年以上になりますね。
自分の小さい頃は、
良好に行くと言われ、
セミナーって1年に1回あるんですけど、
子供のセミナーがあって、
見られたり、見させられたり、
簡単な話が、
いろんなイベントっていうか企画というか、
子供なんでなんでよく分かってませんよ。
人に優しくしましょうみたいな、
その程度のことですよ、言ってる方も。
その程度しか理解できないし、子供だから。
それは嫌だったんですよね、自分は。
その宗教で、周りの子も嫌だし、
親もなんか独特な雰囲気で、
子供もやけに仲がいいし、
なんていうか、やけに密というか、
変なコミュニティなわけですよ。
その中に中々入っていけづらくてね、
ただでさえ自分なんか、
集団でやっていくの無理な性格なんで。
でもなぜか、あれですね、
宗教一族に生まれたからでしょうね。
これ何にも嬉しくないけど、
宗教サラブレーツなわけですよ。
5000年間有した坪の血がありますからね。
でもいやいやって感じでもなく、
年4回集会あるんですけど、
それにも行ったりして、
1月にある集会では、
カードもらえるんですよ。
都市のテーマみたいな。
ランダムに、
今年はこういうことテーマにって書いて。
06:00
あれなんかもね、子供ながらに、
いやあんなのたまたまだろそれと思って。
だって上から適当に並べられて、
オカルト以外でも何でもないんですよね。
宗教自体はオカルトなんだけれども。
それにしてもちょっとただのオカルトですよね。
ただの偶然だろうって、
それで並んだ前によって変わるわけですよ。
前の人ちょっとやっぱりトイレ行ってきますとか言ったら、
まだ1年のテーマ変わっちゃうんですからね。
それをそのカードに導かれていってるんだみたいに。
ヘンテコリなオカルトで、
いかにもそのカードは、
元から自分にできていたみたいな、
教え方をされ、
まあ宗教教育ですよね。
それを信じてやってるんだから。
素晴らしい宗教教育ですよ。
エリート教育。
でもそれをありがたがって、
子供の時にもらってましたね。
ドラゴンボールのカードであんなほどではないにしても、
嬉しかったですよやっぱりもらって。
洗脳させられてますね完全に。
1年4回行ってるでしょ。
セミナーも小さい頃もやっていて、
北海道でやってるんですよ。
3年から向こうに本州でやってるのに行くようになって、
まあでもそんなに、
いいもんじゃないですよ。
まあ行ってみれば、
なんでしょうね。
一応テーマとしては自然の中で、
いろんな活動する的なテーマもあるけど、
それを別に北海道の人からしてみたら、
なんてことないし、
しかも山の中なんですけど、
なんていうのかな。
山の中って言っても山の中で、
本当はその中で、
自分たちでご飯を作ったり、
キャンプファイヤーをしたり、
みたいな感じじゃないですよ。
別にそこら辺の野原でいいだろうと思うような、
イベントというかやってるんですよ。
課題は。
ほとんど、
暑い建物の中だし、
寝るとこは、
バンガロウって言ったかな。
木でできた。
それもなんか嫌だし。
小5、小6あたりからかな。
小3、小4、小5、小6になったら、
なんか避難所みたいな、
簡易型の建物に立てて、
二泊して、
ご飯もサラダとパンだけとか。
小さい頃、
小学生の時から家族で宗教の本を読んだり、
してましたね。
家でビデオを見たり、
やっぱり宗教サラブレットでしたよ、自分も。
聖願って言って、
教祖にセミナーで、
教祖の話の後にね、
自分の思いを発表する。
目標を発表するみたいなことですよ。
みんな子供並んで泣きながら、
感動した感動したって感じで、
発表するんですけど、
自分なんと、
いやーそれトラウマなんですけどね、
自分が発表した後に、
自分はやっぱりね、
人前で泣いたり、
感情がないわけじゃないんですけど、
野球で負けた時も、
自分ともう一人だけしか泣いてなかったし、
負けて嬉しいんで、
もう泣くわけないんですけど。
09:00
周りも気持ち悪いですよね、なんか。
子供のほうにみんなにゲイゴーして、
なんか監督によく生まれようとしてるのか、
甲子園球児の真似をしてるのか、
みんな一斉に泣いて。
小学生ですよ、だって。
4年か5年かな。
毎回試合、大会で負けるために泣いてるんですよ。
縁起じゃないかと思っちゃいますよね、本当に。
で、自分は泣いてなかったんですよ、
その目標を言う時に。
で、戸惑って帰るじゃないですか。
話終わった後。
次の人が泣いてるってことは、
それだけその分、願いが強いことなんだよ、だって。
いかにも自分に聞こえをがしに聞かせるように、
知らせてみるかと。
やっぱり宗教の教授はただのおばさんなんで。
ただのおばさんって言っちゃって。
ただの人なんだとも感じしますよね。
女性なんですけどね、その教授は。
改めて言うと。
他の人が泣いてる中、そのマイノリティで泣かない自分に。
なんだこいつと思ったんですよね。
大人でも、おじさんおばさんでもそうじゃないですか。
なんだこの生意気な子供って。
人間だから思うじゃないですか。
やっぱり教授もただの人間であるんですね。
他の宗教は知りませんよ。
うちの宗教はただの人間だったらしいですね。
だからといって、子供に対して知らしめるようなことは
どうだって言わなくていいと思うんですけどね。
教授は他の大学生に対して、別のセミナーで
もうちょっと大きい、上の世代が集まるところで
自分は、講演会の中で対話形式で
過去のそれまでの、なんて言うんでしょうね。
受験留学生交代研談みたいなことですかね。
その人が主観的、客観的に慣れたってことを何回も言ってたんですね。
話し終わった途端、なんかそれが気に食わなかったんでしょうね。
いいですか、皆さん。客観的って時にはダメな場合もあるんですって。
いかにも否定するようなことを言い出して。
いやー、それ別にいちいち言わなくていいのになぁと思ってました。
明らかになんか不満そうな感じで言ってるようにしか聞こえないんですよ。
というか、そうでしょ、多分。と思うんですよね。
あくまでもみんなの考えを間違ったようにならないように
起動修正って言うわけがないんですよ。
だってそんなことでみんな間違った考えになったりしないじゃないですか。
教祖が間違ったことは、教祖の言うことを信じてるわけだよって。
その人の言うことを別に信じてるわけじゃないの。
私何言ったってそんな、多分大学生の会員が言ってるだけの話だから
みんなもそんなそれに制御されたりしないのに
だからわざわざ言わなくていいはずなんですよ。
ただ不満だからそう言ってるだけなんですよ。
あとこの宗教はね、自分の心の動きを見るってことで
シートを書かされるんですね。
いやー、子供だけど。でもよくわかんないんですよ、本当にね。
親も頭おかしくてね、これは普通の紙に書いてはいけないと言うんですよ。
12:00
バチにすればいいですよ、その宗教の考え。
その、それを買って、シートを買って書かなきゃいけないと。
でも理由を説明、なんでなのって聞いたら
なんか自分怒った感じで教えてくれないんですよ。
いいからそうしなさいと。
でもね、これだったら子供のあまりには
自分でもそこら辺の思考能力は結構ひどいのあるんで
手前味噌ですけど、そこら辺の考える力というか
まあそれはでも理由なんてないよな、あと宗教の考えに。
で、なるはずなんだから。
だけどなんかその時ね、親が変ってこんなこと言ってきたんですよ。
その集会、セミナーに自分が行かないと言って
でも行きなさいと。
それに対してだったかな、その
シートを買わなきゃいけない理由は特にないけれども
セミナーに行かなきゃいけないっていう理由
それはなんか理由がはっきりしてて
なんか無事してないかみたいな
なんかそんな明らかになんか
言ってることが変だったんですよね、確か。
まあそんなこともあったり
まあ本当にね、何の根拠もなしになんか
ずいぶん何かを強制してきたり
根拠のない、自分でもよくわからず
だけどすごい強要してきたり
まあ性格的にも、知能もやばい親なんですよ。
これでね、盲信しても
ちょっとずつ盲信
これは違い、別の漢字の盲信ですけど
ちょっとずつ盲信
してる感じの
だったらまだいいんですよ。
親は至って冷静な感じでそんな感じですからね、ずっと。
生まれるとき変なんでしょうね。
自分は辞めてからはね、ある時
辞める前からかな
死後の世界は絶対ないんだって分かったんですよ。
何でかっていうと
人間って始まってすらいないんですよね。
例えばおせんべい
家にあるおせんべい
思い浮かび出すんだけど
それいつ始まりました?
死後って人生が終わった後
人が終わって
人間は死んだら終わりとか言うじゃないですか。
死んだら終わりなのか
その後も続くのか
っていうことですけどもね、議論されてるのは。
そもそも人生の始まりってなんだって考えて
おせんべいの始まりがないのと同じで
人生に始まりもないわけです。
せんべいの始まりはいつか
人間に食べられた瞬間か
その瞬間初めて
おせんべいとしての役割が
おせんべいに果たされるわけで
初めてその人間に
おせんべいと認識されるからかって
それはただの人間の都合だし
あと工場で
おせんべいの色になるか
形ができてからか
もしくは放送されてからか
箱に入れてからなのか
お客さんに買われた瞬間なのか
小麦粉
せんべいはもち米
米粉ですね。もち米だと
おかけになるから米粉ですね。
米粉ができて
15:02
かられるときなのか
種を田んぼに
米粉ってどうやってできるんだ
米粉が誕生してからなのか
米粉が完成してからなのか
こう考えるとね
まずそもそもせんべいって
人間が
人間が食べられるものを
せんべいって言うわけですよ。
これでたぶん
わけあり商品というか
売ろうとしてたけど
工場で粉々になっちゃった
せんべいとは言わないと思うんですよ。
別に食べたらせんべいの味するけど
だから人によってはせんべいって言うかもしれないし
人間の都合じゃないですか。人間も同じですよ。
目があり耳があり口があり
これをまずね
生物
っていうところからそうなんですよ。
もっと抽象度高くするとね。生物。
人間
生物学者なのか昔の人が
こういった見た目のが
どういう風に分類しているのかわからないけど
見た目では分類しないでしょうけど
ありますよね。何々かの
何々
ほにゆるい何々かの何々
猫か何々みたいな
いろいろカテゴライズして
人間だとか
人間でもホムサピエンスが
原生人類ですよね
の前にもいろいろ
ペキンゲン人とかネアンデルタイル人だから
700年前に
700万年前に
人類って生まれるわけですけど
こんなのただの便宜上そうやって
学問のためにそうやって
ここまで詳しい
細かいのはね。猫とか犬とか
犬のペットとして
飼ったりするために
もうちょっと細かくいろいろ種類も分けたりして
子供の時
学ぶわけですよね
あれは鳥だとか
これはライオンとか
人間と
学者以外は見た目で判断してるんですよ
あれはライオン
ライオンとトラの違いなんて分からないけど
見た目のがライオン
こういうのがトラ
人間は人間
実際ある程度生物学勉強したら分かりますよ
この
群れ一体で
一つの個体
生物って言い方もするし
だから細胞一つで
一つの何か
そういう
一つの生物というか
一つの種ではないけど
という捉え方もするだろうし
魚なんかであれ
母親の体にくっついちゃって
母親の
肝の一部になったりするんですよ
魚とか
NHKで見たことないですかね
あれなんかも人間としては
あり得ないと思うけど
人間って生まれたら一生この体で
自分がいて
他人と区別があるわけでも
そういう風に認識してるだけで
そんな区別も何もないわけです
18:01
自分とか他人とか
ただの自我なわけですよ
自分なんてないわけですよ
その魚は何なんだってなるんじゃないですか
いつまでその自分であって
いつからその母親になるのか
そもそも自分なんてもないし
母親なんてもない
合わさったりも
卑物学的に捉えてるだけであって
だから人間が
戦死と乱死が
合わさった時なのか
それともお腹の中で
目と鼻と口ができる頃なのか
それとも親って言った時か
それとも戸籍が与えられた時か
名前が与えられた時か
始まりなんてないじゃないですか
だから始まってすらいないのに
人生に終わりなんてないですよね
だとしたら死後の世界なんてあると思いますか
こんな長々と説明するまでもなく
死の定義って
ないのわかります?
一応お医者さん
医学上
延命治療とかの関係で
どっから
人が死んだら
仮想
仮想したりしなきゃいけないから
死んだって法律上認められないと
仮想できないですからね
仮想だって土層だって埋葬だって
埋葬は
仮想とか土層の
違うのかな
この前びっくりしたんですよ
欧米って自分は土層だと思ってたんですけど
あれ
土層とは言わないんですよね
骨で埋めるから
そのまま焼かない
でもそのまま焼かないで埋めるってこともしますよね
だから多分あそこら辺あいまいなんでしょうね
言い方は
埋葬は
骨になった状態を埋めるのが埋葬ですよね
でも多分骨になった状態で埋めても
土層って
土層と埋葬で
はっきりと
区別してるかというと
似たようなことなんですよね多分欧米で
埋めるってことに変わりないですからね
それもいいんですけど
死の定義なんてないわけですね
だとしたら
人間の都合
死んだ後だとか
死ぬ前だとか
死んだ後には魂が抜けてとか
そんなの都合の
ただの人間の都合の話で
定義によってはあれですよね
心臓が止まったら魂抜けて
定義によっては心臓抜けてもまだ
魂はとどまって
脳が死んだら抜けて
あるいは定義によっては化葬された瞬間
魂が抜けて
そんな人間の都合によって
あれですからね
これオカルトとはいいね
わかりますかね言いたいこと
何を言いたいかというと
勝手にそれを死だと言ってるだけなんですよ
心臓が止まったら心臓が止まった
だけの話であって
脳が止まったら脳が止まった
そこに終わりも何もなくて
今例えば
スマホ落とした
したら物が落ちるだけでしょ
同じなんですよ
心臓が止まった
心臓が止まったっていう
そこに意味を感じてるのも人間なだけで
別に言ってみれば
21:01
ドクンドクンドクン無音
だからなんだって話ですよね
人間も都合いいもんですよ
車でカエル引いたところで
何とも思わないのに
シカが死んでも何とも思わないのかな
自分のペットが死んだら
それでも魂
魂が抜けていくとか
そこまでは思ってるのは一部なのかな
でも人間ってのは要は
死んで終わりだと思ったら悲しいから
死んでもまだ生きててほしいから
そうやって葬式をしたり
ピラミッドを建てたり
古墳を作ったりするわけですね
宗教を信じたりね
そうやって魂があるとは思わなくても
死後の世界に
かかって旅立つと
そう思いたいからそう思ってる
ってやって思ってるんですよね
ただそうあってほしいのと
そうなのとって全く違うのは
分かりますね
死後の世界があってほしいっていう
思いがいくら強かろうと
そう思ってる人がいくら多かろうと
死後の世界が
ある確率が高くなるってことはないし
できることももちろんないしね
それで勝手に作られたら
それこそは
オカルトは何だと思ってるんですよね
オカルトを信じたい
自分が何だと思ってるんだって言いたい
そこに幽霊現れろ
と思って現れたら
それこそ
なんだか幽霊じゃないなってなっちゃうじゃないですか
なんでこういう風にして
死後の世界ではないなってあるとき
悟るわけですよ
ただ信じる信じないは別ですよ
宗教に入って
宗教というか死後の世界を信じるものですからね
これ宗教に
意味悪いないんですよ
必要なものなんですよ
必要なものって思ってる
多分人もいますけども
かなり宗教に詳しくてもね
必要っていうよりは
もう
できてしまったものというか
人間はそういう風にできてるというか
芸術もそうでしょ
学問も
必要に責められて作ってるわけじゃないですからね
自然というか
周りの会員はね
信仰宗教は変わり者だと思っていいですよ
他の宗教は知らないですよ
自分の宗教はね
変なのが多かったですね
トラウマも多いんですよ
すごいのいましたね
ある同売から来た人なんですけど
その人のせいで
ある自分の親の友達の娘さん
辞めちゃったり
会員も辞めましたね
その人に聞いてみたら
何で辞めたんだろうね
いやいや
明らかに嫌悪感を持ってるのは
分かる言い方だし
明らかに何か
自分はその人のせいで辞めたって
親から聞かされてるけど
自分でも分かってるんですよ
何かしら自分は悪い影響を与えたなって
そういう風に言わないじゃないですか
そういう風に思わないと思うんですよ
なんでかあんな子辞めちゃったんだよね
とも思ったんですよ
明らかに省略してる文があるんですよ
確かに自分はいろいろ
嫌な思いをさせたけど
24:00
だけれども
何故辞めたんだろうね
自分で分かってるんですよ
無意識に
自分もその人に嫌な思いをさせられて
うつ病悪化しましたよ
電話である時に急に電話かけてきて
次の週間に行かないか
っていう
誘いの電話だったんだけど
ほとんど文句しか言ってないんですよ
あの時の感想文は
そんなこと言われる筋合いないのに
まあ偉そうなんですよ
自分が浪人した時も
全然誘いに来ていいんだよみたいな
しかもその電話の後かな
全くあれぶりもせず
自分が
ある
仏教でいう
書写業的な
そういうのをやってたんですよね
その宗教が
何十周年かで
それで
やってたらその人がやってなかったんですよね
それで
やってる人に対して嫉妬というか
自分がやってないっていう
追い目みたいになるんですよね
その紙をどこに出すのか
他の人に聞いてみたらすごい嫌な顔してきて
他の時も
明らかに態度が分かるんですよ
宗教のセミナーにね
とか青年の集いに
すごいしつこいんですよ
いつも
自分がやってないその学びを
他の人がやってたら
やってないこと自体
ずいぶん人に言ってるくせに
自分もやってないだろうとこっちは思うけど
それにとどまらず
それをすごい
自分を正当化したいのか
正当化するのもまだいいですよ
すごい嫌悪感を示してくるわけ
嫌な態度を取ってくるわけですよ
ありえないですよね
最後に大事な話なんですけどね
祖母がね
自分が浪人した時に
とうとう本心を発揮したというか
絶対にセミナーに行ってくれと
とうとう感情的になったと思いましたね
教養してくるんですよ
あと宗教で何とかしようという
考えが分かりますよね
今大変な状況だと浪人してると
宗教で何とか
したいと
それで教養すると
分かりますかねこの感じ
それまではだから
冷静を寄せようというのか
教養したりしてきませんよ
やっぱり人間感情的になった時に
本心を表しますね
あと最後に教祖について
自分がいた宗教の教祖はね
すごいね歴史で
1年中飛び回っている教祖でしたね
それが達成感というか
気持ちが分からなくもないですよ
充実感というか
並大抵のもんじゃないですけどね
その
異常な感じというか
それで忙しいアピールするような
映像をよく見せられるわけですよ
27:00
その人の
youtubeでモーニングルーティーンみたいなもんですよ
朝起きてから
朝起きてからまではないか
外で誰々に会って
急いで新幹線に乗って
それも自分で荷物とか
持ってエコノミーから
普通席に乗って
アピール
庶民と同じ感じですよアピール
新幹線の中で仕事して
アピールもすごかったな
地方に行って
田舎に行って
このターミナルに行って
おじいちゃんおばあちゃんと
優しく
話してあげる
地方の人も
しっかり見てますよアピール
こういう人って
いますけど
なんていうのかな
職権乱用というか
いろいろやりたいんでしょうね
劇やるのはいいんだけど
自分で脚本を書いたり
俳優の人に対して
演技指導するんですよ
なんていうんでしょうね
証人欲求とか
自己掲示欲というか
いろいろ手を広げたいんでしょう
自分で歌詞書いて
歌詞書いたり
CD出したり
自分で才能あると思っちゃってるのかな
そんなセンスを感じたことは一切ないんですけど
本ももちろん出してますよね
本なんかも
だいたい書いてること毎回同じですよ
飽きてくるんですよ
表面的なことだけ書いて
どの宗教もそうなのかな
どうなんだろ他の宗教は
20年やってたけどずっと教えてることは
同じことを
何回も擦って擦って
って感じですよ
会員の人はみんなありがたがって聞いてるんですからね
というかもう
うちの宗教はね
そこまで宗教について詳しくないというか
なんて言うんだろうな
熱心なのは熱心だけど
教えもあまりよくわかってないというか
とりあえず言ってれば救われるみたいな
まあそういう宗教は他にもあるでしょうけど
ちょっと違うんだよな
なんて言うんだろうな
あまり宗教的じゃないというか
それを逆によく思っちゃってるというか
それは勝手ですけど
そんな理論もよくわからない人が
どうやったら救われる
どうやってその理屈になるのか
もちろん宗教の救われるというのは
今言ってる救われるというのは
宗教的な意味というよりも
その教えのね
その宗教
自体の教えの
救われるですよ
その宗教では理念転生して
人間の魂はずっと成長する
という考えなんでね
理論もわからずにどうやって
あれなんだと思うのか
30:03

Comments

Scroll