自閉症の幼少期の記憶
今回はですね、グラッキーが自閉症児だった頃の事でちょっと思い出したことがあったので
そのことと、まだ語っていない色々な人生の事件を語っていきたいんですが
まず、本題に入る前に
今言った幼少期の頃ですね
常に自分に嘘をついている感じっていうのかな
自分に納得して、自分のやりたいように行動しているというよりも
言ってみれば周りに合わせているような
周りに合わせれるほどの性格ではないんだけど
あまりにもガガが強くて、でもそこまでガガが強くなかったのかな、幼少期の頃は
ある程度の年齢になって、そんな人に合わせるほど器用にできるほど
そんな器用でもなくなるっていうかガガが強すぎてね
幼少期の頃は自分ってものがない感じ
自分に嘘をついて、幼稚園でもですね
本当はこうしたいんだけども
結局だから、もちろん社会接続活を送っている上で
譲り合うことは大事だけど、それとまた違うんですよね
自分に嘘をついている感じ
常に自信がないっていうのか
喜びもないし
原動力もない感じだし
エネルギーが注ぎ込まれない感じ
ある程度の年齢になってから自分
一つ一つの自分の行動に理由ができて
納得したことをするっていう感じではなったけど
それは本当に中学生くらいになってからですね
逆に納得できないものはできなくなったんですけど
流されるように生きていたとこですね
登場人物としての感覚
もう一つの話が
自分の周りの人は登場人物
これは高校生くらいまで、中学生くらいの時かな
自分は傍観者っていう感じ
だから前回のエピソードで
家の中では通行人Aだったけど
学校でもそれこそ日本人なんて
テンプレートを離して空気に流されているだけだけど
でもその一方で
ちゃんと登場人物になれているというか
ドラマでいうと
それぞれがちゃんと目立っている
キャラがちゃんと立っているというか
それぞれらしさがありません
だから空気は常に
人とは違うなって感じでしたね
この中には入っていけないんだ
自分はAさんBさんっていう
それぞれの立ち位置がある中で
自分はその中で生きていない感じ
だからドラマでいうと通行人Aって感じでしたね
でもどうすればいいか分からないって感じ
トラウマと人生の出来事
では次人生で起きた事件の話なんですけど
うちの親が温泉で泡ついてるからって注意されてたんだけど
これも変なドラマなんだけど
これがずっとドラマとしてできないですね
その時相当複雑な感情だったんですよ
自分の親が親よりも一回り二回りした人に怒られてる
なんと恥ずかしいことがあった
子供とは見られたくないとまでは言わないまでも
なんとも悲しいことでしたね
可哀想だし
普通は可哀想だとは思わないと思うんですよ
でも可哀想と思ってました
あと刑務所に行った時も
刑務所の見学
あれもドラマなんですよ何でか分かんないけど
なんでこんなとここさせられなきゃいけないのかっていうのと
あの刑のねどういう刑があったか
って見たままドラマなんですよ
単に怖かったのかいや高校生ですよ単に怖かった
っていう話じゃないですよね
なんかこんな
まあそれこそ監禁されてとかそういう
醜い醜いじゃないなんて言うんだ
残虐な事件に遭う人もいればこうやって
酷い刑に遭う人もいて
たまたま現代の日本に生まれてこれたけど
こういう人も世界に未だにいるんだとも
いるかもしれないと考えると
そして人間は動物に対しては
容赦ないですけど
まあそのことも含め
なんか感慨させられるしドラマになってるんですよ
クリスマスはね
あのあれなんですよいやドラマないんだけど
ただ引きこもりになってから
のことはドラマですね毎年
いやうつだからもうクリスマスソングだけでも
聴こうと思うんだけど全然快感が出てこないし
夏か前のクリスマスの高揚感もないし
でうちなんかクリスマス
特に何もしないしもちろん引きこもり中
家族団らんなのはわけもないし
夕食でちょっとクリームソース使ったようなもんだけど
クラキのことなんで緊張して全然味わえないし
ドラマでしかないですね
でクリスマスの気分味わおうとして
そういう動画見たりするんだけど大抵失敗するし
で世間では賑わってるのもわかるし
でもクラキは家の中だし
誕生日もそうかな
では次
あとうちの親がですねトモロコチが
クラキのおかげで誕生日がこうやってあるから
こうやってふんだんと違うものを食べれるっていうんだけど
いやクラキがこの家にいなかったらもっと贅沢できるだろうね
そうやって言ってくれるのはうれしいんだけど
逆になんか辛かったですね
気を使ってそうやって言ってくれるのかなとか
いろいろ考えてました
では次
ちょっとねこれ以上思い出したくないんで
次
おじに野球部のメダルの時のメダル見せた
でもこの時ベンチだったし
でもなんであんな意気揚々と見せてたのか
それも不思議だしなんかトラウマなんですよ
あんなもの見せられて
嬉しかったのかっていう疑問もあるし
あんな自慢げに見せて何だったのかっていう
トラウマですね
どういう感情だったのか分かんないけどトラウマなんですよ
今回話せることはすべて
だからこそ入院されない変なトラウマなんですね
ただただ辛い
トラウマのほうがまだ何とかなりそうだけど
なんでトラウマなったのか分かんないんですよ
あと先輩がね
球道をしてたんですね体育館で
なんとも胸が締め付けられる思いなんて言うんだろうね
その感情を抱くのも変だけど
先輩こうやって球道こんな得意なんだって分かって
頑張ってるんだって分かって
それがいまだにトラウマなんですよ
いや倉木に見られて恥ずかしかったんじゃないかなとか
倉木の知らない場所にこうやって上達してたんだなとか
別に何にもトラウマになることじゃないはずことですよね
っていうことを客観的に見てまた辛い気分になるんですよ
では次
ブラジルのおじさんとかなボーリング行って
遠い親戚なんだけどブラジルから帰ってきた時に
いや違いますね
塾の先生だ塾の先生とボーリング行った時
楽しかった記憶ないし
このうちにもっと大きなトラウマできるんだけど
ボーリング場でもちょっといろいろ
特にどの場面っていうのははっきり分かるわけじゃないんだけど
なんかよく倉木されるんですよね
では次
これも変なトラウマ
親友のおばの家に行って
前も話したけども
なんて言うんだろうな
すごい良い人だったんだけどこういうことが逆にトラウマになったりするんですよ
しかも別に迷惑かけたわけでもないのに
ああ良い人だったなって終わらせればいいのに
だから倉木がいつも言ってる人と関わってね
良い記憶ができないんですよどうしても
こういうことでさ
トラウマになってしまいますから何がトラウマなのかこれに関しては全く
もう分かんないです
未知数すぎますね
あとは近所の
これなんか遅いんだけど
門の家の人が
いつも笑顔で挨拶してきてたっていう
時には夫婦で
あの感じが嫌だったっていうのもあるけども
でも小学生の時はそこまで嫌じゃなかったと思うけど
その後にこの人の化けの皮剥がれるんで
剥がれたことがあるわけでもない
剥がしたわけでもないけど
剥がれてる姿を見てしまったような感じがするんで
それもあってなのか
すごい異常そうな感じなんだけど
なんかその裏が見えてしまって
過去を想像して
あとはこれはもう一般化してしまってるんだけど
強気なおばさんたち
近所に家族にいたし
あとはソフトボールのお母さんたちでしょ
野球部のお母さんたちでしょ
全員みたいなもんだし
あとは町内
市内にいる
なんていうか学校関係の親御さんたち
あとは宗教のおばさんたち
まあ優しそうだけど強気な人もいますし
近所の人でしょ
これは大人になっても怖かったですね
親御さんたち
本当に嫌でしたね
これはもう小学生の時からそうです
ときにソフトボールの親御さん
父親は怖いっていう印象ないんだよな
野球部もそうだけど
おばさんたちが気が強い人
まあうちの親はそうじゃないからっていうのもあるけど
こういう家庭はちょっと
愛入れないなって思いましたね
それではしたっけ