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2025-11-21 32:22

第5206回 必聴❗哲学回👁️‍🗨️👁️‍🗨️癒やしやぬくもりについて考える🏠🏠実は奥が深い概念です

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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雑談・人生・生活・暮らし・おじさん・トーク・愚痴・吐きだめ・心理学・脳・1人配信・メンタル・podcast・ポッドキャスト・ネットラジオ・ラジオ・フリートーク・一人喋り・一人語り・毎日配信・まったり・ゆるい・コミュ障・ライフスキル・シンプルライフ・前向き・怒り・残念・ネトラジ・闘病記・日常

サマリー

このエピソードでは、癒やしとぬくもりについて深く考察し、それらの概念がどのように人間の感情に影響を与えるかを探ります。特にサイコパスや理系の心理も取り上げられ、癒やしの必要性が現代人にどのように現れるかについて論じられます。また、ぬくもりや温かみについての深い考察が展開され、家族や過去の思い出がどのように人の心に影響を与えるのかが掘り下げられます。さらに、寒冷地域でのぬくもりの感覚や、コミュニティとのつながりについても話し合われます。

癒やしとぬくもりの考察
哲学雑談会、始めていきたいと思います。 今回はまず、癒やしとは何かという
一見つまらなそうなテーマですが、 これについて考えてたら、まあいろいろ考察できたので
話していこうと思うんですが、癒やしというと、まあ、ぬくもりを感じるもの
は想像つくと思うんですけど、そういったものってなんか
人間の手が加えられてそうなものは
そもそもその人と関わりがある時に癒やしってあるってすぐ真っ先に思いつくと思うんですよ
友人に癒やされたとか、悩み事聞いてくれて癒やされたとか、好きなタレントさん
見てて癒やされたとか、でもお風呂に入ることも癒やしになりますよね
じゃあぬくもりってどうなのか
癒やしとぬくもりは等々なものだと話、てかぬくもりがあるものに癒やしを感じるって話しましたけど
ぬくもり、これこそまさに
人が手を加えたもの
ぬくもり感じますよね。 じゃあお風呂にぬくもりを感じるかっていうと
もちろん主観的なものではあれど
感じないっていう場合は多いんじゃないかな
癒やされもするし温かみもあるんだけど ぬくもりって言い方するとちょっと違うなって感じはしますよね
不思議だなぁと思うんですよねこれね 今回も単なる言葉の
追求するだけの話になったらつまらないと思うんで
癒やしとは何か ぬくもりとは何かという
単なる言葉の本質探しにはしたくないんですけど
ただここから何かわかることってあると思うんですよ
まぁとはいったもののぬくもりって
癒やしってなかなか 深い概念なのかなぁと思いますね
ぬくもりはあっても癒やしにはならないとかその逆もしかりで
サイコパスの視点
癒やしになってもぬくもりにはならないってこともあって ぬくもりはないってこともあって
まぁでもぬくもりがなくて癒やしになる
なんだろうなぁ
マッサージ機とかそういうことなのかなぁ まぁそういうものもありますねでですね
ぬくもり 温かみって意味では
サイコパス
もう人類の中でそんなものない最たるな例でしょうね
ぬくもりがないって言うとマイナスのイメージしかないんですけど下界とか経営者とかって
このサイコパス機質だからこそ
思考回路自体に ぬくもりなんかないからこそ
できることもあるんですよ下界なんかは
この人の 背景がわかんないからこそ
人の背景というか 人間らしさがないからそういうものが
わかって
でおかしな選択をしてしまうって言う
ことがないだからまぁよく言えば合理的 経営者も人バスバスは切ることができる
よく言えば合理的 なことができる
って意味ではサイコパスも ある意味
社会の中で 活躍するわけであって
あでも社会の中で 活躍してるって言うとちょっと一般化していいかな
じゃあ経営者とかどうにしますか でもスポーツ選手もね
本当の一流っていうのはあんまり
全体主義になりすぎないだろうし 監督キャプテンなんか特に
そういう傾向あるんじゃないかと思うんだけど こういう人は
うーんあのサイコパスが多いわけじゃないけど ぬくもりが多い人あのぬくもり
うんぬん言ってたら まあそういう立場には
ならないですよねやっぱり成功するためには ぬくもりばかりじゃダメなんですよね
セミザ受験生って 逆にぬくもりなんか排除しなきゃ
いけない癒しとか 暖かみを排除しなきゃいけない
その一方で 受験生だからこその
癒しとかも必要な気もしますけど 例えば寒い環境で
耐えながら勉強してるよりもちょっとコーヒーの一杯ぐらいあった方が 逆に効率的かもしれないし
あと実家 まあぬくもり
感じると思うんですけど まあこれは単なる媒介
するものでしかない っていう人もいるかもしれないんですけどクラキはそうは思いませんね
なぜかというと例えば手袋 毛糸の手袋に編んでくれた人がいて
これぬくもり感じるけど ぬくもりってそういうもんだし
確かにこれはこれだってだって その人と
それを共持してる人の 媒介でしかないわけですし
でもそれにぬくもりを感じるって言ってなんら間違いないですよね
やっぱり家もぬくもりを感じるし家族で乗ったボートは
いやでも
キャンプで使ったテントにぬくもりを感じる バーベキューで使った道具にぬくもりを
感じたり懐かしく思う これは間違いではないと思いますね
というかそれにぬくもりがあるというのは間違いではないと思いますね だからまあややもすると
無機質なものにはぬくもりはないと捉えがられがちだけど まあそういうそればかりではないと言えますよね
なぜかというと
木でできた家だろうが 鉄でできたマンションだろうが実家は実家だし
ちょっとここで話ずれるんですけど 以前話したのが例えばゴキブリとか
そういった都合の悪い人間にとって
都合の悪いものは殺していいと思ってるし
ペットは大事にする こんなのは人間の
語というか
人間の英語ですよね
に他ならないっていう話もしました そこの
取捨選択は英語がすることだ
人間の都合で この同じ生命体なのにこれは殺していいとかどうだとか
まあ人によっても違うと思うんですよ 花を別に踏みつぶしてもなんとも思わない人もいれば
大事にしてる人もいるだろうし 多少人によって違うとはいえ
ペットは大事にしなきゃいけないとか大体 決まってると思うんですよ
そういう常識ってあると思う
あると思うんですけど
そこからするとですよ 毛皮のコートって何か恐ろしく感じてしまうんですよね
いかにも人間の
この生態系の中での
ヒエラルキーの自分たちの位置を示そうとしてる感じがして
ものすごくそういう意味じゃない人間の エゴを感じるんですけどどうですかね
現代における癒やしの必要性
これはねクラキが もう子供の時からそう思ってました
人間の恐ろしさを感じてましたね もう生命のトップに立ってるんだというこの思い込み
で今生態系にそもそも
生態系という概念がまず人が作ったもんだし で生態系の
上位下位なんてそのもの それも人間の価値観で
生物学的に そう捉えるしかないっていうだけで
あまり
人間の上下の感覚とまた違うような気もするんだけど それについて考えてたらですね
あること思い出したんだけど これ聞いた時ちょっと
めちゃくちゃ感動してしまったっていうか驚いた話なんですけど 動物の中に犬猫
ゾウキリン人間っていると思ってるじゃないですか これらを包括していると思うじゃないですか
そういう意味では動物の方が上位にいられる概念というか でもこれが
そうでない場合もあるんですよね だから犬という概念が動物の上に来る
この場合だと 動物に
動物といえば 犬猫
との逆だから 犬といえば
概念的に言うと
もちろんゴールデンリトリバーとかチワワとかそういうふうに言えるんだけど ただこの概念は
動物という概念を含むことがあるってことですね
犬の中に動物がいる
って考えると不思議だけども ちょっとそれは違うと思うけど 犬といえば動物 そして
四足歩行であるとかそういうことなのかな
これは不思議ですよね
普通動物の中に 犬が
含まれると思ってるけども その逆もあり得るという
のではないかって これは議論の余地はねあるみたいです
厳密には
普段こんなこと考えないですけどね という話 本題に戻りますけども
でもさっきお風呂
がぬくもりがあるって感じるのも主観的だった話だけど 話しましたが
やっぱりすべてにおいてぬくもりがあるかどうか 癒しがあるかどうかって主観的だと思いますね
しかもやっぱり人間の想像力ってすごいですよ 人が作ったというふうに思えば
ぬくもりに感じるし クラキの場合だいぶ人と感覚がずれてるからね
なんだろ人が作ってるからぬくもりをこれ感じるっておかしくないかってね
思ったりでもこれに関しては 人が作ってないけどでもこれ
ぬくもり感じられば人が作ってるけど人は 普通これにぬくもり感じないけどクラキは感じるとか
だいぶ人とズレが生じるんですよね 相当主観的なものだと思いますよだから
ユニクロのものより
一定もので 人が時間をかけて
作ったもののほうがぬくもり感じる 普通は思うんだけどクラキはあんまりそう思わないし
大量生産されているイコールぬくもりがないって普通考えるだろうけど あんまりそこの差異ってあんまりクラキは感じないし
でもそもそもですよ 人間の手が加わってるっていう点では同じなわけですよね だからぬくもりがあるかどうかって本当に主観的だと思うんですよそういう意味では
ぬくもりが あるってそういう
そもそもそういうなんて言うんだろう システムに中身自体というよりも人間のその
ぬくもりがあるという需要自体 需要って受け止めるってことですねそれ自体の話であって
そして心の動きですよね それがぬくもりですよね
クラキはそもそもこのテーマについて考えるにあたり 割とあげるからそういう結論は出ていたんですけど
でもなかなかこれって感じにくいところではありますよね なんか実態がありそうな感じしますよねぬくもり自体に
あそこにクラキは疑いを持ってしまうんだけど本当に世間の人 ぬくもり
単なる心のこういう動きじゃなくて 区分け完全にできるものだと
本当に思ってるのかなーっていう思いはありますけど でも絶対的な信頼を例えば毛糸で作った
手作りのものとか なんか持ちがちですよね
でも温かみはあっても ぬくもりは感じないあたりが人間の頃の動きの不思議なところですよ
例えばさっき言った毛皮のもの
さっきあんなこと言っといてなんだけど クラキは割とでも
ちょっと ジャンパーにそういう
まああれ多分まあでも 少しだけどそうやって毛がついてる場合
フードのとこについてる場合 あーあとあれ
耳につけるあれなんつったっけな
ああいうのとか
安いものなんだろうけど あれはぬくもり感じるんですよねクラキは
ただ多分 シーツにぬくもり感じるしあまりよくわかってないって多分いるだろうけど
クラキ あの
クラキそこらへん適当なんですよ 子供の時はですね
そういう毛皮のもの
なんかすごいなぁと思っていましたね
自分とのやっぱり違いを感じるんですよねこの
動物共通点もあるけども これは他の動物あったかいいんだろうなぁと思ってね
だって北極熊だって そうだし
服を着ないで 普通に犬とか外歩いても大丈夫だけど
やっぱりそこの違いって感じますよね この毛の偉大さというか
でもあれはぬくもりとは違うのかなぁ
絶妙な だから
ぬくもりを感じるか感じないかって ありますよねその絶妙な動きというか
すごい生き物だと思いますよだからね まあでもそのぬくもりによって
人間って癒されるわけですから
結局そういった癒しを求めてる
それは現代人だからなのか 人類はそういうふうにできてるのかわかんないけど
まあそういうもんなんですかね
でクラキは学生時代 理系の先生ってなんかね温かみがないっていうか
人の心を感じないというか 学問自体
もうじゃあそうなのかというと これに関してはぬくもりがないとかあるとかっていう
ふうに捉えるべきではないと思ってるんですねクラキは
ぬくもりはないと言わないんだけどないと言ってしまうと
ないこれは少ないものだと言ってしまうとそういう ふうな捉え方はちょっと間違いだと思ってて
理系のものがぬくもりはこと理系に関してはないんだといった場合
単に何て言うんだろうな ステレオタイプな見方で合理的なものイコール
そして科学的なサイエンスってものイコール 冷たいイメージを持つってそれは
うーん
違うと思ってて だからAIなんかも人の心がない冷たいものは
でも人の心があるように感じるそういうものに感じるかもしれないけど
でもAI化が進んで いずれ
AIに対して人の心を感じるぐらいになるかもしれない それみたいなやっぱり主観的なんですよね
100年後はどうなってるかわかんない AIに対して温かみを
だからAIでもそのね
なんだろうな こういった種類のものに対しては温かみを感じるとかそういうこともあるのかな
あり得るのかな まあと人によっても違うだろうし
まあでも本当に癒しに飢えてる時って 自分に都合よく温かみを感じるものであるとこれは
そういうものを与えてくれるものであると そう思い込んでる場合もあるだろうね
だから もちろん相対的なものでもあるしその
いつそれに触れるかによっても温かみが感じられるかどうか変わるってこともあるでしょうね
温かみというかぬくもりですよね これすごい変だと思うけどなんか
ジャンボ宝くじってぬくもり感じてたんですよなんだろうな 年末年末ってなんか
ぬくもりの記憶
みんなで集まって親戚で温かみを感じるしなんかその テレビ番組もそうテレビ番組もね
正月のものってなんか温かみを感じるんだけど後から振り返ってみると 別に
琥珀の垂れ幕 飾ったり
そういうただの単なる
張りボテでしかないのに なんかそういう仕様にしている番組を
見上がるように感じる まあそれと同じで
ジャンボ宝くじもなんか正月っていうだけでなんかね そのCMを見て温かみを感じてたんだけど
あんなのただのギャンブルですからね そういう意味で言うと競馬場に行った時ですね
なんか屋台みたいのがあったりして 掛け言ですからねこんなの
イメージ的に言ってもあれだし 温かみぬくもりなんか感じなさそうだけど
なんかねあの小さいあの黒いペンで
まあだからそういった親と一緒に競馬場に行けたとかそういったものも付随しての
なんか記憶の
中でのその温かみってのも なんか美化されるじゃないけどそういった記憶の改ざんによって温かみがあったか
ぬくもりがあったと感じる場合もあるんでしょうね ただねこれに関してはその当時も実際ぬくもりを感じていました
宗教とぬくもり
でまあ見てる時も
そうだし でも夜行ってるから寒いんですよ寒いんだけどなんかね
ここから暗きの感性が変なだけなのもわかるんだけど あの新聞読んでるおじいさんたちが
そこにいたりそんな感じがなんか ぬくもりっていうかなんか感じたんですよね
まあ電気の光量もすごいとかまあそういう理由もあるのかもしれないし
いろんな視覚的な情報聴覚的な情報 それから触覚的な情報いろんなことが
相まってるのはぬくもりなんでしょうねこれね まあそれとイマジネーションと
いや奥が深いなだから
だけどジブリでさえねアニメって暴力誌があったりするけど まあそれでもやっぱり
天空の城とかああいうのは 暖かみを感じるんですよねぬくもりを感じるわけですね
あでもこれもやっぱり小さい頃 なんか
この 家で見てたってこの家庭のぬくもりも相まってのものなんだろうなきっと
これを一人で見てたら多分そんなことなかっただろうけど
まあそれとジブリに対するなんか 先入観というか
宮崎さんに対する先入観というか そういうのもあるだろうし
でも給食 当時は会食表彰があったから
辛いものでしかなかったけど
やっぱり思い出ってピカされるから ぬくもりがすごく感じるんですねあの
給食ホロの感じがね 匂いとかその
下級生もいたりあの雰囲気 全てがぬくもりに感じるんですね
あと宗教カルト宗教にハマる人って 新古宗教全部そうだろうけど
そういうのにハマる人ってやっぱり 人恋しさですよねで中に内部の人たちとは
に対してはぬくもり感じるだろうしでもクラキの場合 宗教にせいだからなのかわかんないけど
当たり前になってしまうのかわかんないけどそれにしてもぬくもりなんか一切 感じたことないですね
まあ宗教の話を親戚と話している時はぬくもりを感じてたけども
でも不思議なもので父方の家の家ってあんまり温かかった
感じではないかもしれないけどでも ぬくもりがあるのは不思議ですやっぱり温かみ
も作用するけどもそれだけじゃないんですね 母方の家同様にぬくもりを感じてたわけですよね
ぬくもりっていい場合ばかりじゃなくてクラキみたいにストイックな人にとってみれば
ぬくもりを強制してしまうことによってそこで甘んじてしまい でまぁ欲
現代とぬくもり
というか煩悩も出てきてしまうものでもあると思うんですよぬくもりって
安穏な状況があればよりその状況に
染まっていたい そこで
痛いってそのなんだろうなそこに固執するわけですよね人間って
だからあんまり寝る前に浸りすぎるのもどうかと思うから
だからぬくもりってなんか一時なものでいいような気もするんですよね 心の平安がある程度取り戻せればそれでいいような気もするんですよ
まぁでも北海道は寒いから
なんか 本市の人よりも
ぬくもりを持つ傾向にあるのかどうかとかなんかそういう
統計をとってほしいところですけど なんかそういう説があってもおかしくないような気がしますね
北海道の人は 寒い地域の人は鬱が多いって言いますし
そういった意味でぬくもりを求めてる人多いんじゃないかな でもこの寂しいと思う心とか
孤独感とかと ぬくもりを
求める心理となんか関係性ありそうですよね ぬくもりがあればあるほど
孤独に感じにくいかもしれませんし
だとすれば なんだろうぬくもりを感じる
衣類を身につけてれば 孤独になりにくいっていうそういう統計があってもおかしくないですよね
あとぬくもりを感じる色 そうでない色ありますよね
暗きの場合は そこに対する感性がちょっとやっぱり人と違うのか
別に黒だから灰色だからぬくもりを感じないってことではないんですよ 逆になんか
パステルカラーとか浮つらな感じがして 他の色以外でもそうですね
他の人がぬくもりを感じない そんなものがなんか張りぼて感があって嫌だったりするんですよ
あとこの先生なんか 優しいんだけどこのぬくもりのある感じが嫌だみたいなことも
どうなんだろう あるあるなのかな あと警察で優しくされると
普通ぬくもりを感じないとこでぬくもりを感じる っていうのがあるのが不思議なとこで
いや奥深いなぁ あとちょっとした気遣いにぬくもりを感じる
これはでもあまりないかなぁ
コンビニのポップに対してぬくもりを感じる これはあるでしょうね
でも暗きはその手作り感とか
人が返してるからぬくもりを感じるっていうのは ただのごまかし
に騙されてる感じがしてしょうないんだけど
職人さんが手を加えていればぬくもりを感じるとか
以前こういうことありました 雨見えがあるからそれで
ああこれ木の材料でできてるんだなと思ったら ただなんていうんだろ 汁みたいので
木に見せてるだけとか こういう経験があるんだよ あまりそういうのは信用しないんですよね
ちなみに一人暮らしでホームシックになったときは コンビニの店員さんとかラジオの声でしょ
本当はペット飼ったりすればぬくもりを感じたんだろうけど あとは
そんなとこなんですよね
あとやっぱり物に対しても ぬくもりって感じることはあって
一人暮らししてるときさ 寒いときにフリースの服なんだけど
布団じゃなくて上にかけたらすごいぬくもり感じてましたね あと親戚にもらったウモブトンとか
でもアパートがね 電気もいい雰囲気で
カーテンも自分が好きな色のもので 初めての一人暮らしって感じでぬくもり
あってもいいはずなんだけど 表面上はそういうものを感じてるんだけど
でも本質的なぬくもりを感じてない
だから絶妙な心理なんですよね ぬくもりを感じるっていうのは
あとやっぱりクリスマスの アメリカの動画を見てて
家の前飾り付けしたり ハロウィンはちょっとね骨とかあるんであんまりあれだけど
アメリカのクリスマスパーティーの
あの感じとかすごいぬくもり感じるんだよな でも日本で
なんか友達同士で集まって 親は家に置いてかれて
なんかそういうのってあんまりぬくもり感じないですね 同じパーティーなんだけど
同じパーティーであってもやっぱり 爺ちゃん婆ちゃん孫って集まってやるあのクリスマスのあの雰囲気 しかもクリスマスだから
だってのがやっぱり大事ですよね そこになんかね温かみを感じたり
するわけですね
あと保健室の先生の
作った資料とか 資料というか
配布物とかそういうものですよね あんなぬくもり感じてましたね
だからですよ ちょっとしたそういうイラストとかの関係なんだろうけど
ほんのちょっとしたひと手間が
非常に それって
手間もかかるしあまり合理的ではないんだけど やっぱりそれに魅力を感じるのは人間の心だと考えると
決して不合理ではあるかもしれない 無駄な時間を費やさなきゃいけない
毛糸で塗ったものなんてそれだけ時間かかるし でAI化が進めばそういうものって軽視されるようになるだろうし
難しいところですよね 人間の捉え方が変われば別にAIに対しても
あのぬくもりを感じることができるわけだから 合理的だしそのほうが
ぬくもりも感じれていい いいような気もするけども
それじゃあおつかれさまでした 番組フォローよろしくお願いします それでは明日っけ
32:22

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