安楽死に関するニュースと話し手の見解
こんにちは、ぽぬです。ぽぬ日々。 Hello, this is PONU. This is PONU.
今回は安楽死について、障害者の安楽死というか、私のというか、狭い範囲での話をするんですけど、This time, I'm going to talk about the story of myanxiety disorder.
なんか、ポストで流れてきたのが、柔道知的障害の子供、29歳、20何歳かの子供を、母親、50代か60代の母親が、歴史させたっていうニュースがありまして、
で、それの詳しくは見なかったんですけど、どうやら、その安楽死があればいいのに、みたいな話をしてる人たちがいたらしくて、なんか、安易だなと思ったんですよ。
でも、なんか、苦しいことが、障害者なりに生きる方法があって、楽しく生きる方法が、それはそれであると思うんですよ。
で、さも健康なことが志向というか、何て言ったらいいのかな、健康じゃない人は死ねば解決する、みたいな書き方されると違うなって思ったりしていて、
で、私が僧侶症じゃないですか、鬱も僧も経験して、鬱状態になってからはもう9年、10年ぐらい、ずっと鬱が続いて、
で、その間、ラピッドサイクラーで一瞬、僧状態になったりとか、あと混合状態とか混ざったりとかしてはいますけど、基本鬱で生きてて、症状が重い時もありました。
で、起死燃料とか自殺機ともありまして、自殺機とは、あってるか、機と、行動に移すほどでは、いや移しかけたけど、これじゃあ死ねないよなーみたいなので途中で止めて死ななかったりとか、
だから一歩間違えれば成功したこともあったなと思うんですけど、
そういう時期は安楽死が欲しいと願っていましたけど、治療が10年経ちますが、やっとなんとか自分という、自我というかアイデンティティというか、
なんかそういうものが、やっとこう、なんだろう、自分の中に掘り起こされたというか、ちょっとなくしてたものが、どっか行ってたものが見つかってきたなと思ってきていて、
そうすると、自殺願望というか、起死燃料は死にたいみたいな気持ちはなくもないんですが、生きてた方が楽しいなっていう気持ちの方が変わってきたのが、ここ最近数年、いやここ2年、1年ぐらいのことなんです。
で、最初の話にちょっと戻るんですけど、
なんか、他人が自殺、自殺じゃない、あのー、あー、名前飛んじゃった。
安楽死。他人が安楽死をすればいいんじゃないかとか、安楽死という選択肢があれば助かったのにみたいなことを言うのはとても簡単ですが、すごく軽々しく使う言葉でもなく、
本人がそれを強く望んでるのであれば、強く望んでたとしても他人が言うことじゃないかなと思います。
安楽死すればいいとか、安楽死が選択肢にあればいいっていう人は、友達にその人に死ねと言ってるようなものに近くて、と思っているんですけど、
結構、なんだろう、話がうまくまとまらないな。
まあ、簡単に死になんて言うなよって話なんですよね、簡単に言うと。
話し手自身のうつ病との闘いと回復の兆し
障害者、私と亡くなられた方とは別の種類の障害ですけれど、本当に毎日苦しんでるような方もいらっしゃるし、
私みたいに希望を持ち始めた人だっているし、他人が判断することではないと思っています。
事件の母親側にどんな苦しみがあったかは、私には想像もできませんけれども、
もしその母親側に、この子は死ねば楽になるんじゃないかという考えがあったのなら、
それはどうなんでしょうね、軽いとも言えないし重いとも言えないというか、
当事者といえば当事者なので、どう映ってたのかなっていうのは、本当に想像しかできませんけど、
その母親がこの子は死んだ方がいいという判断をしたとしても、
野外が死んで正解だというのはやっぱり違うよねって思いました。
話がちょっと途中入ってた話に変わると、自分の話になると、
自殺を、起死念慮があるという状態だとしても、
肯定、自殺したいんだ、死にたいんだねっていう気持ちは受け止めてくれてもいいけど、
じゃあ、安楽死っていうものがあってね、みたいな話に、
安楽死が存在するとしたら、できるという選択肢があるとしたら、
選択肢として出してあげるのは正解かとちょっと考えてみたんですけど、
なんか違うなと思ってます。
私の僧侶性障害は、治療が正しくその人にあったものであれば、
ゆっくりではあるんですけど、感慨に向けて回復する病気らしいので、
なんでしょうね、前もどっかで話したかもしれないんですけど、
僧が、鬱が作り出したものは、幻想というか、幻覚みたいなもので、
本当のその人じゃないんですよ。
だから、かわいそうではあると思うんですけど、
なんとか生きる方法、生き延びる方法を選んでもらって、
なんとか治療を進めて、私みたいに生きるのが楽しくなるようなことを増やしていくと、
いけたらいいのになと思ってます。
そんな簡単なことではないっていうか、
うん。
安楽死を安易に勧めることへの疑問
なんか周りを見てると、やっぱり人生っていろいろだから、
うまくいかない人もたくさんいるのは、なんとなく知ってるんですけど、
でも、自分、起死年齢を持ってる当事者としては、
なんかこれが本物の感情とは思えないんですよね。
やっぱり楽しいな、生きてて楽しいなって思う瞬間も時間もあるので、
この起死年齢がなくなったらそれでも生きたいと思いますかって言うと、
私は生きてたいなと思うんですよね。
起死年齢という症状が消えたら、もう死にたい理由がないというか、
という状態なので、
鼻かんでました。
ちょっと話がうまくまとまらないんですけど、
安楽死、障害者に関しての安楽死は、やっぱり安易に考えるものではないと思いました。
毎日激痛に耐えてるみたいな病気、障害の方のことを考えると、
ちょっと胸が痛いというか苦しいんですけど、
これも程度というものがあると思うんですけど、
障害ってくくりにしちゃうとデカすぎますもんね。
私みたいな人で考えてもらったらいいかなと思います、今回は。
私みたいな人に安楽死を勧めるのはどうなのかっていう、
私は勧めない。勧めないかな。
本当に病状がひどい、ひどく進行してる柔道の方、
まだ私は出会ってないので言えるのかもしれないんですけど、
でもやっぱまず最初に病院、医療に行ってもらうことを進めるし、
そういう手助けをしたいと思います。
で、最初の話にちょっと戻ると、やっぱ野外は、野外?外野?
ちょっと日本語がわからなくてごめんなさい。
外野はあんまり口出してほしくないなって感じでした。
お聞きください。ありがとうございます。ではまた。