サムネ画像は、ヒルトンホテルで会見に臨んだツイッギー(昭和42年10月19日)

【今回の戦後史開封は】きのうは5cm、今日は10cm。まるで秋の日差しのように女性のスカートが短くなっていった。昭和40年代に吹き荒れたミニスカート旋風だ。女性のファッションばかりでなく、男性の女性観をも変えたとされるミニが日本に上陸した背景には何があったのか。
 昭和42年10月18日。10日前に、佐藤栄作首相の訪米を阻止しようとするデモで、学生1人が死亡するという事件があったばかりの東京・羽田空港に英国人の女の子がひょろりと降り立った‥

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

■番組のフォロー、評価をお願いします!

■産経Podcast おすすめの番組

①『神田蘭の5分で恋する日本史列伝』人気〝講談師〟の神田蘭が語る、日本史に名を残す偉人列伝。教科書が載せてくれない偉業と生い立ち、思わず身の引き締まるお話を、情感豊かにユーモラスに語ります。
Spotifyで聴く(リンク)

ApplePodcastで聴く(リンク)
Amazon Musicで聴く(リンク)

②『歴史の真相―本当はこうだった』学校の授業だけでは分からない歴史の暗部。現代を生きる我々の想像を超える出来事が潜んでいました。歴史上の転換点や人物について、史実を掘り起こしていきます。
Spotifyで聴く(リンク)
ApplePodcastで聴く(リンク)
Amazon Musicで聴く(リンク)

■番組SNSでは最新情報をお届け
X(旧Twitter)
 
■産経Podcast 公式ウェブサイト
https://sankeipodcast.com/

■産経Podcastとは。
新聞紙面では伝えきれない情報を、産経新聞社の記者陣が厳選。
ニュース解説、ドキュメンタリー、歴史、エンタメ、インタビューなどオリジナル音声コンテンツをお楽しみください。 

■アンケートフォームはこちら(リンク)

See omnystudio.com/listener for privacy information.

サマリー

昭和40年代には、吹き荒れたミニスカートの扇風がありました。女性のスカートが次第に短くなっていったのは、ミニスカートブームが日本に上陸してからです。

ミニスカート扇風の始まり
戦後史開封、ミニスカート①
扇風の影に仕掛け人あり。
昨日は5センチ、今日は10センチ。
まるで秋の日差しのように、女性のスカートが短くなっていった。
昭和40年代に吹き荒れたミニスカート扇風だ。
女性のファッションばかりでなく、男性の女性感をも変えたとされるミニが、
日本に上陸した背景には何があったのか。
昭和42年10月18日
10日前に佐藤英作首相の訪米を阻止しようとするデモで、
学生一人が死亡するという事件があったばかりの東京羽田空港に
英国人の女の子がよろりと降り立った。
168センチ、41キロ。
ショートカットでそばかすだらけの本名、レスリー・ホームビー。
細すぎる体から小枝という意味のツイッキーと呼ばれていた18歳の少女は、
おどおどとタラップから地上を覗いていた。
ミニスカートブームが日本に上陸した瞬間だった。
だが、実はこの時ツイッキーはミニを履いていなかった。
毛皮のハーフコートと長い黒のクロットスカート。
当時ロンドンで流行り始めたばかりのニューファッションではあったが、
待ち構えていた大勢の報道陣は、
あれじゃ縁にならんと無禅とした声を張り上げ、
空港整備員は詐欺だと叫んだ。
翌日、ツイッキーは当時の東京ヒルトンホテルに
膝上30センチの真空の超ミニで現れる。
前日とは打って変わった登場の仕方で話題をかしさらった。
すべて計算された演出だったようだ。
約2週間の日本滞在中、
ツイッキーは大阪ロイヤルホテルをはじめ、
東京武道館でのポピュラー歌手とのジョイントコンサート。
さらには名古屋、東京のデパートなどで6回にわたる
当礼主催のファッションショーに出演した。
その他、森永製菓やトヨタ自動車、コティ化粧品の
コマーシャルフィルムやスチール用写真の撮影と
過密な毎日をこなしていた。
ツイッキーがテレビや雑誌を賑わすと同時に、
膝上15センチのミニが売れに売れた。
この流行はその後、昭和51年まで続く
ミニスカートの第一次ブームとなり、
平成元年頃から始まった第二次ブームの目を内包したものだった。
ツイッキーの来日とファッションブーム
日本でのミニブームの筆記役となったのは、
当礼、広報宣伝部長、遠牛昇だった。
ツイッキー来日の前年、遠牛は広告関係の
国際会議出席のため、ベネチアに行った。
ついでに回ったパリ、ロンドン、ドイツでも
ミニの大流行を目の当たりにした。
しかし、スタイルの違う日本女性が
ミニを履くわけないよなぁ、と、
あまり関心は持てなかった。
だが、ここで縁起わふと、ミニスカートとは直接関係ないが、
当時絶頂にあったビートルズの人気のことを思いつく。
当時、スインギングロンドンという現象が起きていた。
これは、その頃の世界中のベビーブーム世代の若者たちの主張で、
ロンドンを中心に世界が動いているんだ、というものでした。
それが、ロンドン生まれのビートルズであり、ミニスカートだったんです。
一方、パリではこの頃、デザイナーのイブ・サン・ローランや
アンドレ・クレージュなどが新しいファッションの波を起こしていた。
サン・ローランは、これからは既成服の時代だ、と
リブ・ゴーシュというブティックを開店。
若い女性にも手が出る服を売り出し、話題を撒いていた。
ミニは単なるファッションじゃない。
第二次大戦後生まれた世界のベビーブーム世代が主導権を握る。
今までの体制を破壊していく、という現象なんだ。
エンニューはこうした確信を胸に、ドイツへと歩く。
ハンブルクでは、ちょうどビートルズがコンサートを終え、
日本公演のため出発する直前だった。
若い世代の英雄であるビートルズに会えるチャンスだと、
予定を一日伸ばして、同じ日光機のファーストクラスに席を取り、
帰国の都に着いた。
帰国後、ビートルズの後から飛行機を降りたエンニューに、
早朝4時前だというのに、女性7、週刊女性、ヤングレディ、
女性自身の各編集長が機内でのビートルズの話を聞きたい、
と詰め寄ってきた。
日本武道館でのビートルズの公演は大成功だった。
髪の長い4人の若者たちを、空前の熱狂の渦で包んだのは、
女性史の読者層と同じ多くの女性たち。
彼女たちは、数千円から1万円以上くらいの
身にがかえるほどの経済力を持つようになっていた。
日本でも、戦後生まれのベビーブーマーたちの動きが目覚ましかった。
エンニューは、ミニスカートの象徴のツイッキーを呼ぶべきだ、
と、確信した。
幸運なことに、森永製菓など複数の企業が
ツイッキー来日に合わせた企画を立てることになった。
それだけで負担するとなると、資金面が心配だったが、
これで不安がなくなった。
こうして、ツイッキーの来日にこぎつけることは、
ツイッキー戦風の頃を境に、戦後日本の生活は大きく変わる。
飲食・住の洋風化が進み、それが権威力となって生活水準が向上。
同時に、ファッションビジネスにも花が咲いた。
ミニは、高度経済成長に支えられた
黄金の60年代の純粋なファッションビジネス。
ミニは、高度経済成長に支えられた黄金の60年代の重要な主役の一人だった。
07:32

コメント

スクロール