サムネ画像は、「トーキョー・モード・プレス'97」高田賢三ファッションショー=江東区有明の「ホール1000」

【今回の戦後史開封は】10年間にもわたってファッション界を支配したミニスカートに引導を渡したのは、一人の日本人デザイナーだった。日本では故田中角栄元首相の逮捕となったロッキード事件が起きた昭和51年のこと。パリで活動していた高田賢三が、パリコレクションで、だぶだぶのスカートなど「ビッグファッション」を発表したのだ。「ビッグ」はあっという間にミニを駆逐する勢いで広まった。

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

日本人デザイナーはミニスカートを追放しています。ビッグファッションがミニスカートを駆逐しています。石油ショックの影響でミニスカートの流行が終わっています。

建造のウィッグがミニに引導を渡す
戦後史開封、ミニスカート④
建造のウィッグがミニに引導を渡す。
10年間にもわたってファッション界を支配したミニスカートに、引導を渡したのは一人の日本人デザイナーだった。
日本では、古田中学園元首相の逮捕となったロッキード事件が起きた昭和51年のこと。
パリで活動していた高田建造がパリコレクションでダブダブのスカートなどビッグファッションを発表したのだ。
ビッグはあっという間にミニを駆逐する勢いで広まった。建造は兵庫県姫路市に生まれた。
36年、文化服装学院を卒業。三倉産業、産愛で仕事をしたが住んでいた六本木のアパートから突然立ちの木命令が出された。
立ちの木料25万円をもとでにパリへ渡ったところから建造の人生が大きく変わる。
半年の留学生活が終わる直前の1970年に幸運が重なった。
ファッション雑誌エルがデザイン画を10枚50フラン、当時のレートで約3200円で買い取ってくれた。
その縁で今度はプレタポルテ高級旗制服のブランドビザンティーは滞在許可証と労働許可証を取って採用してくれた。
その後、比較情報会社で働いた後、自分の店ジャングルジャップを出展するまでにこぎつける。
建造がリックを発表したことで本格的なパリのプレタポルテコレクション時代が到来した。
それはまたロンドン発祥のミニに対するファッションの本家、パリの逆襲でもあった。
もっともミニスカートに対抗する動きは早くからあった。
都の方には悲しいお知らせ、町からミニが消えます。
という、低人のコマーシャルコピーが新聞史上に載ったのは、スイッキーの来日でミニブームに火がついてまだ間もない昭和43年のことだった。
本音は女性の皆さん、ミニだけでなく丈の長いミディやそれよりさらに長いマキシもありますよ、との呼びかけだった。
その後、パリオートクチュールのファッションショーで丈の長いロンゲットスタイルなどが発表されると業界挙げてミニかマキシかの大論争となった。
これにパンタロンを加えてスカートは多様化の時代へと突入する。
レナウンマーケティング戦略室の早川は当時パリに留学していた。
目抜き通りのシャンゼリーゼでビートルズのジョン・レノンと妻の小野陽子を見たんです。
陽子は真っ黒なマキシ丈のコートの下にミニスカートで、すごくオシャレな感じでした、と振り返る。
日本でもマキシコートの中にセーターとミニといった服装が人気を集めた。
ミニを支えてきた大衆消費社会にもブレーキがかかる。
石油ショックとミニの終焉
昭和48年に始まった石油ショックが大きな原因だった。
アメリカの経済学者はミニ前世の頃、女性のスカート丈は短いほど後継期、長くなったら要注意という持論を展開した。
ロードアイランド州の銀行家グループの集会で、過去45年の株式市場などの分析から得た結論を披露したものだったが、その通りミニの流行はイザナギ景気とほぼ平行して進んでいる。
建造のビッグがミニを追放することになるのは、ちょうど石油ショックによる不況が深刻な頃だった。
それでもミニがもたらしたファッション革命はその後も生き続ける。
ミニの時代に、苦想に対する神秘感を培った女性たちは、「いいものを長く着る。」というファッションセンスに目覚めていく。
昭和45年、アンアンが創刊されると、ルイビトンなどこれまで知らなかった世界の一流ブランド品に目を奪われると同時に、流行に左右されにくく、素材としての価値が高く長持ちするもの、例えば毛皮が流行の中心に収まっていく。
不況にはなったが、スカート丈が長くなることで、それに合ったジャケットやコートなどの需要が増え、当時なぜか売れる婦人服と言われた。そして平成元年頃からは第二次ミニブームも出現し始めた。
デザイナーの足田純は、「戦後ファッションはすべてミニからスタートした。第二次ブームを見ると、ミニはファッションの一アイテムとして定着していくのだと思う。」と前置きして、ミニ定着を好分析する。
女性がかつてないほど元気な時代が到来したということです。今後とも、女性から文化が生まれ、近い将来、女性エリード型の社会が出現する地盤が完備しつつある証拠です。男性はそのことに早く気がつかないと、時代の流れから取り残されます。
ミニの女王、ツイッキーはその後、モデルから女優、歌手をこなすマルチタレントへと転身。二度の結婚を経験し、福良かな熟年となった。18歳の頃、年収36億円の記録を持ち、その働きで英国女王から勲章を授けられた。
ビートルズが受けたのと同じ勲章で、今も偉大な英国民であり、輝かしい女性を表す栄誉に包まれている。
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