1. ラジオ産経ビジネスジャーナル
  2. 寿司ネタのほとんどが「時価」..
2022-08-29 22:08

寿司ネタのほとんどが「時価」/明朗会計で業界に挑んだ「がんこ寿司」創業秘話

spotify apple_podcasts

関西を中心に「がんこ寿司」を展開する「がんこフードサービス株式会社」の小嶋達典代表取締役社長に、1963年の創業から現在までの会社の歴史と、小嶋社長の入社までの歩みをうかがいます。


【聞き手】安本寿久(産経新聞大阪本社・編集委員)


番組のフォローと高評価をお願いします!
Apple Podcastでは皆様のレビューも募集しています。
                                      


■産経Podcast オススメのニュース番組・ドキュメンタリー番組

・『注目の記事から』:産経新聞社の公式ウェブ「産経ニュース」で、関心が高かった記事、注目の記事を厳選して音声化しました。                  

・『検証 北朝鮮拉致報道』:北朝鮮による日本人拉致を最初に報じたのは産経新聞でした。40年以上前、若き一人の記者が凶悪かつ理不尽な国家犯罪を暴いたのです。音声ドキュメント版でお届けします。                        

・『聴けばわかるお金のこと』:成人年齢の18歳引き下げで新成人や若年層への詐欺被害やトラブルの増加が懸念されます。産経新聞は近畿財務局とともに、金融について簡単に理解できる音声をお届けします。                     
                                      

■番組SNSでは最新情報をお届け  
Twitter 
Facebook 
                                      
 
■産経Podcast 公式ウェブサイト  
https://sankeipodcast.com/  

■産経iD 公式ウェブサイト  
https://id.sankei.jp/  
※会員登録(無料)することで、会員限定のPodcastコンテンツを聴くことができます。
                                      

■産経Podcastとは
新聞紙面では伝えきれない情報を、産経新聞社の精鋭記者陣が厳選。
インタビュー、ドキュメンタリー、歴史、エンタメなど、15タイトル以上のオリジナル音声コンテンツをお楽しみください。 

See omnystudio.com/listener for privacy information.

00:00
はい、改めまして、今晩のゲストはですね、頑固フードサービス株式会社の代表取締役社長、児島辰則さんです。
児島社長、こんばんはでいいでしょうか。
おはようございます。
おはようございます。
外食産業だね。
外食産業ですよね。
放送業界も一応、おはようございます。
そうですよ。
ですから、10時の放送ですけども、おはようございますから始めましょう。
ありがとうございます。
今週と来週、頑固フードサービスの根掘り葉掘りを伺うと思ってますので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
もうお馴染みと言っていいんですが、この放送、関西以外でも結構聞かれてるんですね。
ラジコという新しいツールがありまして、別に関西以外でもラジオを聴けますので、いろんなところで聞かれてるということですので。
まず、頑固フードサービスについて簡単に紹介していただけるとありがたいんですが。
かしこまりました。
創業が昭和38年、1963年なんです。
父である創業者の小島篤氏が、重曹という地域、大阪の中での重曹というのがあるんですけども、そこで四粒飯のお寿司屋からスタートさせてもらいました。
現在、東京、大阪、関西中心に62店舗を展開させてもらってます。
もともと寿司屋スタートなんですけれど、今は和食のお店が中心。
あと、開店寿司とか、とんかつ屋さん、今出した新しい米とデミグラスとか、いろんな業態をやらせてもらってます。
この創業に関してはいくつも逸話があるんですよね。
厚塩社首とおっしゃるそうですが、最初は和歌山で雑貨店を引き継がれたんですよね。
飲食店ではなかったということなんですが、飲食店に転用して大阪に出てきた経緯なんかは聞かれてますか。
そうですね。最初はその雑貨店、私の祖父になるんですかね、の家を手伝ってたみたいです。
その時に学生時代からずっと手伝いをしていて、大阪の方に天王寺の方とかに、その当時でいうと市入れに来てたみたいです。
そこで手伝いしながら、大学行きたいと。その当時行くと珍しいんですけど、大学に進学しまして。
その時に何をしようかということをいろいろ考えたみたいです。
その中で何でお寿司屋さんになったかというのは、なかなか難しいところなんですけど、やはり商売をしたいと。
昔からずっと商売してたので、それで大阪の方で商売をして、そして最初からある程度、個人じゃなくてチェーン店をやりたいと。
経済学を習ってみたいので。
それで重曹のところに一号店を出したと。
寿司の修行をされてるときっていうのが、他の和食より、その当時こんな言い方した失礼なんですけど、早く独立できるやろうという。
03:05
調理技術になると和食になるとすごく変わるんですけど、寿司の場合は、その当時はまだ本当に他の一品物もなかったみたいなので。
だからお寿司でしたら早く技術を習得して独立できるやろうという考えがあったみたいですね。
なるほどね。着眼点としては素晴らしいところですよね。
一般には江戸前寿司なんかファストフードで始まってますから、やっぱり早く提供して早く食べて回転率を上げるというところでは、寿司屋さんが一番良かったんですね。
そうですね。
なるほど。この時の話でよく僕なんかも聞くのは、寿司屋さんっていうのは大体直で結構入るのが怖いので、そこのところを何とかしたかったということで、
いち早くこの金額で打ち出されたというのを聞くんですが、この辺りちょっと詳しく教えていただけますか。
その当時はやはりほとんど寿司屋さんっていうのが直で商売をされたそうです。今も直のお店もあると思うんですけど。
そこで高級寿司店というより、やはり大衆のお店のお寿司さんをやりたいということで、大衆店ですとやはり直というわけにいかないので、これが何本、これが何本というふうに。
分かんないと怖いですね。
そうですね。それで最初にやりだしたというのを聞いてます。最初はなかなかそれが受け入れられなかったというのも聞いております。
あの定価ということになるわけですが、しかしお魚ですから仕入れ税が上下するのが当然で、そのために直にされているお寿司屋さんが多いわけですが、そこで定価制度を持ち込むと、思いがけない赤字になったりすることがあったんじゃないですか。
それ聞いてません。定価にしてしまっているので、本当に時期によって仕入れがどんと変わる。でもそれでもそのまま行こうというふうには聞きました。
その代わり安くなるときもありますので、仕入れが。そのときにもしっかりと設けさせてもらって、あと高くなったときには仕方ないかという商売をやっていたんですね、その当時は。
お父さんはお寿司の修業というのは本格的に大学卒業してされたんですか。
そうです、はい。
どんなお店で修業したとか、そういう話聞かれます?
今もあります。坂井寿司さんで修業をさせてもらったみたいですね。
なんか珍しいんじゃないですか。昭和38年に創業ですよね。学生時代はもうちょっと前なわけですし、当時学生ってやっぱりエリートのイメージがあるので、職人の世界に入るっていうのはなかなか珍しいことじゃなかったかと思うんですが。
本当にね、私もえっと思うんですけど、やはりその当時、商売をしたいと。家、高校時代、小学校ぐらいなんですかね。から実家のヨロジアさんを手伝ってて、その商売の面白さっていうのをやっぱり感じたみたいですね。
06:02
多分それはお客様にありがとうとか言われるっていうのが一番、商売人の一番のところなんですけどね。
そこがお客さんと密接に関係しながら商売をやっていくという面白さなんですよね。
そうでしょうね。
そういう料理人としての姿とか経営者としての姿っていうのは、奥さんの時にずっと見られていたようなもんですか。
その時は何も意識せず見てましたね。物心つなぐらい現場にはあんまり創業者は立っていなかったので。でもよく子供の時は食べに行きましたね。
その中でずっと、私もなんか子供ながらに好きで、ずっと職人さんの手元をずっと見させてもらったり、もうそれをワクワクしたみたいですね。
なるほどね。やっぱりお寿司を握るとか料理を作るということに関心持たれすごくあったみたいですね。
なるほど、なるほど。一つぜひ伺いたいんですが、僕も大学で大阪に出てきてから、なんこ寿司のいろんなお店みたいになんかするときに、ハチマキを巻いた創業者の方のイラストというんですか、看板というのがありますよね。
ああいうものが出てることは、子供としてはどういうふうに捉えられていたんですか。
そうですね。最初は恥ずかしかったですね。
恥ずかしい、やはり。
やはり周りの友達もがんこの小島というのをわかってますので、高校時代からあだ名はがんこでしたね。
自分のあだ名がお父さんの。
がんこでした。
実際にお父さんがんこなんですか。
まあがんこですね。
がんこですか。
ちょっともう少し早く聞かなきゃいけなかったかもしれませんが、がんこ寿司、がんこフードという命名はどこから来てるんですか。
がんこというのは、父創業者の大学時代のあだ名らしいです。
大学時代からがんこだったんですか。
がんこだったんですか、違いますかね。ちょっとエラも張ってたんで、ゆうけんにがんこのようなふうに見えたのかなと思うんですけど、やはり正確にがんこだったんでしょうね、学生時代から。
なるほどね。そこからこの道が開けてたような感じですよね。
自分をそういうふうにキャラクター化してお店と一体感を持たせて発展させたというのは、なかなか素晴らしい経営者だとは思いますけどね。
しかしお母さんとしてはちょっと恥ずかしかったということですね。
小島社長はがんこというあだ名はいつ頃まで、高校時代から。
高校時代の時から先輩からがんこ、同級生にもがんこ、後輩からがんこさん。たまには学校の放送で呼ばれてもがんこ来いと。
高校の時はラグビーだったんで、ラグビーの顧問からがんこって放送で呼ばれたり。
それは嬉しい。
その時はもう覚えてもらいやすかったんでよかったですね。後輩からはがんこさんの名字何でしたっけと言われることもありました。
09:01
小島という姓を忘れられているわけですか。なるほど。
小島社長が明るい性格なんで全てそうやって受け入れて、と思いますけども。
これはちょっと暗い子供さんだったら嫌だなと思ったかもしれないと思いますね。
そう思いますね。
お寿司屋さんですからやっぱり息がいいということが大事ですから、いい親子関係で来られたんだなという気がします。
後半にこれから行くんですが、後半はもう少し大学時代あるいはその後いよいよ社長自身も進路を決めなきゃいけないわけですよね。
いつまでも親としてのがんこを引きずるわけにもいかないので。
どうやって進路を決めて今のところまでたどり着いたかという話を伺おうと思いますので、後半もよろしくお願いします。
はい、ここから後半ですね。
今晩はがんこフードサービス株式会社の代表取締役社長小島達之さんにお話を伺っています。
がんこというあだ名でお父さんと一体のように過ごしてきた高校時代だったという話を伺ったんですが。
いよいよ大学に行ってまた進路を決めなきゃいけないわけですね。
大学に行くあるいは大学卒業後の進路はどのように考えておられましたか。
そうですね、本当にちょっと大学に行くのが時間かかったと思ったんですけど、高校時代にいろいろと遊びましたので。
大学に行ってからは本当にあまり最初の頃は進路どうしようかというのは考えてなかったですね。
大学3回で、私に出会えたら4回戦の時にみんな就職活動とか言われてたんですけど。
本当にその時にさあどうしようかと思ったのに、あ、そりゃもう何も知らないなと。
一旦やっぱり修行に出ようと。
その時に初めて思いましたね。
漠然と家は継がなあかんやろなといつかはと思ったんですけど。
その時に初めて何も分かってないなというので修行に出ようというふうに決めましたね。
みんなが就職活動でいろんなところ学校も回ってるときに私は料理屋さんもありましたね。
板前の世界に入ろうと思ったわけですね。
普通だと会社訪問ということになるわけですが、板前の会社訪問にあたるものは店に行くんですか直接。
私は店に行きました。
学生なんで料理屋さん、カップを料亭とか高くて行けないんで。
その時は本当に社長の父にお願いして行かせてくれと。
お金借りて。
いろいろ回らせてもらいましたね。
学生一人で行くのもおかしいんで。
その時にいろいろと。
ここやっていうところに弟子入れさせてくれと。
ということは自分の下にあったお店を選んだということですか。
12:00
そうですね。一つは断られたり何個も断られたりしましたけど。
最後この桜田、京都の桜田っていうところで分かったと言っていただいたんで。
ここは解析料理のお店なんですね。
ここを気に入ったのはどういうあたりですか。
すごくこじんまりとしたお店だったんです。
カウンターとテーブルが1,2,3とお座敷1個ぐらいで。
その中で本当に丁寧な仕事をされてたので。
その中で私も学生時代なんで、何にも本物知らなかったんです。
そこは本当に本物の料理を出してますし、本物の器もどんどん使ってましたので。
やはり本物に触れるっていうのも大切だなと思ったので、選ばせてもらいましたね。
これはやっぱり京都を選ばれたのは、そういった文化も含めて勉強できるという。
そうですね。それは本当にありますね。
それはその時まだ京都しか分からなかったんですよ。
料理屋よりは京都ばっかりだろうなという。
でも大阪にお店があるじゃないですか。
そうなんですよ。
でもそういった料理屋とか海石料理のお店っていうのは京都っていうイメージがあったんでしょうね。
京都の中で探そうと。
なるほど。弟子はすんなり行きました?
そうですね。最初は本当に分かったと言っていただいて、そのまま寮に案内してもらって。
結構年傘の新入社員ですよね、おそらく。
料理人の世界ですから、例えば中学卒業、高校卒業で来る人が多い中で、大学卒業で来るだけでもちょっと年傘ですよね。
包丁はここから初めて持つわけですから、かなり苦労はしなかったですか?
かなりストレスはありました。何一つ分からないんで、お皿の洗い方すら分からないんで、全てを1から10まで聞いていかないといけないんで。
やはり大学もラグビーやってたんで、4年生まで4回戦まで。ちょっと偉そうになってるじゃないですか。
4年生も4年生も。
そこから1からスタートでしたので、本当にストレスはありましたね。
でもこういう性格なんで、どんどん聞いて教えてもらうっていう。
その当時から見て覚えろというより、本当に分からんことはどんどん聞いて教えてくれるお店でしたので。
選んだところに間違いはなかったということですね。
このお店は何年結局いらっしゃったんですか?
2年です。
2年経ってから、今度会社員になられるんですよね。電気メーカーに配布されるわけですが、これはどういう考えからそちらに転身されたんですか?
これは本当に板前をやりながら、本来では3年したかったんです。
でも大学に入るの遅れたんで、1年減らしてということで、次社会人、会社員やりたいなと。
15:04
それっていうのは、私、お客様のターゲットが本当にサラリーマンさんが多かったので、本当のサラリーマンさんにならないと、サラリーマンさんのお金の使い方が分からんなと思います。
生まれてからずっと料理屋で生活してますので、家族でご飯を食べに行くっていうのも、やはりどっちかというと勉強がてらっていうのもありましたので、どれぐらい本来でお金を使うのかっていうのも分からない。
実際入って給料をいただいて、そこから生活しないと分からないなと思ったので、選ばせてもらいました。
今度は消費者になろうとされてるわけですね。カスタマーになろうとされてるわけですね。
この就職活動はすんなりいったんですか?
これは本当に、いろいろそういった電気屋さんの息子さんを受け入れる制度があるという会社でしたので、そこは私は本当にどこでも行かせてもらうんでしたが、よかったんです。
本当に働かせてもらうだけでも、たまたま本当にお声だけいただいたので、そういうのがあるんで来たらどうやというので、今度はお願いしますということで行かせてもらいました。
今度はネクタイスーツ姿。
そうですね。でも最初は群馬の工場でしたので。
じゃあ作業着で。
作業着で。
なるほどね。小島社長、産業電気にお勤めだったということで、そして同時に大学時代はラグビーをされた、高校からされたということなので、産業電気のラグビーって非常に強いんですが、そこではプレーはされてたんですか?
当然そこはしてないですよ。
しなかった。
ちょうど群馬の工場に行ったんで、そこにはラグビー部のメンバーがいてましたので、同期のメンバーも出てました。それは私たちは応援していた。
応援していた。かなりレベル的には。
もう。
違うんですか?
違いますね。私は大学もそんな強い大学でもなかったので、本当に産業電気でラグビーすると全国の大学のトップのメンバーが集まってますので。
なるほど。社長から見られて、ラグビーの魅力って何ですか? 強い選手は自分たちがやることで楽しいと思うんですが。野球ほど役割が決まってないと言いますか。
そうですね。
臨機応変に行かなきゃいけないんですよね。
本当にその臨機応変さっていうのがすごく面白かったのと、やはりなかなか人間、人に当たることがないじゃないですか。
はいはいはい。
案外それが楽しいんですよ。やると。怖いですけど。
まあ蹴散らしながら進むなんて。
そうですね。
僕見るだけですけども、楽しそうですもんね。あれができればね。
そういうことも経験されたというのは、この飲食業界に入ってだいぶ生きてると思われます?
そうですね。本当に周りのあれを見ながら仕事、一人でもラグビーはできないので、やはり周りの動きを見ながらやっていかなきゃいけないので、その辺は視野が広がったとは思いますね。視界が広がったというか。
18:07
何事も無駄にはならないということを伺ってて、そういうふうに実感しました。サラリーマンになってみて、お店を使う立場として、どんなことを感じられました?
私たちが客単価を決めるときっていうのがよく、2ドリンク3フードとか、いろいろと考え方があるんですけど、本当にやはり食べない方も多いんですよね。話を聞くと、家帰ってからも食べなあかんねんと。
ああ、なるほど。はいはいはい。
だから、私が行かせてもらったときには、まだ若い。あれだったんだよ、飲みに行こうか、ご飯食べに行こうかって誘ってたときに、頼みたいんですけど、先輩が頼まないんで。
なるほど、はいはい。この辺は厳しい社会は、どこでも一緒だったんですね。
そうなんですね。だから、スイーツ屋のお酒だけ飲んで、こんなのしか頼まへんやと思いながら。
それは商品開発とか、品物を揃えるときに、かなり参考になった経験ですよね。
そうですね。だから、そうやって本当に家帰ってから、ご飯を食べないといけないんでというのは、やっぱり他でも聞きましたね。
なるほどね。家の分、空けとかなきゃいけないということですね。ここは結局何年勤められたんですか?
ほぼ2年です。
ほぼ2年で。なるほど。じゃあ、2年2年で、いよいよ次は頑固に入社されるんですか?
はい。
なるほど。もう2年っていうのは、だいたい決められてたんですか?
そうですね。先ほど言ったように、本当は3年3年の予定だったんですけど、大学に入るのが遅くて、卒業するのが。それでちょっと2年減らしました。
年齢のことを考えられたんですね。
そうですね。年齢のことを考えられたんですね。
となると、頑固フードに入られたのは何歳のときになりますか?
ちょうど29。
29歳。
はい。
やっぱり30までに。
もう入りたいなというのは。
そういう気持ちがあったわけですね。
はい。
なるほど。その気持ちを創業者に言われたときは、どんな反応でした?
私が、本当にもう2年経ったら戻ってくるんでということで、やらせてくれという話をしたときには、本当にそれだったらええんちゃうかというふうに言っていただいたんで。
なるほど。お父さんもゆくゆくは後つかしたいとは思われてたわけですね。
そうと思いますね。直接私は言われたことないんですよ。やれとは。
はい。なるほど。でも後継ぐということで、嬉しそうではなかったですか?
たぶん嬉しそうにはしてると思いますけどね、それは。
なるほど。頑固な顔でニコと笑われるというのが、ちょっと見てみたかった気がしますけどね。分かりました。
今週そろそろ時間ですので、来週は頑固フードに入社されてからということで、いろんなお話を伺いたいと思います。
はい。
ちょっとだけお話ししておきますと、すぐに社長にはならなかったんですよね。
21:03
はい。
従業員の方が2代に渡って社長されて、4代目の社長が小島社長ということですね。
はい。
この辺りもいろんな会社経営のテクニックというんですか、あるいは思想があったことでだと思いますので、
ぜひその話、選ばれる方としてはどう思ってたかということも含めて伺いたいと思いますので、来週も引き続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございます。
ありがとうございました。
番組をフォローすると、最新エピソードが自動でダウンロードされるので、外出の際にはデータ容量を気にせず楽しめます。
番組右上のフォローボタンから、ぜひフォローをお願いします。
また、Apple Podcastでは高評価とレビューをお待ちしております。
ぜひ皆様のご感想をお聞かせください。
22:08

コメント

スクロール