2023-03-09 01:54

人生初から得られるもの

いうなれば、生きていれば何事も初めてのことだらけですね。
初めてやることの予習は頭でできたとしても、実際にやってみると全然イメージが違ったり、思ったよりだいたい難しいと思えることがほとんどなのは、みな同じなんじゃないかと思います。だからこそ、やる!ということに意義があるんじゃないかなと思います。

子供の頃に興味持ったことって、皆さんも無数に有ると思いますが、最初から上手くできるわけ無いですよね。当たり前ですが。
初めて吹いたハーモニカ、リコーダーあたりの記憶はかろうじて有りますが、おそらく4、5歳だった当時、やってみたら音が出る!!なんて、無邪気にムチャクチャ好きになったんだと思います。そんなことで音楽演奏趣味人生がスタートしました。
ガキの遊びなので、ド下手で当然。周囲にも全くお構いなしで騒音を撒き散らしていたことは確実ですが、まぁ時効で許していただきたいっす。

そして中学になった頃には、物心つきまくって一個人としてだいぶ自分の心が確立してきた頃かと思いますが、通う中学校には音楽部が無かったので、ちょっと興味を持っていた電気関係から、無線部に入りました。要はアマチュア無線クラブですね。

週6日(土曜も休みでなかった!)放課後にクラブ活動を行うわけですが、もうとにかくワクワクの連続でした。
それまではBCLと言って、ラジオで遠くの局を聞くとかの挑戦をするなんてことを細々とやってただけでしたが、なにせ自分の声が遠くまで届く世界に足を踏み入れたのですから。

ただ無線、つまりトランシーバーである一定以上の強い電波を出すような場合には国レベルの法律で規制されていて、アマチュア無線で使う1Wとか10Wの電力であっても電波を「送信」する場合は国家試験にパスしなければなりません。
つまり、隣の校庭で野球部サッカー部などなどが掛け声かけて毎日ハードな練習を重ねている大勢を横目で見ながら、教室で国家試験のための勉強を続ける毎日という、なんとも暗い、オタッキーな世界を過ごしたのです。
なぜそんな活動をするの?ってことですが、試験に受かって国から「無線従事者免許」をもらわないと、無線部の活動とは言え送信ができない、つまり部員として活動できる範囲が狭まってしまうからです。

学校の勉強は基本嫌いでしたが、放課後のこの勉強は食い入るように皆と一緒に勉強しまくり、1年のうちに全員晴れて国家試験に合格できました。
そしてその翌月あたりに、人生初の送信ボタンを押す瞬間がやってきました。

先輩がニヤニヤしながら「CQ出せや」と言うのです。
こちらは、免許持ちでしか押してはならないPTT(push to talk)ボタンを押す瞬間を前に、マジで手が震えました。
そして、初PTT押しを達成した時にはゾクゾクしたことをはっきり覚えています。
しかし当然、その後にしゃべる声は緊張で震え気味、ド下手です。しゃべる練習してたのに。
でもまぁ初めてのことは本当に感動できますよね。

おかげでその後、無線ライフを楽しく送ることができたのでした。
中学生ながらに、乾電池でも動くレベルの無線機で九州や北海道の人とたまに会話ができることに熱狂し、コミュニティを拡げていくことができたので、やってた甲斐が有ったなと今でも思ってます。
今となってはこの雰囲気、web3、NFTの世界に入りたての頃の感じとも相当に似てるなぁと思います。

その後昭和の時代の学生はバイクとクルマが趣味のメジャーな部分を占めていくようになってきます。
高1の時にブラバンに入りましたが、1つ上の先輩にそそのかされ、関係無いけどバイクに乗せてもらいました。初の後部シート乗りでは、それまでチャリンコ少年だった私がバイクを好きにならないわけがありません。

速攻で乗ってみたくなりましたが、これまた免許が必要。ということで、なんと先輩のウチのひろーい庭で発進操作だけ1回させてやると誘ってくれました。
なんとその先輩のバイクはZ400という中型バイク。

機械は好きだったので、座学では完全に仕組みがわかったつもりで臨みました。
そして人生初のクラッチをつなぎ、ほぼアイドリングのまま10m走行できたときの緊張と感動もメチャメチャ記憶しています。
夏休み中のその翌日には試験場に行って原付免許とってきました。実は試験勉強ちょっとしてたので。

そして先日人生初のカートでサーキット走行をさせてもらったのです。
初めてコースに行って、初めて見る皆さんの走行に度肝を抜かれました。速い!
1時間くらいは走行を見学してましたが、結果は当然、見るとやるは大違い。全く速く走れませんでした。

もう何十年もクルマに乗ってますが、公道を走るのと、サーキットを走るのとの運命の違いみたいなものまで感じましたね。
公道は危険を回避する運転が望ましいですが、サーキットでは自分の限界とどう向き合うか!!ということ。
安全に巣に戻るという目的は同じですが、そのアプローチとプロセスが全く違う!と。
頭をガツーンと引っ叩かれた感じがしました。本当にやってみることができてよかった!

ただ後遺症(笑)としては、筋肉痛です。横Gとステアリングとの戦いで、体が悲鳴を上げました。たった15分の走行でしたが

レーシングカート、体験走行オススメしておきまーす。


ヒデさんとの記念ショット
https://twitter.com/oji_pal/status/1632952373424558082

アネッサさんによる今回の走行動画
https://twitter.com/anessa2400/status/1633197402202214401


Twitter Links

hideplusさん
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アネッサさん
https://twitter.com/anessa2400

たけやんさん
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00:05
皆さん、おはようございます。
人生初なんとかって色々あるじゃないですか。何やるにしてもワクワクの境地になりますよね。初何々ってやつは。
私が個人的に一番緊張した初のものって何だったかっていうと、あまりにも特殊すぎちゃってイメージ湧かないとは思うんですけども、
アマチュア無線の免許が必要な無線機の送信ボタンを押した時なんですよね。 当時中学生だったんですけども、もうすでに免許を持っている先輩は普通にトランシーバーで更新をしているわけです。
これ、無免許の人がその送信ボタンを押すとですね、法律違反になるわけです。 まあ中学のクラブ活動にしては、とってもなんか今で言うオタク文化みたいなところにまみれてたわけですけども。
オタ文に漏れず、やっぱり時代はバイクとか車になりますよね。 初めてバイクのクラッチ離した時とか、あとは初めて車運転した時とか、そのあたりはお決まりの緊張の極地ってわけなんですけども。
まあなんとですね、おととい人生初のサーキット走行デビューをしちゃったんですね。 同じコミュニティでお世話になっている人生の大先輩たけやんさんにちょっと口滑っちゃったんですよね。
サーキット走行とかできたら面白いんですけどね。って言ったらニヤリとやってみるってことになりまして、だいたい6、70キロ出るっていうカートでサーキットを走らせてもらったんですね。
まあ世の中にはいっぱい知らない世界があって、そこから習うことは多いなと痛感するとともに体がボロボロっていうお話でした。
パローでした。ではまた明日
01:54

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