00:04
たった10分の違いなのに、みんな旅を楽しむことをやめたのよ。
始まりました。大人の番外編。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
誰のセリフかな、それ。
これね、あの、映画のさ、カーズっていう。
あー、あの、車のやつね。
そうそう、ピクサーが制作した。
うん。
そう、子供がね、すごい好きなんだけど、これ。
あー。
いや、これ結構いいこと言ってるんだよね。
カーズって、あれだよね、あの、赤い車がさ、主人公のやつだよね。
あ、そうそうそうそう。
これさ、ラジエーター・スプリングスって、ちょっと田舎町があって、
そこにさ、ある時、高速道路ができて、
うん。
その町にさ、寄り道せずに通り過ぎて行っちゃうってことになっちゃったわけよ。
あー。
で、なんかそうやって町が廃れていくっていうのを言ってるんだけど。
あー、なんかちょっと俺、覚えてるかもしれない、それ。
なんか女の子役の車じゃなかったっけ?
あ、そう、サリーが言ってるんだよね、そうやって。
なんか言ってた気するわ。
いやー、切ないんだよね、これがね。
でもいい話だよね、あれは。
そうそうそう。
でさ、やっぱそう思うとさ、
それってさ、日本でもさ、高速道路とか新幹線ができたわけじゃん。
うん。
それでさ、寄り道されなくなった町っていうのは、いくつも多分あると思うんだよ。
あー、まあそうだろうね。
で、そんなふうなのをちょっと考えちゃったね。
なるほど。
そう。
まあ、なんでね、今日はね、大人の近代史でも番外編ということで、
いつものね、近代史の世界とはまた違う世界にたまには寄り道してみてはいかがでしょうか。
なんだ、そのフレーズは。
そういうことで、今回は長原の方から番外編としてお願いします。
はい。
今日は、実はそのカーズとすごいゆかりのある話なんですけれども。
うそ。
うん、あの、ドンピシャだね。
え、まじで?
そうそうそう。
俺聞いててさ、あれ?って思ったもん。
アメリカ建国の歴史をやりたいと思います。
あ、そうなんだ。
まあ、ドンピシャっていうよりはなんだろう、そのカーズはちょっと後の話だからさ。
うんうん。
なんか、近しいものを感じて、俺はその、たった10分のっていうさ、セリフあたりから。
あ、確かに。いや、なんか久しぶりにクマ以来のニア、ニアで来ましたね。
いや、ね、示し合わせてないからさ、ニアになるのもちょっとね、レアなんだけどさ。
しかも全然違う方向で言ったのに。
確かに。
じゃ、まあ、というわけで番外編ということで。
まあ、なんでアメリカにしたかっていうと、まあ、もちろん我々はその大人の近代史っていうことで、日本の近代史を主に扱っている。
っていうところで、外国、世界的に見たときの歴史っていうのは基本的にはさ、その日本と関連性がないとなかなか扱えないっていうところがあって。
03:00
はいはい。
ただ、日本とアメリカっていうのは、今もう日米同盟っていうのはさ、ものすごく密接につながってるような同盟だし、アメリカのことってさ、知ってるようで意外と知らないことも多いかなっていうところはあって。
はいはい。
だから、アメリカ人のそのアイデンティティ的な部分を知ってもらうためにも、ちょっとこの歴史、アメリカの建国の歴史っていうのは知っといた方がいいんじゃないかなっていう思いでちょっと番外編として扱う次第でございますと。
はい、お願いします。
で、アメリカってさ、超大国じゃん。世界一の超大国だからさ、ものすごいこうさ、掘れば掘るほど歴史もみたいな感じに思ってる方はいらっしゃるかもしれないけれども、全然浅いんだよね歴史は。
そうだよね。
せいぜい400年とかそれぐらいしか歴史ないんだよね。
はい。
対するさ、例えば中国なんかはさ、中国4000年の歴史とかいうぐらいさ、もうだいぶ昔からあるわけじゃん。
うんうん。
まあそれこそあの紀元前3000年ぐらいの鋼が文明とかぐらいからは、まあそれよりも前からもあったとも言われてるし、だからもうそれぐらいもう昔から中国っていうのはあるし、まあ中国に限らずね。
例えばヨーロッパだってそうだし、まあ日本をいつからってちょっと見なすのは難しいけど、例えばじゃあ大化の改新からって言ったとしても645年でしょ。
うん。
日本だってもう1500年ぐらい続いてるわけで、1500年弱ぐらいそう考えると。
はいはい。
まあアメリカって見た時にはまだ400年ぐらいなんだよね実際は。
うん。
で、国っていう単位で見たらもっと短いんだよ実際は。合衆国が成立したっていうところから見ると。
はいはい。
ただ歴史の表舞台に出てきたのがそれぐらいっていうことね。
うん。
で、だからさ、そういう歴史で見てもものすごい浅いアメリカなんだけれども、もう今じゃあ世界一の大国?
うん。
だよね。だからそれがさ、え、すごいなって単純に思うし。
うん。
だからその成立の部分っていうのをぜひちょっと知っておいていただきたいなっていうところで。
まず、もともとさ、アメリカってさ、まあ今アメリカ人ってさ、こうなんだろう、思い浮かべた時のアメリカ人の顔ってさ、
多分大体の人がさ、白人系のアメリカ人の顔を浮かべるんじゃないかな。
あーはいはい。
まあ今は黒人も多いしさ、実はメキシコとかのさ、そっちのさ、人種の方も多いからさ、実際は白人がこう完全に独占してるような国ではなくなってるんだけれども。
うん。
そっちでもやっぱこう白人が一番多いとかさ、一番こう権力の上にいるみたいなイメージは多分あると思うんだよ。
はいはい。
でもさ、もともとさ、白人っていうのはアメリカ大陸にはいなかったわけよね。
あーそうなんだ。
そうそう。もともとはさ、いわゆるインディアン、ネイティブアメリカンって言うんだけど今は。
うん。
が、暮らしてたんだよね。もともとのアメリカっていうのは。
はい。
で、ネイティブアメリカンたちはこうさ、部族ごとにこう集落を作って暮らしてて、
要は私たちはアメリカですみたいな国があったわけじゃないんだよ。
うん。
まあなんかすごい集落ごとにこう部族でさ、固まってて、国っていうレベルの集まりじゃなかったわけね、とりあえずは。
06:05
うん。
そんな感じでずっとさ、暮らしてた先住民がいたわけよ。
はいはい。
で、そこにイギリスとか欧州の国の移民がこうどさってくるんだよね。
うん。
これはさ、きっかけとしてはさ、新大陸発見っていうところがきっかけになるんだけれども。
うん。
まあいわゆるコロンブスね。
はいはい。
まあそもそもコロンブスがさ、こう大航海時代でさ、外に行けるようになったのもさ、やっぱりヨーロッパの中の情勢がちょっと落ち着いたところがあって、イスラムとの戦いとかがね。
うん。
で、こう海の外側にこう目を向けられるようになったっていうのはあるんだけれども。
はい。
それでコロンブスがさ、まあアメリカ大陸、まあコロンブスが着いたのはさ、アメリカ大陸じゃないんだけど正確に言うと。
そっち日本に新大陸があるぞっていうのを発見してさ、そこからどんどんどんどんこう各国がさ、新しい大陸にさ、こう新しい領土みたいな感じでどんどんどんどん乗り込んでいくわけよ。
うん。
で、ちなみにアメリカって名前はアメリゴ・ベスプッチーっていう人が命名したというか、の名前から取ったのね。
ああ、そうなんだ。
そう。だからコロンブスがさ、ここアメリカ大陸だって言ってたら、まあアメリカ大陸とは言わないと思うけど、だからコロンビアになってたと思うんだよね、おそらく。
ああ、はいはい。
そう。ただ残念ながらコロンブスはアメリカ大陸のことを新大陸って思ってなかったから、インドだと思ってたからさ。
うんうんうん。
だから名前はつかなかったんだけど。
はい。
まあそんな感じでどんどんどんどんこうヨーロッパの人たちがアメリカに暮らすようになってさ、まあ例えばここはオランダ人、ここはイタリア人、ここはイギリス人、ここはフランス人みたいな感じで、
まあ主に東海岸側なんだけれども、そっちにこうそれぞれがこう独自にこう街を作っていく形になるのよ。
うん。
で、中でもちょっとここはイギリスに焦点を当てたいんだけれども、
はい。
イギリスっていうのが最初に植民地として乗り出したのが今でいうバージニア州。
うん。
で、バージニアっていう名前はさ、当時のイギリス女王エリザベス女王から取ってるんだよね。
うん。
バージンっていうさ、エリザベス女王ってさ、いわゆるさ諸女王って呼ばれてたから、
うんうん。
私は国家と結婚してるって言ってたぐらいの。
はい。
そう。だからバージニアってこう名付けられたわけよ。
うん。
で、それが1607年ぐらいの話で、
だから大体これぐらいからアメリカの歴史というかっていうのは始まっていくわけだよね。
はい。
うん。で、ここでピルグリムファーザーズっていうのがちょっと大量に移民してくるのよ。
おー、なんだそれ。あんま聞いたことない。
ピルグリムファーザーズっていうのが1620年にメイフラワー号っていう船に乗って、
まあ100人ぐらいでパーってこう移民してくるわけよ。
うん。
で、この人たちがなんで移民してきたかっていうのがちょっと大事になってくるんだけれども、
はい。
ピルグリムって、まあいわゆる簡単に言っちゃうとキリスト教のプロテスタントっていう宗派の人たちなんだよ。
うん。
で、イギリスでは聖教徒って呼んでたんだけれども、
はい。
で、この人たちがなんでこんな大量にこう移民してきたかっていうと、
09:00
うん。
イギリスってさ、まあエリザベスジョーの前の時代ね、ヘンリハッセっていう王様がいたのよ。
はいはい。
で、このヘンリハッセは自分のお兄さんの奥さんがいたんだけど、お兄さんが死んじゃって、
うん。
その奥さんと結婚したのよ。
はいはい。
で、ちょっと年上の奥さんなわけね。
うん。
で、結婚してさ、こうね、やっぱだんだん嫌になってきたんだろうね。
ああ、そうなんだ。
そう。あれで離婚したいわみたいな。
ああ、はいはい。
ただ、当時イギリスはカトリックだったのよ。
うん。
で、離婚するのは教皇の許しが必要なのよね。
ああ、そうなんだ。
そう、ローマ教皇ね。
うん。
で、だからローマ教皇に離婚させてくださいって言うのよ。
うん。
でもね、ローマ教皇はダメって言うわけよ。
はいはい。
まあ、そんな簡単にやっぱね、離婚ってできないものなのよ。
うん。
で、これで普通だったら諦めるんだと思うんだけれども、
うん。
ヘンリハッセは怒っちゃって、
はいはい。
ああ、じゃあそんなこと言うんだったらいいよって。
もううちカトリックじゃなくて別の宗教作りますって言って、
英国国教会っていうのを設立するのよ。
うんうん。
だからイギリスは今でも英国国教会なわけでしょ?宗教としては。
あ、そうなの?
そう。だからローマ教皇じゃないトップが王様っていうちょっと変わった宗教を作るのよ、キリスト教の中でも。
ああ、はいはい。
で、これに対してやっぱりさ、え、何それ?みたいな人も多くなるわけよ。
うんうん。
やっぱりさ、カトリックでずっと来てた人からしたらいやふざけんなよってなるし、
うん。
そもそも、いわゆるプロテスタントってカトリックからこう分派した?
カトリックのさ、その教えというかさ、ちょっともうこう、権威主義的な部分だったりとかさ、そういったところにもう愛想つかせて、
うちはもうちゃんと聖書通りにやってきますぜっていうのがプロテスタントだから元々。
うん。
そういった感じでさ、ヨーロッパ自体さ、カトリックとプロテスタントって分かれている差なか、イギリスは英国国教会やりますってこうやって手を挙げたわけよ。
はいはい。
だから今さ、宗教で言ったら、同じキリスト教なんだけれども、大きく分けて英国国教会、カトリック、プロテスタントっていうこの3つができたわけね。
ああ、そうなんだ。
そうそう。で、イギリスにおいては、英国国教会っていうのが絶対になるからさ、王様がトップだからね。
うんうん。
それ以外の宗教、特に英国国教会に対してプロテストしてた人たち、まあそれがプロテスタントになるんだけれども、
うんうん。
は、イギリスではピューリタンって呼ばれてたのね。
はいはい。
で、このピューリタンっていう人たちはとにかく迫害されるのよ。
うーん、そうなんだ。
そう。まあ要は王様がトップだからさ、もう権力も全て握ってるわけじゃん。
はいはい。
それに対してさ、こう要は宗教的な不満を言うっていうことだから、迫害されちゃうわけね。
うん。
迫害を逃れるためにピューリタンっていうのは、新天地を求めてアメリカに移住していくのよ、どんどん。
あー、はいはい。
そう、そのいわゆるアメリカ系の白人の、まあ祖先って言ったらちょっと言い方あれだけどさ、まあピューリタンなわけね、基本的には、が多いのよ。
12:03
はいはい。
だからアメリカはちょっと数で言ったらカトリック教徒とかよりも、そのいわゆるプロテスタント系の宗教、宗派の人の方が多いんだよね。
はいはい。
まあそんな感じですと。
えー、あのなんかロシアもさ、ロシア聖教会だっけ?
うん。
あれもまた違うんだ。
あれはギリシャ聖教系でしょ、もともとは。
あ、そうなんだ。
うん、カトリックとさ、もともと分発してた方、東ローマ帝国側の宗教って言えばいいの。
あー、はいはい。
ローマ帝国が一つだった時にキリスト教ってできてさ、これを国教にしますって言ってさ、でもローマ帝国が西と東に分かれて、で、西にローマ教皇を、まあ西ローマ帝国はすぐなくなっちゃうけど、
で、東ビザンツ帝国にビザンツ皇帝をトップとしたギリシャ聖教がこう残るわけよ。
あー、はいはい。
で、いわゆるそのギリシャ聖教側の宗派っていうのがこうロシアにこう行ってロシア聖教になっていくわけね。
あー、そうなんだ。
そうそう。だからロシアっていうのは結構そのいわゆる東ローマ帝国とはこう結構密接な繋がり、まあ繋がりがあったっつったら変なんだけどね、繋がりっていうか結構こう関連性を持たせようとしてたんだよね、ずっと。
あー、はいはい。
そうそう。要はローマ皇帝のその後継者はロシア皇帝であるみたいな感じで牽引付けするために。
うん。
まあちょっと話が。
話が逸れちゃってごめん。
で、えっとそのいわゆるさピューリタンがどんどんどんどんこうアメリカ大陸に入植していきましたっていうところでさ、今話持っててたけど。
うん。
で、入植者がどんどん増えるってことはイギリスの勢力圏っていうのはどんどん増すわけじゃん。イギリス人だから彼らっていうのはもともとは。
はい。
で、アメリカ大陸自体にはいろんな国が進出してってたんだけど。
うん。
中でもフランスと特にイギリスがこう歯を争ってたんだよね。
はいはい。
で、ちょっともう細かい部分は除くけれどもフレンチインディアン戦争っていうのが1754年に起きて。
うん。
ここでフランスに勝つのよ。イギリスっていうのは。
あーはいはい。
で、アメリカ大陸、まあいわゆるその東海岸側はもうイギリスが征服しましたみたいな感じになるわけね。
うん。
で、ここからイギリスのいわゆる植民地経営っていうのがもう本格的に始まっていくわけよ。
はいはい。
で、もともと初めにさそのピルグリムファザーズがメイフラワー号に乗ったのが1620年なんだよ。
うん。
で、フレンチインディアン戦争が終わったのが1754年ね。
うん。
もうさ100年以上経ってんじゃん。
はいはい。
で、そういうとどうなるかっていうと、今アメリカ大陸、今っていうのはその1754年以降ぐらいね。
にアメリカ大陸にいるイギリス人、元イギリス人っつったほうがいいのかな。
うん。
っていうのはもうアイデンティティーはイギリスにないんだよね。
あーはいはい。
もうさ、だって百何十年前だからさ、自分のおじいさんの、まあお父さん、まあおじいさんかわかんないけどさ、それぐらいの世代まで遡んないとイギリス生まれの人に行かないわけよ。
うんうん。
だってさ、小片郎はさ、ひいじいちゃんって覚えてる?
15:02
知らない。
でしょ?
だからさ、その人の生まれ故郷なんて多分興味ないと思うんだよ正直。
いやいや、興味はあるよな。
いや興味ないっていうのはそういうことじゃなくて。
はいはい。
アイデンティティー的な部分でね。
あーはいはい。
だから例えばさ、小片郎のひいじいちゃんがさ、実はパキスタン生まれだったとするじゃん。
はいはい。
でもパキスタンにアイデンティティー持たないじゃんかといって。
まあそうだね。
うん、まあだからそんな、なぜパキスタンが出てきたかちょっとごめんわかんないけど。
わかんないか。
そう、俺今なんかパッて思い浮かべようとしたらパが出てきたからパキスタンになっちゃったんだけど。
はいはい。
まあそんな感じで、とにかくさ、もうその当時に住んでいたアメリカに住んでいた人っていうのは、もうイギリスに対する思い入れなんてほとんどなかったわけよ。
うんうん。
どっちかっていうと、もうイギリスっていうのはさ、植民地経営してたわけじゃん。
はい。
だからさ、こう課税、まあとにかくさ、植民地側にはさ、もうあれやれこれやれって言ったりさ、なんかいろんな法律作ってさ、こう課税してきたりとかでさ、なんか鬱陶しい存在になってたのね、もう。
うん。
何こいつみたいな。
はいはい。
そう、そんな感じになってたところで、イギリスっていうのはフレンチインディアン戦争には勝ったけど、ヨーロッパ側でもさ、あの例えば七年戦争をやってたりとか。
うん。
もういろんなところでこう戦争とかやってたから、なんかお金をとにかく使っちゃってたのよ、イギリスは。
はいはい。
うん。もう当時もさ、世界のさ、もう世界一のさ、国ではあったんだけど、イギリスっていうのは。
うん。
そう、ただ、もうやっぱり戦費をものすごく消耗しちゃったところもあって、ちょっとこう、あ、やばいなって感じになってたのよ。
はいはい。
そう、だから植民地からこう、結構絞り取ってやろうぜっていう感じになってたのよね。
うん。
方針として。で、その矢先にあったのがアメリカってわけよ。
うん。
で、例えば、あの、砂糖法っていうのを作ったり、あ、砂糖ってあの、あれね、食べる砂糖の話ね。
うんうん。
あとは飲食法っていうものを作ったり。
はい。
で、この飲食法っていうのがとにかくもう大波乱になったんだけど。
あ、そうなんだ。
なんか、そう、紙という紙にとにかくさ、もう税金をかけようって話になったのよ。
うん。
ま、例えば新聞とか。
はいはい。
で、これがとにかく大きな反発を生んで。
へー。
これは、植民地側のもうとんでもない反発によって撤廃されるのよ。
うんうん。
でもイギリス諦めなくて、今度はタウンゼント処方っていうもので、こういろんなさ、ものに、ま、お茶とか、ま、ガラス製品とかそういったものなんだけれども、に、もう課税しようってこう、するわけよ。
うんうん。
でもさ、もうここまで来るとやっぱアメリカももう超イラついてるからさ、もうふざけんなってなって、とにかく反対するのよ。
はいはい。
だからこれも撤廃。
うん。
ただ、お茶に対する課税だけは、なんかこう、なんとなーくこう残ってくわけよ。
はいはい。
ま、そこに目をつけたわけじゃないんだけれども、あ、ちょっと余談だけれども、当時ってアメリカの人もお茶を飲んでたの。
うん。
紅茶って言うとさ、イギリスのイメージない?
あーそうだね。
そう。で、アメリカって言うとさ、コーヒーのイメージあるじゃん。
18:01
はいはい。
ま、それはさ、今のイメージなんだけど、実は当時はやっぱイギリス系の移民が多かったから、お茶の文化だったのよ。
はいはい。
だからお茶は必須だったのよ、とにかく。
あーはいはい。
で、その必須なものに課税をするっていうのが一番早いわけじゃん。
うん。
ま、今日本で言ったらタバコとかにさ、こう、必須じゃないかタバコは、ちょっと違ったな。
ま、タバコとかお酒っていうのは至高品だからさ、こう、税金かけやすいっていうのと一緒で、お茶もさ、別になかったら死ぬわけじゃないけど、ちょっと類するものはあるじゃん。
はいはい。
こういうものにやっぱり税金はかけやすかったのよね。
うん。
で、その後に茶法っていうのを作るのよ。お茶の法律って書いて茶法ね。
はい。
で、一見するといい法律にも見えるんだよね。東インド会社の、あ、東インド会社ってイギリスの会社ね。
うん。
の、お茶は課税なしで買っていいですよっていう感じの法律を作るのよ。
はいはい。
これ普通に考えると関税取られないからいいじゃん。
うん。
でも、これがね、実は逆効果になっちゃうのよ。
へー。
これね、なんでかっていうと、まず、当時のアメリカっていうのは色んなさ、こう、お茶を仲介するような会社がいっぱいあったわけよ。
はいはい。
まあイギリスから買う時にさ、うちの会社が仲介しますぜ、しますぜ、しますぜみたいな感じで、こう間に入る会社がいっぱいあったんだけど、
もうそういう会社を全部、要は省いて東インド会社と直接取引した方が儲かるわけよ。あの税金かかんないから。
はい。
だから結局東インド会社からもう買うしかなくなっちゃって安いから。
うんうん。
で、こうするとアメリカの会社っていうのは何にも儲かんないんだよね。
あー、はい。
そう。東インド会社だけボロ儲けするわけよ。買ってもらえるからとにかく。
はいはい。
そう。で、これが逆効果で本当に不満を持つ、というかもう爆発するんだよね。不満が。
うん。
で、いわゆるボストン茶会事件っていうのが起きるのよ。
あーはい。
これが1773年で、まあ簡単に言うとボストン港に泊まってた、まあ船でこうお茶って輸入してたからね。
うん。
で、ボストン港にこうさ、要は紅茶のさ、こうなんだ積み荷がいっぱい積んである船とかがあるんだけれども。
うん。
そこにインディアンの格好した、まあ民衆ね、アメリカ人たちが。
はい。
茶宝に反対する人たちね。
うん。
が、ボストン港に積んであるお茶をこう全部投げ入れるっていう事件が起きるの。
はい。
で、これもうボストン港っていうのがさ、もう真っ赤な紅茶に色に染まったっていうぐらいもう投げ込まれたらしいのよね。
うんうん。
まあとんでもない量。
まあこれなんでインディアンの格好してたかっていうと、インディアンにこう責任なすりつけたかったっていうのがあったって言われてるんだけど。
うん。
で、ただイギリスはもちろんインディアンの仕業じゃねえっていうのは分かってるから。
はいはい。
そう。で、イギリスはもうこれにもう大激怒するわけ。
うん。
で、これで軍隊を派遣するんだよねイギリスは、もうアメリカに。
あーはいはい。
で、それでアメリカ側の武器庫があるんだけれども、そこをもう接種しちゃおうと、もううちが占領して使えなくちゃおうっていう感じにこう軍隊をそこに連れてこうとするのよ。
はいはい。
で、アメリカ側も武器庫取られたらなんかやばいんじゃないかってなって、民兵を組織するわけね。
うん。
で、これで一触即発の事態にまでなるのよ。
はいはい。
21:00
で、もう争いは起きるんじゃないかって言った矢先にアメリカ側の民兵が攻撃しちゃうんだよね。
あーはいはい。
そう。それで、いわゆるここからがアメリカ独立戦争っていうのが始まるわけよ。
うん。
ちなみに民兵とイギリス軍とのぶつかった初めの戦いのことをレキシントン・コンコードの戦いって言うんだけど、まあ致命ね。
うんうん。
で、ここはそんなに大規模な衝突じゃなかったのよ正直。
うん。
本当に何か数百人ぐらいのレベルでちょっとこう撃ち合って何十人か亡くなっちゃいましたっていう感じのぐらいの戦いなんだけど。
はいはい。
ただここからもう後戻りができなくなったアメリカとイギリスの戦いがどんどん激化していくわけね。
うんうん。
そう。で、アメリカっていうのは後の初代大統領になるワシントンを総司令官にして戦っていくわけよ。
うん。
で、たださ、イギリスっていうのはさ、当時世界最強の国なわけじゃん。
はいはい。
に対するアメリカはさ、なんか半分ぐらい民兵で組織されてるようなさ、もう全然正規軍なんてほとんどいなかったぐらいだから。
うんうん。
そういう状態の国とイギリスとの戦いなわけよ。
はいはい。
そう。だから物資の面でもそうだし、人的な部分もそうだし、もう装備の面でももう明らかに劣ってたわけね。
うん。
だからものすごくアメリカ側っていうのは苦戦するのよ。
はいはい。
で、ただアメリカ側が有利な点っていうのもあって。
うん。
まずイギリスっていうのはさ、本国からアメリカにさ軍隊を連れてくるのにさ、ものすごい時間かかるのよね。
はいはい。
全然今みたいに飛行機でビューンなんていけないわけじゃん、そもそもだけど。
うん。
ものすごい時間はかかるし、で、その派遣する間に病気になっちゃう兵士がものすごく多かったのよ。
はいはい。
まあ原因は解決病っていうさ、ビタミンCがこう欠乏することによって起きちゃう病気なんだけれども。
うん。
当時ってさ、こう航海がさとにかく長くなるからさ、保存の効くものっていうのがさ、なかなかなくって。
うん。
だから例えば新鮮な野菜とか食べれなかったわけよ。
あーはいはい。
そう、それで病気になっちゃうっていうことがすごい多発してて、
これ別にこの独立戦争に限らずの話になるんだけれども。
うんうん。
そう、だから実はこの頃の戦争って、これよく言われる話なんだけれども、
普通に戦って死んじゃう人よりも、いわゆる戦病?病気になって死んじゃう人の方が多いんだよ。
あーはいはい。
これは独立戦争でも言えることなんだけれども、実際の死者と、
実際のその戦争の、例えば刺されちゃった、死んじゃった、弾に当たった、死んじゃったっていう人たちよりも、
そういう怪我が原因でもあるけれども、そういう原因で病気になって死んじゃうっていう人の方が圧倒的に多かったんだよね。
あー、だから日本でもそういうの効くね。
うん。結局、そう、医療が発達してなかったっていう部分もあるし、
うん。
そう、だから、なんか怪我したらもう死んじゃうぐらいの、イメージで言ったらそのぐらいの感じだったんだよ、とにかく。
あー、それで日本は華麗ができたっていうね。
ごめん、なんでもない。
それはまた後日。
あー、それ後日の話。
どうぞどうぞ。
で、そう、そんな感じでさ、イギリスってのはとにかくさ、軍隊を送るのにも時間かかる、とにかく送られても病気が蔓延しちゃってて、なかなかこう、まともな兵隊が作り出せなかったっていうのはあるんだよ。
24:11
うん。
アメリカは、なんといってもホーム戦じゃん。血のりがあるのよ。
うん。
で、あと、ヨーロッパっていうのは、反イギリスで実はまとまってたんだよね、当時。
あー、そうなんだ。
そう。まあ、反イギリスでまとまってたって言い方はちょっとあれなんだけれども、イギリスが結構こうちょっと頭1個抜けてた状態だったから、
うんうん。
なんとしてもちょっとイギリスをこう、力をそぎたいわけよ。
はいはい。
だから、ヨーロッパ各国はどちらかというとアメリカ寄りだったわけね。
うんうん。
ただ、イギリスがいる前で表立ってさ、アメリカを支援するのはちょっとよろしくないから、
うん。
それは何でかというと、アメリカがもし負けちゃった時に、自分たちにも責任が来ちゃうじゃん。
はいはい。
だから、こう、すっごい裏でやってたのよ、初めは。
えー、そうなんだ。
ちょっとこっそり武器あげるよみたいな、そんな感じ?
うんうん。
ただ、だんだんだんだんこうアメリカがさ、やっぱ優勢になってくるわけね。血のりがとにかくあるから。
うんうん。
あとはやっぱりその、独立への思いだよね。
うん。
イギリスっていうのはさ、所詮ね、植民地とのこう争いだからさ、変な話さ、そこまでモチベーションなかったりするわけよ、兵隊自体には。
はいはい。
そのアメリカ人のさ、まあ民兵にしろ戦機軍にしろさ、ここで負けたらまた課税とかさ、そのイギリスのさ、重圧が来るわけじゃん。
うんうん。
でもそれはもう嫌だっていうんで、とにかく必死になって戦ってたから、装備面とかそういったものは全部劣ってたけど、徐々に盛り返していくわけね。
うんうん。
で、サダット側の戦いっていうところで局面が一気にアメリカ優勢に傾いていくのよ。
はいはい。
で、これが1778年なんだけれども。
うん。
で、ここでイギリスが劣勢になってきたタイミングで、ヨーロッパ諸国がもう表立ってアメリカを支援していくわけね。
あーそうなんだ。
そうそう。例えばさ、ちょっとイギリスをこう封じ込めようとかさ、そういう動きだったりとかさ、もうなんなら軍隊派遣するわつってフランスなんかこうさ、義勇兵とかがこう行ったりしてたわけよ。
うんうん。
で、そんな感じでもうアメリカ優勢の流れっていうのはこう最後まで変わらず、このままアメリカが勝ち切るのよ。
あーそうなんだ。
そう。で、これで1783年のパリ条約っていうのでイギリスがアメリカの独立を承認するわけ。
はいはい。
で、アメリカは1783年のパリ条約でイギリスが独立を承認したことによって正式にアメリカ合衆国として誕生するわけだよね。
うんうん。
で、正確に言うとさ独立宣言ってあるじゃん。アメリカ独立宣言。
はい。
これはもうアメリカの独立戦争の最中に宣言してるわけよ。
うん。
だからどこからかって言われるとあれなんだけどアメリカって。もちろんアメリカからしたら独立宣言出した時点からに決まってるからさ。
うん。
っていうところでまあいろいろここはいろんな意見があると思うけれども。
はいはい。
まあアメリカってのはとにかく1700年の後半ぐらいにこうできた国で合衆国としてはね。
27:00
うん。
だからそういった意味でまあ冒頭に言った通りちょっと歴史的にはそんなにこう長い国ではないんだよね。
はいはい。
ただアメリカっていう国のなんだろう成立の意義っていうのがすごくあって。
うん。
アメリカっていう国はさおそらくなんだけれども初めて最初からこう例えば王政とかさまあいわゆる身分制みたいなものがない共和制国家として誕生した国なんだよね。
うんうん。
これはさ他の国とか見てもさ例えばさヨーロッパなんてさその当時さまだまだ王政やってたしほとんどが。
うん。
でなんだ日本だってさ今に続くまで天皇制なわけじゃん。
うんうん。
っていう感じでさ市民完全平等ですみたいな状態からのスタートっていうのはさ実はアメリカが初めてなんじゃないかって言われてるぐらいなんだよね。
はい。
っていうところでさそのすぐ後にフランス革命とかが起きるんだけれども。
うん。
そういったさいわゆる市民革命っていうものにもすごく影響を与えるんだよアメリカの成立っていうのは。
はいはい。
そういう民主主義国家まあ市民革命で民主的な国にして身分なんかなくそうぜみたいな流れがこうどんどんどんどんできてくわけね。
うんうん。
まあそういったところでこうアメリカが世界の歴史に登場したっていうのは結構こうセンセーショナルなデビューになるわけよ。
うんうん。
でまあ今日のテーマとしてはここぐらいまでになるんだけれども。
はい。
アメリカっていうのはさこの後も結構こう苦難は続くんだよね。
うんうん。
まあいわゆる南北戦争とかさあるしであとはさ日本との戦争もあるし。
うん。
っていう感じででその後は冷戦でしょ。
結構こうトップの座にはいるけれども争いごとには必ずこうねアメリカが関わってきちゃうような感じにどんどんどんどんなっていくんだけれども。
はいはい。
でまあアメリカってさやっぱりこの建国の歴史とかを見たときにさ。
うん。
こうなんだろう勝ち取っていってるんだよねとにかく自分たちの権利とかそういったものを。
うんうん。
だからやっぱそういう精神っていうのはさおそらくアメリカのこうナショナリティっていうかなんかアイデンティティ的な部分にもつながってくると思うけれども。
結構アメリカ人ってそういう国民性って言えばいいのかなは強いと思うんだよね。
あー俺たちはやればできるんだっていう。
そうそうなんか勝つんだみたいな感じ。
うんうん。
これってさ結局さその後のさ西部開拓とかにもさその精神ってつながっていくわけよ。
うんうん。
まあいわゆるフロンティア精神っていうんだけどどんどんこう自分たちのね領域を広げていこうみたいなさ。
うん。
精神的な部分の話になっちゃうけどさそういうさ国民性だからさ拡大方針を取ってでっかい国になっていったっていうところは多分あると思うんだよ。
はいはい。
だからねそこがやっぱり日本人のさこの性質とちょっと違うところなのかなとは思う正直。
あーはいはい。
まあだからなんだって話なんだけどさ。
いやいやいや確かになと思った。
そう結構さその国の成立のさなんだろう部分っていうのとかさそのなんだ歴史っていうのをこう辿っていくと結構だからこういう感じその個人個人を見るんじゃなくて全体として見たときにさこういう感じの人が多いよねみたいなさ。
30:00
いわゆるステレオタイプみたいになっちゃうけどさそういう見方っていうのも一応できると思うんだよね。
はいはい。
そうだからアメリカっていうのはもちろんさその国の成立の過程でものすごくこう大変な思いしてきてさそういう先人たちの苦労があったからこそ今みたいなさ反映があるっていうところもあるしね。
うんうん。
なんかね今日は番外編という形でちょっとアメリカを扱ったけれどもこういった感じでまあいろんな国っていうのにもしさその建国の歴史とかさその過程とかもさ含めて興味持ってくれたらちょっと嬉しいなっていう限りですね。
はいありがとうございます。
小片郎のコメントがあれば。
そうだねあのこのアメリカ建国ってこの1回の放送でまた話してくれるっていうのが贅沢で。
贅沢。
贅沢な回だったなって思って。
こうね端折るところをさ決めるところがちょっと大変だったんだよね今回の回は。
そうだよね。
なんかねだから正直例えばプロテスタントの下りとかを端折ったらどうかなって思った時もあったんだよ。
はいはい。
だからいわゆるさピューリタンってじゃあそもそも何っていうところの話をしたところあそこすっぱ抜いちゃおうかなって思ったんだけどこれすっぱ抜くとアイデンティティー消えんなって思ってちょっと残したかったんだよね。
あーはいはい。
僕はねなんか聞いててさ日本の明治維新とちょっとかぶるところがあるなって思っちゃったんだけど。
なんかアメリカが薩摩とか長州に見えてきたっていうかどっちか。
そのさ主従関係というかさ幕府に対しての。
そんでさ最後の方というか各国がサポートしたわけじゃん。
まさにさイギリスが薩摩とか長州に援助したみたいにさかぶって見えるところもあったりとか。
まあなんだろうな敵味方関係で言うとさアメリカを支援した例えばフランスとかはさイギリスとフランスは敵対してたわけよ。
あーはいはい。
敵の敵は味方みたいな感じだよね。
そっか。
幕府の下りで言うとイギリスは別に幕府と敵対してたわけじゃないけどただ薩摩とかと組んだ方がいいよなとは思ってたと思うんだよ。
あーメリットがね。
まあ幕府もうダメだよねって思ってたから敵の敵になったのかもしれないけど最終的には。
はいはい。
まあ確かに構図としては近しいところはあるかもしれない。
ね。あと確かに今のアメリカを見ててもそのフロンティア精神というかあの企業とか見ててもそうじゃん。
積極的にさ新しいものっていうかどんどん開発していくというかさ。
うん。
どっちかと言うと日本は守りというかさ。
うん。
そういう構図っていうのは感じるよね。
日本はほら島国でさこうあんまり外敵が来なかったっていうのがあるからさ守りさえしっかりしてれば侵略されることってまあ日本っていう国で見たときにはないわけじゃん。
うん。
だからまあそういうところもやっぱりちょっと関係してくるのかなって思いつつねそれはこじつけだっていう意見も多分あるだろうし。
はいはい。
いやー勉強になりました今回の会話。
まあ小片郎は全部知ってたことだと思うけど。
33:00
いやいや知らない知らない。
いやいや世界史選択でしょ。
そんなもう覚えてないですね。
じゃあということで今回は番外編アメリカ建国の歴史でした。
はい。
もしよかったらこんな番外編やってほしいとかこういう回やってほしいなっていうのがあればぜひ概要欄のコメントとかに書いてくれたら嬉しいです。
はいすべて小片郎が答えてくれるんでよろしくお願いします。
いやいや違うだろ。
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。