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2021-10-08 28:47

第37回「性売買の歴史」慰安婦から売春防止法

近代から現代までの性売買の歴史について。
近代に入り日本は軍の増強をはかり、それとともに性売買所も増えていく。
第二次世界大戦に入っていくなかで、日本は国家総力戦となり、
性売買所は慰安施設と姿を変えていく。
戦後は日本を占領する連合軍の為の性的慰安所「RAA」を設置。
廃止後は赤線・青線地帯と言われる売春街ができ、売春防止法により姿を消す。

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すべては等しく、すべては平等ではない。始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
これはね、ドイツの作家ゲーテの言葉なんです。
ゲーテね。
そう、まさしく何だろう、このさ、前回から性売買の日本の歴史を話してるんだけど、
まさに何かこの言葉が当てはまるというか、一見その人は皆平等だって、学問の説明でも言ってたけど、
でもそうではない人たちっていうのは、やっぱ多く実際にいるっていうところ。
何かこの言葉が自分に来たので、話してみました。
うん、いいんじゃない?
そんな感じでね、早速今回は、慰安婦っていうところから売春防止法に至るまでの性売買の歴史を話していきたいなと思います。
よろしくお願いします。
早速ちょっとね、世界の流れというかヨーロッパ中心なんだけど、1904年にヨーロッパの12カ国参加の国際会議があって、
そこで白人奴隷取引禁止に関する国際協定というのがなされる。
これはもちろん名前からして白人が対象なんだけど、
性売買のために取引されている白人女性を防止するためにできた協定なの。
そう、だからここはね、ちょっと白人にしか問題にしてないっていうところは問題なんだけどね。
だけど、こういった国際的なやっぱり人身売買が禁止する流れになっていくわけよ。
で、日本もそういった流れを汲み取って、1907年に国外に人身売買を目的として移送するっていうことは、2年以上の懲役にしたの。
できなくなっちゃう。じゃあ基本的に。
そうそう、だけどこれ国外はなんだよね。
っていうことは朝鮮とか台湾っていうのはその当時国内っていうふうに見なされたわけよ。
ああ、そういうことね。日本国内って言っても植民地は国内なんだ。
そうそうそう。逆に言えばさ、国内はokよって言ってるのよこれ。
しかも俺なんかちょっとよくわかんなくなっちゃったのが、1872年に前回の放送で言ったけど、
芸衝技開放令って言って、人身売買自体禁止になってたはずなんだよね。
これどこ行っちゃったんだろうと思って。
だから多分おそらく軍に伴うこの政売買っていうのは、国が主導で別物扱いされてきてるんだよね。
人身売買じゃないですよっていう括りなんですよ、結局のところで。
ああ、そうかもしんないね、そうだねっていう括りにしてるんだろうね。
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多分そうだと思う。
それで日露戦争って1904年から1905年にあったんだけど、日露戦争中にも日本各地で軍隊が増設して、
それに伴って政売売場ができたわけだけど、その後になってやっぱり数って、政売女性の総数っていうのは増えたわけよ。
1908年の記録だと、これは将棋釈布、芸儀って全部合わせた数なんだけど、約11万6千人ぐらいって言われてる。日本国内だけでね。
この日露戦争によってさ、日本が優勢の状態でロシアとポーツマス条約っていうのを結んだわけじゃん。
これによって朝鮮に日本がどんどん支配を強めていくというか、進行していくんだよね。
ポーツマス条約によってロシアの脅威っていうのが取り除かれたわけ。だから朝鮮には政売売っていうのがこれに伴って拡大していくっていう傾向にある。
そこで日本が取り決めたのが、政売売する女性の対象は今度17歳以上でした。
なんか刻んでくるね。
刻んでくるというか、日本はもちろん18歳以上でね。台湾はなぜか16歳以上って結構低い。その中間というか17歳以上っていうふうにしたんだけど、
あとね、今まで朝鮮ってその既婚女性が性サービスをするっていうのは認めてなかったとこなのよ。
それに合わせて日本も既婚女性の性サービスは朝鮮に限っては禁止したわけ。この時はね。
こういうふうにして日本が政売売を拡大させたことによって、朝鮮人の政売女性っていうのも増えていく傾向にあるのね。
あとね、日露戦争によって関東州っていうところを咀嚼したんだよね。
咀嚼って一定期間貸し与えられる土地っていうふうに言われるけど、実質植民地みたいなもんだよね。
これって場所と言うと大連領巡なんかを中心として、リャオトン半島って言われてる、長室もどっかで言ってたね。
リャオトン半島の先端にある場所なのよ。これはもともと真の領土で、なんかここちょっと複雑だなと思ったんだけど、
日清戦争の日本の勝利によってリャオトン半島っていうのは植民地化したはずなんだけど、
三国干渉にあってロシア、フランス、ドイツの圧力によって返還したんだよね。
その後ロシアが真からこのリャオトン半島の先端を咀嚼した。
この咀嚼した土地をさらに日露戦争で有利に進めた日本がロシアから咀嚼する。咀嚼の咀嚼みたいな。
結局最終的には中国に返すっていうような土地なんだけど、
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この関東州においても成敗業者が日本から多くの成敗女性を連れてきて、
一時的に日本人の半数が成敗女性の人たちになったっていうぐらい多くいたんだよね。
これで隣の満州にも同様に支配を進めていく中で、
そう、関東州の隣って満州だから、同様に日本も支配を進めていくっていう流れになっていくわけ。
ここの中国の中では貸し座敷っていうような酒や食事っていうのはなくて、台湾であったんだけど、
正サービスのみっていうことになっていくわけ。
そう、だから日本軍が時間を決めて出入りして、
それが憲兵が混雑を整理したり順番を待つ軍の人たちが、兵士たちがいたっていうその現実があったのね。
ちょっと今、朝鮮とか関東州を話したんだけど、日本国内はどうなってるかっていうと、
敗将派と尊将派って言って、要は正サービスのする人たちを存続させるか廃止するべきかっていう対立が起こってんだよ。
大阪で言うと、1909年に曽根崎新地っていう裕閣が火事になって消失したの。
1912年にも南馬新地っていう裕閣が焼けて消失した。
これによって、もちろんそこで働いていた人は再設置をしたいわけなんだけども、ここに敗将運動をしている団体が拒んだわけ。
そこにキリスト教系の女性団体とかも多くいたんだけど、
実はこの焼けた曽根崎新地と南馬新地っていうのは再設置をできなかったわけ。
だけど、今まで通り存続したい派っていうのもいて、そことの対立があって、結局は1916年に大阪府っていうのは東成軍天王寺村ってところに24000坪の大きな裕閣を作るわけ。
反対にあいながらもね。これが今で言う飛び田新地なんだ。
飛び田新地か。
江戸時代とかだから明治にはなかったんだよね、これ。
この時にできたっていう。
次に1921年に女性児童の取引禁止に関する国際諸条約っていうのがあるんだけど、
これは成敗を禁止する年齢を満20歳から21歳に引き上げるっていうのがその条約の中にあった。
日本も本来だったら従うっていうのが国際関係をしていく中ではいいはずなんだけど、
まず日本の植民地に対してはこれは適用しないよっていうふうにした。
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しかも日本本土に関してはこの今まで18歳以上なわけじゃん。
年齢に関してちょっと留保、考えさせてくれっていうので保留にしたんだよね。
結局は1927年にやっぱり日本は18歳以上っていうふうにした。
これで何か理由があって女性進退の発育と思想発達の程度を考慮してとか言ってたんだけど、
自分も聞いてそうなんだみたいな思っちゃったけど、
これによって国際的に21歳以上に引き上げっていう流れの中で日本は18歳以上にしたことで、
この先に慰安婦っていうのができたときに多くその慰安婦が集められる原因にもなるんだよね。
これ今でも日本の風俗っていうのは18歳以上なわけよ。
例えば世界で見るとドイツとかは21歳以上とかな。
アメリカは性サービス自体が一部の地域を除いて違法だし、
だから日本っていうのはそこは結構緩い国なんだよね。
1925年にこれねちょっとね帝国議会でその交渉性を続けるか廃止するかっていう議論が活発になっている中で、
帝国議会でね交渉性を続けたいっていう議員の発言が印象的だったんでちょっと紹介したいんだけど、
交渉性を廃止すれば死傷が増え、死傷っていうのはまあ認められてない性サービスをする人が増え、治安が悪化する。
性病患者も増える。男の性欲は防止できない。って言ってるの。
これすごくない?なんかこれ本当に帝国議会でこんなこと言ってるのかっていう。
今の国会でこれこんなこと言ってたらさ、その当時の価値観っていうのはもうなんだろう全然違うんだよね。
しかもさこれ交渉性だと女性の性病検査っていうのは必須になるわけなんだけど、
だからあの交渉性を廃止すれば性病患者が増えるって言ってるんだけど、
だけどこの性病検査ってあの医者が目視で確認するだけなんだよね。
ああそうなんだ。
そうそうだから精度も低いし、実態に合ってないというか、
でここでさ、本当に男性の側からの発言じゃん。
ああそうだね。
改修するさ男性側にはさ性病検査をするっていう議論さえも起こってないしさ、
ましてや男の性欲だけしか考えてないわけよ。
そうだね。
まあこれは日本だけじゃないっていうところはあるけどね。
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まあそんな流れが実際にあるっていうね。
1930年代に入って国内で改修する男性の好みっていうのが、
それまで誘拐っていうのがあったんだけど、
あのカフェとかダンスホールを介しての改修に変化していく。
これさカフェとかって知ってる?
いやわかんない。
これカフェってさ、カフェとは違うのよ。
カフェはあの喫茶店じゃん今で言う。
まあ喫茶店なのカフェっていうのも。
だけどそこに女の人がいてこう男性に擦り寄ったりとか、
そういうなんだろう今で言う今日もキャバクラみたいな感じ?
まあその延長線上に性バイバイもあったりするんだけど、
だからこのカフェっていう言い方は風俗営業の一行体を指すんだよね。
だから間違ってもリスナーの方もカフェって言わずに
カフェって伸ばさない方がいいですね。
なんだよそれ。
いやって思った本当に。
これさなんかね間違って伸ばしちゃったらちょっと変な意味合いに取られちゃう場合もあるからさ。
いやわかんねーよ誰も。
そうか。
でもこのカフェって言葉の法律用語で今も残ってる。
カタカナ?
カタカナ。
カフェ。
なんか最初本でさこういうのがいろいろ出てきて間違ってんのかなとか思ったのよ。
伸ばしちゃったのかなと思ったけど本当にそういうのがあって。
それでね1937になって日中戦争が始まるわけよ。
そっから第二次世界大戦によって大きく性バイバイっていうのも変わっていくわけ。
どう変わるかっていうと1938年翌年になって日本国内の将棋とか芸技釈布っていう数が大きく減っていくのよ。
逆にねこれは国家総力戦になって軍事産業に日本が力を入れたわけよ。
なんでこういうさっき言った性サービスをする人たちに制限をかけた。
軍事産業に力を入れましょうよっていう風に流れになってるわけ。
ただ慰安施設は許可されたんだよね。
これはさ、要は売春宿みたいな形でさ、軍中工場で働く男性労働者のためだったりとか、
軍の関係者に対する性バイバイなんだけど、
これは廃止の方向にならずにむしろ増えていくっていう傾向になっていくわけ。
でこの時から慰安婦っていう言葉が出てくるんだよね。
例えば芸妓って言ったんだけど、芸妓の中には要は芸をするっていうのが主にあったんだけど、
慰安施設に働くところがなくなって転用されて性行為のみをするっていう芸妓も現れてくるわけ。
慰安っていう言葉ってさ、直接さ、まどろっこしいというかさ、
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心を慰め、牢をねぎらうことっていうのが慰安っていう言葉なんだけど、
実体は全然なんか違うというかさ、
これ言葉の言い回しだけどさ、
なんでこの言葉ができたんだろうってちょっと思っちゃうけど。
オブラープに包みたいっていうのが出てるよね、たぶん。
日本のその現実と建前的なのが出てるよね。
でこれでこの前にさ、ちょっと話したけどさ、
国外移送を目的とした人身売買っていうのは有罪だったわけじゃん。
だけど内務省がこの時に成敗を目的とする女性の渡航は、
必要やむを得ざるもの特殊の購入を払うって言ったの。
でそれによってさ、やっぱり東南アジアだったり中国に
多く慰安施設が作られるようになったわけ。
そこで日本人だったりとか日本が支配している朝鮮人、台湾人とか中国人なども
日本軍の相手をさせられたっていう、正サービスをさせられたっていう現実はあった。
数はちょっとねばらつきがあるんで、正確は言えないんだけど、
数万から数十万そういう人たちがいたって言われてる。
でもここにあの従軍慰安婦問題っていうのは出てくるんだけど、
従軍慰安婦問題ってさ、そこにさ強制的連行があったのかっていうところが問題としてなってるけど、
この自分の意思とは関係なく日本が拉致して誘拐をしたのかっていうところなんだよね。
これでさ、ちょうど調べた時に2021年の9月にさ、文部科学省がさ、教科書会社5社からさ、
従軍慰安婦っていう言葉と強制連行っていう用語の削除、変更の訂正申請があって、
それをね承認したっていうニュースがあった。
これ今でもさ言われている問題でさ、
従軍慰安婦って言うとさ、女性が自らその日本軍について行ったっていう誤解を招く場合もあるし、
実際その各地域ごとで様々なケースが確認されていて、
そこには強制的なケースもあったし、そうでないケースもあるし、
だからこの従軍慰安婦って名称自体が誤解を招く恐れがあるっていうんで、
教科書は一部なくすっていうところも出てきてるわけ。
あと強制連行って言葉も、強制っていうことだけが一人歩きしちゃって、
そうでないケースもあるし、幅広い解釈ができるようにっていって、
今改正する流れになってるんでね、日本は。
そんな感じでちょっと次に行きますが。
ただ一つ言えるのは弱い立場の女性っていうのは常に過酷な状況にいたっていうのは事実だよね。
これでちょっと先に行くんだけど、1945年に末終戦を迎えるわけなんだけど、
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日本は降伏後にRAAっていうのが作られるんだけど、これ知ってるかな。
RAAって何の略かっていうと、Recreation Amusement Associationっていうの。
これ特殊慰安施設協会って日本語で言うんだけど、
要は日本政府が連合軍のために作った性的慰安所だ。
これって降伏後連合軍によって統治されるわけだけど、
それでドイツとかヨーロッパを見るとアメリカ軍によって、
実際に性暴力っていうのが多く発生してるって事実もあって、
そういう日本でも同じようなことがある可能性があったから、
そういうのを恐れて日本女子の性の防波堤とか言われて、
一部の女性をもって他の女性児童を守るっていう考え方があったんだよね。
そういった流れで日本政府がRAAっていうのを作った。
これは完全に人権を無視した考え方なんだけれども、
このRAAの募集に関しては、従業員募集とか事務員募集っていう風にして、
性サービスをするっていうことは明記せずに募集されたわけ。
それで多くの女性が集まって、実際に集まってから、
実際はこういう連合軍の慰安所ですよっていう風に言われたわけ。
戦後ってさ、日本って働く場所も食べることもままならない中、
本当に生きていくために、家族のために働かざるを得ない女性たちがいて、
実際にこのRAAで働いたっていう人たちが全国で約5万人以上いたって言われてるんだよね。
結局その1946年になって、RAAっていうのはもう廃止したんだけどね。
これはGHQの指令が出て、性病のまん延を危惧したっていうのもあって、廃止の方向に進んだ。
これによって日本自体の性売買っていうのも、国が認めている性売買っていうのを廃止するっていう方向に進んだ。
1947年になって職業安定法っていうのができるんだけど、
これは何人も有料の職業紹介事業を行ってはならないってことで、
これによって性売買の紹介業をする人たちっていうのはなくなっていく傾向にいくの。
だけど実際に今までそういった性売買をしていた人たちっていうのは、
有格の地帯とか売春街で、街頭に立って任意で売春を行うっていうのがもう黙認されてきたんだよね。
これが赤線青線とか言うけど、地図上に赤線青線で街頭地域を囲んだことが由来らしいんだけど、
こういった任意で女性が行う売春っていうのは黙認され続けたんだよね。
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ここで1958年に売春防止法っていうのが施行される。
これは売春そのものを処罰するんじゃなくて、売春を助長する行為は罰則しますよっていう法なの。
これは今でも生きてて、これによって赤線青線っていうのはなくなっていくんだけど、
具体的に色々あるんだけど、街頭での売春の立ちん坊って言われてるような人たちはダメっていう。
あとは業者によるこの売春の圧戦だったり脅迫とか、場所の提供っていうのはダメだよっていう。
でも日本は実際に今も風俗っていうのがあるわけじゃん。これ現代に言っちゃうけどさ。
日本のその考えっていうのは売春が成立する前提っていうのはあくまでも性行為の本番行為なんだよね。
逆に言えば性行類似行為って言って、本番以外は禁止の対象外なわけ。
だからヘルスとかそういうのがあるわけなんだけど、じゃあなぜ今もソープランドとか本番行為がある施設っていうのはあるのかっていうところなんだけど、
これは従業員と客が自由恋愛の末に成功に至ったっていう考えなんだ。
そうそう、これは今でもそう。だから本人の自由意思だったら、そこで行われた行為は国は黙認っていう立場なんだよね。
これがざっくり今まで優格から大まかにセレバイバーの歴史を辿ってちょっと近代から現代まで来ちゃいましたけど、
まとめると、結局は弱い立場の女性っていう人権っていうのは常に存在に扱われてきたっていうのは事実としてあるよね。
あと、日本っていうこのセレバイバーの歴史を知るっていうのも、自ら調べないと多分今学べないっていう環境があるよね。
性教育って日本って遅れてるって言われてるけど、例えばドイツとかって実際に男性機の模型を授業で扱って、コンドームの装着練習とかも行われたりするんだって小さい時から。
そういうのは日本っていうのはなんだろう、これからの課題とかでもあるし、っていうのはちょっと考えたなっていう。
中村はどうでしょうか。
性教育っていう観点で行くんだったら日本は本当遅れてるなっていうのは思うし、そもそも歯車なんかも言っちゃいけないよっていうような教育な気がするんだよね。
それにしても性サービス自体は緩いよね、取り締まりは。
産業として保護してるようなイメージもあるしね、なんだかんだと。
24:02
まあ、あれじゃない?
やっぱりそういう性風俗業界があるところって飲み屋が栄えてさ、人が集まってってなるからさ、経済を回すっていう観点で言ったら多分正解なんだよね。
ああ、そっかそっか。
実際だからさ、画祭でさ、例えば西川口とかさ、画祭であった時とかすげえ一気に廃れたっていう話に聞いたことあるしさ。
入れたら入れたで、結局廃れちゃうんだよね、街が。
ああ、はいはい。
だから、経済っていう観点で見た時にそれは果たして正義だったのかって言われると微妙だよね。
まあ、そうだね。
ということでね、今回教科書とか授業とかではあんまり多分聞き慣れない言葉ばっかりが出てきたと思うんですけど、
まずは大人の近代史としては知らないことから知るってことを始めてみませんか。
そんなテーマだったっけ?
っていうのを言いたかっただけ。
大人の近代史って今朝、毎週火曜日の朝の7時前後くらいに配信してるんだけど、
不定期で追加で別の曜日にも突如配信したりするんで、フォローとかしてもらうと通知が行ったりするし、
Twitterでも配信したらその都度概要をアップしてるので、ぜひ見てください。
お願いします。
それではありがとうございました。
ありがとうございました。
ということで、最近全然コメントを読めてなかったんですけれども、
ちょっといろいろコメントもらってたので、ここで読みたいと思います。
はい、お願いします。
三家別ひぐま事件についてコメントいただきました。
お、ひぐまに来ちゃった。
はい。さとしさんからコメントいただいてます。
はい。
いつも楽しく拝聴しております。なんか聞いたことある話やなって思って、
ふと気づいて調べたら、若い頃に小説で読んだクマ嵐の題材になった事件ですね。
小説ではマタキが中心になってましたが、こんな悲惨な事件やったんですねっていただきました。
ありがとうございます。そうなんですよ。
いろんな小説とか漫画とか、もう本当に映画とか、なんか影響を受けてる話なんで、三家別は。
あ、そうなんだ。
やっぱほら、日本史上最悪のクマ嵐っていうね、そんな感じで紹介したと思うけれども、
本当に影響が大きかったっていうか、クマの被害って言ったらもう三家別みたいな、
それイコールでつながっちゃうぐらいの事件だったっていうのはあって、本当に他方面に影響を与えてるっていう、そんな感じですね。
あー、やっぱそうなんですね。知らなかったな、これも。
続いて次のコメントを読みたいと思います。
27:02
はい。
はじめまして。兵庫県の50代オヤジです。
今週の初めにたまたまお聞きしてから一気に全回お聞きしました。
すごいですね。全部一気に。
マジで?一体何時間かかるんだよっていう。
そうだよね。歴史好きなのですが、近代史はなんとなく資格になってしまうので、新しい知識が増えるようで嬉しいです。
もしリクエストできるのでしたら、阿部貞事件、シーメンス事件、鈴木商店の倒産等取り上げてもらえたら嬉しいです。
また取り上げてほしい人物は、児玉芳代、天笠雅彦ですね。
どちらも日本近代史の闇の部分を生きた人なので興味あります。これからも楽しみにしています。
っていただきました。
ありがとうございます。すごい歴史に詳しい方だなっていうのは、そのコメントだけ聞いてもわかっちゃうなっていうところですね。
すごいですね。これ見てると全部ハッピーエンドじゃないタイプですね。
いや、だからちょっと闇の部分っていうのはそういうことでしょ。
そうですね。多分ね、全然うちらなんかよりも詳しいんだろうなって感じですよね。
でもね、リクエストもらっちゃったから。
まあまあ、ちょっといずれね、どこかでやれたらなと思っています。
全部ではちょっと難しいと思うんですけど、楽しみにしています。私が。
俺がやるんかよっていう感じなんだけど。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
28:47

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