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2022-04-12 31:58

第62回「ポーランドのシベリア流刑」ロシア、ドイツによる占領・分割の歴史

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10世紀に誕生したポーランド王国は、ヨーロッパの中でも大国の一つであった。
しかし、ヨーロッパの真ん中に位置する地理的条件もあって
周りの国からの侵略との戦いの歴史でもある。
過去にはポーランドという国そのものがなくなり、地図上から姿を消した時代もあった。
多くのポーランド人はシベリアに送られ、その後日本によるポーランド児童の救済にも繋がっていく。
そんな今回は、ポーランドの歴史にお付き合いください。
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人生の悲劇は人は変わらないということです。 始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
よろしくお願いします。なんかすげー悲しいことをさらっと言われちゃったけど。 これね、推理小説家のアガサ・クリスティーが言ってた言葉。
あーそうなんだ。 そうそうそうそう。 まあ未だにさ、世界は戦争はずっと続いてきてるわけじゃん。
とかを見てもそう思うし。 でね、なんかそうするとネガティブな感じに感じちゃうんだけど、なんか自分は最近その
まあ一つだけじゃないかもしれないけど、変わってるものもあるんじゃないかと思った。 それはさ、今のウクライナ危機に関してもそうだけど、
なんか人道支援の輪が広がってるんじゃないかと思って。 あーそうだよね、それは確かに。
で、これはさ、過去と比べてもやっぱり明らかにこの支援の輪って広がっているような気がして。 そういう団体とか赤十字だったりユニセフとか、まあいろいろ
大きなものができてきてるっていうのもあるだろうし。 何よりも個人の意識が結構変わってんじゃないかなぁとは思うよね。
あ、そうだね。 なんか結構簡単にさ、もう今ってさ、あの携帯ポチでさ、すぐこうなんつうの支援金を寄付できたりとかできるじゃん。
そうそう。で、各大手なんかもさ、そういううちやってますよみたいなのでさ、簡単に寄付できるような仕組み作ってたりするじゃん。
なんかそれでやっぱ個人がそういう意識を持ちやすくなったっていうのはやっぱ変わったことかなと思うよ。
そうだよね。なんで今回のテーマは、ちょっとテーマがどうしようか迷うんだけど、ポーランドについてです。
ちょっと待って。ポーランドのなんだよ。
あの、目的はポーランドの孤児救済についてやりたいんだけど、これ知ってる?日本がポーランドの孤児を救出したっていう。
なんかざっくりは知ってるけど、あんまり細かいところは知らない。ほらポーランドって新日国じゃん。
そうそう。で、このポーランドの孤児救済ってよく言われるんだけど、これは何なのかっていうと、日本がシベリアにいた約765名ぐらいのポーランドの児童を1920年から数回に分けて日本へ救出した出来事なんでね。
これをやるにあたって、なんでそもそもシベリアにポーランドの子供たちがいたのかっていうところから始めた方がいいと思って。
となるとちょっとポーランドの歴史も一層のことを振り返ってみようかなと思って。
壮大な歴史になりそうだけどね。なんかこれ3回分ぐらい一気に録音する感じかな。
いや、3回はいかないんだけど。だからもうちょっとね、今回はポーランドっていう背景、今さ、結構ウクライナ危機でもさ、避難民を最も受け入れてる国っていうのはポーランドじゃん。
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うん、そうだね。
で、これってさ、半数以上のもう数百万人って規模になって、今これ放送されてる時どのぐらいの規模になってるかもあれなんだけど、ポーランドが受け入れてて、
もちろんさ、隣国であって大きな国だからっていうのもあるかもしれないけど、他にもウクライナはさ、モルドバとかルーマニアとかハンガリーとか、まあいくつか隣の隣国はあるわけじゃん。
でもこれほどまでにポーランドがっていうところでやっぱりちょっと自分自身もちょっと気になってきた国でもある。
まあもちろんあとさっき言った新日っていう国でもあるよね。そうそう昔からちょっと繋がりがあるというか。
まあということで、今回はねポーランドの歴史にお付き合いください。
テーマがすげえざっくりしてるけど、まあ言ってみようか。
でもあれだよ、ポーランドの古事旧歳につなげるための一応歴史だと思って。
OK。
じゃああの時代背景なんだけども、ポーランドっていうのは英語読みなんだよねこれ。
ポーランド語ではポルスカっていう言い方で平原の国って言われてて、国土がほとんど平原で緑の大地が続くような豊かな国っていうようなことからつけられてるんだけど、
人口はね現在約3800万人ぐらい。首都はワルシャワってよく聞くけどね。
で、ちょうどさヨーロッパの真ん中ぐらいに位置してるっていう地理的な条件があって、
なのでそのために周りのこのヨーロッパの国だったりとかから侵略され続けた歴史もあるんでね。
で、過去にはポーランドっていう国そのものがなくなっちゃって、地図上から姿を消した時代もあったっていうのがポーランドなんだけど、
さかのぼるとこれ10世紀頃ポーランド王国っていうのが誕生するの。
で、これがメシコ一世っていうのが君主として統治して、これがポーランド王国の始まりなんだけど、
ここでキリスト教徒のボヘミア王女ドブラーバっていうのと結婚するんだよね。
で、この人がキリスト教徒でキリスト教にポーランド王国っていうのは改修するんだけど、
で、現在もこの名残というかポーランドはカトリック教徒が9割の国なんだよね。
で、この頃のポーランドっていうのは今の領土よりも広くて、ウクライナの西側部分とかチェコの部分もポーランド領だった。
で、ヨーロッパにおいても強大な国家の一つだったんだよね。
ちなみにこの頃はまだロシアっていう国はなくて、ルーシーと呼ばれる民族化になる小公国が散らばってあったような状態。
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後にもうロシアとか関わりが出てくるんだけど、1138年になると、その時の王ってボレスワフ三世だったんだけど、
彼が亡くなる死の直前に息子たちへ遺言という形で、この広大なポーランド王国を5つの国に分割して相続させたんだよね。
で、以後これによって200年近く分裂の時代が続くっていうことにもなっていっちゃう。
領土が細かく分けられたことによって内紛が起きて国力は低下していったっていうのがあって、
そんな時にモンゴルの侵略っていうのもこの当時あった。
で、真っ先にロシアっていうのはこれによって支配されて、重い年号を課せられたとかいう歴史の背景があって、
前長丸が知り的にもロシアは国土が広い分、攻められた時に意外と支配侵略されてしまうっていうのがもうここから始まってるんだよね。
それでポーランドっていうのもこのモンゴルの侵略にあって、その当時の王ヘンリク2世っていうのは殺されてるんだよね。
だけどその時は侵略されたんだけど領土は奪われずに、一回モンゴルっていうのは王様が亡くなっちゃって帰ってったんだよね。
で、さらにまたやってきたんだけど、ヨーロッパをさらに西に攻めようとしたんだけど、
次の時にはもうヨーロッパ側も対策をして戦略とか武器を改良して対抗できるようになっていったっていう。
ポーランドはさらにさらにどんどん攻められるのが続くんだけど、その後ドイツの騎士団っていうのが攻めてくる。
このドイツ騎士団っていうのは、もともと異教徒退治を目的にカトリック教団が公認した騎士団で、
そもそもポーランドっていうのはキリスト教の国だから、侵略を受けるはずではないんだけれども、
徐々にその実際の目的はこの領土侵略っていうのに置き換わって、攻めてきたっていう背景もあった。
で、このドイツ騎士団に対抗するために1385年から共通の敵としてリトアニアと手を組むんだよね。
リトアニアもドイツ騎士団に苦しめられてきてたから、これでドイツ騎士団を有名なグランバルドの戦いで勝利して、
ここにポーランドとリトアニアの連合王国っていうヨーロッパにおける強大な帝国の一つになったのね。
この時はヤゲオ朝っていう時代なんだよね。
さらにちょっとだいぶ進むけど、16世紀になるとルネサンス期にあるんだけど、ポーランドは文化的にも科学とかも発達して最盛期を迎える時期になる。
この時、地動説を唱えた有名なコペルニクスもこの時期に活躍してるんだよね。
で、再度ポーランドってのはドイツ騎士団が攻めてきた戦争になって、でもそれでもやっぱポーランドって大国で強かったから優勢に勝ち進んで、
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で、ドイツ騎士団を解散させることに成功した。
そこでプロイセン公国っていうのを発足させて、これをポーランドに組み入れて、
なんでいわばポーランドの族国として誕生したのがプロイセン公国だった。
で、その後さ、プロイセンっていうのは王国となって、後にドイツとなってポーランドの侵略とか分割する脅威になるわけなんだけど、
っていう背景はあるんだよね。
で、16世紀っていうのはマルティン・ルターが宗教改革をした時代でもあって、
カトリック教会から分離してプロテスタントができたのもその頃で、
そのためにさ、この時代って他の国では宗教間の派閥とか異教徒の弾圧っていうのが強まってたんだけど、
ポーランドっていうのはそういった弾圧をしなかったっていうのでも有名なんでね。
基本的にはカトリックの国なんだけど、異教徒に対する対応には寛容だったって言われてて、
これはさ、ポーランドっていう国がそもそも多民族国家で様々な民族がいたっていうのもあるんだけど、
ずっと流れ的にこういった異教徒っていうか別の宗派とか宗教を受け入れてきたっていう背景もある。
そうそう。で、実際にこの時に迫害から逃れてきたプロテスタントだったり、ユダヤ教徒、イスラム教徒もポーランドにこう逃げてきて暮らすっていうのもあったんだよね。
で、王がね、この時も宣誓する時に宗教の自由を守るっていうことを宣誓するんだよね。
そうそう。だから昔からなんかこのポーランドっていうのは個人の自由を尊重してるっていうのが、なんかここにね、今のポーランドもがある気がして、
ウクライナ危機にしても積極的に避難民を受け入れてるっていう姿勢、なんかここにちょっと通ずるところもあるのかななんて思っちゃったりして。
まあ国民性っていうの。
そうだね。で、16世紀後半になると、ポーランドって選挙王政に移行するの。
王様がさ、一部の貴族とか選挙区によって次の王が決められるんだけど、これさ、王に選ばれる条件はその時は一部の貴族かポーランド以外の国外の王族から選ぶんだよ。
これね、あんまりね、うまくいかなかったというか、それによって外国の介入を招くことにもなったし、
王がさ、勝手に軍を招集することとか、国民に課税することっていうのができない。
すべてこう議会の承認が必要になっちゃったって背景もある。
こういう時ってさ、攻められることが多かったから、
例えばここで言うとコサックとか言われる武装集団、海賊みたいな集団なんだけど、
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そういうのも侵略してきた時に、王の権力が選挙制によって制限されてて、
議会を無視して迅速に対応ができないというか、
もともとね、広い領土だから守るだけの軍事力っていうのがなかったっていうのもあるんだけど、
これによってさ、国力をつけてきたロシアも侵略し始めたんだよね。
で、それに乗じてスウェーデンも攻めてきたりとか、本当にその周囲から治理的なやっぱり条件もあるんだと思うんだけど、
こういう攻められるっていう時代が続く。
こういった侵略とか国の制度がうまく機能していなかったために、国力っていうのは一時期の繁栄の時よりもだいぶ低下していくっていう。
それでやっぱり大国ってあったロシアの支配がどんどん強まっていくんだけども、
象徴的な出来事としてポーランドの議会の中に武装したロシア兵が配備されて、
ロシアにとって都合の悪い発言をしようとする人に対して重厚を向けて喋れなくさせるっていうような沈黙議会って言われたりするんだけど、
これによってロシアっていうのはポーランドの軍隊を縮小させるっていう決意を強引にさせてるんだよね。
これによって自分の軍隊で他国からの脅威から守れないという状況になるわけ。
その代わりロシアがポーランドを守るっていう建前にしたんでね。
なんか日本とアメリカみたいだね。
そうだよね、俺もそう思ってすごく。
だからポーランドっていうのはこの頃からロシアの族国というかロシアの軍事力ありきでの存在になっちゃう。
まさに日本もそうだし、今ロシアもウクライナに対して非武装化を条件として出してたりするじゃん。
だからなんかこういうのって昔から行われてきたんだなって思っちゃって。
非武装化、そうだね、軍事力を弱めればまずまず脅威にはならないわけだからね。
そうだよね、考えさせられるわ。
アメリカは別に日本を非武装化したいわけじゃないだろうけどさ、今となっては。
そうだね。
日本がちょっと今憲法的にできないからっていうだけだけどさ。
で、これでたださ、こんな圧勝を惹かれてポーランドの人たちっていうのはやっぱり納得いかない人もいっぱいいて。
で、1768年に反ロシアを掲げてポーランド各地で反乱が起こり始める。
で、これを講じずにロシアはどんどん武力制圧を強めて、
ロシアっていうのはその時にプロイセンとかオーストリアって周りの国に対して、
ポーランドの土地を一部与えるから支援してくれっていうふうに呼びかけた。
これによって1772年にロシア、プロイセン、オーストリアの3国がこのポーランドの領土を奪ったっていう形になったんだよね。
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で、国土の4分の1ぐらいをポーランドってここで失うんだよね。
これが第一次分割って言われるの。
で、この反乱の鎮圧によって何万人ってポーランド人の人が虐殺されて、
でね、こっからね、推定1万人ぐらいってされるシベリアへね強制的にロシアが送ったっていう背景がある。
ここからがそのポーランド人が大量にシベリアへもう拉致だね、拉致される歴史が始まっていくわけよ。
だからもうこの1770年代から既に始まってるんだよね。
これはポーランド孤児救済にちょっとつながっていくんだけども、そんな時にプロイセンがポーランド側に歩み寄ってきたというか、
うちらと組めばロシアの保護なんて必要ないよっていうふうに近寄ってきた。
しかもロシアっていうのはこの時オスマン帝国と泥沼の戦争にかかりきりって改革のチャンスだったんでね。
それによってポーランドもやっぱりロシアっていうものから解放されたいっていうのもあったし、ここでプロイセンと手を組んで相互援助条約っていうのが1790年に結ばれた。
これはポーランドがロシアだったり他国の攻撃を受けたらプロイセンが軍事的に援助しますよっていう約束なの。
さらにポーランドは改革が進んでいって、1791年に5月3日憲法って言われる近代憲法が完成するの。
これは貴族の特権をなくして住民が選挙権を獲得して、自由が保障された内容が入ってたりとか、世界でもアメリカの次ぐらいに近代憲法ができたって言われてる。
結構早いんだよね。この改革に対して納得のいかない一部の貴族はいたんだよね。特権が奪われちゃったから。
ロシアに援助を求めたんだよね。その時にロシア待ってましたとばかりに大群を従いてポーランドへ進行する。
しかもこの時に他国の侵略を受けたらプロイセンが軍事的に守ってくれるって約束を裏切ったんだよね。
そればかりかポーランドがロシアに降参するどさくさに紛れて、プロイセンもポーランドに進行して西側部分を占領したんだよね。
ロシアは東側部分を占領して、こうして大半の領土をポーランドは失ったんだよね。
これが1792年に第二次分割って言われるものなんだ。
ただやっぱり民衆っていうのは黙ってなくて、ここからまた放棄というかコシチューシコっていう有名な人が中心になって放棄を起こすんだよね。
これはワルシャワを取り戻して臨時政府を作って、プロイセンがワルシャワに軍を送ってきたんだけども、ポーランド軍は市民兵も加わってこれに勝利はするんだけども、
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結局その後ロシアが集中攻撃にしてきて、ポーランド軍っていうのは敗退しちゃう。
またこれでポーランド国っていうのは残りの領土も含めてロシア、プロイセン、オーストリアの3帝国に分割されちゃう。
1795年の第三次分割って、だから第一、第二、第三次分割っていうのがあるんだよね。
この第三次分割によってポーランドっていう国は地図上から消えちゃうんだよ。全部取られちゃう。
この3国の中でポーランドっていう言葉を歴史上から抹消して、二度とポーランドの独立をさせないっていう約束も取り交わしたっていうほどなんだよね。
この反乱に対してやっぱポーランドの人は多くの命が失われて、今でもワルシャワとか通っているビスワ川っていうのがあるんだけど、ここに無数の遺体が埋め尽くされたほど大量の死者を出したんだよね。
この時にまた約2万人ほどのシベリアへ送ったんだよね。
ルケーシャって言われるけど、ロセイ的にシベリアに拉致したというような形。
この後にフランスっていうのがナポレオンの時代でヨーロッパの覇権を争ってプロイセン、ロシアに攻めていって、ここで勝利するんだよね。
ロシアはこの時に43%ぐらいって言われる軍事力を失って、結構弱体化する時でもある。
プロイセンがナポレオンに敗れたことによって、その当時プロイセンが分割統治していたかつてのポーランド領の部分はワルシャワ大公国としてフランスが独立させたっていう形にしたんだよね。
ただ結局この後ナポレオンっていうのはロシアにどんどん攻めていって、最終的にはまさか負けてしまうっていうのがあるんだけど、
結局はこれによってまたロシアが攻めてきて、旧ポーランド王国の82%、もう8割ぐらいの国土をロシアの支配下になっちゃうんだよね。
その時にロシアの皇帝っていうのはアレクサンドル一世なんだけど、前の女帝がエカチェリーな時、この時にポーランドを消滅させたんだけど、
これに対して若干の罪の意識っていうのを持ってたって言われてて、そこでロシアのアレクサンドル一世はポーランド王国っていうのを自分が王として兼任する形でポーランド王国を再興したんだよね。
これも結局はロシアの中でも単純にポーランドを完全に独立させるっていうのには反対の意見もあって、
だから結局はロシアが力で支配してポーランドっていう人たちを抑圧するような形になったんだよね。
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だからポーランドっていう名前は戻ったけれども、ロシアの支配から逃れられないっていう運命だった。
これによって不満がどんどん溜まっていった中で1830年に結構大規模な11月放棄っていうのが行われるのポーランドで。
このワルシャで起こったこの放棄っていうのはロシアの力の前に失敗に終わるんだけども、これによって高等教育機関とかを閉鎖されたり、ポーランド語の使用っていうのは制限されてる。
またこれによって約8万人って言われてる人がシベリアに送られたんだよね、また。
これ結構今までで一番大きい規模なんだけど、なんで数年かけて送られてったっていう。
これもさ、鎖で繋がれて何千キロっていう距離をシベリアまで歩かされたりするんだよね。
だからその途中で亡くなる人も多いしさ、国間の地なわけじゃん。
これで放棄に参加していた父親がシベリアに送りになるケースが多いんだけど、
それをさ、後を追ってさ、家族も列車を乗り継いでシベリアに自らついていくっていうこともあったんだよね。
だから今まで結構シベリア送りってあるんだけど、実際にシベリアにロシアが送った数以上に家族も含めてポーランド人がロシアに行ってるんだよね。
っていう背景がある。
放棄っていうのは失敗に終わるんだけど、何回も行われるんだけど、1863年にも1月放棄っていう放棄があって、
これはロシアに支配されてたポーランドではブランカって呼ばれる徴兵制度っていうのがあったの。
これさ、選ばれた対象者が兵役に課せられるんだけど、
これね、15年から20年、戦争の激戦地などに強制的に送られるんだって。
いや、これ15から20年ってありえないぐらいの兵役だねって思って。
長すぎでしょ。
この年は3万人のポーランド人の人が徴兵される予定だったんだけど、
それを事前にした一般市民たちで反乱を起こして1月放棄って呼ばれる形で各地に展開されていくんだよね。
結局はでもやっぱり力の前でロシア軍に鎮圧されて、
ここでも合計20万人が参加したこの放棄っていうのは、
2万5千人以上の死傷者が出て、約4万人はまた統一へ強制的に飛ばされて、
そのうち約2万人はシベリア送りって言われて。
だからもう相当の数がどんどんどんどんさ、ここでは代表的な放棄を挙げたけど、
他にもちょいちょいいっぱいあるのよ。
そうそう、こんな歴史があって、1904年に日露戦争っていうのがあるんだよね。
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これは日本とロシアの戦争で、長丸も前回やっているけども、この日露戦争について。
これさ、ロシアが支配してた地域のポーランド人もロシア側として参加してるんだよね。
っていうのもある。
ポーランド独立を目指す地下組織っていうのがあって、
その代表のピウスツキーっていうのが日露戦争に協力したいって言って日本に行って、
政府に交渉してるっていうのがあるんだよね。
実際にこれは協力は得られなかったんだけど、
ただお願いとして日本軍に捕まったポーランド人捕虜とロシア人捕虜と別々に収容してほしいっていうお願いを出す。
この要請は受け入れられて、実際に日露戦争で日本側はこうやって分けて収容したって言われてる。
そんなここでちょっと初めてポーランドと日本がちょっと関わりが出てくるんだけど、
1914年から第一次世界大戦が起こって、
これはドイツ、オーストリアとかオスマン帝国なんかを含める中央同盟対ロシア、フランス、イギリスとかの連合国との戦いなんでね。
日本は連合国側で、アメリカとかも連合国側として参加してるんだけど、
ここでポーランドっていうのは第一次世界大戦で地理的にも戦場となったんでね。
で、逃げるように実際シベリアに流れ込んだ人たちも多くいた。
この時点でシベリアにいるポーランド人の数っていうのは15万から20万人ほどって言われてる。
で、この第一次世界大戦でロシアっていうのは2300万人以上の国民を戦争に投入してるんだよね。
かなり大規模でこれによって産業やインフラ機能が停止して、戦争の影響でしかも物価も高騰してロシア国内で暴動とかストライキが起こったんだよね。
で、そんな中やっぱあとロシア国内っていうのは不満を持つ人たちがロシア革命っていうのが起こって、ここにあの帝政ロシアというかロシア帝国っていうのは崩壊する。
これまでの資本主義の在り方じゃなくて、社会主義っていうのを提案した例人が中心になって政府を立ち上げていくんだけど、
ロシアがこうやって共産主義化するのを恐れた連合国側っていうのはシベリア出兵って言ってシベリアに派遣するんだよね。
そこに日本もシベリア出兵を行って、ロシア国内ではその時社会主義を掲げる赤軍って言われる軍隊とさ、それに反対する勢力、白軍って言われるけどとの戦争があって、ロシアにいたこのポーランドの人たちっていうのはかなり巻き込まれて多くの人が亡くなってる。
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そこには親を失った子供たちっていうのが多くいて、骨幹の中食べ物もなくさまよって、しかも環境も悪くて伝染病も蔓延していくっていうような悲惨な状況になってた。
ここでせめて子供たちだけでも助けようとする動きが出てきて、1919年にポーランド救済委員会っていうのがここでできる。これによってポーランド孤児救済につながっていくっていう、っていう今回はお話でした。いかがでしょうか。
そうだね、ポーランドってさ、やっぱり前世紀はすごい強い国だったんだけどさ、なんかこう、知性学的なものが多分強いんだけどさ、道になっちゃってるんだよね。多分他の国の。
ね。
そう、ドイツがロシアと戦おうとしたらポーランド通るし。
そうだよね。
そうそう、だからなんかね、やっぱ場所が悪いんだろうね、とにかく。
ね、最近本当に長丸がさ、言ってから知性学っていうのがやっぱ注目浴びてきたじゃん。
まあ俺が言ってからじゃないけどね、だいぶ昔から一応注目はされてたしね。
最近でもよく聞くなって思って。
やっぱりそのウクライナ情勢があるからね、なんか知性学っていうワードがこう出てきてさ、じゃあ日本はどうなんだってこうやっぱ考える人も増えたんじゃない?
確かにさ、考えてみるとさ、要は力を持ってる大国って言われる国ってさ、今イギリスとかアメリカとかさ、なんだろう、割と輪郭そこまで接してない国っていうのがさ、なんか強いような気がするよね。
そうそう、あの、シーパワーっつうんだけど知性学的に言うと、イギリスとかアメリカとか、まあ日本もそうなんだけど、そういうシーパワーの国っていうのは、ほら国土がさ、接してないじゃん。
うんうん。
だからさ、そこまで防衛に力を入れないで、自分からさ、どんどんどんどんこう出ていける側なんだよ。
あー確かに。
そうそう、で、ドイツとかさ、ロシアとかさ、中国もそうだけどさ、ランドパワーっつってさ、もう周りにこういろんな国があって、まずね、自分らの防衛しないとっていうところから始まるんだよね。
あー。
それが結局さ、なんていうの、疑心暗鬼というかさ、今のロシアがさ、ウクライナ攻めてるのと、まあ似たようなポーズになっちゃうけどさ、やばいんじゃないか隣の国って言うんで、どんどんどんどん拡大していこうとしちゃうんだよね。
あー。
そう、そんな一応理論だからさ。
確かに、だってもうポーランド見てても、ほんとに周りがさ、次から次ロシアだと思ったら、次さ、ドイツだったりとかさ、オーストリア来て、ね、どんだけ来るんだみたいなさ。
来やすいんだよ。だからその道になっちゃってるんだよね。なんかさ、例えばさ、山に囲まれててとかさ、そういうんじゃないじゃん。もう繋がってるじゃん、普通に。
あー。
道なんだよ、ほんとに。
うーん、やっぱ大きな国だったし、結構豊かな国だったしね。
そうそう、大地は豊かでね、生きやすくって、それは奪われるわっていう感じだよね、ほんとに。
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あー、ね、あと兵役にもこうね、使ってたっていうのもあるんだろうね。
うん。
だからさ、なんかポーランドの人って、こうやって1回自分の国が消滅してるって、それでもさ、独立っていうか自由を勝ち取ってきた国じゃん。
うん。
すごいさ、他の国に比べて強い思いを持ってるんじゃないかなって思うんだよね。
あー。
だからこそ、なんか今さ、ロシアが武力によって抑えつけてることに対して、強い反発心というか、ウクライナの避難民を受け入れてるっていう姿勢にも繋がってるんじゃないかなっていうのはちょっと思ったなと思って。
うーん、そうだね。
まあ、ということで、今回はポーランドの学りたちから、孤児救済に向けての時代背景を話しました。
はい。
ということで、最後まで聞いていただいて嬉しいです。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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