バカの壁とは
カタリスト
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おはようございます
縦見昭子です
家庭内バカの壁
っていう言葉を
昨日の夜思いました
それはどういうことかというと
バカの壁っていう本が
養老拓司さんの本でありますけれども
それ私実はまだ通読してないんですけれども
最初の方読んだ
ですよね
だいぶ前に
で妊娠出産の
出産の
学習動画みたいなのを
男子学生と女子学生に
見せた後の感想が
全く違う
女子学生は本当に
感動というか
男性の方は全然
もうなんか
知識として役に立ったぐらいの話
で
それは何かっていうと
前提が多分違う
状況が違う
それぞれの考えている
前提条件が全然違うので
何かを
インプットしたり
話をしたり
議論をしたりしても
通じるものと通じないものがある
響くものと響かないものがある
その差っていうのは
その場で多分話しても埋まらないものが
あるんだろうなっていうのが
私のちょっと思ったところなんですけども
家庭内バカの壁って何かというと
家庭内バカの壁について
私は
私の母親父親と一緒に
暮らしをしているわけなんですけども
私の母親と私って
ちょっと似てるところがあるんですけども
何だろうな納得がいかないこととかを
お互いに言い合ってしまったりとか
疑問を言ったりとかしてしまう
今回何があったかっていうと
私たち夫婦が
何か用意したものとかを
ネットで買ったわけなんですけども
こんなものをどうするんだというような
言い方をされて
それに対して
私はそのまともに
自分の正当性みたいなのを
主張して
言ってもらって
自分の正当性みたいなのを
主張しようとしてしまったんですよね
でも
母親には全く理解ができないことで
お互いに平行線だったんですよ
これってまさに
議論の難しさと話し合いの重要性
バカの壁だなと思って
どっちがバカってわけじゃなくて
その
私もバカかもしれないし
母親もバカかもしれないし
両方ともバカじゃないかもしれない
そのバカっていうのは
人に伴っているものではなくて
なんだろうな
現象なのかなって思うんですよね
二人の間にバカという壁がある
相手のことが
バカに見えてしまうのかもしれない
私は私で
相手からバカだと思われて
しまっているじゃないかって
バカだと思ってるんでしょって
だから私が
考えたことに対して
全然
理解を示さずに
自分の考えが正しいと
思い込んでいるんでしょって
言うようなことを私も言ってしまったりとかして
何もね
建設的な議論が全くできなくて
そもそも議論をする
ということ自体が間違いなのかもしれないですね
議論っていうのは
議論専用の場とか
その
なんだろうな
ディベートとかそういう場で行うものであって
その日常生活の中で議論をする
ということ自体が
もしかすると間違っているのかもしれないなと
そういう姿勢自体が
うーんまあ
バカな姿勢だったのかもしれないですね
だからバカの壁
っていうのは
その人に
伴っているわけじゃなくて
その2人の
関係性とか何かと何かの間に
あるものだ
っていうのはすごい必死必死と
昨日はなんか
これってバカの壁なんだろうなーって思って
だからいくら言ってもね
結局私の言葉がバカの壁を通って
返還されて
私の母親の中に
伝わって
母親の言葉もバカの壁を通って
私の頭の中に入ってくると
だから何を言っても
結局まあ言葉で説明できることなんていうのは
結構少ないんですよね
でなんか人間ってこう言葉を持って考えることができるから
言葉を持って伝えることができるから
それでコミュニケーションを取れると思ってしまいがちなんですけども
まあ話せばわかるなっていうのは
多そうかもしれないですね
話してもわからないこともあるし
話せばわかることもあるし
話さなくてもわかることがあるかもしれない
だからね
マジで話し合いっていうのは
本当に気をつけないと
ただの平行線に終わる
だから話し合いをするっていう
コツ自体が
話し合いをして何か解決するかっていうのは
なんか幻想的なものだったのかなって
私もね家族会議とかを
もっとしたいなと思ってたんですけども
なんか
家族会議とかももっとしたいなと思ってたんですけども
家族会議をすればするほど
関係が悪化する可能性もあるなと思って
やり方次第なんだと思うんですけどね
まあそんなことを思った
昨日、今日、この頃でしたね
はい
ではまた
ありがとうございます。