1. 空地的ジンブン学
  2. #13 「地元」がある方が幸福な..
2023-06-21 39:00

#13 「地元」がある方が幸福なのか?

サマリー

このポッドキャストでは、転勤や地元から出て行く若者たちに焦点を当て、彼らが地元に帰りたいと願っている理由や、地元コミュニティの価値について考察しています。地元には友達や共同体という独自の関係性があり、地元から離れても問題ないと考える人々もいます。今日、共同体がない現代社会において、この問題が表面化しています。具体例として、静岡県の家族が東京に働きに行くことを見学する場面が取り上げられました。

地元の共同体と幸福度
藤田です。
松崎です。
中村です。
さあ始まりました、空地的ジンブン学ということなんですけども。
いやなんか、そんなに、なんかこう、始まりました感とされるんじゃない?
さあ始まりました!
いらない、いらない、いらない。
名前変わった。
というわけで、空地的ジンブン学なんですけども、ぐらいでいいんじゃない?
ということで、解明してね。
うん。
解明してから最初の収録なわけだけど。
うん。
まあね。
これで何してる番組かってことがわかりやすくなったんじゃないかなって思う。
うんうん、なんか。
タキガドの人文学ね。
タキガドの人文学かな。
カタカナの人文学かな。
カタカナの人文学ミソだよな。
ミソ、このニュアンスね。
まあそういうとこもあるし。
竹田素敵なアプローチってことだよね。
一瞬アカデミズムがガッチリした人間じゃないアプローチで、
人文的に安心していこうみたいなアプローチかな。
顔も出したしね、これは。
そう、そうね。
そうか、顔出し。
確かに。
顔出し。
俺はもう顔出ししてないから。
もうツイッターのヘッダーにしようぜ、あのサムで。
いやいや。
いやいや。
はずい。
まあね、これでね、キックベースしてる番組じゃないってことはわかるんじゃないかな。
いやもうだから、キックベースしてなかったのか?
うん。
アキチとキックベース!じゃなかったの?
じゃなかったね。
びっくりびっくりってのはないね。
うん。
何も、いやびっくりつけるとやっぱダサいよ、タイトル。
いやだからアキチ的人文学!じゃダメなの?
ダメなの?
そんなにドーンって感じじゃなくない?
いやなんかドーンって感じが欲しいよね、やっぱ。
アキチ的人文学はダメなの?
あ、ナミのやつなんだっけ?
ナミセン?
ナミセン。
アキチ的人文学。
ナミ、アキチ的人文学、ナミ。
いや知り合って3日目の人とのLINEじゃん、それ。
こんにちは。
え、じゃあワラつける?
ん?
ワラ。
ワラつけないよ。
あ、つけるかな?
いやたまにつけてるよ。
名前に?
名前にじゃないよ。
松崎大輔、ワラ?
違う違う違う。
LINEの送る文章でしょ。
ワラつけたことない。
相手がつける人だったらつけるよ、俺。
俺なんかスタンス変えてない。
俺はワラダサく見えるからさ。
俺LINEさ、気使いすぎておかしくなってる時あってさ、
相手がさ、変換しない感じで変換しないみたいな。
気使いすぎだな。
気使った時期あった。
最近もう抜けたけど、マジ高1、高2とか、
それ変換しないんだっていう変換しない人に
こっちが変換するとさ、なんかさ、スノップじゃん。
そんなことないわ。
そんなことないわ。
スマホで変換押してるか押してないか。
なんか感じでわざとやってきるようになるかなと思って、
ちゃんと相手の変換に合わせた時期あったよ。
俺LINEで丸つけるのやめたいんだよね。
あー。
分かる。
でもやめらんないんだよね。
LINEで丸つけんの?
俺つけないけど。
むずいわ。
俺こうは逆に。
LINEって打った瞬間送るから丸つけないんだよね。
丸つけないと打った感じしないんだよ。
どうしよう。
どうしようじゃないからね。
LINEはそうなんだけどね。
会話だから。
そんなことはともかくとして。
今日は何?
出た。com.
今日は何!?
com.式ね。
見たことないけどな。
見たことない。
全員見たことないから。
よくない。
でもリスナーはcom.見てるわけだから。
わけだから見てる人いるかもしれないからね。
うちのポッドキャストを聞いてくれてる我々の友人はcom.の視聴者なわけだから。
なるほどね。
だってcom.めっちゃ売れてんだから。
これスノビズムだねこの会話。
com.見てる人クソバカにしたらつけた方がいい。
よくないね。
でも最近思うけどやっぱスノビズムって人を救う一面もあるよなって思うよね。
何が?
なんかスノブであることによって自分に特別感を得られるみたいなのは
普通に現代人において意外と人の救いというか慰めにはなるなっていうのは感じてるね。
なんか普通にあれでしょ。バランスの問題でしょ。限度というか。
でもスノブっていうのは厳密的に言えば本当に教養人とは違うわけじゃん。
教養かぶれというか教養ぶってると思ってる教養のない人間のことをスノブっていうわけだから。
でも教養を持てない人間がそういうことに触れることで
自分の何か支えられるならそれはそれでいいんじゃないかって。
スノブのことを無限に言ってきたけど
スノビズムって誰かの自己肯定感とか自分を愛するための一つの方法にはなり得るんだなって最近思って。
楽だしなスノブのままでいる方は。
でも元々さ、近代文学者とか文豪だってさ
自分の空虚さを小説とか教養みたいに埋めてきた人もいるわけじゃん。
そういう人たちは正規することによって自分の価値を上げてたわけじゃないけど
でも何か知ることで頭が良くなって自分が肯定されていくっていうのはあるよね。
俺受験生の時そうだったよ。
勉強すればするほど自分のことを認められる気がした。
なるほどね。そういう意味でスノビズムって無限に一概に否定できるものじゃないかもしれないね。
学びは救いだからね。
でも文化詳しい映画詳しいが救いなのか、それは正規の仕方として正しいのかわからないけど。
でも自分を支える一つにはなり得るんじゃない。
やっぱり自己肯定感の時代だからね。
転勤族の経験と共同体の意義
共同体がないと自分で肯定させるしかない。
自分で自分を支えるっていう。
14歳から社会学って本で書いてたよ。
だからさっきも関東高生の人と喋ってたんだよ。
そしたら最近抜刀入ったみたいな。
嫌味気きたみたいな。
どうやって自己肯定感を上げるかってことを考えていかないといけないと思うんだけど
自己肯定感の時代じゃん。
話を重複するけどさ、
共同体ってものが消滅してるから
共通前提がない現代ってさ
自分で自分を支えるしかないからこそそういう話になってくるわけじゃん。
ということで今日は何?
この話のままいくんじゃないの?
この話のままいくよ。
最初出したテーマなんだっけ?
地元があるのが幸せなのか?
あーなるほどね。
そういう流れでもいけるんじゃない?
今日の話は地元があるのが幸せなのかってことなんだけど
ごめん、言い直しちゃったけど。
言い直すけね。
言い直すけなんだけど。
ちょっと面白い。
桜田文貴のポッドキャストね。
桜田文貴のポッドキャストね。
やりすぎた。
桜田文貴スタジオから。
私大学の授業を取ってるわけなんですけど
結構文学、今は戦中戦後文学から考えるみたいな授業を取ってるんですけど
そこでやっぱり
当時の近代あるいは戦後くらいの時代に
引っ越しが多いとか
地元がないあるいは家庭がないっていう人にとって
すごく不幸なことで文学がスタートしてるみたいな話から始まって
今先生が言ってたのは
転勤族の幸福度っていうのも曖昧だけどみたいな感じで言ってたけど
転勤族はすごく共同体がない分苦しい思いをするっていうのは
それ自体確かだと思うんだよね。
でも地元がある方が幸せなのか
今この時代によって地元って何なんだろうっていうのを
今日考えたいんですけど
皆さん地元ありますか?
地元の友人と共同体の感覚
多分全員あるんじゃない?
俺はそうだね。ずっと同じ町で生まれ育ってきたの。東京の郊外だね。
俺もずっと同じ町で生まれ育ってんだけど
地元の共同体に属してるかというと属してないね。
地元に帰ることでわかりやすく言ったらみんな顔見してるみたいな
そういう意味で地元よ。
そういう意味で地元。なくはないけど結構薄いと思う。
なくはないぐらい?
なくはないぐらい。
地元の友達とかいる?
いるね。全然。
でも方向も半分地元だよね。
そう。
地元の私立ぐらいだよね。
そうだね。
なるほどね。
だからある意味でずっと地元であるわけだけど
松崎とかさ、結構移動してるじゃん。地元から東京って。どう?
僕は地元ないかな。
中一でビット行って。
中一で茨城に行ってきましたから。
そっから茨城で、一応今もう一回地元住んでるけど
まじで町とかは見知ってるけどさ
友達連絡取ろうと思えば取れる人は何人かいるけどさ
仲いい奴もいるけどさ
あくまで点と点でしかないから
そこが線になってなんか
共同体があるって感じじゃないよ。
自分が何かに属してるっていうより
自分ともう一人共同体があるかないかわからないけど
点がいて
点がいてそこに線があるって感じでこう
って感じだよね。
そうだね。そういう感じだな。
でも松崎はさ、中一の時にはしょうがないけどさ
松戸のまんまだったらさ
やっぱり共同体に属してた?
属してないと思う。
うちは両親とも別に松戸生まれじゃないし
本当によくある現代の各家族だから。
でもやっぱ18まで高校、公立だったらさ
ある程度地元の知り合いがいてさ
それはあったと思う。
みたいになるでしょ。
大学はそれぞれ違うところで
高校まででだいたい誰が誰で
今何してるか知ってて
成人式行ってみたいな。
になってたかも。
なってたかも。
その中でも俺は別に
うちの親が、うちがさ
母親の方が働きに出てる家だったからさ。
俺若い頃さ、若い頃。
俺幼い頃。
幼き頃。幼少期はさ
父親が家に出てきる仕事をしてたから
だからそういう意味で
ママとモトがなかったんだよ。ほぼ。
だからママとモトがほとんどいなかったから
俺の頃はそういうガッツリ
小学生、幼馴染ずっといるみたいな感じではなかったから
共同体ってそこまでやな。
でも普通に地元に友達いたら
もうそれは結構共同体に属してるやん。
まあそうだね。
18歳くらい。
まあそうね、確かに。
最悪さ、東京でさ
暮らすのはやめて
松戸の中で仕事して
友達と飲んで
お互いの家庭環境があって
家族築いてみたいな生活が
できたかもしれないね。
できた方向に行ってたかもしれないね。
確かにそういう可能性は全然あったと思う。
でもそういう意味ではないね。
そういうのが
水戸を引っ越したことで
ちょっと荒れてるようになった。
そう。あっち行っても
あっちであっちで
もう出来上がってる方が入るからさ。
あくまでも新規参入のままで終わるからさ。
うちの方が強そうだしな。
水戸の方がやっぱり地元感あった?
みんなのとこ?
そうだね。やっぱり共同体
やっぱり地方の方がやっぱり強いよね。
普通に住んでる人はね
親が東京で働いてる場合が多いし
そうそうそうそう。
そうだね。
そういう感じだね。
地元の共同体と都会の価値観
フジョロ君はどう?
俺は多分お前らに比べて本当にない。
俺12歳の時に東京出てて
住んでる家はずっと変わってない。
17歳の時に今の家に
隣町に引っ越してるんだけど
でもそれも全く生活に変化ない。ただ。
マジで12歳の頃から
これから別途単続だよ。本当に。
12歳の時に進学して
その時に縁全部ぶった切ってるわけ。
その時スマホも連絡先もみんな知らないし
中1の頃はね、何回かね
小学校の友達会ったかもしれないけど
やっぱり話合わないんだよね。
会わなくなってくるもんね。
でもなんか
話合わなくてもいいじゃんってなるよ。
地元の友達は。
いやでもやっぱ中1ぐらいの時はさ
こっちがさ、違法人になってるわけ。
もう異種な東京行って
で、もう違う世界で見てるわけ。
地元とは。
それなるともう全然違うよ。価値観が。
でやっぱそのさ
地元で会った時も
バッタリ会ったりとか
数人ぐらいで会ったりとかした時も
確かやっぱ向こうは向こうの中学校とかのさ
うちは先生の話とかさ
部活の話はしてるけど
全然違うわけ。私立と携帯が。
俺の中高がちょっと特殊だったっていうのもあるかもしれないけど
やっぱりなんか違ったなって思う。
うーん、なるほどね。
で、12歳から東京で生活してて
その東京の中高に私立6年通ったけど
そこの共同体はあるけど
でも地元って共同体じゃないから
場所に出だしてるわけじゃない?
そう、東京の中心にみんな1時間ぐらい
30分から1時間ぐらいかけて
登校していかんじゃったから
地元の友達っていうのはない?
その話聞くと
そんな俺も地元があるわけではないな
同じような境遇ではあるから
東京の郊外からある程度都心の学校に行くっていう
でもお前附属校じゃん
まあそうだね
中高でちょっと地続きな感じするの?
中高、大学、地続きな感じは
ベッドタウンにおける幸福感
多少はみんなよりあると思うよ
松崎とかと比べて全然あると思う
まず知り合いに会え
入る前から知り合いがいるとか
そういう話になるけど
松崎だって上京しなくたっていい方向性だったわけでしょ?
そこでね
そんなことはなかった?
水戸で暮らし続ける方向はなかった?
なかったね
うちの親がなんだかんだ
ずっと東京で働いてた人が
東京に出るもんだみたいな感じだった
大学は東京で考えてた?前提として
前提として最初からね
多分それこそ
松戸に住み続けてても
県内より東京行けみたいな感じだった
千葉県内の大学
うちの親は普通に若い時は
都心に住んでおいた方がいいみたいな
価値観だった
うちも同じような価値観だから
あえて地元の近くよりも
東京
山本線寄りの学校に行ったね
もっと刺激がある場所に行っておいた方がいい
それうちの親父が茨城で生まれて横浜に
その上京じゃないけど
出て行った人間だから
そういうものなんだろうけど
自分の経験として
なんか俺ってさ
うっすら場所言うけどさ
東京の郊外なわけよ
今の話聞いて思ったけど
すごい微妙な場所なんだよ
何もない場所なんだよ
だからその
地元的な連帯的意識は強いわけでもないし
かといって都会というわけでもない
ベッドタウンだよね本当に
みたいなところにうち
もう4代くらい住んでるんだよ
だから結構特殊だなと思う
そういう意味では
まあでもね
なんか
でも姉さんの家の周りってあれじゃない
それこそ
再開発された町だからね
昔からあった町ではないじゃん
そうだね
だからもう開発された時から
ずっと住んでるって感じだよ
でもやっぱ多分
俺千葉県の市川市で住んでますけど
多分市川市から地元の共同点
絶対ある気がするんだよ
いやあると思うよ
でもそれは多分
ベッドタウンの中の田舎みたいなもんで
多分市川市内で
全て完結できる人はいるんだよ
いる
だからそういう
うん
でもベッドタウンと認識してる人
ベッドタウンに住む人たちとは
生活圏とか微妙にでも
異なってくると思うよ単純に
問題なのは
そういう人たちの幸福感っていうのは
何なんだろうってことよ
あるいは
ない俺とかは
幸福じゃないのかっていう
共同体っていうものはさ
どう機能してるんだろうってことは
幸福かどうかは分かんないけどね実際
ただでもやっぱ
比べようがないよね
なんていうの
ある程度やっぱ
保証されてる感はあるよね
いや安心感
東京と地元の安心感
特にね茨城とかだとやっぱ思うよね
もうさみんなだいたい
俺のいとこの茨城だったけどさ
結構みんなある程度
レールが決まってるって言い方するとあれだけど
割とこう
こういう風になるもんだみたいなのが
ある程度はっきりしてる
共同体それこそさ
家に入れみたいなのって
昔の共同体のルールになるわけじゃん
役割分担がされてるからさ
共同体が
だからある意味さ
自分が
こうなりたいよりも
なるんだみたいなのがさ
割と
決まりきってるところがあるから
そういう意味じゃなんか
なんていうの
あれだよね
グローバリゼーション的なところとも言える
競争社会的なさ
新資本主義だって
的な
感じの流れとは
影響が少ないと思うね
だって昔ってあれじゃない
なんとか町って言うじゃん
城下町とかさ
住む
仕事によって場所が間違ってるじゃん
ああいう感じが残ってるっていうかさ
あとね
茨城の日立でいたんだっけ
おじいちゃんとか住んで
日立って日立製作所あるからさ
なるほどね
製作所の城下町だから
それこそ工場城下町だからさ
割とみんな工場
町工場入るとかさ
それ工場の町とかそうだよね
トヨタとかさ
そういうとこだよね
そういう意味で共同体が
そういう地元産業とかと結びついたりすると
一種
抜け出せないっていう面もあるけど
自分の将来みたいな
保証されてる感はちょっと強いんじゃない
うーん
ベッドタウンなんか
一番感じるじゃん
サバイブ感って
感じるね
なるほどね
東京で
東京に12歳の時に出て感じたのは
東京都内で生まれ育った子と
価値観が違うんだよね
はいはい
そう
なんかね
やっぱ東京都内で生まれ育った子は
わりと比較的家も裕福で
その俺の高校は港区だったんだけど
港区から徒歩で通う子とかもいるんだけど
徒歩とかチャリとかで
バスとか
で通う子とかと価値観は全然違う
そういう子たちは
今でも地元の繋がりがあったりするし
全然違うね
地元捨てて
俺は12歳から
それこそ地元の共同体の中で生きていくっていう
方向性があったわけよ
地元の公立中学行って
公立高校行って
でそこら辺の大学行って
で生きていくっていう感覚があったんだけど
そういうのを
切り捨てるかどうかで
小学生の時すごい悩んだ記憶があるなと
で最終的に
いやでもやっぱ受験しようと思って
受験したわけなんですけど
やっぱそこで12歳で地元捨てて
東京で何か居場所を見つけに行く感覚ってのがあったよ
そういう意味で多分
中学の時のハングリー精神みたいなのが
他より強かったんじゃないかな
他より何とか居場所を見つけたいっていう
深地優勝期的には
でもその感覚わかるわ
でもねやっぱりね
話聞くと自分の立ちは微妙なんだよねやっぱり
市川に比べると
俺の親父ってさ
本当に東京都
多摩地区から出たことない人なんだよ
45歳になって初めて名古屋行ったんだけど
なんかそれ見てると思うのは
なんかねすごい境目なのよ
だから
なんだろう
どっちの良いところもあるし
どっちも悪いところがあるのよ
なんていうかな
共同体的な意識も
ある程度あるのよ
どういうものをイメージしてるのかわからないけど
PTAとかそういう話よ
運動会とか
そういうのもある程度あるんだけど
なんかベッドタウンの特徴って
そっから育っていっちゃうのよ基本的に
20歳ぐらいで
で帰ってくるの60歳ぐらいになってからなんだよ
っていうのがあって
なんかそういう意味では
なんかいいとこどりでもあるんだけど
なあと思ったわ
そういう中で
俺もだから結局
玉地区が好きだし
そこに帰ってくる気はするっていう
なんかそういう意味で安心感があるから
ある意味いい場所だわと思った
そりゃ人集まるわと思って
藤原ある?地元帰ってきた感
でもね
江戸川挟んで東京出てるわけで
江戸川ってものすごく自分の中のテーマとしてあるんだよ
やっぱり東京っていう社会に対する
異物感というか
違法人感っていうのはずっとあるから
江戸川通ると帰ってきた感はあるけど
でやっぱ温度オフが切り替わるっていうか
東京に出て何か活動してるってイメージはあるから
もとやったら帰って
もとやったら出ちゃった
もとやったら帰って
まあだいぶ
わあって思うけど
だからといって
地元帰ってきたみたいなアンソークはないと思うよ
それは例えばさ
俺の親父広島人間だけど
広島の空気だとか言うわけ
飛行機乗って向こう行ったら
で向こうで方言使って帰ってきて
わあ東京だって言ってんだけど
そう言えるほどではないけど
まあでも多少あるのかな
いや俺は一回ばらき行ってね
たまにばらき帰ると気づくけどね
共同体がないとね
帰ってもね感じるんでね
見慣れてる感が安心感で
それに近いの?
見慣れてるから
見慣れててよく知ってるから
怖いものがないっていうか
慣れてる安心感
知ってるからこそ怖くないだけであって
地元の感じる安心感ではないんだって
最近マットでも思う
知らない街歩いてて
知ってる通りに出た瞬間の
安心感みたいな話だよな
それと一緒でしかなくて
地元的な人の繋がりとか
そういう精神的な意味での
安心感ではないんだよね
ないね
認識的な意味もっと
それこそお前が一人暮らししてるから
もっとあれだもんね
俺家族と暮らしてるから
もう地元帰ると
家族いるっていう感覚はあるけど
家族って最小単位のね
共同体
家族がいるって感覚はあるかな
共同体のなさ
俺この前小学校の同期生だってさ
喋ってさ
真っ直ぐで喋ってたんだけどさ
いや親だけがいないなと思ってた
地元で昔知ってる奴と喋ってるけど
親だけがいないなと思って
そこに親言うとやっぱちょっと違う
親がいないんだけど一気に別に
そこが精神的な意味の地元
柿格子好きのみたいな感はないなと思って
だって地元で友達と喋って
帰るの一人暮らしの家だもん
一緒に喋って
よく昔父親とか母親とか行ってた
スーパーの脇徳通っても
親だけがいないなってめっちゃ思うんだよね
そうだね
そういう意味で共同体っていうのはないね
ずっと家族と暮らし続けると
松崎の人いるらしいし
俺も絶対家は出てくると思うし
もっと単純に地元の松山に酔われてないもんね
酔われてない?
例えば四姉妹とか
太鼓叩いて踊るやつとかさ
そういうのあるじゃんどこの町にも
そういうのに自然に担い手になっていくみたいな
広い意味で言うと
担い手ってことだね
すごい中核入ってる
そういう例えがある
あとは青年団みたいなやつ
消防団とか自治会とか
そういう感じが無縁だよね
それはないね確かに
俺の一番思うのは
共同体館ってそういう感じ
俺も中1の時に
地元の祭りってもう来ないなって思った
逆に小学校の友達に会うのが嫌だった
なるほどね
俺がかき氷食いてえなぐらいやるって言ったんだけど
そしたら地元の友達とかがいて
見て会うのがあるやつ
でももう友達じゃないから
そうだね
それで会うのも嫌でもう行ってないんだよそっから
俺地元の祭り行ったぜ
行って
でもなんかね
俺結構中3ぐらいで行ったからさ
ブランクがくじ割れより多分薄いんだよ
だから何回も行って
結局な地元あることによって
そういう意味で何だろう
救われてるとかあるからな
あとやっぱり俺もさ
俺は言ったもんだ
地元ないっていうのとプラスして
また中高の私立
東京の新学校に中高入って
っていう孤独感も地元の中ではあったね
それはすげえあった
地元の中でずば抜けて頭が良かったし
ってなるとどんどん孤独になっていくんだよ
受験戦争って
あれはあったの
それで確かにさ
予備校の先生がさ
浪人の時に上京してる人が多いんだよね
世代として
だから大学受かっての上京じゃなくて
浪人で東京の予備校入ってっていう先生だったんだけど
その時に地元帰ると
自分の言ってることなんか何も分かんないような人が
祭りを作ったりすることを祭りに行ってたよね
しててどっちがまともなのか分かんないみたいな話をしたの
どっちが人間として正しいのか全く分からないように思う
向こうの方が幸せなように見えるし
実際向こうは自分のことを幸せだと言ってるし
向こうの方が人として正しいことをやってるように感じるみたいなことを
多分今は思い出した
なんかスノービズムの話じゃないけど
一瞬の隣を縛っていくこともある
それ逆転するとスノービズム
逆スノービズムみたいになるんじゃないの
スノービズムとかあるよ
しかしとかにあるよ
でもそういう感覚はあるよな普通に
自分が持ってないものに対するなんかあるよな
あるある
でももっと言うとさ
そういう自権戦争からも外れてさ
経済期だから俺は
もうどことも愛でない感はある
中高の共同体だとそのまま
俺の高校とか東大とか
総計とか行くのが多いけど
そこからも外れて経済期だから
もうどことも愛でない感はあるよ
断絶があるね
どことも断絶してる感じがある
あれもあるなって思うけど
大学入っててっていうかさ
思春期越えるとさ人間ともが固まってくるじゃん
人識とかが芽生えてるようになるとさ
単純に人と初めて会った人とさ
喋るのがどんどん難しくなってくるじゃん
分かる?
自分を開くみたいなのが難しくなってくるじゃん
自己開示どんだけするのかって
自分を開く開き方分かってくるよね
大人になると
全部うまく場を収めることばっかり意識しちゃうね
やっぱさ
それで辛労がたまってくるじゃない
たまってくる
久しぶりにさ
小学生の時から一緒だった女子と喋ったけどさ
あったんだけどさ
マジで普通に喋れたんだよ
やっぱさ
自分って人間が出来上がる前にさ
知り合ってる人と喋るとさ
やっぱなんだかんだ前提とかさ
あるしさ
そういう
なんかハードルが低いよね
いろんな意味で
コミュニケーションのハードルが低いんだってことをね
感じてね
だって俺大学の女子にあんなこと言えないなって
言うようなこと言ってたのよ
普通に軽口とか叩きながら喋ってたのよさ
それってやっぱ自分が小学生の時から知っててさ
自分というものが出来上がる
形成される以前の
もっと
普通にその頃じゃん
小学生の頃って
マジでたぶん適当に喋ってたじゃん
お互い適当に喋りながら受け入れられてたじゃん
ああいう感覚を久しぶりに思えるし
だから人って地元に残るのかもなとかね
中高の友達だもんね
中高の友達だけど
今生活全く一緒じゃないし
考えてることも普段してることも違うのに
大学の友達だからよほど普通に喋れるから
最近の話して冗談言って昔話して
酒飲んでるくらいなのに
普通に喋れるじゃん
そこにたぶんそれこそ
自治会的ないろんな共同性が乗ってくるとさ
ガチ地元になるんだろうな
普通に喋れてるのに
地元との関係
何も一緒の文脈がないみたいな感じじゃない
地元もそうなんですよみんな割と
そういうのもっと強いのよ
多くて
もっと生活に満ちてて
満ち溢れてて
やっぱその書材の無さみたいなのがさ
この話が始まり的にはさ
文学人とかのさ
のがスタートしててさ
俺も実際そういうところで文学やってるなっていう感じはするんだよね
東京に対する異物感とかさ
そういうのをよく書くし
そういうところがあるなっていう感じ
なるほどね
そういう感じだね
どうかな
そういう意味じゃあんまない?
そういう意味じゃあんまないかも
ほんとね川の話分かりやすいけど
絶対川に沿って状況してくんだよ
すっごい不明瞭だね
自分と
境がないか
正直そうそう
それ分かりやすいけどすごい
千葉のベッドタウンは切り分けられてる感あるよね
切り分けられてる感ある
あと俺ね前のね生まれた家がね
マンションだったんだけど
ベランダ開けたら
ベランダ開けたら江戸川が広がってて
その向こうに東京が見える
なるほどなそれは
位置的には江戸川の方が小学校より近かった
江戸川と信号一本道端一本挟んだだけの家だったから
家が俺生まれたときはずっと
やっぱり境界意識してる感じする
あとねこれ千葉県民の何人かいると思うんだけどね
千葉って島なんだよね
千葉って茨城の県境
茨城とかの県境は
利根川で分かれてて
東京とか埼玉とかは江戸川で分かれてるから
川と完全に水で分かれるから
実は千葉って
陸の孤島みたいにやってる
千葉陸の孤島
そういう意識はなんだかんだあるんじゃない
気がするやっぱ
でもさベッドタウンはベッドタウンでさ
松戸流山
柏入るか分かんない
あと以外もさ
切り分けられてるのがあるじゃん
ベッドタウン
千葉市に対してもさ
千葉市は完全にもうさ
千葉の中でこう
なんか独立してる
完結してる感があるじゃん
また成立してるじゃん
もうさそっち行くと
そっち行くと全然それはそれで
なんか異物だしさ
その方面に共同体感はない
そっちもさ異物だしさ
こっち東京に対しても異物じゃん
だからベッドタウンってマジその
東京でも千葉でもないなっていうのが
俺最近めちゃめちゃ感じる
それはそこだな
地元への帰郷
羨ましい近く流した一つだと思う
そういう感覚はあるね
だって俺の地元って
都営新宿線の最終駅だからね
あー
そうだね
そう
辿り着いた先かも
そう都営新宿線の始発駅だから
そういう街って
そうだね
なんかでもそうだね
なんかだから結構
立川とかって果て感
立川って言っちゃった
立川って
羽根言っちゃってるね
果て感あるんだよね
そういう意味でやっぱりでも
だからなんだ
立川は果て感あるね
そう
栗原が眺めてた東京の対岸なのよ
江戸川の
そうだから
場所的には
八王子とかまで行き過ぎだし
そうそうここから山がなってくるわけで
吉祥寺過ぎると中央線って一気にさ
なんかそのベッドタウン入った感あるよな
だから
三鷹ら辺とか
吉祥寺とかはまだなんかその
都会の周辺地域の住宅地って感じする
国分寺までギリかな
国分寺より奥はもう
立川からね
ちょっと地方都市感が出てくる
そうだよね
街並みを見ても
そうだねやっぱ新宿まで
大体40分から50分ぐらいかかるところから
スタートするのかな
そうね
新宿まで30分とかになるとやっぱ
ちょっと都心に住んでる人ってイメージ
なるほど
立川って多分その
街の作り見ると思うんだけど
あのショッピングモールがあって
デパートがあって
どう考えても
地方都市の街の作りなんだよね
と思って
そうね
イオンモール的世界だね
そうなんだよ
確かに
なんか幸せなのかって話
なんか疑問系だっけ
うん
でもやっぱ共同体がない苦しみみたいなのは
欲しいとは思わないんだけど
居場所がなかった分
違う生き方をしてるんじゃないかな
って感覚はある
感覚はある
共同体がある苦しみもあるだろうけどね
そうだな
地元に縛られた人間みたいなのもあるわけ
だから地方から人が出てくるわけだね
血縁とか同尺的なもの
俺のさ
親父の幼馴染の娘
俺と
ごめん
遠すぎてびっくりした
俺からしたら友達なんだけど
広島の友達がいて
俺の年齢2個ぐらい上なのかな
友達が
東京に出て看護師やってるんだけど
地元帰るって言ってた
地元帰って結婚したいって
なるほどね
結婚したいんだって思って
結婚したくて
結婚すんだら地元がいい
とりあえず地元に帰りたいって
東京は旅行をして
渋谷とか回る楽しみみたいなのあるけど
もう広島帰りたいって
地元と都市の意識の違い
そうなんだって
結局さ
静岡県が親戚が集まってるんだけど
みんな旅行を延長する感覚で
東京に出て働いたりするんだよ
結局帰るからさ
ちょっと羨ましいよな
状況してる
俺は状況だけど
2人とも
状況してる人の感覚も分かんないな
そうだね
そう考えるとなんかあれだよね
西島のさ
ポリコレって聞いた話とかさ
それもっと価値観の再編成みたいな話ってさ
共同体がないからこそ生まれてるって気もするよな
そうだね
ある意味共同体で役割をすることさ
いわゆる男子の女子的なものさ
根源にあるじゃん
共同体の役割分担みたいなのが
考えると別に
いまだに共同体に属してる人はさ
別に男女ともにもしかしたら
そういう意識少ないのかもしんないよね
これもうちょっとフェミニズムの危険とか
勉強したら分かるはずだけどさ
都市生活者っていうのはデカいんだよな
そういう色んな意味で
そうだね
ある意味そのカルチャーも都市化してる
そういうね
だからそういう
実際にもっと共同体に属してる人とかにも
聞いてみたいけどね
そういうポリコレ意識の話
そうだね
言っちゃうんだけどさ
何かに対するヘイトみたいなのがさ
共同体の結束つかめたり
強めたりもするわけだからさ
いろいろそういうとこは
今多分社会問題になってんのも
どれだけ共同体がない人が
言ってんのかもしんないなって
今ふと思ったんです
東京の人が言ってることですね
地方とのさ
結局東京でまたまた東京で醸成されて
東京都入国終わってってなってる
それこそそういう中央集権的
分かりやすい問題でもあるよな
沖縄の南北問題とかで呼んだことある
沖縄の南部の人と北部の人の
南部が都市化されてて
北部が田舎だから
南部の那覇の人と北部の人で
内地と沖縄ってだけじゃなくて
そこでも考え方違いがあるみたいな
沖縄の離島でもよくあるよな
離島にも順位付けがあって
あの島には住みたくない
あの島にはさらに住みたくないみたいな
ピラミッド状になってて
でもそれをね
そういう価値観の違いみたいなのが
日本の中で一致されてないまま
話が進んじゃってんだと思う
そこがなんかこう
生活の実態との差みたいなのが
表れてるのかも
共同体の存在と意識の差
一致できないからな
物理的に
そういうことだよね
でも俺はやっぱり
共同体がない人間っていうのを
描きたいけどね
自分のスタンスとしては
そうだね
共同体
そうだね
共同体がない人間を描いてる感じがするのは
東京
共同体がない人間が東京出て
その創出に向き合ってるみたいなのが
描いてる気がするんで
そうっすかね
でもなんか
第三の新実行の小説がそもそもそういう目が
強いのかな
都市生活者が描いてるからな
そうそう
小市民
主義的なのかな
なってくるのはやっぱりそういう
共同体のさ
なったんだよね
ネバーヤングとかの人だもんね
ネバーヤング美術の
カラッとしてるって言ってたからさ
常年的なものと無縁じゃん
ああいうのが共同体がない人間はさ
あれは普通に
ネバーヤングの曲はだいたい彼女と
二人でなんかこう
些細かな幸せみたいなことを歌うじゃん
ああいうのになんかこう一瞬
ドロッとしたものを感じないのはさ
共同体がそこに抜けてるからな
もしかしてね
あれはやっぱ大きなものに対する
なんかこう
それに対する反発とまでいかないかもしれないけど
そういうのから出してる部分もあるよね
定観逃避みたいな話
うんうん
でも今なんかちょっとわかったかもしれないな
そういう一種カラッとした表現みたいなのってさ
うん
すごい非土着的だからこそ
っていうかそういう
新自由主義行の
もっと個人的な繋がりになってきたからこそ
そういうカラッとした表現が
生まれてるのかもしれないよね
なるほどな
そういう意味でアメリカ文化ってカラッとしてる意味じゃん
かもしれない
カラッとしてる部分もあるんじゃないの
その前の文化ぶり
アメリカもな
ニューヨークと他の種類全然違うからな
小説の味も
戦後派より大戦時期のほうが
そういうところがカラッとしてるっていうかさ
感じるんだよね
イギリスとかもさ
マンチェスターの場のドロッとしてるんだよ割と
マンチェスターって地元最高だから
39:00

コメント

スクロール