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ボイスドラマポール・ゴーガン
我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか。
晴れた日の午後、マリアはいつものように美術館のボランティア活動に勤めています。
そこに、tomyという男性がゴーガンの部屋にやってきました。
彼は視覚障害者で、マリアとは数年来の友人です。
マリアさん、こんにちは。今日はゴーガンの部屋にいらっしゃったんですね。
あ、マリアさん、こんにちは。この絵、ずっと気になっていてね。教科書なんかで名前は知っているんだけど、どんな絵なのかちゃんと知りたいと思って。
かしこまりました。この絵はポール・ゴーガンがタヒチで描いた大作、我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのかです。
ゴーガンが死を意識しながら人生のすべてを込めて描いたと言われています。まずは絵の全体像からお話ししますね。
ナレーターは、マリアはトミーの隣に立ち、絵の前に静かに二人で向かい合います。
この絵は横幅が374センチ、縦が139センチと、とても大きな長方形です。
キャンバスを左、収穫、右の3つの部分に分けてみるとわかりやすいかもしれません。人生を誕生、成人、死の3段階で表現しているんです。
左から右へ、まるで時間の流れのように物語が進んでいきます。色彩と風景、全体的にとてもさなやかで、でもどこか神秘的な色合いです。夕暮れ時のような深い濃い青や紫が基調になっています。
空はさなやかな黄色で、夕焼けが広がっているようにも見えます。背景にはタヒチのジャングルのように鬱蒼とした緑の木々が描かれています。その緑の中には、ところどころに赤やピンクや白の花が咲いていて、まるで宝石のようです。
登場人物の描写。まず絵の左端に、青い布を体に巻きつけた赤ちゃんが眠っています。彼は地面に横たわり、手は頭の下に。顔は安らかで、まるで新しい命の始まりを象徴しているような顔をしています。
彼の隣には、3人でひそひそと話しているような女性たちがいます。彼女たちは、薄いピンクやオレンジ色の布を身につけ、褐色の肌をしています。絵の中央には、まっすぐ立っている男性がいます。彼の視線は、鑑賞者の方を向いていて、何かを問いかけているようです。
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その横には、2人の女性が、果物を摘んでいるように見えます。彼女たちは、それぞれ白や青色の布をまとっています。少し離れた場所には、座って考え事をしているような女性がいます。彼女は、膝を抱えて遠くを見つめていて、何かを深く考えているようです。
そして、絵の右端。ここが、人生の終わりを表している部分です。地面に座り込んで、膝を抱え、うつむいている女性がいます。その隣には、白髪の老女が座っていて、顔を両手で覆って、まるで死を悲しんでいるようです。彼女の表情は、とても悲しげで、苦しみに耐えているように見えます。
彼女の足元には、鳥が白い羽を散らしています。これは、魂が体を離れていく様子を表しているのかもしれません。
マリアさんの説明を聞きながら、トミーは静かに頷いています。彼は、マリアさんの言葉を頭の中で映像化しようとしているかのようです。
だろうろう。左から右へと、人生の道のりを描いているんですね。一人一人の表情や仕草が、それぞれの段階での感情を物語っているようだ。
そうなんです。彼らの肌は、モナタヒチの人々のように褐色です。髪は黒く、無想像に結んでいたり、溶けていたりしています。洋服は、ほとんどが薄い布の一枚で、現地の生活をそのまま描いているようです。
ゴーガンは、彼らの目に、タヒチの空や海のような深い青や黒の色をのせています。彼らの視線は、遠い未来や過去を見つめているようにも見えます。
ありがとう、マリアさん。あなたの言葉で、絵が目の前に現れたようです。この絵が、なぜゴーガンにとって最後の傑作と言われるのか、少しわかった気がします。
どういたしまして、この絵は、見る人それぞれの人生観を問いかけるような、そんな不思議な力を持っています。もしまた気になった絵があったら、いつでも声をかけてくださいね。
マリアとトミーは、再び静かに絵の前に立ちます。言葉を超えた、二人の間の深い信頼と、ゴーガンの作品が持つ普遍的な問いが、その空間を優しく満たしていました。
ご視聴ありがとうございました。