鈴木友和の、One Time Talk!
どうもー、鈴木友和でーす。今回も聞いていただいてありがとうございます。 One Time Talkシーズン2の第14回目でございます。
いつも聞いていただいて本当にありがとうございます。今回初めて聞いてくださった方もありがとうございます。
横浜から発信しているシンガーソングライター、鈴木友和のちょっとした小話をしている番組でございます。
曲の紹介をしたり、活動の紹介をしたりしているのですが、テーマに沿ったお話を行っておりまして、
心温まるような、そんなお話ができればと思っておりまして、ライブのMCのような感じですね。
寝る前に聞いていただけたら嬉しいような、ゆるくですね、お話をゆるく、ゆるく、それでも熱くですね、お話をしていきたいと思いますので、
ぜひ最後までお付き合いいただけたら嬉しいなと、こんな風に思っておりますので、よろしくお願い致します。
今回のテーマはですね、「それでも少しだけ動いてみる理由」といったようなことを、
それでも、それでもですよ、その前に何かかかってるんですよ、それでも。
何かあったんだけど、それでも少しだけ動いてみる理由というようなお話をしたいと思うのですが、その前にちょっとして、雑談と言いますか、その前にちょっとしたお話をしたいと思うのですけど、
先日ですね、知り合いとの海底寿司を食べてきたんですね。海底寿司、便利ですよね。
子供の頃って、寿司屋さんってハードルが高かったような気がするんですよ。寿司屋さんってハードル高かったっていうか、子供の頃がハードル高いというか、行けないですけどね、行ってないんですけど、
父親が酔っ払って爪痩せでもらってくる、昔の漫画の頭で蜂巻き巻いて、お寿司の爪痩せみたいなの持って歩いてるのありましたでしょう、藤代先生の欲漫画とかで。
うちの父親も割とそういう、マジで素で言ってたみたいなところがあるんですけど、お土産ですね。寿司を爪痩せで買ってきたやつを食べるっていうかね、なかなか寿司っていうのがそんなに身近じゃなかった気がするんですけど、
回転寿司っていうのができた頃から寿司が身近になったなっていうのを感じたんですよね。これで調べてみたいんですよ、回転寿司の歴史っていうか。そしたら結構面白くて、回転寿司の幕開けは結構古かったんですよね。
最近かなと思ったんですけど、その歴史の幕開きは一人の経営者の熱い思いとある悩みからでした。その人物の名前は白石義明氏。彼こそが後の回転寿司の創業者であり、日本の食文化に革命を起こした人物ですということでございます。
立ち食い寿司屋の悩みから生まれた逆転の発想ということでございますが、白石氏が戦後の1947年に大阪で開業した寿司店ですね。原六寿司っていうの。安くて美味しいと評判の立ち食い寿司店でした。立ち食い寿司屋だったんですね。店は連日大繁盛していましたが、その人気上に彼は深刻な問題に頭を悩ませることになります。
それは慢性的な人手不足と人件費の高騰ですね。当時の寿司屋は一人前の寿司職人を育てるように長い年月がかかり、その確保は非常に困難でした。お客様が増えれば増えるほど、職人の負担は増し、サービスの質を維持することも難しくなります。
もっと少ない人数で、もっと効率的にお客様にお寿司を提供できないものか、この切実な課題を解決したいという思いが、後に世界を驚かせる発明の原点となったのです。
ヒントはビール工場のベルトコンベアで、経営課題の解決策を模索していた白石氏ですが、ある日朝日ビールの工場を見学する機会を得ます。
そこで彼の目に飛び込んできたのが、ビール瓶がベルトコンベアに乗って次々と流れてくる光景でした。
その瞬間、白石氏の頭に電流が走ります。
これだ!このコンベアに寿司を乗せて、お客様の目の前を回せばいいんだ!
このひらめきはまさに逆転の発想でした。
お客様が自分で寿司を取る仕組みにすれば、注文を取ったり、お寿司を運んだりする手間が一気に省けます。
職人はカウンターの内側でひたすら寿司を握ることに集中でき、お客様は待つことなく好きなネタを好きなだけ食べられる。
この画期的なアイディアが回転寿司の原型となったのです。
素晴らしいですね。確かにもうウィンウィンな感じの素晴らしい発想ですよね。
この発想が日本の食文化の一つを、風穴を開けたと言っても過言ではないような気がするんですよね。
そこからは高層10年ということらしいので、なかなかすぐは出来上がらなかったらしいです。
ベルトコンベアの調整が非常に大変だったらしくて、すぐには出来なかったそうなんですけど、
そこで1958年ですね。そこから約10年後に高層から約10年の歳月を経て、
大阪市、現在の東大阪市のところに世界初となる回転寿司、まわるげんろく寿司1号店をオープンさせました。
1958年、昭和33年なのでだいぶ古いですよね。
まだそんなに一般的には浸透している感じじゃなかったんだと思うんですけど、
この1軒の寿司店の誕生が、高級なイメージだった寿司を誰もが気軽に楽しめる大衆食へ変える大きな一歩となったのです。
そこで一般的に広がる大ブレイクをするのが1970年に開催された万博ですね。
大阪万博で大ブレイク、世界中にその名を轟かすようになったということでございます。
ただそれをまだ回転寿司っていうところのパイオニアというところで有名にはなったんですけど、
そんなに一般には降りてきてなかったということはそうなんですけど、
ここで一般のところに降りてくるのが1978年にコンベアの回転式食事台という特許権があったんですけど、
その特許権が1978年に万両を迎えて終了すると。
いわば独占状態が終わったことでこのビジネスモデルに可能性を見出した多くの企業が石を切ったように回転寿司業界へと参入してきましたということなので、
この78年の特許権の万両後にいわゆる資本が、企業がこぞって入ってきて競争になっていって、
競争になっていくということは価格もどんどん競争になっていって、どんどん安くなっていったりサービス合戦になっていったりしていたそうなんです。
それで現在に至るというところらしいんですけど、
私は1977年生まれてございますので、
いわゆる私が子供の頃に近所にも回転寿司屋があったんですよ、スーパー。
スーパーの一角に回転寿司屋があって、お皿の色とかで料金が違うんですよ。
お皿の色で母親に連れて行ってもらって、子供の頃なんであんまりわかんないですよネタって。
だからきゅうり巻いたやつ、カッパ?カッパだとか卵とかそんなの食ってたんですけど、
今これ食べなさいって渡されてた気がするんですけど、
今考えるとあれそれって?って感じだったんですけど、
その頃はそういうのが好きでパクパク食べてたんですけど、
面白いなと思って目の前を回ってるわけですよ。
皿の上に乗った寿司たちが回ってて、
絵的にもなんか面白いしっていう感じになって。
そこから発生していって今はタッチパネルで注文して、
回転してるものをあんま取らなくなってるんですよね。
だから元々のニーズとしてはやっぱり出来立てを食べたいとかね、
回転で回ってるのってカピカピになっちゃったりとかっていういろんな問題があったり、
衛生的な問題とかあったりとかしてやっぱり時代とともに変わってるんですけど、
ただその手軽に安く美味しく寿司を食べたいなっていうところの根本みたいなのは変わんないというか、
ニーズに沿ってだからこんなに人気なんだろうなっていうのもありまして、
回転寿司って面白いなと思って、
そして白石寺の発想を転換によって、
食文化の一個に風穴が開くような発想ができるってすごいですよね。
そういうのも素敵だなってロマンがあるなと思ったりして、
ただその発想が10年かかってるってことは、
その間にたくさんの屈折はあると思うんですけど、
それでも諦めずに挑戦し続けてたので、
完成に至ったっていうことなのでね、
途中で諦めてたら回転寿司がなかったかもしれないっていうようなことを考えるとですね、
なんか素晴らしいなっていうようなのを思いながら、
思いながらって思いながら食べたわけじゃないですけど、
後から調べてみたら回転寿司ってそんな歴史があったんだと思って、
面白いなと思ってですね、そんな話でございました。