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2025-09-13 20:21

気候変動適応の世界線 : Episode 1〈東京マンゴーカーニバル / 東京氷晶夜〉

「ながらで聴く未来ものがたり」約20分

まだ起きていない未来に触れる。近未来ショートショートから未来の可能性を探るプロトキャスティング。日常に未来を。

 

今週は"気候変動適応の世界線"をテーマに6つの考察をお届けします。

#毎日未来創造 

 

下記noteのSFショートショートを元にNotebookLMで音声化しています。

note URL:

https://note.com/daisaw33/n/ncfcc4649b44d

サマリー

このエピソードでは、2065年の東京を舞台にした未来の物語「東京マンゴーカーニバル」と、摂氏マイナス20度の氷に覆われた東京の物語「東京氷晶夜」が取り上げられています。特に「東京マンゴーカーニバル」では、過酷な環境下での独自の文化と人間の創造性が強調されています。一方、「東京氷晶夜」では失われた過去との向き合い方が探求されています。また、二つの文化を通じて、人間の創造性と価値観の変化が示されています。物語は、極限状況でも人間が豊かさを見出し、新たな文化を生み出す様子を描いています。

東京マンゴーカーニバル
ブク美
はい、毎日未来創造。本日もまだ見ぬ未来のプロトキャスト、その可能性を探っていきましょう。
今週のテーマは、気候変動適応の世界線です。
ノト丸
そうですね、これらの物語って単なるフィクションというだけじゃなくて、極端な環境の変化が私たちの暮らしとか価値観、さらには文化そのものをどう変え得るのかっていうのを、想像力豊かに示してくれてるんですよね。
ブク美
気候変動という大きな課題に対して、私たちがどう適応していけるのか、そのヒントが隠されているように思いますね。
ノト丸
本当にそうですよね。聞いているあなたも、もし自分の住む街が、例えば摂氏50度になっちゃったらとか、あるいは氷点下20度の氷の下に沈んだら、なんてちょっと極端な想像を巡らせながら聞いてもらうと、何か面白い発見があるかもしれません。
ではまず、"灼熱の世界"からいきましょうか。
一つ目の物語、〈東京マンゴーカーニバル〉ですね。設定が西暦2075年の東京。夏は昼間の気温が50度を超えるのが当たり前と。
ブク美
50度ですか。
ノト丸
想像するだけで汗が吹き出そうですよね。
ブク美
いや、日中はとっても外には居られない感じでしょうね。
ノト丸
まさに、おっしゃる通りで、昼間はもうゴーストタウン状態。人々は地下施設とか、完全に空調管理された建物で過ごして、夜になると活動を始めるっていう、まあ夜行性のライフスタイルが定着してるんです。
で、主人公はケンジっていう若い技師なんですね。この都市の生命線ともいえる巨大な冷却システム、これを維持管理する仕事に就いてるんです。
ブク美
はあ、インフラの。
ノト丸
そうです。他の人が活動しない灼熱の昼間に、たった一人で結構危険なメンテナンス作業をこなしてると。
ブク美
なるほど。都市機能の維持には不可欠だけれども、ある意味孤独な役割ですね。
ノト丸
ええ、そうなんです。でも人々はこの厳しい暑さをただ耐えしのんでるだけじゃないんですよ。むしろこの状況を逆手に取ったすごくユニークな文化が生まれてるんです。
それが物語のタイトルにもなっている"東京マンゴーカーニバル"。
ブク美
マンゴーカーニバル?
ノト丸
ええ、熱帯化した東京でもう豊富に獲れるようになったマンゴー。これを主役に据えた真夏の夜の盛大なお祭りなんです。
物語の中では音楽とかエキゾチックな果物の匂い、人々の熱気なんかが渦巻く様子がすごく生き生きと描かれてるんですよね。
ブク美
へえ、暑さをいわば祝祭に変えてしまうという。それは面白い発想ですね。
ノト丸
ただちょっと皮肉なことに、主人公のケンジはこの祭りを裏で支える超重要人物でありながら、勤務規定によって祭りに参加することが許されないんです。
ブク美
ああ、そうなんですか。
ノト丸
人々が熱狂している様子を遠くから見守ることしかできない。その影の存在としての彼の孤独感というのが物語の切ない部分でもあるんですよね。
ブク美
そのケンジがでもクライマックスで大きな役割を果たすと?
ノト丸
そうなんですよ。祭りのハイライトというのがあって、夜明けにみんなで味わう"キンキンに冷えた朝マンゴー"なんですけど。
ブク美
朝マンゴー?
ノト丸
ええ、そのための冷却装置がなんと本番直前に故障したんですよ。
ブク美
うわあ、それは大変だ。
ノト丸
ケンジは規則を破ることを覚悟の上で現場に急行して、文字通り夜明けギリギリで修理を成功させるんです。
ブク美
まさにヒーローじゃないですか。でも表だっては称賛されない?
ノト丸
そうなんです。人々が最高の朝マンゴーにわー‼︎って歓喜する瞬間をケンジは物影から静かに見守るだけ。
でもそこには確かな誇りがあって、そして後日祭りの実行委員長から「影の祭人さん、最高の朝をありがとう」という匿名のメッセージが届く。
これがまたジーンとくるんですよね。
ブク美
なるほど。この物語とその作者の後書き的考察からは、未来の価値観についていくつか非常に示唆に富んだ視点が見えてきますね。
まず一つ目はこれは強烈ですけど、"ネガティブの祝祭化"という考え方。
ノト丸
ネガティブを祝祭化ですか?それはどういう?
ブク美
摂氏五十度なんて普通に考えたらもう災害レベルの困難じゃないですか。
でも人々はそれをただ嘆くんじゃなくて、マンゴーっていうシンボルを使ってカーニバル、つまり祝祭っていうポジティブな文化体験へと昇華させてるわけです。
これって解決が難しい問題に直面した時にそれをなくそうとするんじゃなくて、付き合い方をデザインし直すことで乗り越えようとする。
人間のなんていうか驚くべき創造性、あるいはレジリエンスの現れと言えるかもしれないですね。
困難をエネルギー源に変えてしまう力とでも言いましょうか。
ノト丸
うわー、それは面白い視点ですね。困難を嘆く代わりにそれをお祭りにしちゃうと。
あの、あなたの身の回りにも味方を変えれば祝祭化できるような厄介事ってもしかしたらあるかもしれませんよね。
ブク美
そうかもしれませんね。で、二つ目のポイントは"インフラへの感謝"と"裏方ヒーロー像の浮上"です。
ケンジのような社会基盤を支える目立たない仕事、これがこの未来の世界では非常に重要視されて尊敬の対象になっている。
ふむふむ。
現代社会では電気とか水道、通信といったインフラってもう当たり前すぎて、その維持に関わる人々の労働に思いを馳せることって少ないかもしれないですけど、
でも極端な環境下ではその見えない労働の価値が再認識されて、ケンジみたいな存在が新たなヒーロー像として浮かび上がってくる可能性がある、と。
ノト丸
確かに、今の私たちって蛇口をひねれば水が出る、スイッチを押せば電気がつくって当たり前だと思ってますけど、
その裏にある膨大なシステムとか人々の努力とかって忘れがちですもんね。
ケンジのような陰の祭り人が尊敬される社会、なんか今よりもっと地に足のついた価値観なのかもしれないですね。
ブク美
そして3つ目、"感覚的贅沢の最定義"。
この物語における最高の贅沢って高級品を所有することじゃないんですよ。
完璧に冷えたマンゴーを夜明けの特別な瞬間に味わうっていう五感を通じた体験、これこそが至高の贅沢とされてるんです。
価値の尺度が物質的なものからより感覚的なもの、瞬間的なものへと大きくシフトしてるんですね。
ノト丸
物より体験とはよく言いますけど、それがもっと先鋭化した感じですかね。
まるで最高の料理が一瞬の温度と香りで決まるみたいな。
ブク美
そうそう、そんな感じです。
この視点を広げると、例えば涼しさそのものが希少価値を持つようになって、それを取引する経済が生まれたり、
あるいは失われてしまった春の穏やかな陽気みたいな感覚をVRで光学で体験するサービスが登場したり、
なんていう新しい価値観とかビジネスの可能性も想像できるわけです。
私たちが本当に豊かだと感じるものは何なのかっていうより根源的な問いにもつながっていきますよね。
ノト丸
なるほど。最後の4つ目のポイントは何でしょう。
ブク美
"分断と共存の新しい形"とでも言いましょうか。
ブク美
昼に働くケンジと夜に活動して祭りを楽しむ人々、彼らの生活時間って完全に分断されてるわけです。
物理的に交わることはほとんどない。
でも物語の最後で影の祭り人っていう共有されたストーリーを通して、
彼らは精神的に深くつながっていくわけですね。
ノト丸
なるほど。直接会えなくても役割を認め合って共通の物語を持つことでつながれるっていうことですか。
いや、現代でもリモートワークとかで物理的なつながりが希薄になったりする中で、これは示唆的ですね。
そうなんですよ。
ブク美
働き方とかライフスタイルがますます多様化して、ある意味で分断が進むかもしれない未来において、
物理的な接触とか同時間的な共有だけがコミュニティを支えるわけじゃない。
互いの役割への経緯とか、共有される文化物語といったものが、
社会の絆としてより重要になってくる可能性を示しているのかもしれないですね。
ノト丸
いや、東京マンゴーカーニバル、灼熱の世界なのに、
なんだか人間のエネルギーを感じさせる話でしたね。
東京氷晶夜
ノト丸
でも、次は打って変わって極寒の世界だとか、
もう一つの物語、〈東京氷晶夜〉はどんな感じなんでしょう。
ブク美
へえ、こちらは全く対照的な世界観ですよ。
舞台は地表が常に摂取マイナス20度以下。
で、かつての東京が分厚い氷の下に完全に沈んでしまった未来なんです。
ノト丸
氷の下の東京、人々はどこで暮らしているんですか?
ブク美
地下深くに建設された巨大なシェルター都市、ジオフロントで生活しています。
主人公はユキという青年で、彼は氷の中に埋もれた過去の遺物を発掘する
氷中遺物サルベージャーを業としているんです。
ノト丸
サルベージャーですか。何を求めているんでしょう、その人は。
ブク美
それがですね、幼い頃にまだ地上が機能していた旧東京で失踪したお姉さんミサキさん。
彼女が大切にしていたはずのオルゴールを、彼はもう長年探し続けているんです。
過去への、姉への強い思いというのが、彼を突き動かしているんですね。
その探索の鍵になるのが、"氷晶夜"と呼ばれる年に一度だけ訪れる現象です。
月光が上空にある無数の氷の結晶に乱反射して、氷の下の廃墟都市全体が
まるでこう内側から発光するように幻想的に輝く夜のことなんです。
ノト丸
へー。
ブク美
この特別な光は、氷の透明度を一時的に高めるらしくて、
ユキにとっては、氷の深くに眠る姉の痕跡を探す、まあ唯一無二のチャンスなんですね。
ノト丸
美しくも、なんだか切ない設定ですね。
それで、彼は見つけるんですか、そのオルゴールを。
ブク美
ええ。ある氷晶夜に、彼はついに姉が住んでいたと思われる部屋を発見して、念願のオルゴールを手に入れるんです。
長年の執念が満った瞬間ですね。
おお、感動的な場面ですね。
と、思いきや。
ノト丸
そう、ここからがまた展開があるんですよ。
喜び勇んで持ち帰ったオルゴールなんですけど、残念ながらそれを完全に壊れていて音が出ないんです。
ブク美
あらら。
ノト丸
長年追い求めてきたものが、ただのガラクタに過ぎなかった。
と、ユキは深い絶望に打ちひしがれちゃうんです。
ブク美
ああ、それはつらいな。
ノト丸
でも、失意のあまり、床に落としちゃうんですよ、オルゴールを。
その衝撃で、ガラス製の天板に亀裂が入るんです。
すると、その亀裂がまるでプリズムみたいになって、窓から差し込む氷晶夜のかすかな光を受け止めて、
部屋の壁に、思いがけず美しい虹色の光の模様を映し出したんです。
ブク美
音じゃなくて、光によってですか?
ノト丸
そうなんです。
その儚くも美しい光景を目の当たりにして、ユキは悟るんですよ。
姉が本当にしたかったメッセージっていうのは、失われた過去の音色じゃなくて、
この凍てついた厳しい世界だからこそ存在する、今ここにある光そのものだったんじゃないか、と。
過去への執着から解放されて、未来へ向かって歩き出せ、という声なき励ましだと受け取る。
凍てついた彼の心も、その光によって静かに溶かされていく、そんな結末ですね。
ブク美
マンゴーカーニバルのあの喧騒とは全く違う、非常に静かで内静的な物語ですね。
喪失感の中から、予期せぬ形で希望を見出すと。
こちらの〈あとがき的考察〉では、どんな概念が提示されているんでしょうか。
ノト丸
こちらはですね、より詩的というか芸術的な概念が多い印象ですね。
まず、"記憶彫刻""メモリースカルプチャー"という考え方。
凍り付けになった旧東京そのものが、失われた時代の記憶を内包して保存している巨大な彫刻作品だ、という見立てなんです。
サルベージャーであるユキは、単なる発掘屋じゃなくて、この巨大な記憶の彫刻から断片を掘り出して、
その価値を現代に問い直すアーティストのような存在でもある、と。
ブク美
都市全体がアート作品で発掘がキュレーションのような行為になると。
面白いですね。まるで氷のタイムカプセルみたいだ。
記憶の彫刻
ノト丸
次に、"氷紋詠み"。
これは、自然が生み出す氷の紋様とか、光と氷が織りなす模様といった、一見無意味に見える現象の中に、
深い意味とか、史上あるいは物語を読み解こうとする精神性を指す言葉だそうです。
ブク美
ああ、なるほど。さっきのユキが壊れたオルゴールが偶然生み出した光の模様から、姉のメッセージを直感的に読み取ったっていう。
あれこそが、まさに彼が氷紋詠みとなった瞬間だということですね。
ノト丸
なんか、雲の形に動物を見出すような、もっと切実な感性なのかな?
ブク美
そういうことなんでしょうね。厳しい自然環境の中で、人々が微細な変化とか現象に意味を見出して、
世界と対話しようとする心の働きというか。
ノト丸
そして三つ目が、"サイレントオーケストラ"。
ブク美
静寂のオーケストラ?
ノト丸
はい。音のない静寂そのものの中に、美しさとか豊かな意味、あるいは音楽性を見出す芸術感だそうです。
ユキは最初、オルゴールの音、つまり失われた過去の響きを求めてましたよね?
ええ。
でも最終的に彼を救済したのは、音のしない光の進歩に、つまり沈黙の中に現れた美だったと。
音がないからこそ際立つ美、心に響く旋律があるという、逆説的な美学ですね。
ブク美
深いですね。失われたものへの向き合い方、そして静寂の中に新たな豊かさを見出すという価値観。
熱狂と喧騒のマンゴーカーニバルとは、文化のベクトルが全く逆方向を向いている感じがしますね。
ノト丸
本当にそうですね。灼熱と極寒、どっちも極限状態には違いないのに、そこから生まれる文化はこんなにも違うものかと。
でも共通しているのは、どんな過酷な状況かでも、人間はただ生き延びるだけじゃなくて、創造性を発揮して新しい文化とか価値観、生きる意味みたいなものを生み出そうとする、そのたくましさでしょうかね。
ブク美
正に。さんもいます。そしてこれらの物語を読んでいると、そこで描かれる不安感、例えば異常気象への直接的な恐怖とか、生活を支えるインフラへの極端な依存、あるいは過去の日常とか大切なものを失う喪失感、これらは程度の差こそあれ、私たちが今、現実世界で気候変動に対して漠然と感じている不安と、どこか通定するものがあるように感じませんか?
未来への思考
ノト丸
確かに。未来の物語として読んでいるんだけど、なんか他人事じゃないような感覚もありますよね。異常気象のニュースが増えたり、エネルギー問題が深刻になったりする中で、自分たちの未来ももしかしたらあって、考えてしまう部分はありますよね。あなたはこういう未来について具体的に考えたことはありますか?
ブク美
うーん、そうですね。これらの物語とか考察っていうのは、もちろん未来を正確に予言するものじゃないですけど、でもこれから確実に訪れるであろう様々な変化に対して、私たちがどう向き合って、どう適応していくかを考えるための非常に有効な思考ツールにはなり得ると思うんですよ。
ノト丸
思考ツールですか?
ブク美
ええ。特にあとがき的考察で提示されたような概念、ネガティブの祝祭化とか裏方ヒーロー像、感覚的贅沢、記憶彫刻、氷紋読み、サイレントオーケストラ、こういうのって私たちが未来の可能性を考える上で多様な視点を与えてくれると思うんです。
例えば、新しいサービスとか社会システムを考える際の"アイディア創発のマトリックス"の一部として使えるかもしれない。それこそ、最近だと生成AIとかにこれらの概念をインプットして、新しい適応策のアイディアを出させるとか、そんな使い方もできるかもしれないですよね。
ノト丸
なるほど。未来を考えるための視点の補助線みたいなものですね。面白いな。
ブク美
そうですね。そこで最後に聞いているあなた自身にいくつかのプロトクエスチョン、つまり未来への思考を促すような問いを投げかけてみたいと思います。
まず、How。もしあなたの日常がこれらの物語のように激変したら、例えば毎年夏が50度になったり冬がマイナス20度になったりしたら、あなた自身はどのように適応して、どんな新しい文化や習慣あるいは楽しみ方を生み出すと思いますか?
次にWhy。なぜ人間は食料の確保とか身の安全といった生存に関わる基本的な欲求が脅かされるような極限状況下でさえ、お祭りとか芸術、物語といったある意味では不要不急とも言えるような文化的な営みを求め創造し続けるのでしょうか?
その根源的な動機って何だと思いますか?
そしてWhat if_?。もし、現代の私たちが生きる社会がこれらの物語で描かれていたように見えない労働への感謝とか尊敬をもっと明確に示したり、感覚的な贅沢、例えば完璧な静寂とか心地よい温度、美しい自然の光景といったものの価値を物質的な豊かさと同じくらいあるいはそれ以上に重んじるようになったとしたら、私たちの社会や個人の幸福感はどのように変わる可能性があるでしょうか?
ノト丸
うーん、どれも深く考えさせられる問いですね。今回は気候変動に適応した2つの対照的な未来の文化を描いた物語を通して、人間のレジリエンス、価値観の変化、そして文化の持つ力について深く掘り下げてみました。
灼熱のカーニバルと極寒の静寂、どちらも極端な世界ではありましたけど、そこには確かに人間の適応力と創造性の輝きがありましたね。
ブク美
ええ、そして最後に1つちょっと付け加えておきたい思考のヒントがあるんです。
これらの極端な未来像って一見するとディストピア、つまり暗くて希望のない未来のように映るかもしれないですよね。
でも見方を変えれば、これらは私たちが今あまりにも当たり前だと思ってしまっているものの価値を改めて問い直すための鏡としても機能するんじゃないかと思うんです。
ノト丸
当たり前の価値ですか?
ブク美
例えば、私たちが快適だと感じる温度で過ごせること、好きな時に自由に外出できること、あるいは大切な人と直接顔を合わせて話せること。
そういった普段は意識にすら昇らないような当たり前が、実はどれほど貴重で壊れやすいものなのか。
これらの物語は、そうした現代の豊かさとか自由の価値を逆説的に浮き彫りにしているのかもしれない。
失われた初めてその本当の価値に気付かされるということがあるように。
なるほど。
ノト丸
当たり前が当たり前でなくなったとき、私たちは何に価値を見出すのか考えさせられますね。
さて、明日も引き続き"気候変動適応の世界線"をテーマに、まだ見ぬ未来のプロトキャスト可能性の探求を続けます。
今日の話を聞いて、あなたが感じたこと、考えたことがあれば、ぜひ、#毎日未来創造のタグをつけて、SNSなどでシェアしてみてください。
あなたの気づきが他の誰かの新しい視点につながるかもしれません。お待ちしています。
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