どうもこんにちは、やじまです。 こんにちは、ほそやまです。
さあ、本日も始まりました、やじま・ほそやまの桶屋ラジオ。
こちらの番組は、普段広報PRの仕事に従事する、やじまとほそやまが、身の回りの日常のあれやこれやについて、広報PR視点も少しおりませんながら、脱線もしつつ、雑談する番組です。
はい、よろしくお願いします。 お願いします。
えー、今日は失踪について話そうかなと思うんですけど。
失踪ですか?失踪、あの、いなくなる。
ほそやまさんって、あ、いなくなる失踪ですね。
ほそやまさんって失踪したくなったりしたことってありますか?
あー、えー、今までですよね。あ、失踪しようって。
まあ、ちょっと今、ぱっと思い浮かばないんですけど、今、この場から消えたいとかはありますね。
あー、もうこの。
そうそう、この恥ずかしいとか、なんか失敗したとか。
はいはいはいはい。
あー、もういなくなりたいみたいな、そういうのはあるかもですけど。
はい、そういうことですか?
まあまあ、そういうことっていうか、あの、ね、思想をね、テーマにしたドラマが今はないじゃないですか。
えー、あ、見てます見てます。
はい、あれですね。
Tシャツが乾くまでっていうね。
はい、毎週楽しみに見てます。
ドラマが出来ますけど、ちょっとね、あの謎解き的な要素もあって、
まあ、それの推理というかね、あのシーンはこういう人だったんじゃないかみたいな、
そういう考察みたいなのも含めて、あの、SNS上でめちゃくちゃ流行って、バズってますけれども。
えー、まあ、あの、ドラマね、結構流行ってるんで見てる方も多いと思うんですけども、思想壁のあるね、男性が出てくるんですよね。
そうそう。あれはちょっと一個謎解きでしたよね、前回。
一つのね、テーマというか、まあ全体を通じてその、まあ人と人との関係性を描いているドラマだと思うんですけども、
一つの重要なテーマというか、そのキーマンとなる男性が失踪が一つのね、そこからきっかけにしていろんなものが、
あの、動き始めていくという、まあドラマだと思うんですけど、
その、まあ、男性は別にその、犯罪を犯して逃げてるわけでもなくて、
人生を全部捨てようとしているわけでもなくて、
なんでじゃあ失踪してしまったのかと、ちょっとここは一部ネタ割れというか、まああれですけれども、
あの、まあ穂沢さんのドラマね、ご覧になってわかると思いますけど、
まあ子供の時にね、両親から十分に愛情とか関心を向けてもらえなかったと。
ね、無関心っていう。
ね、無関心な親、ね、子供に無関心、まああの、
意図せず生まれちゃった子だから、まあ親としては子供に対して別に興味とか関心がないと。
で、まあ、あの、その男性もちっちゃい時はまあ親の気を引こうとやってたけど、まあ諦めてしまって、
でもまあ、ね、子供だから親の被害がないと生きていけないという中で、
まあやっぱここにはいたくないんだけど、でも完全にここから出ていくこともできないっていう、
まあある種その、ね、遊兵されちゃって、精神的に遊兵されちゃって閉じ込められているというか、
ね、あの、いう状況の中で、やっぱりその一時的にでもそのそこの場から逃れるっていうことが、
まあ自分を守るための手段になっていたというので、
まあそこの子供の時の原体験というか、まあトラウマというかみたいなものがきっかけで、
で、まあ大人になってからも、まあ定期的にこう失踪する癖というか癖が出てしまうということですね。
はい。
はい。で、まあ僕はまあこれを見ながら、
失踪って結構その昔からこう一つのまあなんかそのドラマとか映画とかよく、
状況を大きく変える要素として使われるモチーフであって、
松本成長のゼロの焦点とか、
はい。
砂の器とかってご存知ですか?
名前は聞いたことあって、ちょっと見たことはないですが、そういう話なんですか?
そうですね。
ちょっと今調べながら、ゼロの焦点、
まあどちらも失踪というかね、
まあそういう話ではあるんですけど、
ゼロの焦点は映画化されたのが確か1961年、
昭和36年。
確かなんかの小説、もともと小説というかね、
もともと松本成長の小説が出たのが昭和33年とか4年とか確かそれぐらい。
で、ちょっとその時代背景も含めてなんですけど、
ゼロの焦点って結婚したばっかりの夫が突然失踪して、
結婚して10日くらいでいきなりいなくなっちゃう。
結婚してすぐ。
で、その妻が足取りを追って、舞台が金沢北陸なんですけど、北陸へ行くと。
行ってみると、自分が知っていると思っている夫には、
自分の知らない過去があったことがわかってくるというので、
まあいろんな、そこからいろんな事態が広がっていくという、ざっくりとそういう話で、
で、あと砂の器っていうのも、
その器が確か昭和49年とかの映画になっていて、
小説は多分もうちょっと前に出ていると思うんですけど、
ある殺人事件を最初に追っていくと、
丹波哲郎とか森田健作とかが刑事役で出てくるんですけど、
ある殺人事件を追っていくと、
ある一人の人間が失踪して必死に、その人が隠してきた過去にたどり着くという、
そういうストーリーというか、ざっくりと大きな、
失踪というのが一つのテーマになっていると。
ディテールは一旦置いておいて、この二つの作品に共通しているのが、
結局過去を捨てて、別人として人生をやり直した人、
やり直そうとした人たちを描いているっていうのが結構面白くて、
なんでそこまで過去を消したかったかというと、
さっきいつこの作品が上映されたかという小説とかね、話をしたと思うんですけど、
割と戦後とか直後の貧困とか、差別が激しかった時代を描いている。
差別、そうなんですね。
ゼロの焦点だと、ちょっと一部ネタバレになっちゃうんですけど、
殺人をするある女性がいるんですけど、ある女性が、
戦後の混乱期の中に生活をしていくために、パンパンという売春婦ですよね。
在日の米軍という人たちに、体を打って世紀を立てて、
その過去と決別して、北陸の地元の名士と結婚したんですけど、
その過去を知っている人がたまたま出てきちゃったから、
それを隠すために殺人しちゃうみたいな話なんですけど。
そういうことなんですね。
そういう、戦後の貧困みたいな話。
砂の器も、雷病という、ハンセン死病という、
当時すごい人に伝染するんじゃないかっていう、
めちゃくちゃ差別が起こった病気があって、
その病気に感染して、
地域から迫害を受けて逃れていく、
そういう過去があって、
実際、殺人を犯しちゃった人っていうのも、
自分が雷病だったわけじゃないんですけど、
親がそういう雷病の患者で、迫害を受けてきて、
そういう暗い過去があったということを隠すために、
殺人を犯しちゃうという、ざっくりそういう話なんですけど、
やっぱりそういう、戦後の混乱期というか、
差別というか、時代性も描いていて、
もう1個面白いのが、場所が面白くて、
ゼロの頂点だと、部隊が北陸、金沢とか、野党半島で、
砂の器だと、山陰、島根、
これも石川県の北陸の方が出ていて、
ちなみに、小沢さんって、裏日本って言葉を聞いたことありますか?
小沢さん「ごめんなさい。なかったです。裏日本。」
ヤンヤン「裏日本という言葉が昔あったんですね。」
ヤンヤン「裏腹とか、おくしぶしみたいな、ちょっとオシャレな響きに聞こえないか。」
小沢さん「裏日本。」
小沢さん「裏日本というのは一時期、ちょっと差別的な意味合いが含むので、今はもう使われないんですけど、
要は、越後、北陸、山陰、地方あたり、日本海側を示した地域のことを裏日本。」
ヤンヤン「こんな広いあたりなんですね。青森から島根とかまで。」
小沢さん「そうですか。」
ヤンヤン「結局、明治期ぐらいまで、北陸とか上越とかも含めて、北米船とか海上交易の拠点として、
日本海側って非常に発展してたんですけど、戦後とか経済成長期の中で、日本全体がどんどん工業化が進んで、
太平洋ベルトっていう地域とかあると思うんですけど、
名古屋とか大阪とか、岡山とか、あと北九州とか、太平洋ベルトっていう形で、太平洋一帯の地域を中心に工業化が進んで、
それに伴って新幹線とか高速道路とかっていうのが整備されていったと。
太平洋側っていうのは、大きな船が入りやすいとか、鉄道とか交通が展開しやすいみたいな地理的な要素もあったんですけど、
相対的にその北陸側とか上越とか山陰側っていうのは、裏ぶれてしまったというか、
終焉というか外側に、表が太平洋側だとすると、裏側が日本海側ということで。
北陸新幹線とかもちゃんと開通したのって最近でしょ。
上越新幹線とかも1980年になってからだし、かなり遅れてるんですよ。
確かに。
で、まさにゼロの焦点とかそのツアーが描かれていた時代っていうのは、まだ交通機関も発達してないし、
産業全体も、もうだんだんその日本海側、太平洋側というか、そっちにどんどん人口もそうだし、人もそうだし、産業とか経済もそっちにシフトしていく中で、
裏ぶれた場所として描かれている。
へー、そうだったんですか。
ある種そういう場所をあえて多分、舞台に描いているのも多分意図的にそういう場所として描いています。
かつそういう人たちが失踪する場所。
失踪する場所。
過去を消せる場所として。
なるほど。
なので、太平洋側とかが、いわゆる高度経済成長とか、都市のこれから手に入れたい人生っていうのをすると、その対比として北陸とか山陰とか、
へー。
うん、すごいなんか今納得しちゃいました。
あれですよね、細山さん、
そうそう、新潟出身で、地図とか見てたら、そう、なんかわかるなと思って。
確かに。
はい、それこそ田中角栄さんが日本列島改造論として、角栄さんはね、新潟の出身ですけれども、
だからまあ、ちゃんと裏日本というか、上越とか、北陸とかも含めて開発しないといけないよね、ということで、上越新幹線とか引き込んだりとか、
関越道とか整備されたりとか、みたいなこともあったわけですけれども、結局まあ、暗い裏ぶれた時代だった。
へー。
まあ、ちょっとそれは一旦ちょっと余談ですけども、
まあ、そういう作品をちょっと思い出したっていう話と、
あとまあ、思ったのはやっぱその戦後の混乱期とか、まだデジタルも発展してない中で、まだその失踪ができた時代。
そうそう、失踪ができたんですよね。
確かに。
それこそ、えっと、砂の器とかも、空襲があって、戸籍、自治体が持っている戸籍とかが消失しちゃって、その土作作に紛れて、
その戸籍を書き換えちゃう、自分の都合に書き換えちゃう、みたいなこともいっぱい出てくるんですけども、
そういうのも含めて、まあ、整備されてないんで、
結構その自分を偽るとか上書きするみたいなものっていうのが、今よりやりやすかったんじゃないかなと思います。
で、やっぱ場所を離れて、別の人間としてやり直すみたいなことが、まあ、よりやりやすかったというか。
今だとやっぱりね、その、全部デジタルタトゥーじゃないんですけど、
そうなんですよね。
スマホがあって、SNSがあって、ログが全部残っちゃって、
まあ、別人になろうとしても、なかなかなれないし、逃れられないという中で、
より、まあ以前よりも、やっぱり、あとまあそもそもね、やっぱりデジタルがないと決済とか、
何もできないみたいな、スマホデジタル前提の社会において、
外界から隔絶されて生きていくっていうことが、より難しくなっているというのはあるかなと思います。
まあちょっとそういう自在性というかね、みたいなのもある中で、
でもやっぱりその、Tシャツが乾くまでの話に戻ってきますけども、
やっぱりそのしがらみとか、過去、まあそういうまあ、
一つの場所に固定されてしまうところから逃れたいとかっていうのは、
まあなんか、その社会環境がデジタルになろうとも、本質的な部分は変わらない。
うん、そうですよね。
だからちょっと今いる場所から一時的に、まあ別に失踪して別の人間になるってことじゃないんだけど、
一時的に離れてリセットしたいみたいな、みたいなその欲求というか願望っていうのが、
多分誰にも実はあるんじゃないかなっていう。
あ、私も思いました。
あ、なんかすごい、その主人公の一男一女の男性の気持ちがわかるというか、
なんかちょっと共感しちゃったっていう。
うんうん。
なんかもう相手の。
どういうところに共感したんですか?
あ、そうですね、あの、なんだろう、今この先の御頂点とかが見えるというか、
この先が想像できちゃうと、急になんかつまんなくなるというか、変えたくなる、怖くなるとか、
そう、だから一回リセットしたくなるっていうのは、なんかたびたび私もあったなって気がして、
で、あの、その主人公の三連も言ってたのって、
その一軒家を買って、二人でずっとここで暮らしていくんだって思ったら、
なんか幸せで息が詰まったみたいな表現してたと思うんですけど、
なるほどなと思って、もう家を買うっていうところで、
一個その、もう到達するみたいな、完成するっていうとこに、
その先って何があるんだみたいな、私だったら想像しちゃうのかもと思って、
そうそう、ちょっとそこですごい共感しちゃいました。
いやでもめっちゃわかりますよね。
やっぱり、まあ一つね、家を買ったことがきっかけになって、
でその、まあ壁が再発しちゃうっていうのがね、出てきますけど、
やっぱりその、特にまあね、それこそ、金利も上がって物価高で建設費も高騰して、
家もね、30年の40年のみたいな、
やっぱり、売ればいいじゃんってあるかもしれないけど、
そんな簡単にやっぱり生活もあったりするのがね、難しいしね、
やっぱりそこに、一つの場所に固定化されちゃう、縛られちゃうこととかって、
やっぱり不自由じゃないですかね。
そうですよね。
そこに対する恐怖とかは、なんかめっちゃ僕もわかると思いました。
ね、そうですよね。
意図的に何か、失踪と言わずとも、変化を求めて行動されてきたことありました?人生において。
僕はどっちかって言うと、そういう人生かもしれないですね。
割と固定化することに対する恐怖があるというか、
同じ場所に留まる、まあ仕事もそうだし、
留まっちゃうと、安定は衰退であるみたいな、
常に環境を変えてアップデートし続けないと、後退しちゃうなっていう恐怖感があって、
自分が楽してるなと思ったら、これはステージを変える時なのかな、
失踪ってことじゃないですけど、固定化しないっていうのは一つ。
確かに。
どうですか?穂沢さん。
それめっちゃわかると思いました。
なんか、江島さんとちゃんと同じくらいに上を向けてるかというとまた違うかもしれないですけど、
そう、固定化しちゃうっていうのが結構怖いですね。
ずっと動いてないと、そう、怖くなっちゃう。むしろほんと取り残されちゃうっていう感じがするので、
何かしら新しいものとか、逆にすごい過去の人に会いに行くとか、
昔行った場所に行ってみるとか、何か違う変化を入れたくなりますね。
でもある種、失踪するとかそういうことじゃなくて、変化っていうのは大事かもしれないですね。
そうですね。
やっぱり、固定化しちゃうと自分の思考とかもまんねりというか、
いっときでもいいから、もしかしたらそういう旅行とかも、
逃避というか、プチ失踪なのかもしれないですけど、
ある種そういう変化を日常に取り入れながら、うまく付き合っていくっていうことが大事なのかなと思いましたね。
そうですね。
旅行って確かに、そういう意味で上手にバランスを取る大事なツールなのかもしれないですね。
あとはね、そういう仕事とかは、夫婦とかもそうかもしれないですけど、
ある程度自分たちで工夫できるところはある。
そういう旅行を取り入れるとか、仕事のちょっと内容を書いてみるとか、
コントロールできると思うんですけど、
親子の関係とかそういうのって、自分で望むと望まざるにかかわらず、
親ガチャみたいな言葉とか、
一時期親子という病みたいな、
強制されてかつ固定化されてしまう関係みたいなところは、またちょっと大変というか、
今の方がまだもうちょっとフラットだと思うんですけど、
それこそ昔の時代とか、非差別部落とか地域とかもそうですね。
そうですね。
縛られちゃう。
縛られちゃう。
そこに対する偏見とか、
からなんか逃れられないみたいな、
行き古したみたいなのが、
ありますよね。
よりあったのかなっていうのがありますよね。
確かに。